行く宛てが無いとの事で

 前方に黒い煙が上がっているのを見て、曹昂が率いる前軍はざわつきだした。


 白い煙であれば、炊事または何かを焼いていると思えるが、黒い煙が上がっているという事は、何かが不完全に燃焼しているという事だ。


「火事かな?」


「此処からじゃあ分からねえな。物見を出すか?」


 側にいる董白がそう訊ねて来たが、曹昂は首を横に振る。


「いや、此処は重明を出す」


「はぁ?」


 何で、此処で鷲の重明を出すのか分からなかったが、曹昂が「早く連れて来て」と急かすので、董白は部下に重明が入っている鳥籠を持って来させた。


 董白はその鳥籠を曹昂に渡すと、曹昂は籠から重明を出して自分の腕に乗せる。


「あの黒い煙の原因を調べて来て」


 曹昂がそう言うと、重明は了解とばかりに声を上げる。


 そして、重明を飛ばした。


 重明は空へと羽ばたき、その黒い煙が上がっている所へ翔けて行く。


 董白は内心、何をしたいんだろう?と不思議に思いながら見ていた。




 少しすると、重明が戻って来た。


 それを見た曹昂は懐から巻物を出した。


 その巻物を広げていると、重明は曹昂の肩に乗った。


「お帰り。じゃあ、報告を聞こうか」


 重明は広がった巻物を嘴で突っついた。


「む、ら、お、そ、わ、れ、て、い、るっか。襲っている数は?」


 曹昂が訊ねると、重明は嘴で巻物を突いた。


「じ、ゅ、う、に、ん。……十人か」


 思ったよりも数が少ないので、野盗ではないなと判断する曹昂。


 とは言え、それは別動隊か、もしくは本隊と離れた者達という事も考えられたので、それなりの人数を出すべきだと判断した。


 前軍は二千五百。歩兵千五百。騎兵千という編成だ。


 敵の数と自軍の兵数から、どれだけ出すか素早く計算する。そして、その計算を終えると董白に命じた。


「董白。騎兵を五百を率いてあの黒い煙が上がっている村を襲っている者達を捕縛又は蹴散らしてきて」


「え、ええ……?」


 少し考えていたと思ったら突然、曹昂が命じるので困惑する董白。


 物見も出さないで重明を飛ばして、帰って来たら一緒に巻物を見て何かしていると思ったら突然命じてきた。


 曹昂達が、何をしたのか分からないと思う董白。


 困惑していると、曹昂が急かしだした。


「ほら、早く行ってっ。じゃないと、村が壊滅するよっ」


「あ、ああ、後で何をしたか、教えろよっ」


 曹昂が強く促すので、董白は考えるのを止めて、直ぐにその命令に従った。


 董白が離れていくのを見て、直ぐに次の命を出した。


「後続の子廉さんと子和さんに伝令。前方の村が何者かに襲われているので、前軍は急行するとっ」


「はっ」


「あの黒い煙が上がっている所に向かう。前進!」


 曹昂がそう命じると、少し遅れて伝わり進軍の銅鑼が鳴り響いた。




