後少しで合流するという所で

 書状を届けてくれた曹休を見送ると、曹昂達は出発の準備に掛かった。


 目的地は廬江郡の六安県。


 曹昂達が居る丹陽郡とは、淮水を挟んであるので行くにしても時間は掛かるが、曹操達と合流する為なので、仕方が無いと言えた。


「ぬう、私達の軍勢の全てを連れて行く為の、船代だけでかなり掛かるな……」


 金庫番みたいな事をしている曹洪が頭を抱えた。


 元々連れて来た兵が二千。呉郡で募兵して集まった兵は三千。そして丹陽郡で貸して貰った兵は二千。


 合計七千の兵だが、それだけの数の兵が乗る為の舟を調達するのは、銅銭がどれだけ掛かるか分からなかった。


 今あるだけの金で、全軍を渡る船を調達できるか心配になる曹洪。


 丹陽郡の太守周昕から金を借りようにも、既に兵と共に兵糧を借りていた。


 其処に、金も融通してもらうというのは流石に無理と言えた。


 なので、揚州刺史の陳温から事情を話して、金を借りるか船を融通して貰う為に、話をしに向かった。




 曹昂達が、淮水を渡る為に奔走している頃。


 曹操達は廬江郡の六安県に、陣を構えていた。


 その陣地の中にある天幕の中に、曹操と夏候惇が居た。


 曹操は卓を指で叩き、何か落ち着きが無い様子であった。


「孟徳。少しは落ち着け」


 夏候惇は曹操の気を落ち着かせようとしたら、曹操は怒声を上げた。


「これが落ち着けるか‼ 我らの兵糧は何時底を尽くか分からんのだぞっ」


 曹操達は九江郡で兵を募ると、集まった兵は六千であった。


 これだけの兵が集まったのは、曹操が兵を募る前に『三毒』に郡の有力者の弱みを調べさせて、その弱みに付け込んで兵を募ったのだ。


『お前達が行った悪事を世間にばらされたくなければ、持てる兵全て私に与えるのだ』


 有力者にそう命じる曹操。


 夏候惇は有力者が行った悪事が横領や不正蓄財といったものなので、流石に揚州刺史の陳温に報告すべきだと思うが、どんな手段でも兵が集まるので、仕方が無いと思い目を瞑る事にした。


 有力者達は自分の悪事をばらされたくないので、曹操の申し出を聞き入れて持てる兵を全て曹操に与えた。


 兵を貰った曹操はホクホクした顔であったが、手に入れた悪事を記した紙を破り捨てる事はしないで、揚州刺史の陳温へ送った。


「こうした方が後腐れないからな」


 曹操はあくどい笑みを浮かべたが、そんな笑みを浮かべるのを見て夏候惇は、こいつは鬼か?と思った。


 そして、九江郡を出た曹操達は、廬江郡に入った。


 其処で兵糧官から兵が多くなったので、兵糧が次の郡に行くまでに、途切れるという報告が齎された。


 豫州に居る父から、兵糧と金を貸して貰おうと思っていたので、兵糧の殆どは曹昂達が持っていた。


 なので、豫州に居る父から兵糧と金を貸して貰おうと書状を出して、その地で留まっていると、『三毒』から豫州牧の孔伷が病死し、袁紹と袁術が豫州を得ようと、自分と親しい者を孔伷の後任になる様に朝廷に上奏したと報告された。


