奴隷制度

 曹昂が洛陽にある曹家の屋敷に着くと門は閉まっていた。


 宴など開く場合を除いて、門は閉まっているので、何も問題は無かった。


 護衛の一人が門を叩いた。


「誰か居るかっ」


 屋敷の中に居る者達に聞こえる様に大声を上げる。


 一度では聞き逃す可能性があるので、何度も門を叩きながら声を掛けた。


『はい。只今!』


 門の内側から声が聞こえて来た。


『どちら様でしょうか?』


「曹操様のご子息が参った。門を開けよ」


『御子息? 少々、お待ちを』


 直ぐに門が開いて其処から使用人が出て来た。


「お待たせしました。それで孟徳様のご子息との事ですが……」


 その使用人はちらりと曹昂を見る。


 旅路による砂塵で少し汚れているが、良い生地を使った服を着ている少年であった。


 だが、曹昂は母親に似ており、曹操の面影があまりなかった。


 それに加えて今、曹昂の相手をしている使用人は曹操が譙県に居た頃に雇われたので、曹操の顔を知らなかった。 


 護衛の者達も見慣れない者だと思いながら、その使用人を見ていた。


「失礼ですが。何か身分を証明できる物をお持ちですか?」


「なにっ、貴様は若君を偽物だと言うのかっ」


「そうとは言いませんが、何か身分を証明できる物は無いかと」


 使用人も胡散臭いとは言わないが、曹昂達を怪しんでいる目で見ていた。


「ぬうっ、ならば巨高様は御在宅か?」


「生憎、旦那様は職務中でしてまだお戻りではありません。知っているでしょう。太尉の身分だという事を」


「その方のお孫様が来られたのだ!」


「ですから、何か身分を証明できる物は無いかと聞いているのですっ」


「話にならん。誰か別の者を呼んで来い‼」


「皆、休憩を貰い沿道で官軍の行列を見に言っています。旦那様のご子息が官軍の将という事で顔を見に行きました」


 そう答える使用人の顔には、留守居役にならなければ、自分も行っていたと書いてあった。


「その孟徳様のご子息様がこうして来たのだと言っているだろうっ」


「ですから、何度も申し上げている様に身分を証明できる物を見せて下さいっ」


 護衛と使用人が睨み合う。


 曹昂は頭を掻いた。


 屋敷に行けば入れてくれると思ったので、曹昂達は身分を証明できる物など何も持っていなかった。どうしようかなと思い悩んでいると。


「昂。其処で何をしている?」


 声を掛けられたので曹昂が声をした方に顔を向けると、其処には馬に乗っている曹操と傍に馬車が一台あった。


「あっ、父上」


「屋敷の前で何をしている?」


「えっと……」


 使用人に怪しい人扱いされているので、屋敷の中に入れないと言うべきかと思った曹昂。


 だが、馬車を見て誰が乗っているのか気になってそう言うべきか迷った。


 馬車の前簾が退けられ顔を出したのは曹嵩であった。


「ああ、孟徳から聞いていたが本当に昂であったか」


「お久しぶりです。祖父様」


 曹昂と護衛の二人は曹嵩達を見るなり一礼する。


 曹昂の相手をしている使用人も頭を下げたが、顔を青くさせていた。


 今迄の会話から怪しい人物と思っていた者が、本物の曹嵩の孫だと分かった様だ。


 もし、曹昂が屋敷に入れてくれなかったと言えば、即座に処罰されると分かったからだ。


 良くて棒叩き数十回。悪くて死罪。


 どんな目に遭うか分からず怯える使用人。


 そうしている間に曹嵩は馬車から降りて曹昂の傍に来る。


「昂や。どうして屋敷の中ではなく門の前におったのだ?」


 曹嵩は優しい声音で曹昂に訊ねる。


 慎ましやかな性格の曹嵩でも、もし使用人が屋敷に入れなかったと聞いたら怒って、その使用人に棒叩きをするだろう。


 職務に真面目でそんな目に遭うのは可哀そうだと思い曹昂は曹嵩の顔を見上げながら告げる。


「いえ、祖父様達をお待ちしていました」


「そうか。では、入ろうぞ」


 曹嵩はそう言って曹昂の頭を撫でて一緒に入った。曹操は何か腑に落ちない顔をしていたが、曹昂が何も言わないので気にしない事にした。


 護衛の二人は不満そうな顔をしたが、曹昂が言うつもりはないのだと察して何も言わずに屋敷に入った。


 入る際、使用人を見て運が良かったなと目で言っていた。


 曹嵩は息子が大功を立てた事を祝って宴を催した。


 宴が行われた翌日。


 荊州に向かった朱儁が洛陽に到着していないので、論功行賞は行われない事になった。


 朱儁が来るまでの間、曹操は暇であった。


 なので、曹昂を連れて洛陽の案内をする事にした。


 洛陽北部尉である前から、洛陽には何度も来ているので土地勘はあった。


 なので、道案内は問題無かった。


 曹操達は曹嵩に見送られ屋敷を出た。


「此処が洛陽ですか?」


「そうだ。大きな街であろう」


 曹操と同じ馬に乗っている曹昂は馬に揺られながら周囲を見ていた。


 明るい顔で街を歩く人々。


 露店では様々な商品が並び、露店の店主は大きな声を上げて商売に励む。


 何処からか歌声も聞こえてくる。


 その歌声は酒場から聞こえて来た。歌っている者達は既に酒を飲んで酔っているのか音程はズレており、何を言っているのか分からなかった。


 少し前まで黄巾の乱が起こっていたと思えない程に平和であった。


「平和ですね~」


「そうだな。今はな」


 曹操は後半の所だけ小さい声で呟いた。


