第2話「過去への旅が始まる前に―――」
「な、なんでここにいるんですか?」
コートをハンガーにかけている私を見たアニマは、目を丸くして驚いた。
「あまり疲れてないから、計画を進めたいと思ってね」
「本当、ワーカホリックですね?」
「んで、昨日から徹夜で仕事しているのは誰でしょう~か?」
「ノックスはあんな酷い目に遭ってしまったんですから、誰が寝られますか?家で心配するより、ここで仕事したほうがマシです!」
「そうだね!ていうか、そんな心配な顔しないで!全て計算済みだよ!ウォルフ・タグを見る時に、目を閉じているでしょ?つまり、寝ている、寝るんだぞ!」
「馬鹿にしているんですか?あれは必ずしも睡眠状態とは限らないんですよ!」
「………」
何も言い返せず、アニマをじっと見ながらニコニコしている。彼も眉間に深い皺を寄せて私を見つめる。
「はぁぁ……まったく……社長には敵いませんね」
私の我が儘な性格に負けたアニマは、ため息を漏らしながらそう呟いた。
アニマは渋々といった様子で、ある研究室へと私を導いた。床を這う無数の電源コードが絡み合い、部屋の四隅には四台の大型コンピューターが設置されている。そして、その中心でひときわ目立つのは、ヘマタイト石から作られた巨大な立方体。星屑をちりばめた夜空のような光沢を放つその石は、見る者を圧倒する存在だ。
「社長?何でここにいるんですか?」
「君たちまでか?最終テストは成功したってプルヴィアから聞かれたので、次の段階を早く始めたいんだ」
「今すぐですか?」
「うん、そうだよ~」
「ダメですよ!」
数人は一斉に声を荒らげ、残りは不安そうな顔で私を見つめた。
「自分の体は誰よりも自分がよく知っている。だから、早く準備して最初のウォルフ・タグを持ってきてください!これは、社長の命令ですよ!」
「ああぁ、もう――!」
私の我が儘な性格に負けた相手の数がまた増えた。
「まあ、落ち着いて!このヒトは異常な存在だから、彼女の考え方を理解しようと思ったら、諦めたほうがいい!さあぁ、社長の命令に従って全てを準備しろ」
アニマは、ボスみたいに一拍の拍手で指示を出しながら、全員を移動させた。興奮を隠せない様子で、ヘマタイトの立方体に向かうと、彼は最下の中心部にあるスイッチを押してから「蓋」の部位をそっと押し上げた。
すると、ヘマタイト石はまるで獲物に襲い掛かろうとする巨大なワシのように、変貌を遂げた。元の蓋部分は、大きなくちばしのようにゆっくりと開き、同時に立方体の両側面も雄大なる翼を広げたかのように膨らみ始めた。そして、そのくちばしの奥には、一人用の椅子が設置されていた。
あの立方体を開けた瞬間を何度も見ても、アニマの素晴らしい独創力に驚嘆することしかできない。彼は計画スタート以来一日たりとも休まず直向きにこの仕事を続けている。それから、この男の考古学およびスペース・ルービックに対する情熱を混ぜ合わせた結果は、目の前のユニークな外観を持つ〈ウォルフ・タグの接続装置〉だ。
既に用意された立方体の中に座る。ヘマタイトの冷たさは最初少し気になったが、座り続けるうちに心地よい暖かさに変化し、全身の血の巡りが段々改善されていると感じた。まるで、この石が生命を宿したような感覚だ。画期的な装置に身を委ねる喜びと、この研究所が創造した〈一番目の傑作〉に触れているという誇らしさが、全身を包み込んでいく。
ちなみに、この研究所について少し話をしよう!現在の取締役社長は私だけど、実際、ここは自分の両親から受け継いだ大切な場所だ。歴史と考古学に対する愛情も、多分彼らから継承されたんだろう!まぁ、考古研究の分野に関して話せば、この世界で未だ解明されていない謎の文明と歴史が山ほどあるんだけど、うちの研究所はかつて『サハル』と呼ばれた島の歴史だけを中心にしている。
