同行をすると言ってきた

 同じ頃、甘寧の屋敷の厨房。


 其処は今戦場の様に、忙しく騒がしかった。


「酒を壺で十個追加‼」


「空揚げを、もっと欲しいそうですっ」


 料理を運んでいる使用人達が、次から次へと注文していった。


 酒はまだ良いのだが、空揚げの方は問題であった。


「あの人達は、胃の中に化物でも飼っているのか?」


 空揚げを作っている曹昂は思わず呟いた。


 鳥の空揚げを百人分を用意し作った。そして、最初は三十人分ほど揚げて出した。


 残りは曹昂達が食べて、それでも残ったら甘寧達が明日にでも食べれば良いだろうと思ったのだが、使用人が慌てて空揚げの追加を注文しだので、慌てて揚げ始めた。


 作っていく端から、持っていかれるので自分達の分は有るのだろうか心配になった。


「曹昂様。ふざけた事を言っていないで、早く空揚げを作って下さいっ」


 貂蝉が作業の手を止めないで、曹昂に作業に戻る様に促した。


 貂蝉達は盛り付けなどを行っていた。


 この時代の調理法は茹でる、焼く、蒸すが殆どであった。


 揚げ物の場合、中まで火が通る見極めというよりも、大量の油が必要なので余程の貴族か富豪でなければ用意できない。


 だからか、揚げ上がり具合が分かるのは曹昂だけであった。なので、揚げ役をしていた。


「「「………………」」」


 その曹昂の手並を、ジッと見ている屋敷の料理人達。


 当初、彼等は曹昂が料理を作ると聞いて、甘寧の期待に応えられるかどうかよりもまだ十代半ばと言える子供が、作る物など美味しい訳が無いと思った。


 だが、甘寧達に出す前に、味見として食べた空揚げを食べてそんな気持など霧散した。


 油を大量に使う、揚げ物など食べた事も無かった。


 それでいて、焼くよりも食材全体に均一に火が通るので焼くよりもジューシーであった。


 揚げ物とは、こんなに美味しい物なのかと感動していた。


 更に曹昂はマヨネーズを作りだした。


 最初は水っぽい物が、油を入れて行くと、徐々に粘性が帯びて行ったので料理人達は自分の目を疑った。


 そして、これは食べ物なのかと思い料理人達は味見をすると、その味に驚いた。


 同時に、甘寧が執心する気持ちが分かった。


 料理人達はマヨネーズの作り方をもっと強く知りたかったが、今は空揚げを作るのに大変なので、先にそちらの作業をして貰う事にした。


 空揚げの方も知らない調理法なので、じっくりと観察していた。


 腿肉を揚げるだけかと思われたが、手羽中と手羽元も運ばれてきた。


 何をするのかと見ていると、曹昂は包丁を巧みに操り花の蕾の様な形にしたのだ。


「おお……」


「何と、素晴らしい刀工包丁技術のことだ」


 料理人達は、曹昂の刀工に感歎していた。


 それで、よく見ようとジッと目をこらしていた。


 見られている曹昂からしたら、煩わしいという思いであったが、別に盗み見られても困る事では無いので、ほっとく事にした。




 やがて、甘寧達が満腹になると、漸く一息つく事が出来た曹昂。


 休憩を取ろうと思ったが、料理人達が熱い視線を送って来た。


 これは、マヨネーズの作り方を教えないと駄目だと分かったので、先に貂蝉達を休ませて、自分は疲れている身体に鞭打ってマヨネーズの作り方を教えた。


 最初は失敗続きであったが、コツを掴むと本職であるからか、直ぐに作れるようになった。


 料理人達が喜んでいる間に、曹昂は一人厨房を後にした。


 厨房を後にし、夜風に当たりたくなり庭に出た。もう、夜の帳は落ちており月が出ていた。


 先程まで、熱気が籠もっていた厨房に居たので夜風が涼しいと感じていた。


「……思ったよりも立派な庭だな」


 曹昂からしたら甘寧は侠客上がりの武人というイメージがあったので、庭といった物には、関心が無いと思っていた。


 だが、目の前にある庭は何と言う名前の樹か分からないが、ちゃんと剪定されている上に、立派に育っていた。


 石畳も綺麗に整備されており、雑草は生えてなどいなかった。


 意外にも立派な庭であったので。少々意外な気分であった。


「ははは、俺の屋敷の庭を、見た奴は皆そう言うぜ」


 後ろから声を掛けられたが、聞き覚えがある上に「俺の屋敷」と言っているので曹昂は直ぐに誰なのか分かった。


「これは興覇様」


 曹昂は一礼して頭を下げた。そして、頭を上げると其処には予想通り甘寧が居た。


 手には、瓢箪を持っていた。


 恐らく、月を肴に酒を飲むために庭に出たのだろうと予測した。


「悪かったな。わざわざ、こんな所にまで連れて来て」


「いえいえ、マヨネーズをそれだけ気に入ってくれたと思えば、特に何とも思いませんよ」


「そうか。まぁ、あれは良い物だしな」


 甘寧は瓢箪の口を蓋を開けて、中に入っている酒を喉へと流し込んだ。


