滎陽城の戦い

 洛陽の各所に、陣地を敷いている連合軍の諸侯達。


 その中の、張邈と鮑信が二人だけで話をしていた。


「このままでは董卓を逃がしてしまうぞ」


「だが、袁紹殿と他の諸侯達は動く気配が無い」


「孟徳も動かないからな、少し意外であった。あいつなら、直ぐにでも軍勢を整えて董卓の後を追い駆けると思ったがっ」


 長い付き合いである張邈は、友人が動かない事に訝しみつつ怒っていた。


「董卓を討てなければ、何の為に連合軍を作ったというのだっ」


「允誠殿もそう思うであろう。其処でだ、我々だけで董卓軍を追撃せぬか?」


 張邈が共に董卓を追撃しようと、話を持ち掛けて来た。


「うむ。では、直ぐに準備をしよう」


「お願いする。私は弟にも声を掛けよう」


 張邈の言葉に鮑信は頷いて、準備を整えた。


 張邈軍二万五千、張超軍二万五千、鮑信軍二万、合計七万が董卓の追撃に向かった。




 夜が完全に更けて、夜半時になった頃の滎陽城。


 城門は閉められており、城内も門の外にも、洛陽から半ば強引に連れて来られた人達が身を寄せ合って、城壁や地面などを背にして眠っていた。


 よほど、疲れていたのか皆、深い眠りについていた。


 そんな、眠っている人々に向かって、騎馬が駆けて来た。


「退け‼ 退け‼」


 蹄が地面を踏み鳴らす音で眠っていた人々は、何事かと思い目をこすりながら目覚めると、騎馬に乗った兵の大声を聞いて、完全に目を覚まして人々は慌てて騎馬の道を開けた。


 騎馬に乗った兵は城門まで来ると「開門‼ 開門‼ 相国に申し上げたき事がある‼」というと、少しして城門が音を立てて開いた。


 人が一人通れる位に開かれると、騎兵は門を潜り抜けた。


 騎兵は、そのまま城内を駆けて行き、董卓の下に来た。


「申し上げます。洛陽に居る間者からの報告で連合軍の一部が追撃を掛けてきました。その数約七万」


「ぬぅ、もう来たか。李儒よ。何か考えはあるか?」


 今迄、寝ていたのか寝間着姿の董卓は、武具を纏っている李儒に訊ねた。


 李儒は自信満々に答えた。


「ご安心下さい。相国。この滎陽は天嶮の地。山に兵を隠して敵軍が来たところに襲撃を掛ければ、半時も待たずに壊滅させる事が出来るでしょう」


「そうか。ならば、お主に任せても良いな」


「はい。後の事は我等にお任せを。相国は直ぐに、此処を発ち長安に向かって下さい」


「そうだな。では、後は任せたぞ」


 李儒がそう言うので、董卓は直ぐに寝間着から着替えた。


 その間に、城内に居る百官や人々は無理矢理起こされた。


 準備を整えた董卓は車に乗り込み、長安へと駆けて行った。


 その後に車が何台も続いた。そして、その後に護衛の兵と洛陽落ちした人々が続いた。


 此処までの、強行軍で疲れが抜けていない者は足を止めた。


「貴様。足を止めるなっ」


「お、おゆるしを、もう、あしがうごかないのです……」


「そうか。では」


 兵がそう言うなり、持っている槍で足を止めた者の胸を貫いた。


 胸を貫かれた者は、悲鳴をあげながら、悲痛な表情を浮かべて事切れた。


「良いか、足手まといは、こいつの様になると思えっ」


 兵の槍の穂先にはまだ血が付いていたが、兵は構わず人々に見せた。


 それを見て人々は、怯えながら歩き出した。


「城門を閉じろ。兵は全て山に隠れろっ」


 李儒がそう命じると、兵達は城門を閉じて山に隠れた。




 董卓が滎陽城を出発し、李儒が山中に兵を伏せ終わって直ぐに、張邈・張超・鮑信軍が滎陽城の前まで来た。


「城壁に兵が居ないな」


「無人か?」


「待て。そう安易に判断するな。とりあえず、攻撃させてみよう」


 張邈が攻撃を命じると、太鼓の音と共に兵達は歓声を上げて城へと突撃した。


 橋を掛けても城壁から攻撃されなかった。


 兵達が城壁に上がると誰もいなかった。


「殿。城壁には誰もいませんっ」


 城壁から兵は大声で誰も居ない事を伝えた。


 同時に城門を開けた。


 張邈達は城内に入ると、誰も居ない事を確認した。


「……松明などがまだ燃えている。どうやら、城から出てまだそれほど経っていないようだ」


「っち、董卓め。勘が良い奴」


「兄者。どうする?」


「無論、追撃だ。このまま長安まで追いかけてくれるっ」


 張邈が追撃を続行する様に命ずると、鮑信達も異論は無いのかその命令に従った。


 張邈達は滎陽城を突破して、山谷に入った。


 張邈達は土地鑑はないので、此処がどういう場所なのか分からずに進んでいた。


 ただ、このまま進めば董卓を討てると思っていた。


 其処に谷間から鉦と鬨の声が上がった。


「しまった。伏兵かっ」


 張邈達は鬨の声を聞いて、直ぐに自分達が袋の鼠になった事に気付いた。


「はっはっは、反乱軍め。此処が貴様等の死に場所だ。掛かれっ」


 李儒がそう命ずると、四方から雨の如く矢が放たれ、岩も降ってきた。


 張邈達は攻撃を受けて大打撃を被った。


 


