閲兵式

 中平五年西暦188年十月某日。



 その日は同年八月に設置された皇帝直属部隊『西園軍』の閲兵式が行われていた。


 正式に『西園軍』が設置された事で集められた部将達も官位を貰った。


 総指揮を執る蹇碩は上軍校尉。


 袁紹は中軍校尉。


 鮑鴻は下軍校尉。


 趙融は助軍左校尉。


 馮芳は助軍右校尉。


 夏牟は左校尉。


 淳于瓊は右校尉。


 そして、曹操は典軍校尉となった。


 蹇碩を除いた『西園軍』の部将である曹操達は貰った印綬を持って、閲兵式が行われる平楽観(宮殿の西側の西園にある演場)にて兵と共に霊帝が閲兵するのを待っていた。


 演場に集まった九万の軍勢は好き勝手に話していた。


「ああ、まだ始まらないのかよ」


「早く終わって欲しいな~」


 兵達の口がそう零していた。


 この『西園軍』の兵は急遽徴発され訓練も満足に受けていないほぼ民兵と言っても良い位の者達だ。これから徐々に訓練を行い正式な部隊になる予定であった。


 後ろの方で好き勝手な事をしている兵達に曹操は内心で呆れていた。


(これが皇帝直属部隊の兵とはな。しかも、それを指揮するのが戦場を知らぬ宦官だからな。ああ、何か一気に仕事をする気が失せるな)


 まともな訓練を受けていない者達を、皇帝直属部隊にするという有り得ない事が罷り通るこのご時世に曹操は適当な理由を付けてこの職を辞めようかと本気で考えていた。


 そう考えていると鉦が鳴りだした。


「陛下の御入来~」


 官吏が霊帝が演場に来た事を告げた。


 流石に皇帝陛下が来ると分かり好き勝手な行動をしていた兵達は直ぐに背筋を伸ばしてピシッとした。


 少しすると、霊帝が蹇碩ともう一人の男性を伴なってやって来た。


 整った口髭と顎髭を生やしていた。髭を生やしている事から宦官ではない。


 身の丈は八尺約百八十センチはあるが、腹が少々出ていた。


 曹操は、見慣れない人物なので誰なのか分からず、傍に居る袁紹に小声で訊ねる。


「本初殿。あの男性は何者でしょうか?」


「ああ、曹操は会った事はなかったか。あの方は何大将軍だ」


「成程。あの者が何大将軍ですか」


 何進。字を遂高と言う。元は肉屋であったが同郷の宦官である郭勝が異母妹を後宮に入れた事で今の地位に就いたと言われる男だ。


 身分を笠に着た態度を取りはするが、部下に対しては優しく親しげに接しているので軍部では人望はあったが、軍を率いて戦に赴いたという話は聞いた事がなかった。


 先の黄巾の乱の時でさえ、洛陽で守備をしていたという話だ。


(ふん。噂では妹の威光だけで大将軍の地位に就いたと聞いていたが噂通りだな。あんな凡庸な男が大将軍に就いている以上、漢王朝も長くないかもな)


