一悶着
華雄軍の追撃部隊を撃退した曹昂達は曹操の下に戻る。
途中、逃げた敵軍を追撃していた曹仁とも合流した。
「逃げる敵兵を背後から斬ってばっかりだったぜ。あいつら、余程『帝虎』と『竜皇』が怖かったんだろうな」
「まぁ、気持ちは分かる」
「私も敵側に居て、火を吹きながら進む兵器など見たら逃げ出すだろうな」
敵兵の気持ちが分かるのか夏候惇、夏侯淵の二人は思ってる事を口に出す。
「…………確かにな」
敵兵を追い駆けていた曹仁も、自分も同様の立場に置き換えて考えると、逃げるだろうなと思いながら言う。
「そう考えると、これを作った曹昂って凄いな」
「何か異国の技術書を読んで、ふと思い立ったとか言っていたな」
「それで、作るのも凄いと思うがな」
三人は曹昂を見る。
曹昂は董白と話をしていて、三人の視線に気付いていなかった。
何を話しているか分からないが、董白は楽しそうに微笑んでいた。
明らかに、曹昂に惚れているのが明白だ。
「そして、女にも手が早い」
「あれは、どう見ても父親の血だな」
「天賦の才も、女に手が早いのも父親の血か」
曹昂が凄いのは、父親の血だと三人はそう理解した。
そして、曹昂達が曹操の下に行くと、何か騒がしい声が聞こえて来た。
何事だ?と思いながら曹昂達は曹操が居る所に行く。
「いい加減にせんか。今は敗残兵を纏めて撤退するのが大事だっ」
「しかし、父上。敵は夜襲が成功して驕っている筈です。朝までに敗残兵を出来るだけ纏め、曹操軍と共に攻め込めば勝てます」
「馬鹿者! どれだけ集まるか分からない敗残兵と五千の兵で数万の兵が守っている虎牢関を攻め落とす事が出来ると思っているのか⁉」
声からして孫堅が孫策と口論している様であった。
孫堅の部下達の殆どは、どっちに味方すべきか分からず、二人を交互に見ていた。
曹操は何も言わなかった。孫策がする事はあまりに無謀すぎるが、孫堅は同調しないので大丈夫だろうと、思っているからだ。
「若君。今、虎牢関を攻めるなど愚策の極みです。此処は自重されよ」
程普だけ、孫堅と同意見なのか孫策を窘める。
「黙れ。程普っ。お前は此処まで惨敗して自重しろというのか⁉」
「今日の屈辱を耐えて、明日の希望に生かすのです。若」
「ぬううう」
程普に宥められても孫策は行きたそうな顔をしていた。
(これは頭に血が上っているな。何とかしないと駄目だな)
このまま口論を続けたら、爆発して何をするか分からないと思い曹昂は曹操に話し掛ける。
「父上。敵の追撃部隊を撃退しました」
「そうか。よくやった」
「はい。で、これからどうしますか?」
曹昂がそう訊ねると、曹操は息を吐いた。
「文台殿。敗残兵を纏めて如何なさる?」
「勿論、陳留へ後退し態勢を整える。ついでに兵糧が送られなかった理由も盟主の袁紹と兵糧を監督している袁術に問い質す」
「それがよろしい。しかし、ご子息は納得していないご様子」
「はぁ、直ぐに言い聞かせるのでご安心を」
「父上‼」
「ええい、大局を見ろっ。敗残兵を纏めたところで勝てると思っているのか? お前の馬鹿さ加減には、呆れて物が言えんっ。程普!」
孫堅は一喝すると、程普に声を掛ける。
「はっ」
「数名の部下と共に方々に散っている部下達を掻き集めろ。ある程度集まったら陳留に後退するぞっ」
「御意」
程普は一礼して、数人の部下を連れて離れて行った。
孫堅は、もう話す事は無いとばかりに、その場を離れて行った。
「父上っ」
孫策は呼び掛けるが、孫堅は足を止める事はなかった。
その後姿が見えなくなるまで、見送った曹昂は孫策に話し掛ける。
「負けて悔しいのは分かるけど、気持ちを抑えた方が良いと思うよ」
同年代という事で曹昂は、敬語では無く砕けた口調で話し掛けた。
しかし、孫策は八つ当たり気味に曹昴を怒鳴る。
「五月蠅い! お前に何が分かるっ」
「おまっ」
孫策が怒鳴るのを見て、董白は怒りかけるが、曹昂が手で制した。
此処は任せてと口だけ動かす。
「負けたから悔しい?」
「それもあるっ。それもあるが。……祖茂が華雄に討たれた」
孫策が祖茂が討たれた事を話しだした。
「大栄さんが?…それはお悔やみ申し上げます」
曹昂がお悔やみの言葉を言うので、孫策はお前にそんな事を言われたくないと一瞬思ったが、直ぐに祖茂の字を知っている事に気付いた。
「お前、祖茂の事を知っているのか?」
「黄巾の乱の折り、文台様と一緒に譙県に来た時に少しだけ話した事があるんだ」
「そうか。あまり知らないのに悔やんでくれるのか?」
「ええ、知り合いである事には変わりないから。それと少し話した時に孫策の事も少しだけ聞いたよ」
「祖茂が俺の事を?」
「うん。『殿は血の気が多くてあまり考えないで、行動するので心配だと言うが、私は若のあの闊達な性格は好きだ。表裏も無く真っ直ぐなところは皆を惹きつける魅力になる。将来が楽しみだ』と言っていたよ」
それを訊いて驚いたのは、孫策とその場に居た韓当と黄蓋であった。
「祖茂がそんな事を言っていたのか?」
「うん。僕がどうして、そんな事を教えてくれるのと訊ねると『若の同い年ぐらいの子供だからかな』と言っていたよ」
「祖茂は本当にそんな事を言っていたのか?」