 張邈達が李儒の策に嵌り生死の危機に陥っている頃。




 曹操はというと、滎陽城に居た。


 張邈達が出陣したという話を聞くなり、曹操は少し間をあけて軍を進発させた。


 これは曹昂が出した提案で、自分達が先に行くよりも誰かを先に行かせてその後に付いて行けば、功績を立てられるというので従ったのだ。


「城内を隈なく探索しましたが罠などは仕掛けられておりませんっ」


「分かった。下がれ」


 連れて来た兵士達に城内を隈なく探索させて、何一つ罠が無い事を確認した曹操は傍に居る曹昂を見る。


「この城を取ったのは良いが、それからどうするのだ?」


「全軍、山中に身を隠し追撃する敵を攻撃するのです」


「どうやって追撃する敵を誘引させるのだ?」


「それは」


 曹昂が話を続けようとしたら、偵察に出ていた兵が戻って来た。


「報告します。張邈・張超・鮑信軍が董卓軍の伏兵に掛かり大損害を被っております」


「むっ、これはいかんな。直ぐに救援の軍を出さねば」


「その救援の軍ですが。父上が率いて下さい」


「ほぅ、何故だ?」


「父上は此度の連合軍の発起人です。大将首に次ぐ価値があります。敵も父上がくればその首を獲ろうと向かって来るでしょう」


「ふむ。成程な。そして、分かったぞ。わたしが囮役になって伏兵がいる所まで誘引するのだな?」


「御明察です。父上」


「よろしい。それでいこう。誰かあるかっ」


「はっ」


「城内に一部の兵と五千の兵を残して、各部将達に軍を山中に伏せる様に通達を出せ‼」


「承知しましたっ」


 曹操の命令が下ると、すぐにそれは実行された。部将達が山中に隠れるのを確認すると、曹操は五千の兵を率いて救援に向かった。


 曹操の出発を見送ると、曹昂は直ぐに次の指示を出した。


「城門を開けて、篝火を沢山焚いて太鼓を鳴らして」


「はっ? はぁ。分かりました」


 そんな事をすれば、敵がこちらに来るだろうと思いながら兵士はその指示に従った。




 曹操が張邈達の下に着くと、張邈達の軍は伏兵に遭い大混乱に陥っていた。


「何とか間に合ったかっ。全軍、攻撃しろ。張邈達を助けるのだっ」


 曹操が号令を下すと、五千の兵が李儒率いる董卓軍に攻撃を掛けた。


 張邈達の軍に救援が来るとは思わなかったので、李儒軍は突然の急襲に狼狽える。


 目の前に居るのは、敵軍だと知っているので曹操軍の兵は武器を振るい、李儒軍の兵を蹴散らしていく。


 李儒軍の兵を薙ぎ倒していき道を作ると、曹操は張邈達の下に来た。


「孟卓っ、允誠殿っ、孟高っ、無事か⁉」


「おお、孟徳っ」


「救援に来てくれたのか? ありがたい」


「此処が死に場所かと思ったぞ」


