決死の諫言
虎牢関を攻撃していた曹操達が攻略した報告を聞いて、小躍りしながら喜ぶ袁紹達であったが、続く洛陽が炎上しているという、報告を聞いて愕然とした。
そして、直ぐに各々の軍を率いて、虎牢関へと向かい其処から洛陽を見ると、天を焦がす程の炎の柱が立っていた。
都が燃えているのを見て、言葉を失う諸侯達。
だが、直ぐに気を取り直して、虎牢関を出て皆、燃えている洛陽へと向かう。
洛中に入ると、直ぐに消火作業に掛かった。
火の勢いが、あまりに強いので、消火に時間が掛かった。
完全に消火が終わったのは、
諸侯達は、消火作業に疲れた兵を休める為、洛中に陣を張った。
そんな中で、曹操は袁紹の下に訪ねた。
「袁紹殿。洛中に残っていた者達に聞いたところ、董卓は洛陽内の民と兵を連れて長安に向かった模様です。此処は休まず追撃して董卓を討ち、天子をお救いするべきです!」
曹操は力強く追撃すべきと言うのだが、袁紹は首を振る。
「我が軍は此処に来るまで強行軍であった。其処に消火作業だ。将兵、皆疲れ切っている。此処は、洛陽で休んで今後の事を協議すべきだ」
「何を悠長な事をっ。こんな焦土と化した都を奪って何が誇れるのです。董卓を討ち、天子をお救いする事で、天下に我等の功績を誇る事ができるのですぞ!」
「黙れ! この連合軍の盟主は私だ! 曹操、お前も私を盟主に奉じた者ではないか。であれば、盟主である私の言葉に従うのが道理だ。追撃を掛ける時は、軍令を持って命ずる。それまで沙汰を待つが良い」
袁紹はそう言って、自軍の陣地へと行ってしまった。
「ぬぅ、貴公とは長い付き合いだが。私は私の好きにさせてもらう‼」
背を向ける袁紹に曹操は大声でそう言って、自軍の陣地へと戻った。
余談だが、奪える物全て奪い洛陽を後にした董卓であったが、倉に仕舞われていた『帝虎』と『龍皇』は、移動にあまりに時間が掛るので、持っていく事を断念し置いて来た。
そして、洛陽に火を放ったのだが、偶然にも『帝虎』と『龍皇』が仕舞われていた倉には、火が届かず燃える事は無かった。
連合軍の兵達はその無事な倉を見つけ、中を見ると『帝虎』と『龍皇』が入っているのを見て、天が『帝虎』と『龍皇』を燃やす事を許さなかったのかと言い出して、更に信仰される事となった。
曹操軍の陣地では盟主の袁紹から待機命令が下ったので、各々で好きに休んでいた。
曹昂は董白と貂蝉と一緒に休んでいた。
「此処が洛陽か」
「まさか、ここまで焦土と化すとは思いませんでした」
「…………」
燃えた家の瓦礫に腰を下ろして、三人は目の前に広がる廃墟を見ていた。
董白は何も言わないで廃墟を見ていた。
自分の祖父がこのような暴挙を行ったので、何も言えないのだろう。
普段は曹昂が見えない所で、いがみ合っている貂蝉も掛ける言葉が無かった。
「気にする事は無いよ。御祖父さんがした事とは言え、君の責任ではないのだから」
「そうだけどよ……」
董白は何か言おうとしたが、曹昂は指を董白の口に当てて話さない様にした。
「『もしも、自分が居たら』とか言っても詮無い事だよ」
「~~~」
思っている事を言われたのと自分の唇に曹昂の指が当たっている事が恥ずかしくて、董白は顔を赤らめる。
それを見て、貂蝉は面白くない顔をしていた。
「仲が良いわね。貴方達」
傍から、見ていた卞蓮は面白そうに言う。
その声が聞こえるなり、董白は驚いて跳び上がり、曹昂の背後に隠れた。
「これは奥様。如何なさいました?」
貂蝉が前に出て一礼する。曹昂も頭を下げた。
「う~ん。ちょっと揶揄いに」
「暇なのですね」
卞蓮の言葉に、曹昂は思わず、口にだしてしまった。
「冗談よ。旦那様が呼んでいるから、曹昂と董白は付いてきなさい」
「分かりました。じゃあ、行こうか」
「ああ」
「はい」
曹操に呼ばれているというので、董白達と共に軍議を行う天幕へと向かった。
「遅い! 何をしていた⁉」
四人が天幕の中に入ると、曹操がイライラした声を上げた。
その声を聞いた四人は驚き、天幕に居る他の者達を見た。
皆は何で曹操が、こんなに怒っているのか分からないのか肩を竦めた。
「父上。如何したのです? そんなに声を荒げて」
「如何したもこうしたも無い。袁紹が、この好機を見逃すという愚挙を行ったから怒っているのだ!」
愚挙と言われても、皆は何を言っているのか分からなかったが、曹昂だけは何を言っているのか分かった。
「ああ、もしかして全軍を廃墟になった洛陽に待機させた事を怒っているのですか?」
「そうだ‼ 今、全軍で追撃すれば、まず間違いなく董卓を討てる上に、天子も救う事が出来るのだぞ! そんな千載一遇の好機を逃すとは、愚挙という他なかろう‼」
曹操は袁紹の行いが、腹立たしいのか地団駄を踏んでいた。
「袁紹様はそうするようですが。父上はどうするのですか?」
「そんな物は決まっているだろう。我が軍だけで董卓軍を追撃するっ。皆、直ぐに準備をしろ」
曹操が追撃を命じたので、皆渋い顔をした。