 曹昂達よりも、先行した董白達は言われた通りに五百騎率いて、黒い煙が上がっている所へ向かった。


 騎兵と共に黒い煙が上がっている所に向かっていると、徐々に黒い煙が上がっているのは、村だという事が分かった。


 その村に近付くと、何かが燃えている匂いと血と臓物の匂いが漂って来た。


 その匂いは、村に近付くと徐々に強くなっていった。


 そうして、董白達が村の入り口に着くと、其処は惨状と化していた。


 家が幾つも燃えており、道は血の海となり、その海の中には人が倒れていた。


 その死体に縋って泣いている子供達。


 そんな、子供達に構う事なく逃げ惑う人々。


 逃げ惑う人々を、血塗られた剣や槍で追い駆ける者達。全員、必死な表情で追いかけていた


「何だ。あいつら?」


 人々を追い駆ける者達を見て、董白は訝しんだ。


 最初野盗か何かかと思ったが、その割に服はそれほど汚れていない上に、傷が無かった。


 それに、持っている剣や槍も刃毀れしてない上に、錆びも浮いていなかった。


 あまりに装備が良いので、何処かの軍が村を襲撃しているのかと思ってしまった。


「董白様。どうしますか?」  


 率いて来た兵の一人が、董白の指示が欲しくて声を掛ける。


 その声を聞いて董白は考えるのを止めた。


 考えるのは夫に任せようと思ったが、直ぐに曹昂の笑顔が思い浮かび、照れて顔が赤くなりそうになったが、そんな気持ちを顔を振って、気を取り戻した。


「敵は十人程だ。全員、矢を構えろ。村人達に当てるなよっ」


 率いて来た五百騎は、騎射が出来る者達であった。


 董白は弓を取り矢を番えると、兵達も矢を番える。


「あたしの声に続いて放てっ。良いな!」


「「「はっ」」」


 董白がそう命ずると、兵達は答えた。


 それを訊いた董白は、弓弦を引き絞りながら狙いを定める。


 董白達が狙いを定めても、野盗達は村人達を追いかけるのに夢中で董白達に気付いた様子はない。


「…………放て‼」


 董白が十分に狙いを定めると、矢を放つ時を待った。


 村人達と野盗達との距離が、あと少しというで武器が届くという所で矢を放った。


 董白の命令に従い五百の矢は放たれた。


「「「ぎゃあああああっっっ⁉⁈‼」」」


 野盗達は、村人に手を掛けられると思ったところに、身体に矢が突き立った。


 まるで蓑を着ているかのように、野盗達の全身に矢が刺さった。


 十人ほどの野盗達は、矢が刺さったまま地面に倒れた。


「良し。全員、馬から降りろ。お前は百騎ほど率いて野盗達の死亡を確認しろ。お前は二百騎ほど率いて村の周りを探索しろ。敵の残党がいたら大声を上げろ。お前はあたしと共に被害の確認。燃えている家は消火。生きている人達が居たら、一箇所に集めてこうなった事情を訊けっ」