 張邈達は、救援に来た曹操に感謝を述べた。


「無事で何よりだ。殿しんがりは私が務めるから。お主達は滎陽城に向かえっ」


「滎陽城にか?」


「何か策があるのか。孟徳」


「うむ。任せるが良い」


「……では、後はお主に任せたぞ」


 どんな策があるのか気になったが、此処は撤退するのが先だと思い張邈は深く息を吸った。


「撤退! 撤退するぞ!」


「曹操が開けた血路を通って、滎陽城に向かうぞっ」


「脇目も振るなっ。駆けろ!」


 張邈達は曹操が開いた血路を通り滎陽城へと向かう。


「我らは殿だ。敵を一人たりとも張邈達の後を追わせるでないぞっ」


「「「おおおっっっ」」」


 曹操軍は鬨の声を上げた。


「逃げた敵兵はどうでも良いっ。曹操だ! 曹操の首を獲れっ。獲った者には重い恩賞を約束するぞ!」


 李儒は逃げる張邈達よりも、連合軍の発起人である曹操に狙いを定めた。


 李儒の命に従い、兵達は曹操軍に殺到した。


 数こそ多い李儒軍であったが、伏兵に適した山谷という事で、その道は狭く思うように軍を展開できず、数の有利を活かせなかった。


 対して、曹操軍はそれほど多くの兵を率いて来なかった事で、道が狭い事を利用して優位に展開していた。


「そろそろだな。全軍、後退‼」


 曹操が、張邈達も十分に離れただろうと思い、自軍の伏兵が隠れている所に誘引する為に後退を始めた。


 曹操軍が戦闘を止めて、後退を始めたのを見た李儒はすぐさま追撃を命じた。


 逃げる曹操軍を、追い駆ける李儒軍。


 李儒軍の兵が追い駆けながらも、矢を放つので曹操軍の兵に矢が当たり一人、また一人と倒れて行く。


 そうして追撃を掛けていたからか、後少しで曹操軍の最後尾に追いつく所まで来た。


 李儒はこれで曹操を討てると思った。その時。


 四方にある谷間と断崖から鬨の声が上がった。


「なぁっ、此処で伏兵だと⁉」


 伏兵を仕掛けた自分が、まさか伏兵に遭うなど思ってもいなかったので、李儒は驚愕する。


 驚いている李儒に向かって、大岩や矢が飛んで来た。


 岩が当たり痛がる兵にも、逃げようとして背を向けた兵にも、容赦なく矢は当たり倒れていく。


 李儒は幸運にも、その包囲網から逃れる事は出来たが、伏兵として配備された兵の半数以上は、山谷に骸を晒した。




 李儒を撃退した曹操は、悠然と滎陽城に凱旋した。


 滎陽城の城壁に居る者達は、歓声を上げて曹操達を出迎える。


 城壁には篝火が幾つも焚かれており、まるで昼の様に明るかった。


 それに加えて、太鼓が煩い位に叩かれていた。


(何故、こんなに篝火が焚かれている上に太鼓が叩かれているんだ?)


