脅迫

 孫堅軍が敗れたという知らせは、まだ陳留に居る袁紹達連合軍の下には届いていなかった。


 その為、孫堅軍の使者が来ても、何かの報告か兵糧を届ける為の使者だろう、と思われた。


 今も、使者となった程普が兵を連れて、二人が袁術の陣地の入り口の所まで来た。


「ご報告したい事があり、公路様にお目通りを願いたい」


「どうぞ」


 入り口に立っている見張りが、不審でないかを確認してから陣地に入れた。


 程普達は馬から降りて、陣地へと入って行った。


 孫堅軍の兵達が、入って行くのを見て、見張りの一人が隣にいる同僚に話し掛ける。


「なぁ、変じゃないか?」


「何がだ?」


「普通、使者ってのは一人だろう。どうして、二人も来たんだ?」


「そんなの、使者の護衛だろう」


「今まで、送られてきた使者は偉い人は居たけど、一人だったぜ?」


「う~ん。でも、孫堅軍の軍装だったから、偽物という訳ではないだろう」


「だよな。さっきの使者と一緒に居た兵の顔、何処かで見た覚えがあるんだよな~」


 見張りの一人が、しきりに首を傾げた。


「連合軍だからな、沢山の人が居るんだ。見覚えがある顔が居てもおかしくないだろう?」


「それもそうだな」


 同僚が大した事ではないだろうと言うと、首を傾げていた見張りも納得して、職務に戻った。




 そして、程普達は袁術が居る天幕の中に入り、跪きながら自軍・・の事情・・・を話した。


「現在、我が軍は兵糧が届かない事で、兵が弱りきっております。どうか、早く兵糧を送って頂きたいと、我が殿が申しております」


「ふむ。事情は分かるが、未だに兵糧を積む馬車の護衛を準備しているのだ。今暫く待ってくれぬか」


「そう言われて、もう数日です。そろそろ、準備が出来ているだろうと殿が申しまして」


「なにっ、あの田舎者が。兵糧を護衛する者の大事さも分からんか。これだから戦にだけ強い奴はっ」


 袁術は、この場に孫堅が居ないと思ってか、好き勝手な事を言う。


「孫堅に伝えろ。私のやり方に文句があるのなら、直接言いに来いっとな」


 未だに孫堅は、前線に居ると思っている袁術は、無理な事を言い出した。


 だが、それを訊いた兵が、顔を上げぬまま袁術に訊ねた。


「承知しました。では、我が殿を連れて来たら、公路殿は兵糧を送ってくれると言うのですね?」


「ふんっ。来れるのであれば、兵糧だろうと何だろうと送ってやるわっ」


 天幕に入った時から、よく顔を見せなかった兵が袁術にそう言うので、袁術は出来もしないだろうと思い、大口を叩いた。


「その言葉に二言はありませんか?」


「ああっ」


 兵士が念を押して訊ねると、袁術は二言は無いとばかりに強く言う。


「承知しました。では」


 天幕に入った時から、顔を見せなかった兵が兜を取り、袁術に顔を見せた。


 袁術は、その兵士の顔を見るなり、驚愕した。


「そ、そそ、そんけんっ。どうして此処に⁉」


 前線に、居ると思っていた孫堅が目の前に居るので、声を失っていた。


 孫堅はジロリと袁術を睨む。


「袁術殿。私が貴殿の前に来たら、兵糧を送ってくれるそうだが、嘘ではなかろうな?」


 孫堅は、そう言って近付く。


「え、あ、いや、その……」


「どうなのだ?」


 孫堅は、今にも剣を抜きそうな位に、殺気を出して目を血走らせていた。


 袁術は強い殺気に何も言えないでいると、孫堅は息を吐いた。


「まぁ、それも今となっては無理だがな」


「? どういう意味だ?」


「我が軍は、華雄軍の攻撃を受けて敗北したのだ!」


 孫堅が、今の自軍の状況を話し出した。


 程普もそれを訊いて、悲しい顔をした。


「ば、ばかな……」


 そう驚く袁術であったが、目の前に孫堅が居る理由は、そうとしか考えられなかった。


「貴様が、兵糧を送らなかったからだ。袁術っ」


 孫堅は、袁術を指差しながら怒りをぶつける。


「む、むう……」


「それでどのような理由で、兵糧を送らなかったのか教えてももらいたい。まさか、連合軍の盟主に袁紹殿を推した事を根に持っているという訳ではなかろうな?」


 孫堅がそう訊ねると、袁術は身体を震わせた。


 それを見て、内心でこれが原因かと分かった。


 だが、袁術は目を彷徨わせて何も言わなかった。


「……ふぅ、言わぬとあれば。私はこの連合軍から抜けさせて頂く。勿論、そういう事になった経緯も話させてもらう」


 それを訊いた袁術は、まずいと思った。


 異母兄である袁紹とは仲が悪い。それに加えて、与えられた仕事を全うしなかった事を知れば、自分を解任するだけではなく処刑するかもしれない。


 もし、そうしなければ連合軍に参加している諸侯達が、疑心暗鬼を生むかもしれないからだ。


 そうなれば、自分が名門袁家の当主になる事が、出来なくなると思った。


「そ、それだけは勘弁してくれ。頼むっ」


「…………」


 孫堅は何も言わないで考えていた。