 曹昂は聞こえていたが、その事に関して訊ねはしなかった。


 黄巾の乱が終わったからと言って、乱世が終わった訳ではない。寧ろこれからもっと世が乱れるのを知っていた。


 曹操もそう呟くところを見ると、どうやら近い内に、また乱が起こるだろうと予見している様であった。


「……父上。市場に行ってみたいのですが」


「そうだな。此処の市場は大きいから見応えがあるぞ」


 曹操はそう言って西にある市場に向かった。


 この時代の洛陽の市場は西と東の二つあった。特に西の市場が東の市場よりも大きくて大市と呼ばれていた。


 この時代の市場はマーケットだけではなく見世物小屋や繁華街という面を帯びていた。


 それだけではなく処刑場としても使われていた。


 人通りが多いので行われているのは、罪を犯した者の見せしめとしての面と処刑を見世物として使う面があった。


 黄巾党の乱が起こる前に行われた馬元義の処刑などが良い例だ。


 車裂の刑という罪人の両手両足を紐で縛りその紐を車に括り付けて、車を走らせて生きながらに五体を裂くと言う残酷な刑罰だ。


 それでも多くの人は見に集まった。


 それは滅多に行われない刑罰という事と罪人が裁かれるところを見る事が出来ると言う残酷な喜びを味わえるからだろう。


 ちなみに、馬元義の処刑もこの西市で行われた。


 流石に、かなり時が経っているので、そんな処刑が行われた跡は無かった。


 だが、その代わりにある市がたっていた。


「さぁ、天下泰平となった。このご時世に夫、旦那、息子と言った働き手を失った人達には嬉しいお知らせだっ。今日は若い男女の奴隷が大量に手に入ったよ。平和な時代と言う事で、安いので八千五百銭で如何ですか⁈」


 それは奴隷市場だ。


 この時代は奴隷が普通にいた。家の使用人が奴隷というのも珍しい事ではなかった。


 曹昂は馬上でその市場を見た。


 奴隷の比率を見ると女性よりも男性が多かった。


 恐らく黄巾党の捕虜が奴隷になったからだ。この時代の捕虜は奴隷にされて戦費の回収の為に売られるという事はよくある事であった。


 この時代には必要なものだと分かってはいても、奴隷を見ると痛ましい気分になる曹昂であった。


 パッと見で売り手と買い手が盛況であった。


(人の命を金で売買か。時代とはいえあまり気分が良い物では無いな……うん?)


 市場の商品になっている奴隷を見ていると、奴隷達の中で一際若い女の子の奴隷がいた。


 年齢は曹昂よりも一つ下の八つぐらいであった。


 身長もそれほど高くなく髪もボサボサで整えられていなかった。顔も汚れていた。


 それでも、なお綺麗であった。


 まるで泥の中に咲く、一輪の蓮の花の様であった。


 曹昂は綺麗だなと思いつつも、同時にあの子も奴隷で誰かに買われるのかと思うと可哀想だと思った。


「どうした。昂よ。何か面白い物でも見つけたか? ……はは~ん」


 曹操は曹昂の視線が何を見ているのか分かり、ニヤリと笑った。


「別に何も……」


「隠すな隠すな。そうか、お前もそういう歳になったか。はっはは、父はお前が女性に興味を持つようになって嬉しいぞ」


 曹操は、曹昂の成長が分かり笑っていた。


「いえ、あの」


「はっはっは、照れる事はない。お前が見ていたのはあの子だな?」


 曹操は分かっているのに指差して訊ねた。曹昂は言いたい事を言えず不満そうであったが、取り敢えず頷いた。


「良し。少し待っていろ」


 曹操は護衛の者に曹昂を預けて、奴隷市場に向かい商人と何事か話し合った。


 少しすると、商人がペコペコと頭を下げて曹昂が見つめていた奴隷を曹操に渡した。


 曹操は懐から袋を出して、それを商人に与える。


 商人は袋の口を緩めて中身を見ると顔をニヤけさせて曹操に一礼する。


 そして、曹操は奴隷の女の子を馬に乗せて曹昂達の下に戻って来た。


「待たせたな。ほれ、望みの子だぞ」


「父上っ、僕は別に欲しいと思った訳では」


「隠す事は無いであろう。気に入ったのであれば欲しいと言えば良いだろう。お前の年頃なら女性に興味を持つのは自然な事だ。私も偶に父親らしい事をしなければなっ。はははは」


 曹操は気分良さそうに笑う。


 どうやら、曹操は曹昂が女の子の奴隷を見ていたのは、欲しいと思ったと勝手に思い込んだようだ。


「いや、その」


「日頃からお前には接する事はあまり無かったからな。私からの贈り物だと思うがいい」


 贈り物で奴隷を送るとは、正にこの時代の人らしい感覚であった。


 どれくらいの値段で買ったのか分からないので、曹昂は色々と言いたい事を飲み下した。


「おお、そう言えば。この子の名前を聞いていなかったな。娘よ。お主、名は?」


「……ちょうせん」


「ちょうせんか。ふふふ、さて、そろそろ帰るとするか」


 曹操は奴隷の女の子の名前を聞いたので、連れ帰って綺麗にして息子の侍女にでもさせようと思った。


(……ちょうせん? 偶然か? いや、同じ名前という可能性もあるからな……)


 曹昂は奴隷の女の子の名前を聞いて内心、驚いていた。


 貂蝉。


 それは架空の人物と言われながら、古代中国四大美人の一人として数えられ、後に董卓と呂布の仲を引き裂く連環の計を行う女性の名前であった。


 後日、曹昂はこの奴隷の女の子の名前の字は貂蝉と書くのだと知った。

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