その頃、董卓はと言うと

 その後も孫堅親子と少し話をして、別れた曹操達は自分達の陣地へと戻った。


 曹昂が、自分用に用意された天幕に入ると、其処には貂蝉と董白の二人が居た。


「よう、邪魔しているぜ」


「お帰りなさいませ。若様」


 董白は粗雑に、貂蝉は慇懃に一礼しながら曹昂を出迎えた。


「何だ。二人共。譙県に行かなかったの?」


「私は若様の身の回りの世話をしますので」


「成程。董白は?」


「あたしは卞のおっ母さんも義父殿の傍に居るって言うし、貂蝉も此処に居るから一人だけ譙県に行っても、居心地が悪いし退屈だから残る事にしたんだよ。別にお前の傍に居たいからじゃあねぇんだからなっ」


 董白はそう言って、プイっと顔を背ける。


 それを見た曹昂は、照れているのかなと思い微笑む。


「なに、笑っているんだよ?」


「いや、別に。それよりも、此処は戦場になるんだよ。大丈夫?」


「心配するな。これでも祖父ちゃんの後を、コッソリ付いて行って戦場を経験した事があるから大丈夫だよ」


 董白は胸を叩いた。


 弓は使えるから、自衛は出来るだろうと思いそれ以上、聞かなかった。


「そう言えば洛陽を出る時、相国には何か言ったの?」


 今更ながらと思いながら、董白が董卓の話を出したので、ついでとばかりに訊ねる。


「ああ、少ししたら洛陽に帰ると思ったから置き手紙も書置きもしておかなかったからな。心配しているだろうけど、大丈夫だ。ちゃんと文は出しておいたから」


「文? どんな事を書いたの?」


「此処に居る事と近況報告。心配するな。文を出す前にちゃんと貂蝉に見せて問題ないかどうか確認させたから」


 董白がそう言うので、曹昂は貂蝉を見ると、確認しましたと言う意味を込めて頷いた。


「それなら良いけど。今頃、カンカンに怒っているだろうな。相国」


 少しの間とはいえ仕えたので、どんな性格なのか把握している。


 今頃、頭に血が上り過ぎて、倒れそうな位に激怒しているだろうなと思っていた。



 同じ頃。洛陽にある相国府では。


「おのれ、曹操っ、曹昂っ! あれだけ目を掛けて、可愛がってやったというのに、儂に反逆するとはっ」


 陳留にて、反董卓連合軍が結成された報を耳にした董卓は驚いたが、次に驚いたのは、その連合軍の発起人が曹操だと言う事に激怒していた。


 顔を真っ赤にさせて、唾を撒き散らす程の怒りを浮かべている。


「しかも、儂の可愛い孫娘の董白を攫うとは、何たる恩知らずっ、人非人めっ、犬にも劣る畜生めがっ!」


 曹昂が洛陽を出た日。何時の間にか董白が屋敷から姿を消していた。


 最初は誰にも言わないで、都を歩き回っているのだろうと思われていた。


 しかし、夜になっても帰らないので、兵を動員させて捜索させたが見つからなかった。


 これは、曹昂に付いて行ったのかも知れないと思われた。


 何せ、董白は曹昂の事を気に入っている事は、誰の目から見ても分かったからだ。


 そうであれば、曹昂と一緒に都に戻って来るだろうと思っていたところに、曹操が天子からの密詔を貰い挙兵し、各地の諸侯に檄文を送り、反董卓連合軍を結成したという報告が齎された。


 最初は、誤報か何かだろうと思われたが、次々に齎される報告から嘘ではない事を知り、董白は連れ去られたのだと分かった。


「おのれえええ、曹親子め。捕まえたら八つ裂きにしてくれるっ」


「相国。御怒りは御尤もですが、今は反乱軍の鎮圧が先にございます。反乱軍の先鋒が虎牢関に間もなく、到達すると報告が来ております」


 李儒が董卓の怒りを宥める。


 此処で李儒が言う反乱軍とは、反董卓連合軍の事であった。


 自分達は献帝を擁しているので、官軍という立場だからそう言うのだ。


 李儒に、宥められて董卓は少しだけ冷静になった。


「ふん。で、その先鋒は誰だ?」


「長沙太守の孫堅めにございます」


「孫堅っ、孫堅とな。ははは、丁度いい。あやつには色々と恨みがあったからなっ」


 董卓は孫堅の名を聞くなり、手を叩いて喜んだ。


 董卓が言う恨みとは、中平三年西暦百八十六年に起きた涼州で辺章と韓遂が起こした反乱の時にあった事だ。


 その時董卓はその反乱を鎮圧する任に当たっていたが、情勢は芳しくなかった。

 

 そこで董卓が援軍を要請した。援軍で来たのは司空の張温であった。


 孫堅はその参軍として従軍していた。董卓は自分の故郷なので土地勘があったのでそれを活かした戦い方をしていたが、それを軍規違反していると言って、立腹した孫堅は董卓を処刑するように張温に進言した。


