洛陽、炎上
少し時間を遡り、曹操達が虎牢関を攻撃する数刻前。
朝廷は朝議を行う時間であった。
嘉徳殿に向かう百官達。
皆、少し顔色が明るかった。
暴虐を尽くしていた董卓が、洛陽に居ない事で気を楽にできるからだろう。
このまま戦死してくれれば、と皆は心の中で思った。
宮殿の前まで来ると、宦官が一人立っていた。
その宦官は何も言わないが、ジッと百官達を見ていた。
皆は何事かと思い、首を傾げていた。
気になった王允は宦官に訊ねた。
「何かあったのか?」
「……相国がお戻りになられました」
少し言い淀んでいた宦官は、意を決して話し出した。
それ程、大きな声ではなかったが、百官達の耳にしっかりと聞こえた。
宦官の言葉を聞いてざわつきだした。
「まさか、連合軍は負けたのか?」
「分からん。だが、相国が宮殿に戻って来るという事は、勝ったのかもしれん」
「何と⁈ 連合軍は相国の軍の二倍の兵力を持っているという話であったのだぞ。それが負けたと?」
外からの情報を遮断されているので、分からない百官達は思い思いに話し合う。
「皆、どういう理由であれ。朝議に行こうではないか」
司徒の王允がそう言うので、百官達は中へと入って行った。
中に入ると、献帝が座っている玉座に背を向ける様に立っている董卓が居た。
董卓は虎牢関から李儒と共に軽騎兵五千を率いて洛陽に戻って来たのだ。
今朝早くに着いたからか、武具を纏っていた。
百官達は武装したまま献帝陛下の前に立つなど、無礼なと思いながらも誰も口に出さなかった。
皆、董卓を恐れているからだ。
「ああ、百官達が席に着いたようなので。儂から、提案したい事がある」
董卓が提案すると聞いて、また何をするのだろうと思いながら耳を傾けていた。
「今、反乱軍の勢いは激しい。このまま戦を続けても我等は勝てるだろう。しかし、反乱軍が軍を割いてこの洛陽を攻撃して我等を挟み撃ちするという話がある事が、間者から齎された」
董卓はそう言うが、この話は嘘で連合軍の首脳には、そんな事をする者も考える者も居なかった。
「反乱軍に陛下を奪われる様な事があれば、この朝廷は恥辱に塗れる事となる。その様な事は歴代の皇帝陛下達もお許しにならないだろう」
そう話す董卓自身がこの朝廷を恥辱に塗れさせていると、その場に居る者達は思った。
「其処で儂は考えた。反乱軍を滅ぼす為には、陛下の身の安全が第一だという事が。反乱軍は虎牢関にまで迫っておる以上取れる手段は一つ、此処は玉体を動かすしかないっ」
董卓が力強く発言すると、百官達は顔を青くした。
玉体を動かす。それは即ち遷都という事となる。
「相国。それはあまりにも急なお話です。何卒、ご再考を」
「ご再考を」
董卓の言葉に、いち早く反応した趙謙と荀爽の二人は諫めた。
それを訊いた董卓は一瞬、ムッとしたが。直ぐに笑顔を浮かべた。
「いやいや、別に何処にでも移すという訳では無い。既に何処を都にするか決めている。其処であれば、皆も問題なかろう」
「……其処は何処なのでしょうか。相国」
王允は董卓がそれだけ自信ありげに、言うので気になって訊ねた。
「王允よ、それはな。献帝にお移り頂く場所は、長安だからだ!」
董卓の言葉に百官達は驚いた。
「長安はかつて漢の最初の都。十二代続いた歴史ある都だ。反乱軍がいつ攻め込んで来るか分からない洛陽よりも遥かに安全で、遥かに堅固な都だ。百官達よ。此処であれば何の問題もなかろう?」
董卓が訊ねると、再び荀爽が口を開いた。
「相国。今、遷都をすれば民衆が混乱します。どうかお止め下さい‼」
「黙れ! 愚民共に国家百年の大計が分かる訳が無かろう‼ 今日の昼までに百官達は準備を整えよ‼」
それだけ言い終えると宮殿を出て行こうとしたが。その前に二人出て来た。
「相国。それはあまりにも無体ですっ」
「そんな急に遷都をなされば、職人は職を失い百姓は食う物に困る事となりましょう」
「そのような事になれば、民衆は天を恨む事になります。どうか、どうか、ご再考をっ」
董卓の前に躍り出たのは、城門校尉の伍瓊と督軍校尉の周珌であった。
そんな二人を見て、董卓は不快な顔をした。
「貴様ら、儂の提案に意見があるのか?」
「いえ、意見では無く、あまりに急すぎると申し上げているのです」
「そうです。どうか、民草にご慈悲をっ」
「やかましいわっ」
董卓はそう言って、腰に佩いている剣を抜いた。
「貴様らが異議を唱えるのは分かっているぞ。どうせ、袁紹と通じているのだろう?」
「め、めっそうも」
「五月蠅い。裏切り者め‼」