 その報告を聞いた曹操は、次の情報を待った。


 そして、次に齎された報告が、朝廷は袁紹と袁術の上奏文を見て、二人で話し合うべきと二人に詔書を出した。


 それにより、袁紹と袁術はお互いに同じ事を考えていた事を知った。


 程なく袁紹が推薦した周喁と袁術が推薦した孫堅が、豫州を求めて争うようになった。


 豫州各地が戦場になったが、徐々に孫堅の勢力が増していき遠くない内に、豫州は孫堅の物になると思われた。


 しかし、豫州に住んでいる者達からしたら良い迷惑であった。皆、豫州から逃げ出して各地に移り住んだ。


 それは、曹操の一族も同じであった。


 曹操が気晴らしに魅力的な女性を見つけて口説いていると、親戚の曹休とその母と出くわした。


 曹休から一族が散り散りになった事、父の曹嵩と弟達は徐州に向かった事、曹休の父である曹遂が死んだ事を聞かされた。


 曹休の話を聞いた曹操は、曹昂達と合流すべきと決めた。曹休に自分達は廬江郡に居るので、其処で合流する旨を書いた書状を持たせた。


 そうして、数日が経った。


 その間も今も兵糧は手に入らず、日に日に兵の食事に関して、不満が増していった。


「量を減らしたら、流石に不満が溜まるだろうに」


「仕方がなかろう。これも兵糧が手に入るまでの我慢だ」


「しかし、計る枡を通常のよりも小さくするのは、やり過ぎだと思うが」


「そうでもしないと、兵糧を保たせる事ができないだろう」


「その上、略奪しない様に厳重に警戒させているから不満が増す一方だ。此処はこの郡の有力者に頼んで、兵糧を分けてもらうべきだ」


「私もそれを考えたが、此処は知り合いもいない土地だ。貸してくれるかどうか分からん」


「しかし、やってみないと分からんだろう?」


 夏候惇が強く言うので、曹操はその言に従い有力者の下を歩き回った。


 だが、知り合いも伝手も無い土地だったからか、有力者達は申し出を断った。


 曹操達が陣地へ戻る頃には、夜になろうとしていた。


「こうなったら、誰かの土地に攻め込んで、兵糧でも手に入れるか?」


「お前、それは盗賊がやる事だぞ。粘って交渉するしかないだろう」


 夏候惇が、曹操の冗談とも本気ともとれる提案を却下した。


 曹操は溜め息を吐きながら、明日また別の有力者に兵糧を貸して貰うように頼むかと空きっ腹を抱えながら眠りについた。




 曹操が眠りについた数刻後。




 天幕の外から、騒がしい声が聞こえて来た。


 その声で目を開けた曹操は、天幕の外で護衛している兵に様子を確認する様に命じた。その間、曹操は一応、武具を身に纏った。


 程なくして、兵が戻って来た。


「殿‼ 反乱が起こりました!」


「反乱だと⁉」


 兵から齎された報告に、不満が溜まった兵達がとうとう反乱を起こしたかと思った。


「殿。此処に居ては危険です。早くお逃げをっ」


「馬鹿者っ。何処に行けというのだっ」


 曹操は傍に置いている倚天の剣を抜いて、切っ先を報告に来た兵に向ける。


「反乱など、私がこの手で鎮圧してくれる。付いて参れっ」


 曹操は護衛の兵を連れて、反乱が起こっている所に向かった。




 それは反乱が起こる少し前。




 曹操が集めた兵達の一部がある天幕の中に集まっていた。


「腹減ったな……」


「兵士になれば食うに困らないと思って兵士になったって言うのによっ」


「将軍達は暫く我慢しろって言うけどよ。一体何時まで我慢すれば良いんだよっ」


 募兵した者達は曹操軍の兵士になったのは飯が得られると思ったから兵士になっただけだ。


 それなのに、飯も満足に食べられる事が出来なくて、不満が溜まっていた。


 しかし、不満があるからと言って、愚痴を言うだけで行動を取ろうとはしなかったが。


「こんな軍に居たら俺達は飢え死にするかもしれない」


 集まった者達の一人がそう口に出した。


「そうだな。じゃあ、どうする?」


「此処の軍の将軍の曹操はこの土地の出身じゃないんだ。不満があるのならそんな奴の軍にいる事はないだろう」


「それってつまり」


「反乱か?」


「そうだ。こんな軍に居るぐらいなら、反乱を起こして逃げ出そうぜっ」


「そうだ。そうだ!」


「良し。やろうっ」


 集まった者達は、反乱を起こす事にした。


 それを訊いて、反乱を扇動した者はほくそ笑んだ。


 元々、この者はある有力者の家来であった。その有力者が曹操に弱みを握られてしまった。


 それでこの先も弱みに付け込んで、何かされると思い込んだ。


『良いか。曹操の兵に紛れて、曹操を殺せ』


 と命じられた。


 家来はその命令に従い、募兵した者達に紛れ込んだのだが、曹操の警備は厚く暗殺する事は難しかった。


 そんな時に兵糧が乏しくなり、食糧を少なく提供するので募兵した兵達の不満が高まったのを知り、反乱を扇動して、その隙に曹操の暗殺をする事にしたのだ。


 募兵して集まった兵は六千。曹操が連れて来た兵は三千。


 募兵の兵が全て反乱に加わるとは思えなかったが、それでも反乱の対処をしている曹操の隙を突けば暗殺は成功するだろうと思われた。


 だが、その家来は、戦いというものを経験した事が無いから分からなかった。


 戦いとはどんなものかを。


 そして、数刻後。反乱が起こった。


 