 張温は、涼州での行動に際して董卓の力が必要と見ていたので退けた。後日、その事を聞いた董卓は張温と孫堅を深く憎むようになった。


 ちなみに、この反乱は討伐軍の大軍が来ると聞いた辺章・韓遂の軍は恐れをなして散りぢりになり、辺章と韓遂は降伏して終わった。


 反乱が鎮圧された後、董卓は何かしら理由を付けて涼州に留まった。


「積年の恨みを晴らしてくれる。誰か、孫堅を討とうと言う者はおらんか!」


 董卓が大声で、訊ねると呂布が前に出た。


「相国。私にお任せを。孫堅が江東の虎とか言われているかもしれませんが、この赤兎と方天画戟を持つ私に掛かれば、御前に孫堅めの首をお届けいたしましょうや」


「おお、呂布。行ってくれるか」


「はい」


 呂布は任せろと、言わんばかりに頭を下げる。


 ちなみに、呂布が持っている方天画戟は最初は単戟と呼んでいたが、何時の間にか間戟と言われる様になった。


 それを聞いてか「奉先殿。貴殿の武器は間戟と言うらしいが、貰った時はとても感激したのでしょうな」と冗談を言う者まで出て来た。


 なので、名称を変えた。


 色々と名付けたがしっくり来たのが、方天画戟であった。


 それ以来、方天画戟と呼んでいる。


 董卓は呂布に任せようとしたが、其処に待ったの声が掛かった。


「呂布殿。何も貴殿が行くべきではござらん。此処は私にお任せを」


「おお、華雄か」


 呂布に待ったを翔けたのは董卓軍の中でも猛将と言われる華雄であった。


 身の丈は九尺約二百センチにも及び高い身長であった。


 豹の様な顔付き。虎の様に大きな身体で、狼の様な腰を持ち立派な口髭を生やした男性であった。


「華雄よ。まだ戦は始まってもいないのだ。そう功を焦る事は無いと思うが?」


「呂布殿。貴殿は方天画戟があるでしょうが。私も斧槍がある。まだ、戦場で試した事はないので、ここらで試し切りをしたいのです」


 呂布と華雄は暫し目を合わせたが、どちらも譲らないとばかりに目に力を込めた。


「ははは、我が軍の豪傑達の頼もしさには、儂は枕を高くしてして眠れるだろう」


「相国。誰を迎撃に向かわせるかお下知を」


「そうだな。華雄。お主には五万の軍勢を授ける。儂が大軍を率いるまで、虎牢関を守れ」


「はっ。必ずや」


 華雄は一礼して、離れて行った。


 そして、華雄は五万の兵と李粛、胡診、趙岑の三名を副将として、連れて行き虎牢関へと向かった。


 余談だが、虎牢関は洛陽の東に扼する要衝で別名汜水関とも呼ばれている。


 名前の由来は、この場所が汜水と呼ばれる事や、周の時代の穆王がこの地で虎を牢の中に入れて飼っていたことに由来するとも言われている。




 数日後。




 董卓の下に副将の胡診が討たれるという報告が齎された。


「軍の被害は左程、多くは有りませんが。副将が討たれた事で士気の低下がいなめないと報告が来ております」


「ふん。まだ緒戦だ。その程度の損害など取るに足らん」


 董卓は華雄を叱責などしないで、奮戦せよと文を送る事にした。


「あと、これは、大変申し上げづらい、ことなのですが。相国の耳に入れておくべきだと思いまして」


「何だ?」


「その、読む前に気をしっかりと持った方が良いと思いまして……」


「ええい、はっきりと言わんか。何があったのだ?」


 李儒が、あまりに何を伝えたいのか分からないので、董卓は怒りながら訊ねる。


 そして、李儒は一枚の紙を差し出した。


「董白様からのお手紙にございます」


「なにっ、それを早く言わんか。馬鹿者っ」


 そう言うなり、李儒の手の中にある手紙を、ひったくる董卓。


 そして、勢いよく手紙を広げて中身を見る。




『祖父ちゃんへ。




 誰にも何も言わないで屋敷を出た事は悪かったと思う。


 でも、どうしても曹昂について行きたかったんだ。


 そうしたら、反董卓連合軍が挙兵するっていうから驚いたけど、曹操と曹昂は別に私に危害を加える様子はないようだ。


 なので、このまま曹昂の元に居る事にした。


 婚礼を挙げるのだから、遅かれ早かれ家を離れるのは決まっていたのだから別に良いだろう。


 他の親戚や曾祖母ちゃんにもよろしく言っておいてくれ。私は曹昂と一緒に居て幸せだって。




 追伸。


 この戦が終わったら、曹昂と婚礼を挙げるから。




                             董白』






 紛れもなく、董白の字であった。


 そして、最後の追伸を読んで、董卓は気が遠くなった。


 これは暗に曹操達連合軍が勝っても負けても、董卓達には婚礼に参加させないとも取れるような、一族を絶縁してでも惚れた男の下で一緒になるとも、取れるような文章であった。


「う~ん、あの董白が、儂の可愛い、孫娘の、董白が…………」


 董卓は気を失った。


 孫に拒絶された事が、それほど衝撃だったようだ。


「相国っ、お気を確かに、相国っ!」


 李儒は董卓の下に駆け寄り気を取り戻させようとした。




 後日。


 董卓が倒れたという話は直ぐに巷に広がった。


 それに尾ひれがついて胡診が討たれるた事で、董卓が衝撃を受けて気を失ったという話になった。


(胡診って、そんなに重用されていたかな? 寧ろ徐栄とか張済とか樊稠とか張遼とかの方が、重用されていたような気がするのだけど?)


 その話を聞いた曹昂は、首を傾げるのであった。

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