 退屈のあまり不敬な事を考える曹操。


 そんな事も知らず霊帝は用意されている椅子に向かう。


「「「万歳。万歳。万歳!」」」


 兵達は足踏みするか槍の石突で地面を叩きながら大声を上げる。


 事前にそう言うように言われていたのか、揃ってはいないが声だけは大きかった。


 軍楽隊も楽器を鳴らしだした。


 それらを聞きながら、霊帝は椅子に座る。


 曹操は椅子に座る霊帝の顔を見て訝しむ。


 数年前に見た時に比べると顔は青白く、頬がこけていた。


 目の下にはクマもあった。


 この数年で何があったのだろうと不思議に思えた


 そうしていると、何進が前に出て来て両手を掲げる。すると、兵達は声を上げるのを止めた。


 それを見て何進は振り返り霊帝に向かって一礼する。


「陛下。西園軍総勢九万千が御前におります。どうぞ無上将軍として皆に激励のお言葉を」


 直属部隊の将という事からか、霊帝は『無上将軍』として閲兵式に参加すると何進達に言っていた。


 それに従い何進は霊帝陛下ではなく無上将軍としての言葉が欲しいと言ったのだ。


 霊帝もそれに応えて椅子から立ち上がる。


 それを見て西園軍の者達は全員跪いた。


「……我が忠勇たる漢の臣下達よ。朕は此処に集った者達の忠心に大いに感激している」


 息も絶え絶えながら言う霊帝。


 それを訊いていた曹操達は大丈夫だろうか?と不安になった。


「朕は、むじょう、しょうぐんとして……ここに、せんげんする。ここに、せいえん、ぐんを……ぐほっ⁉」


 霊帝が話をしている最中に咳き込んでいたと思ったら、突然吐血しだした。


 手の隙間から、赤黒い血が零れ出した。


 霊帝が膝から崩れて、そのまま吐血を続ける。


「陛下、お気を確かに。誰か、誰か薬師を呼んで参れ‼」


 蹇碩が霊帝に近寄り声を掛けながら背中をさする。


「誰か、陛下に手を貸して差し上げろ!」


 いきなり吐血したので驚きはしたが早く寝室に運んだ方が良いと思い手が空いている者達に声を掛ける。


 そして、霊帝は人の手で運ばれて行き蹇碩と何進はそれに付き従った。


 曹操達は突然の事でどうしたら良いのか分からず呆然と霊帝を見送った。




「……という事があったのだ」


 そんな事を曹昂に話すのは曹操ではなく袁術であった。


「はぁ、父上もそれは大変でしたでしょうね」


 数か月前にあった狩場での一件があってから張邈、袁紹、袁術の三人は偶に曹屋敷に訪れる様になった。


 そして、何かしら馳走になっていた。


 流石に御馳走になっているばかりでは悪いと思ってか手土産に酒以外の物を持ってやって来る。


 酒を持って来ないのは曹操が実家で作った「九醞春酒法」という水の様に透明な酒があまりに美味いので持って来ないのだ。


 三人の中で一番屋敷に来るのは袁術だ。


 と言っても、どうやって袁紹と会わない様にしているのか分からないが、袁紹が屋敷に来ている時は絶対に来ない。


 曹操の友人なのは本当の様で何だかんだ言いながらも袁術は曹操と仲良く酒を飲みながら話しているし、曹操も袁術が袁紹の事で愚痴を言うのを聞いて相手をしていた。


 袁術は曹昂を気に入った様で、何かと可愛がっていた。


 屋敷に来る度に曹昂にはお土産を渡してくるし、しきりに「私には年頃の娘が居てな」と曹操と曹昂にそんな事を話していた。


 これは暗に娘を貰ってくれまいかと言っている様なものだ。


 曹操も曹昂も本気なのか、冗談なのか分からないので曖昧に流していた。


「お前にだから話すが、侍医の話では霊帝陛下はもう長くないそうだ」


 袁術は機密と言える情報を曹昂に教えた。


 どうして、袁術がそんな情報を手に入れる事が出来たのかと言うと、袁術の役職は虎賁中郎将という皇帝の親衛隊の隊長をしているのでそういう情報は容易に手に入るのだ。


「ええっ、そんな事を言って良いんですか⁉」


「お前は口が堅いから大丈夫だ。それにそんな事を話しても、大抵の者は信じるかは分からんよ」


 袁術は出された蜂蜜水を飲んで顔を綻ばせる。


「はぁ~、美味いな」


 何時だったか袁術が来た時に蜂蜜水を出した時にその味を甚く気に入った様で来た時は出すようにしている。


 その顔を見ると、話をしに来るというよりも蜂蜜水が飲みたくて来ているのではと曹昂は思った。


「もし、霊帝が御隠れになったら跡継ぎは何皇后が産んだ劉弁皇子か。陛下が可愛がっている劉協皇子のどちらかになるのであろうな。まぁ、年齢的に言えば劉弁が確実だろうな。後ろ盾があるという強みもあるしな」


 実際のところ、両方とも皇帝になると知っている曹昂。


 そして、長く続く戦乱が訪れる事も。

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