 董白はテキパキと指示を出しながら村を見る。


 道には老若男女関係なく、かなりの人達が倒れており、多くの家は何処か燃えているか全焼していた。


「……これは酷いな。村を立て直せるか。出来なかったら離散か」


 この村が、これからどうなるか分からないが、大変だろうなと他人事だが、董白はそう思うのであった。




 数刻後。




 曹昂が率いる前軍は村に到着した。


 その頃には、董白は村の人から事情を訊き終えていた。


「んで、生き残りの村人の話を聞いた所だと、全滅した野盗達が突然やって来て『水と食糧を分けろ』って言ったそうだぜ」


「最初に交渉するなんて、随分と変わっているね?」


 普通、交渉とかしないでそのまま襲うだろうと思う曹昂。


「多分だけど、同郷って事で、殺すのに気が引けたんじゃあねえのか?」


「結局は襲っているんだったら、交渉する必要なかったと思うけど」


「いや、村長達が少し話し合って渡さないと決めて、それを伝えると襲い掛かったそうだぜ」


 曹昂は交渉するのなら、もっと粘りなよと思うが、余程腹が空いていたのかもしれないと思い直した。


「この村って襲われる前はどれくらいいたの?」


「全部で五十人ほどらしいけど。負傷者合わせても、生き残っているのは二十人も居ないだろうぜ」


「これからどうするか聞いた?」


「村長を含めて、殆どの人達は死んじまったから、皆この村を捨てるってよ」


 村人が半分にもなれば、暮らしもきつくなるから仕方が無いと思う曹昂。


「生き残った人達の中には、親が死んだ子とか居るけど、そういう子は同じ姓の人達と一緒に行動するそうだぜ」


 この国では、同じ姓を持っている人達は同類という考えを持ち、困っていれば助け合うという考えがある。


 そんな考えがあるからか、この国では『同性不婚』という慣習がある。


 これは、同族同士の結婚は忌み嫌われていたという事だ。


 これについては、同じ血をひく者同士は同類であり、同類の間の交配は自然に反するという考え方に基づくからと言われている。


「それなら問題ないか」


 村人達は何処に行くか知らないが、行先まで面倒を見る義理は無いだろうと思い曹昂は水だけ貰おうと思っていると。


「あんの、たいへん、たいへんもうしあげづらい事があるのですが、どうか聞いてもらえないでしょうか」


 生き残った村人の一人が、曹昂達に話しかけて来た。


「どうかしたのかな?」


「じつは、この子をどうにか出来ないかと思いまして」


 村人の傍には十二~三ぐらいの女の子が居た。


 漆黒の髪を肩まで伸ばしていた。


 切れ長の目元。線の細い顔。身長も董白に比べると幾分か高い。


 襲撃に遭った事で多少汚れてはいたが、美しい容姿なのは分かった。


「この子がどうかしましたか?」


「実は先程の襲撃で親が死んでしまいまして、同族もおらず預かろうにも先程の襲撃で、皆自分の一族が、次の村に行くまでの蓄えぐらいしかないので、誰も預かる事が出来ないのです」


「ふむ。それで、この子を貰えと?」


「はい。この子一人だけですので、どうかお願いします」


 村人は頭を下げる。


 曹昂は目を瞑りどうすべきか考えていると、董白が近付く。


「おい。どうすんだ。預かるのか?」


「う~ん。そうだな。貂蝉一人しか侍女が居ないから、侍女にするのは問題ないと思うけど」


「そうだけどよ」


「義を見てせざるは勇無きなり、だよ」


 論語の一節を口に出す曹昂。


 意味は正しいと知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じことであるという意味だ。


「……分かったよ。お前の好きにしろ」


 董白は不機嫌そうな顔をしながら、曹昂の決定に従った。


「? 何で不機嫌そうなの?」


「…………」


 曹昂は董白が不機嫌そうな顔をしているのを見てそう訊ねて来たが、董白は怒るのを我慢した。


 婚礼を挙げて、まだ一年も経っていないのに、新しい女性を侍女にすると聞いて平然とするほど董白は度量は広くなかった。


 この時代では、侍女が主の御手付きになる事は良くある事であった。


 なので、この拾った子が曹昂の手が付くかもしれないと思いがあったのだ。


(こいつはこういう奴だから仕方がないっ)


 そう思う事で怒りを抑える董白。そして、曹昂を睨む。


「知るかっ。後は任せたぞっ」


 そう言って董白は、足音を荒くして離れて行った。


 そんな董白を見送り、少しすると曹昂は咳払いをして変な空気を誤魔化した。


「では、その子は、こちらで預かるという事で」


「おお、ありがとうございます。ありがとうございます」


 村人は何度も頭を下げた。


 村人は、連れて来た子を曹昂に預けると、何度も頭を下げて離れて行った。


 村人が見えなくなると、曹昂は少し身長差があるので、少し屈んで預けられた子と目を合せる。


「改めて。僕は曹昂。君の名前は?」


 親を失ったからか力が無い目をしていたが、曹昂が目線を合せたからかきちんと曹昂を見てくれた。


「……歩練師です」


 女の子の名前を聞いて曹昂は訝しんだ。


(はて? 錬師? 何処かで聞いたような名前だな。……どこでだっけ?)


 思い返してみたがどうにも思い出せなかった曹昂。


 なので、大した事ではないだろうと思い考えるのを止めた。


「じゃあ、よろしくね」


 曹昂は練師の手を取り、貂蝉に会わせようと歩き出した。


 


 歩練師。


 それは、後の孫権の妃嬪の名前である事、三国志演義を題材にしたゲームにも出ているキャラのモデルになった女性という事を曹昂は後になって思い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る