董卓は剣を振りかぶり一閃する。
まず、周珌の首が飛んだ。
首と胴体が切り離された事で、赤い花が咲いた。
伍瓊は傍に居る周珌が、首を切られるのを見て言葉を失っていた。
すかさず、董卓は剣を振るい、伍瓊の首も斬り落とした。
伍瓊の胴体から、噴水の様に血が噴き出た。
この場に居る百官達は人が死ぬところどころか、血が噴き出るところなど見た事がないので、周珌が斬り殺されるのを見て気を失う者も居た。
献帝もガクガクと震えながら、恐怖していた。
「ふん。裏切り者が。誰かっ」
「「はっ」」
董卓は警備で立っている兵に声を掛ける。
「心優しい陛下は裏切者が死ぬのを見て、心を痛めて足に力が入らない様だ。手をお貸しして馬車に載せて差し上げろ」
「「はっ」」
董卓の命令に従い、兵達は献帝の両脇に手を入れて持ち上げて運び出した。
天子をまるで物の様に扱うのを見て、百官達は涙を浮かべた。
「では、各々、準備に掛かる様に。出立は
董卓はそう言って献帝と共に宮殿を後にした。
百官達は暫く、その場で血涙を流していた。
「これで漢も終わりか……」
「長生きはしたくなかったな……」
皆、涙を流している中、王允も悔し涙を流しながら袖の中にある物を服の上から触れた。
(董卓。貴様に
王允は何か決意した顔をした。
暫くすると百官達は、遷都の準備に掛かる為に宮殿を後にした。
王允は残り健章殿へと向かった。
其処には古井戸があった。
王允は井戸の中を覗くと、水は枯れていないのは見て分かった。
「此処であれば問題なかろう」
王允は周りを見て、誰も居ない事を確認し、懐の中に手を入れると紫金襴の袋を取り出した。
「……歴代の漢室の皇帝陛下方。どうか、この様な手段でしか、漢室の宝を守る事が出来ない臣の不甲斐なさをお許し下さい」
王允は袋の口を緩めた。そして袖の中にある伝国璽を取り出した。
曹昂に渡した勅書を書いた後、献帝が王允に「この勅書を書いた事が董卓に露見すれば奪われるかもしれない。だから、漢室の宝を守ってくれ」と言われた。最初は王允も固辞したが、献帝が強く言うので預かる事となった。
王允はその袋の中に、伝国璽を入れた。
「いつか、必ず。朝廷にお返しいたします。それまで、此処に置かせて頂きます」
王允はそう言って井戸の中に伝国璽を入れた袋を落とした。
音を立てて、水の中に沈んでいく袋。
見えなくなるのを確認すると、遷都の準備に掛かった。
董卓は後宮の女官全てを馬車に載せて、一足先に長安に出発させた。
全ての女官を送り終えると、董卓は李儒に訊ねた。
「李儒、手筈はどうなっている?」
「はい。涼州を警戒させていた五万の兵は長安に向かう途中にある滎陽城で待機させています。虎牢関に居た我が軍は趙岑を大将にした一万の兵を残して長安に向かわせました」
「そうか。呂布の方はどうだ?」
「報告では歴代の漢室の皇帝の墓を掘り起こし、財宝を長安に送っているそうです。人足が列をなして長安に向かっているとの事です」
「よしよし。ついでに富豪達は適当な理由をつけて財産を没収しろ。抵抗するのであれば殺しても構わん」
「承知しました」
董卓の非道な命令を聞いても、李儒は何とも思わない顔で命令を受諾した。
李儒は命令に従い、洛陽中の富豪から財産を奪っていった。
罪状は長安に向かわないで、反乱軍の所に向かい協力する疑いがあると言って。
富豪からしたら、そんなつもりはないのだが財産を渡すのは渋った。
そんな富豪達に兵達は、容赦なく剣を振り下ろして殺していった。
中には財産だけでは無く、富豪の家族で年頃の女性を見つけると、強引に奪い自分の物にする者達も居た。
そうして、富豪達から財産を根こそぎ奪い終えた。
李儒はその事を董卓に報告しに行く。
「良し。では、手筈通りにせよ」
「承知しました」
董卓は馬車に乗って、一足先に滎陽城に向かった。
馬車を見送ると、李儒は傍に居る兵に命じた。
「洛陽に火を掛けろ。敵に何一つ与えるな!」
「「「はっ」」」
李儒の命に忠実に従う兵達。
至る所に、火を着け回っていった。
その火は徐々に広がって行き、あっという間に洛陽中が火に包まれた。
洛陽が火に包まれるのを見て、百官は元より暮らしていた者達は慟哭した。
自分が、家族が、友が、祖先が暮らしていた都が燃えるのを見て涙を流さない者は居なかった。
董卓達が洛陽を出発してから数刻後。
曹操達は虎牢関を攻略し、洛陽が燃えるのを見た。
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