 自分はそんな指示など出していないぞと思いながらも、曹操は城内に入る。


 城内に入ると曹操は張邈達の下に向かった。


 張邈達は一休みしている所であった。


「孟徳。戻ったか」


「歓声を聞くところ、どうやら勝ったようだな」


 張邈と鮑信は、曹操に一礼して勝利を喜んだ。


「いやいや、出撃の準備で時間が掛かっている間に、お主等が出発したと言うので、慌てて追いかけて策を立てて、撃退しただけの事だ。どちらかと言えば、私が遅れたからこの様な目に遭ったのだ。済まない」


 曹操が謝るので、張邈達は逆に恐縮した。


「こちらも、功を立てようと焦っていたからな。気にする事は無い」


「それに敵の攻撃で散り散りになっていた兵達が、滎陽城に篝火と太鼓の音で少しずつ集まってくれるから、助かっている」


 鮑信の話を聞いて、曹操はどうしてこんなに篝火が焚かれ太鼓が叩かれているのかが分かった。


 恐らく、この指示を出したのは息子だという事も。


「早速で悪いが、そちらの損害はどれくらいだ?」


「ああ、全軍合わせて死傷者四万という所だ」


「そうか。こちらの損害は微々たるものであった。なので、私は明日にでも董卓を追撃するつもりだ」


「我らもと言いたいところだが、負傷者があまりに多すぎる。洛陽に帰還して大勢を整える事にする」


 張邈が残念そうに言うと、鮑信も同じ意見なのか頷いた。


「孟高はどうした?」


「ああ、撤退中に矢が当たって、今は寝込んでいる」


「大丈夫なのか?」


「其処は問題ない。少し休めば治ると思う」


「そうか。実はな、三人に相談があったのだが」


「相談?」


「うむ。貴殿らの軍にある騎兵を全て私に預けてくれぬか」


 自軍の騎兵を貸してくれと言われて、張邈達は顔を見合わせる。


「それは我等とお主の騎兵を率いるという事か?」


「その通り、目的は言わなくても、お分かりであろう?」


「うむ。全ての騎兵を率いて、董卓を討つつもりなのだろう」


「そうだ。別に無理にとは言わん。だが、貸してくれると助かる」


 曹操も無理強いはしなかった。


 張邈達は、顔を見合わせると頷いた。


「分かった。弟は未だに意識が戻らないので無理だろうが、私と允誠殿の軍の騎兵全てをお主に預ける」


「それだけでは、不安だから部将もつけよう。それで良いか」


「十分です。では、お互いに準備があるであろうから、これにて失礼する」


「うむ。明日の朝には預ける様にしておこう」


「孟徳殿。頼んだぞ」


「お任せを。では、これで」


 曹操は張邈達に一礼してその場を離れた。




 張邈達から離れて、自軍の陣地に戻る道すがら、曹操は笑みを浮かべた。


「くくく、まさか此処まで上手くいくとは」


 曹昂が提案した通りに上手くいっているので面白いと思い笑いだした。


『このまま董卓に追撃を仕掛けても、敵の伏兵に遭い我が軍は大打撃を受けます。そうならない為には、まずは何処かの軍が董卓を討つために進発した後に、僕達も後を追いかけて、伏兵を撃退する。その後に大打撃を受けた軍の将に『董卓を追撃するので騎兵を借りたいと』と申し出るのです。助けられた将軍は恩もあるし、もしかしたら自軍の兵が董卓を討つかも知れないと思うので、騎兵を貸してくれるでしょう。その軍を率いて董卓を追撃すれば、まず間違いなく董卓を討つ事が出来ます』


 その進言を聞いたので、真っ先に董卓を追撃するのを止めた。


 お蔭で伏兵で大打撃を貰う事もなく、そして兵の補充もする事が出来た。


 此処から、先は伏兵に気兼ねなく、進軍する事が出来る。


「一石二鳥とはこういう事を言うのだろうな。後は董卓を討つ事が出来れば良しだな」


 明日が楽しみだと思いながら、曹操は陣地へと向かった。

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