 陣地の至る所に、火が放たれ何もかも燃やしていた。


 燃え盛る陣地で、人や馬の悲鳴と共に、鉄と鉄がぶつかる音も聞こえて来た。


 当初は反乱を起こした者達が、不満をぶつけるかのように暴れていた。


 其処に、曹操が数百人の部下と共にやって来た。


 標的が現れたのを見た反逆者達は、部下達に曹操を殺す様に命じた。


 反逆者達に従う者達は二千程。対する曹操が率いる部隊は三百人。


 普通に考えれば勝てるだろうと思われたが。


「押し出せ!」


 曹操が、剣を振り下ろすと同時に率いて来た兵士達が、槍を突きだした。


 それで、反逆達が率いる兵達の多くが槍に貫かれた。


 皆、身体に穴を開けて地面に倒れていく。


 その死体を踏みつけて、曹操の部隊は攻撃を続ける。


 槍兵は槍を構えて命じられた通りに槍を突きだし、弓兵は矢を放っているだけ。


 それなのに、曹操軍の兵は死傷者こそ出しているが、着実に反逆者達の兵を多く減らしていく。


 曹操も右手に剣を、左手に戟を構えて、自分に向かって来る敵兵を斬り倒していく。


 曹操が敵兵の一人と鍔迫り合っていると、


「曹操。覚悟っ」


 反乱を扇動した家来が、曹操の背中に斬り掛かってきた。


 このままでは斬られると思ったが、


「甘いわっ」


 曹操は右手に持っている倚天剣を振るい、鍔迫り合っている敵兵を真っ二つにして、振り向きざまに襲い掛かって来た家来の身体に戟を突き立てた。


「ぶふっ!」


 家来は、口から血煙を吐いて、地面に倒れ事切れた。


 曹操は倒れた家来に、目もくれず指揮を取った。


「攻めろっ。攻めろっ。このまま敵を突き崩せ!」


「「「おおおおおおおっっっ」」」


 曹操の命に応える様に、部隊の者達は猛然と敵兵に攻め込む。


「ばかな、どうして、数では我等のほうが、あっとうてきにゆうりだというのに……」


 反乱を起こした者が、目の前の有り得ない光景を見て零した。


 何故、そうなったのかと言うと、単純に練度と経験の違いであった。


 反逆者達が率いる兵達は、募兵して間もなく練度もままならない上に、まだ戦った事が無い者達だ。その点、曹操が率いる兵達は練度も十分で戦いを経験して生き残った兵達だ。


 数の違いはあれど、負ける要素など無かった。


「ぎゃああああ……」


「た、たすけ……」


「しにたくない、しにたくない……」


 数が多いから、余裕でいた反逆達の兵達も仲間が倒されていくのを見て、恐怖が上回った。


 恐怖に負けて、逃げ出す者も現れだした。


「反逆者を一人たりとも逃がすなっ!」


 夏候惇が騎兵を率いて、逃げる敵兵に無情な刃を振り下ろす。


 此処で、逃がしたら盗賊になり得るので夏候惇と部下達は容赦なく反乱兵を倒していく。


 斬られ、突かれ傷口から大量の血を流しながら倒れて行く反乱兵達。


 数こそ多い反乱軍であったが、曹操と夏候惇の指揮の元、瞬く間に鎮圧された。