「孟徳。今、我が軍は袁紹殿の命令で休憩している。我が軍の兵も先の虎牢関の戦いと此処までの進軍で疲れている。今は兵を休める時だ」
「何を言うか。夏候惇‼ この好機を逃していつ功を立てろと言うのだっ」
夏候惇が皆を代表して諫言するが、曹操は怒声を浴びせる。
「皆の者。直ぐに準備を整えろっ。準備ができ次第、出立するぞ!」
曹操がそう命じたが、皆は渋々だが命令に従おうとしたが曹昂だけは反対した。
「父上。今は動く時ではありません。此処は暫く待機しましょう」
「何を言うか。曹昂っ。今動かないで何時動くと言うのだっ」
「何時とは言いませんが、少なくとも、今ではありませんよ」
「馬鹿な事を。敵は洛陽の民を連れての行軍だ。その足は遅く、今追撃を掛ければ混迷狼狽するであろう‼」
「地の利は向こうにあるのですよ。それに我が軍は二万と少々。対する董卓軍は二十万近くの兵です。兵力差があまりに有り過ぎます。追撃を掛ければ撃退されるのが目に見えていますよ」
「……そんなもの、やってみないと分からぬではないかっ」
曹昂が、冷静に自軍の兵力と董卓軍の兵力の差と現状を言うので。曹操は少しだけ考えたが、一度言いだした言葉を撤回するのは、自尊心が許さないのか追撃を主張した。
「『君主は怒りに任せて軍を起こすべきでは無く、将軍も憤激に任せて合戦を始めるべきではない』孫子にも書かれていますよ。ですので、落ち着きましょう」
「黙れ! もう追撃する事は決めたのだ。問答は無用だ‼ お前も出撃の準備をせよっ」
孫子の一節を言う曹昂の言葉を聞いて。曹操は余計に意固地になった。
「……父上。其処まで追撃したいのですか?」
「無論だ!」
「そうですか。では」
曹昂は曹操の前で跪いて包拳礼をした。
突然、曹昂がそんな事をするので、皆訳が分からず戸惑っていた。
「父上がどうしても行くと言うのであれば、僕の屍を踏み越えてから行って下さい」
「「「「っっっ⁉‼」」」
曹昂の口から出た言葉を聞いて、皆耳を疑った。
「曹昂。お前は何を言っている⁈」
「父の命に従わなかった事、父が危険な目に遭うのを止められなかった事。二つの不孝を行ったという事で、斬る理由は十分だと思います。ですので、どうぞ。追撃すると言うのであれば、僕をお斬り下さい」
曹昂が、行くのなら自分を斬れと言うので曹操は困惑した。
曹操からしたら自慢の息子でもあり、勅書の件と自軍の兵力増強に尽力した影の功労者だ。
その智謀も頼りにしており、曹操からしたら信頼できる参謀だ。
その息子が自分の命を懸けてまで。追撃を止めろと言うのを聞いて、曹操は迷った。
自分の自尊心か。それとも息子の命かを。
悩んでいる曹操に、史渙が一礼しながら述べた。
「孟徳殿。もし、貴殿が若君をお斬りなると言うのであれば、今日限りで貴殿とは縁を切り、私は麾下の兵と共に、譙県に帰らせて頂く」
史渙がそう言いだしたので、曹操は更に戸惑った。
元々、史渙は曹昂が私兵の長として迎えた人物であって、曹操の部下では無い。
今でこそ曹操の部下みたいに従っているが、あくまでも雇い主は曹昂なので、雇い主が死ぬのであれば、曹操に従う道理はなかった。
それを訊いて曹操は困った。
現在、曹操軍二万五千の内、五千の兵が史渙の麾下だ。
更に言えば、残りの二万の内の一万は曹昂の金で集めた兵だ。
もし、曹昂を切れば五千の兵が居なくなるという事になる。下手をすれば一万の兵も従わないとう事になりかねなかった。
今は一兵でも欲しい時に、そんな事になれば目も当てられなかった。
「孟徳。いい加減、諦めろ」
「夏候惇。だが」
「お前が曹昂を斬るのなら、俺は兵と共に故郷に引き上げるぞっ」
「夏候惇⁉」
「自分の息子を諫めただけで、殺す様な奴に従うつもりは無い」
夏候惇は昔、自分の学問の師を侮辱した事で、その男を殺すぐらいに気性が荒く情が厚い性格でもあった。
信頼する友人で部下でもある夏候惇が諫めるので、曹操も追撃を止める事にした。
「……分かった。追撃は中止するっ」
曹操は不満そうであったが、追撃は中止すると宣言したので皆は安堵の息を漏らした。
「お聞き届け下さり感謝します。父上」
曹昂は深く頭を下げた。
「しかし、息子よ。今追撃しないで何時、功績を立てるのだ?」
曹操が曹昂に訊ねると、曹昂は悪戯が思い浮かんだ顔をした。
「僕は『今』は追撃する時ではないと言っただけで、追撃しては駄目とは言っていませんよ」
「むっ? どういう意味だ?」
「ですから」
曹昂が続けた言葉を聞いて、曹操は高笑いをしだした。
「ははは、世間では私の事を奸雄と言うが、お前の方が奸雄ではないか?」
「父上の子ですから、悪知恵が働くのでしょう」
「ふっ、そうか。では、準備だけはするという事で良いのだな?」
「はい。それで良いと思います」
「良し。では、皆準備だけ済ませろ」
曹操がそう命じると、皆は文句なくその命に従った。
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