「若君。それは本当です。我らにも、その事を良く話していました」
「程普が『若は、もう少し落ち着きを持って欲しい』と言うと、祖茂はいつもそう言い返していました・・・」
韓当と黄蓋はその話をしていて、祖茂の事を思い出したのか涙を流しだした。
「……そうか、そうか」
孫策は祖茂の最期を思い出す。
傷口と口からも血を流しながら、自分に笑い掛けていた。
それだけ、自分の事を大切に思っているという事が分かったからだ。
「大栄さんの事を思うのなら、今は堪えるべきだよ」
「…………っ」
孫策は曹昂にそう言われて、両眼から涙を流した。
直ぐに、声を噛み殺した泣き声が聞こえて来たが、誰も何も言わなかった。
少しすると、孫堅が曹操の下に戻って来た。
そろそろ、孫策の怒りも収まっているだろうと思ったからだ。
まだ怒っている様で、あれば叱るつもりであったが。
「父上。先程は無礼を働いた事をお許し下さい」
孫策は深々と頭を下げた。
顔を上げると、目元が赤くなっていた。
「……いや、さっきは私も強く言い過ぎた。許せよ」
どうやら、怒りが収まった様だと分かり、内心で安堵しつつ孫堅も謝った。
そして、孫堅は曹操を見る。
目で「何かしたのか?」と訊ねた。
曹操は曹昂を見た。
それで、曹昂が何かしたのだと察した。
「程普が敗残兵を集め次第、陳留に戻るぞ」
「はい。父上っ」
数刻後。
夜は完全に明けて、朝日が見えて来た。
その頃になると、程普が敗残兵を集めて戻って来た。
それに釣られてか、続々と敗残兵が集まってきた。
集まった兵は三万程度であった。
「よくぞ。これだけ生き残った。そして、よくぞこれだけ集めてくれたな。程普」
「はっ。全ては殿の威徳です」
「そうか。では、陳留に帰還するぞ」
孫堅がそう命ずると、兵達は従った。
そして孫堅、曹操軍が進んでいると、孫堅は曹操に訊ねた。
「それにしても、どうして兵糧が送られなかったのだろうか?」
「貴殿は袁術と親しかったのか?」
「うむ。以前から何かと世話になっていた。少し前にも南陽の太守を討った後で便宜を図ってくれてな。後任の太守になってくれた」
「成程な。だが、どうして兵糧を送らなかったのか理解できんな」
曹操は孫堅の話を聞いて、それなりに親しくしていると知り、それでどうして兵糧を送らなかったのか余計に分からなくなった。
「もしかして、ですけど。あの事が原因では?」
曹昂が、何か思い立ったのか口を挟んだ。
「あの事?」
「それは、何かな。曹昂君」
「連合軍の盟主を決める時に、文台様が袁紹様を推した事です」
「「ああ~」」
そう言われて、曹操達は何を言っているのか、分かったのか声を上げて頷いた。
「あの時、袁術様は凄い文台様を睨んでいましたから。それを根に持っているのでは?」
「まさか、そんな事で?」
「いや、あ奴とは長い付き合いだが。小さな事でも根に持つところがあるからな。案外、それが原因かもしれん」
「ふざけた事をっ。それで我が軍は負けたというのか?」
孫策は怒りで顔を赤くする。
「全くだ。さて、これはどうするべきか」
「僕に良い考えがありますよ」
「ほぅ、それはどんな考えかな?」
「では、お耳を拝借して」
曹昂は孫堅の傍に、近付き自分の考えを話す。
それに聞き耳を立てる曹操と孫策。
「……ふははは、それは良いな。良し、それでいこう」
「むぅ、俺はそれよりも仕返しをしたいんだがな」
孫策は、曹昂の考えを聞いても、少し不満そうな顔をしていた。
「孫策君。『臥薪嘗胆』って言葉を知っている?」
「がしんしょうたん? 何だ。それ?」
孫策は、意味が分からないのか首を傾げる。
孫策の反応に、孫堅は重い溜め息を吐いた。
「まぁ、簡単に言うと。昔、越と呉という国の間で起きた戦争の故事なんだ。呉王夫差は越との戦争で父王闔閭を亡くした。闔閭は亡くなる直前「必ず仇を取るように」と言い残した。夫差はその恨みを忘れない為に薪の上で寝ることの痛みで屈辱を思い出したんだ。そして、そのお陰で越との戦争に勝ったんだ。越王勾践は降伏して生かされたんだけど、負けた事を忘れない様に苦い胆を舐めたんだよ」
「成程。で。結局どういう意味?」
孫策の顔に、意味が分からないと書かれていた。
孫堅は、恥ずかしいのか両手で顔を覆った。
「つまり、復讐を成功するためには、如何なる屈辱にも苦労にも耐える事が必要だという事さ」
「そうか。成程なっ。つまりは、今がそのがじんじょうだんという事だなっ」
「臥薪嘗胆だよ」
「そう、それだ。袁術に復讐する為にはそれをしないといけないのか。良し、韓当、黄蓋」
「「はっ」」
「陳留に着いたら、胆と長い薪を沢山用意しろっ」
「「は、はい?」」
「俺もその夫差と勾践に見習って、薪で寝て胆を舐める。この屈辱を忘れない為にっ」
「若。その御志、立派です」
「陳留に着き次第、直ぐに用意します」
「おう、任せた」
孫策は、元気よく返事をする。
「ははは、明るい子ですな。うちの息子とは大違いだ」
「いや、お恥ずかしい。家に帰ったら無理矢理にでも、書物を読ませるとしよう」
孫堅はそう心に決めた。
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