 反乱を起こした者達は鎮圧された時に全員死亡。それに従った者達は千近くにも及び半数以上が死亡し残りは捕縛された。


 対して曹操達が反乱軍に倒された死傷者と反乱を鎮圧する際に倒れた死傷者全てを合せて二千に及んだ。


 だが、生き残った者達は全て合わせても四千数百しか居なかった。


 これは反乱の際、反乱にかこつけて逃げ出した者達が多数いるという事だ。


 その報告を聞いた曹操は頭を抱えたが、皮肉にも兵が減った事で、食料は十分に行き渡る事が出来て、今後の行動に申し分なかった。


 曹操は直ぐに軍を立て直すと、逃げた兵達の捕縛又は殺害を命じた。


 兵達は十分に飯が食べられるので不満は解消されたので、その命令に忠実に従った。




 反乱が起こった数日後。




 廬江郡にある港に曹昂達が居た。


「流石に兵士全てを船に乗せて進むのは時間が掛かりましたね」


「仕方がない。だが、こうして廬江郡に渡れたのは陳温殿に感謝すべきだな」


「ええ、そうですね」


 港に着いた曹昂達は、身体を伸ばしながら兵達が降りるのを待ちながら話をしていた。


 最初、陳温に船を借りる事が出来るかどうか分からなかったので内心、ドキドキしていた曹昂達であった。


 なので、陳温が快く船を貸してくれると言った時は、跳び上がる程に驚いた。


 そしてどうしてなのか理由を訊ねると。


『曹操殿から書状が届いてな。九江郡に居る有力者達の不正や横領などの証拠を書かれた物を送ってくれたのだ。その借りを返したにすぎんよ』


 と笑顔で言ったのだが、それを訊いた曹昂達は耳を疑った。


「あの孟徳がそんな事をするとは、これは裏があるぞ」


「父上でしたら、その証拠を使って兵を募る筈です。それをしなかったという事は人気取りか。または募兵をしたので陳温殿の気を遣ったのか? それとも、また揚州で兵を募りたい時の事も考えて、恩を売っておいてたのかもしれませんね」


 曹洪と曹昂は、曹操がこんな事をするなんてあり得ないという顔で、何かあるだろうと話し合っていた。


「……従兄さんは単に不正が行われているのを知ったから、陳温様に報告しただけだと思いますよ?」


 曹純は単純に不正が行われた事を知ったので、報告しただけだと言うが、曹昂達からしたら信じられない事であった。


 兎も角、その事は曹操に訊ねる事にして、曹昂達はその船と一緒に兵糧も幾らか融通してもらい廬江郡へと向かった。


 そうして、港に着いたのだ。


「将軍。全ての兵が船から降りました」


「良し。兵を三つに分けるぞ。前軍は曹昂。中軍は曹純。後軍は私が率いる。各々、直ぐに準備しろっ」


 曹洪がそう命じると兵達は直ぐに別れた。


 曹昂も話は終わりとばかりに曹洪達に一礼して、自分が率いる軍へと向かった。


 


 少しすると陣形は整い、曹昂軍は進発した。


 目指すは廬江郡の六安県であったが、港から少し進むと前方から黒い煙が上がっているのが見えた。

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