「孫堅。頼む。もし、聞き届けてくれると言うのであれば、お主の軍の再建に力を貸すぞっ」


 袁術が孫堅の足元に跪いて懇願した。それを見ても、孫堅は息を吐いた。


「……いいでしょう。私と貴殿は知らぬ仲ではない。我が軍の再建に手を貸すと言うのであれば、此度の事は目を瞑りましょう」


「おお、かたじけない」


「しかし、我が軍が敗北した事は、直ぐに知れ渡るでしょう。その負けた原因は貴殿である事には変わりない」


「む、むう、確かに」


「其処でもう少ししたら、敗残兵と共に陳留に戻ります。その時に私は貴殿に兵糧を送らなかった事を訊ねます。其処で貴殿は貴殿の部下が勝手にした事と言って、部下の首を取るのです。そうすれば、貴殿の部下が勝手にした事として、此度の事は水に流せるし、貴殿はお詫びとして我が軍の再建に手を貸すのだ。どうだ? これなら誰も不審に思う事はなかろう」


「お、おお、流石だ。孫堅。それであれば何の問題も無い」


「では、それでよろしいですな?」


「うむ。構わん」


「では、後の事はお願いいたす」


 孫堅はそう言って、共に来た程普と一緒に天幕を出た。




 天幕を出た孫堅はそのまま陳留を出て、曹操軍と自軍が居る所に戻った。


 戻る最中の道筋で、思っていた。


(まさか、ここまで上手くいくとはな)


 孫堅の先程の袁術のやり取りは、曹昂が考えた事であった。


 使者の兵士の格好をして袁術に出会い、袁術を詰りながら軍の再建を手伝わせる様にした。


 兵士の格好をしたのは、孫堅だとバレない為だ。


 そして、いずれ袁紹の下に孫堅が敗れた事は伝わるので、負けた理由についても袁術の部下が、勝手にしたという事にすれば袁術自身が処罰される事は無い。


 それに加えて孫堅は袁家の力を借りて軍を再建でき、袁術の弱みを握る事が出来る。


「ふふふ、此処まで上手くいくと却って怖いものだな」


「ですな。私も恐ろしく思います」


 程普は孫策と同い年の曹昂が、このような事を考えられる事に驚くと共に怖いと思った。


「そうだな。ああいう子を麒麟児と言うのだろうな」


「麒麟児ですか。正に言い得て妙ですな」


「曹家の麒麟児か……孟徳殿は良い息子を持ったものだ」


 孫堅は空を見上げながら呟いた。


 


 少しすると、曹操は孫堅と共に陳留に到着した。


 その時、袁術は袁紹と酒宴の場に出ていた。


 孫堅は一人で酒宴の場に向かい、袁術に詰め寄った。


「私は董卓とは些か因縁はあるが、我が身を投げ出すのは、此度の檄に応じての事。上は国家のために、下は民のためです。それなのに将軍は何故、私に兵糧を送らなかったのか⁉」


 と言うと、前以て決めていたやり取り通りに袁術はその場では謝りつつ、部下が勝手にした事と言って、孫堅と共に酒宴の場を出て部下の首を落とした。


「これで、許して頂きたい。お詫びに貴殿の軍の再建に手を貸そう」


「承知した」


 前以て決めた通りのやり取りをしてその場を収めた。


 袁紹達は孫堅が敗北したという報を聞いて、酒で赤らめていた顔が青くなり、酒宴を打ち切り各々の陣地に戻った。




 その夜。




 所変わって虎牢関では。


 華雄は、部下からの報告を耳にして衝撃を受けていた。


「何だとっ、反乱軍には『帝虎』と『竜皇』があると言うのかっ」


「はっ。この目でしかと見ました」


「ぬうう、李粛はどうした?」


「李粛様は孫堅を追撃している時に矢が当たり戦死なさいました」


「ぬうう、この様な大事な時にっ」


 董卓配下で李儒には劣るが、謀に長ける男であるので、その智謀を頼りにしていた。


「相国に使者を送れ。反乱軍には『帝虎』と『竜皇』があると伝えるのだっ」


「はっ」


 部下がそう言って離れて行った。


 華雄は誰も居なくなると、腕を組みながら考えていた。


「う~む。考えてみれば、元々『帝虎』と『竜皇』は曹操の知人が作ったと聞いたな。反乱軍に曹操が居る以上あるのは当然か。しかし、これは困った事になったな」


 華雄が、そう考えるのも無理はない。


 華雄は『帝虎』と『竜皇』がそう名付けられる前の虎戦車と竜戦車と言われていた時、初めて投入された戦場に参加していた。


 あの時も、かなりの衝撃を受けていた。


 まさか、馬も曳かないで人も押さないで、動き火を吹く兵器があると分かり、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。


 兵器としての威力も凄まじいが、心理的効果が凄かった。


 なにせ、その戦場に敵であった黄巾党の兵達が『帝虎』と『竜皇』を見た時から心が折れていた。


 華雄も同じ立場であれば、逃げるだろうと思った。


「撃退した時に姿を見せたのが全てであろうか? 此処は偵察を出して調べるべきだな」


 知りたい様な知りたくない様な気持ちで、華雄は偵察を出した。

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