 邪魔しては悪いと思い曹昂は、一礼してその場を去ろうとしたが。


「ああ、ちょっと待て」


 甘寧が呼び止めた。


 何事だと思い曹昂は足を止めて振り返った。


「何でしょうか?」


「ちょっと、話したい事が、あるから座れ」


 甘寧が庭に置かれている大きな石に座ると、自分の隣にある石を手で叩いた。


 その石に座れという意味だと分かったので、何の話だろうと思いながらも指定された石に座った。


 曹昂が座っても、甘寧は直ぐに話しかけてこなかった。


 何か話したい事があるので呼び止めたと思ったが、訊ねる様な事はしないで甘寧が話し掛けるのを待った。


「……お前、これから何処に行くんだ?」


「そうですね。漢中に行こうかと思っています」


「漢中? あそこは米賊べいぞくが支配している所だぞ」


 米賊とは五斗米道の事だ。


 信者が五斗約二十リットルの米を奉納した事から、その名がついたと言われている。


「ええ、その米賊とは、どんな宗教なのか見てみたいと思いまして」


「そうか」


 そう言って、甘寧は酒を煽った。


 飲み終わり息を吐くと、口を開きだした。


「お前、何処かの間者か?」


「まさか、僕はただの行商ですよ」


 苦笑する曹昂。


 心の中で間者では無い。ただ、間者の元締めみたいな事はしているなと思った。


「そうか……此処の所、何の事件らしい事件も無くて暇だしな。俺も付いて行っても良いか?」


「えっ⁈」


「そんなに驚く事か?」


「いや、その……手下の人達も連れて行くのですか?」


「何人かはな。流石に全員は連れて行かねえよ」


「それでしたら、良いですけど。聞いても良いですか?」


「何だ?」


「どうして付いて来るのですか?」


 純粋に気になって訊ねる曹昂。


「まぁ、お前といたら面白い事が有りそうな気がするから、付いて行くだけだ。それで良いだろう」


「そうですか」


 何か他にも有りそうだなと思うが、訊ねても答えないだろうと思い曹昂は訊ねなかった。


「この場合、何かしらの報酬を払った方が良いのでしょうか?」


「そうだな。じゃあ、あの魔夜眠不の作り方をうちの料理人に教えろ。それが報酬だ」


「もう、教えましたよ」


 曹昂が苦笑すると、甘寧はきょとんとしたが直ぐに大笑いした。


「ははは、そうか。じゃあ、報酬は前払いされたという事か。こいつは手回しが良いっ」


 別に、そんなつもりはなかったんだけどなと思う曹昂。


 その後、甘寧と連れて行く人数、持っていく食料などを話し合った。




 翌日。




 曹昂達は、甘寧の屋敷で一夜を明かした。


 そして、曹昂は皆が目を覚ますと、自分が使っている部屋に集まる様に指示を出した。


「……という訳で興覇さんも僕達に付いて来るんだって」


 曹昂は昨日、甘寧と話した事を皆に話した。


 話を聞いた貂蝉達は、訳が分からないという顔をしていた。


「……何故、興覇殿は付いて来るのでしょうか?」


 供の中で一番頭が良い劉巴が、曹昂に疑問に思っている事を訊ねる。


「さぁ、何か有るようだけど、話さないから分からないよ」


 曹昂は、分からないとあっけらかんと告げる。


 それを訊いて、貂蝉達は頭を抱える。


「相手が何を考えているか分からないのに、同行するというのは如何なものでしょうか?」


「いやぁ、でも、付いて行きたいって言っているんだから」


「付いて行きたいと言えば、誰でも連れて行くのですか? 曹昂様」


 劉巴の声が怒号の様に曹昂に耳に響く。


「いや、勝手に決めたのは悪いと思うけど、でも必要だと思ったから同行を認めたんだ?」


「……と言うと?」


 曹昂の言い分が気になり、劉巴は気を静めようと深く息を吸って吐いて、冷静になり話を聞く体勢を取った。


「これから、漢中に向かうだろう。それまでの道案内して貰うには興覇さんはうってつけだと思うのだけど」


「まぁ、興覇殿は此処巴郡の出身ですから、漢中に行く道の案内などは簡単に出来るでしょうね」


「それに、巴郡じゃあ知らない人は居ないだろうから、ちょっかいを掛けられる事はないだろうし」


 曹昂の説明を聞いて、劉巴達も甘寧が同行するのを許可した訳が分かった。


 甘寧達のお蔭で治安は良いかも知れないが、だからと言って曹昂達を見て良からぬ事を考える者達が出ないとは限らない。


 もし甘寧が居れば、そんな気を起こす者など居ないと甘寧を同行させる理由を説明した。


「話は分かりましたが、だからと言って知り合って、それほど経っていない者と一緒に行動するというのは、如何かと思いますが?」


 劉巴は曹昂の説明を聞いても、甘寧の同行は反対した。


「でも、一度約束した事を反故にするのは、それこそ問題だと思うよ」


「そう言われると、そうですが」


 劉巴は、まだ納得がいかないという顔をしていたが。


「劉巴よ。気持ちは分かるけどよ。もう話は決まったんだから、もう諦めて気持ちを切り替えて行こうぜ」


 董白が宥める様に話しかけて来た。


「しかし」


「お前の気持ちは分かるけどよ。向こうもあたし達がどういう奴らなのか分からないから付いて来るって事も考えられるんだからよ。此処は向こうの出方次第で決めようぜ」


「……仕方がないですね」


 董白に説得されて、劉巴もようやく甘寧を同行する事を認めた。


 曹昂は一安心して、安堵の息を吐くと同時に戸が叩かれた。


「はい。どなたですか?」


『俺だ。甘寧だ。部屋に入っても良いか?』


 戸を叩いたのは、甘寧であった。


 話題に上がった人物が現れたので、貂蝉達は身体を震わせた。


 曹昂は小声で「とりあえず、部屋の中に入れるけど、警戒はする様に」と言った。


 その言葉に頷き、貂蝉達は警戒態勢を取る。


 董白や劉巴達は柄に手を掛けて何時でも抜ける様に構え、貂蝉は懐に忍ばせている匕首を掴み自分の背に練師を隠した。


 皆が警戒しているのを確認した曹昂は戸を開けた。


 戸を開けた先には甘寧が居り、脇に何かの巻物を挟んでいた。


「お待たせしました」


「おう、ちょっと話があって来たんだが、今大丈夫か?」


「ええ、どうぞ」


 曹昂が手で部屋に入る様に促すと、甘寧は部屋に入った。


 甘寧を見るなり、皆は一礼する。


 甘寧も礼儀として返礼すると、近くにある椅子に腰を下ろした。


「それでお話しとは?」


 曹昂も対面になる様に、椅子を動かして座り訊ねた。


「ああ、お前等に米賊が何処を拠点にしているのか教えようと思ってな」


 甘寧が言う米賊の事が何なのか分からず、曹昂以外は首を傾げた。


「米賊ってのは五斗米道の事だから」


 曹昂が教えると、皆納得した。


「話を続けるぞ。で、その米賊は漢中を拠点にしているんだが」


 甘寧は話しながら、脇に挟んでいた巻物を卓の上に置いて広げた。


 広げたものは、どうやら益州の地図の様であった。


「これはっ⁉」


「益州の地図ですか?」


「そうだ。昔、俺は官吏をやっていた事があったんだが、袖の下の多さで出世する奴等を嫌になる程見たお蔭で、嫌気がさして辞めたんだが、その時に益州の地図を餞別代わりに貰って来た」


 曹昂はそれは盗んできたというのでは?と思うが、口には出さなかった。


 皆も同じ思いなのか、ジッと見ていた。


 そんな視線など分からないのか、甘寧は構わず話を続けた。


「漢中は西城、旬陽、南鄭、褒中、房陵、安陽、城固、沔陽、鍚、武陵、上庸、長利の十二県を治める郡だ。元々、人も沢山いる上に戦乱から逃れた人達がかなりいるから、今はかなり増えているだろうな。兵として動員したら数万は動員できるって話だからな」


「そんなにっ⁉」


 劉巴は甘寧の話を聞いて驚いていた。


 郡一つ占領している宗教で、それほどの数の兵を動員できるとは思わなかったようだ。


「で、十二ある県の内で、南鄭を本拠地にしているそうだ」


 甘寧は地図に書かれている地名を指で叩きながら説明した。


「ありがとうございます。現地に着いたら、人に聞く手間が省けます」


「なに、俺も付いて行くんだ。何の問題も無い」


「そうですか。ところで、そんなに付いて来るのは、何か理由があるのですか?」


 曹昂は話のついでとばかりに訊ねた。


 甘寧は直ぐには答えないで顎を撫でた。


 何と言うのだろうと、曹昂達は気になり甘寧の言葉を聞き洩らさない様に神経を尖らせた。


「……そりゃ、お前。綿竹に居る張魯の母親が、少し前に南鄭に戻っているって話を聞いたんでな。どんな美人なのか見てみようと思ってな」


 甘寧はにやけながら付いて来る理由を話し出した。


「「「……えっ⁉」」」


 甘寧の言葉を聞いても、曹昂達は耳を疑った。


「あの、そんなに有名なんですか?」


「おまっ、益州じゃあ有名なんだぞ。巫術に長けて、その力で齢四十に届く筈なのに、凄い美貌を保っているって話だぞ。その美貌で州牧の劉焉を誑し込んでいるって話があるくらいだからな」


 甘寧の語る張魯の母の話を聞いて、曹昂は前世の記憶でそんな話があったなと思いだした。


「じゃあ、その女性に会う為に僕達に付いて来ると?」


「それもあるが。一番なのは」


 甘寧はニッと笑った。


「お前には借りがあるからな。その礼だ」


「借り? 何かしました?」


「美味い料理を食わせただろう。あんな料理、初めて食ったぜ。特にあの魔夜眠不は最高だからなっ」


 甘寧は目を少年の様に輝かせていた。


「そ、それは良かったです……」


 あまりに喜んでいるので、曹昂はちょっと引いていた。

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