あの島の歴史を選んで研究し始めた一番の理由は、両親の大学生時代から多数の銀製タグが発掘されたという因縁だろう。それらのタグは、現代の軍人たちがよく使っているドッグタグよりも細く、表面に刻まれたものも少し違う。具体的には、様式化された狼の頭部と『ファルカス』という小さな文字が表面に、裏面には誰かの個人情報が刻まれている。両親の研究によると、これらのタグは『ウォルフ・タグ』と呼ばれ、「記憶」を保存するために生きている人間の体に移植されたようだ。
そして、古人の記憶を覗くために、その『ウォルフ・タグ』と今人の脳を接続する装置が必要。けれど、探索チームは何年探しても、そのような装置を見つけられなかった。ゆえに、存在しているかどうか分かんないものを探し続けることより、自ら新しいものを作った方が合理的な解決法だと判断された。こうして、〈ウォルフ・タグの接続装置〉が生まれたというわけだ。
我々は何年間も研究、実験、それから失敗というプロセスを何度も繰り返した後、『ウォルフ・タグ』の動作原理をやっと把握できた。この銀製タグの移植を受けた人が見たことや、聞いたことや、考えたことなどを十分に理解するために、記憶を覗く者にはサハル人の言語を使いこなす条件が必要。しかし、この条件を満たした研究者の数人は、ただいま、私と両親だけだ。
しかし、あの二人は他の『ウォルフ・タグ』を見つける可能性が高い領地や古代遺跡へ探索しに行こうと宣言してから、この研究所から離れて、全ての仕事を私に託した。でも、その宣言の後ろに何かを企んでいたのか、あの親の考えが自分自身の掌みたいに理解できている。彼らは、この機会を利用して世界旅行しながらイチャイチャするつもりだろう。
まあ、『サハル』島の謎を解明するために青春の全てを費やしてしまった彼らは、これから自分自身の人生を味わうことを、選択してもいいじゃないか!逆に、恋愛するつもりがないせいか、それとも、歴史の研究に全ての愛情を注ぎ込んでしまったせいか、これからの私は、ふふぅ……親の意志を受け継いでこの道を歩み続ける選択しかないな!
私と親のことは一旦置いて、現実に戻ろう。研究室には、最近の盛り上がる雰囲気とは対照的な緊張感が漂っている。昨日の最終テストが成功したことは、『ウォルフ・タグ』を長時間視聴しても、精神的な健康に悪影響を与えないことを確証した。しかし、研究分野において、全ての結論が絶対正解とは限らない。どんなケースでも、どんなリスクも発生する可能性は常に存在する。研究員たちは、そのことを理解しているので、医療機器や接続コードなどを隅から隅まで確認しているのだ。私は、彼らの真剣な姿に、不安と期待が入り混じった気持ちを抱きながら見守っていた。
「やりたくてしょうがないんだろう?これ?」
アニマは、新入社員から受け取ったばかりの小さな箱と片手袋を私に差し出した。彼は、私の考えをよく分かっている。私もアニマに微笑み、うなずきながら手袋をし、箱の蓋を開けた。中から一枚の薄い銀製タグを取り出し、しばらく見つめる。私たちは、この『ウォルフ・タグ』を見つけるために、ノックスの命を危険に晒し、左足を失ったのだ。これは一体、そこまで価値のあるのか?!
………いや、元々「記憶」は尊く、穢れのないもの。逆に……この罪深い世界で既に穢れてしまった私たちに、その価値を判断する資格はあるのだろうか?!
「大丈夫ですか?」
ぼーっとしている私を見たアニマは、心配そうに声を掛けた。
「あっ!大丈夫だよ!ただ―――ふむ、このタグの中にどんな秘密が隠されているのか、どうしても気になるんだ。なぜ『ファルカス』に属した者たちは、わざわざ自分の時代を超えた技術を使ってまで、これを作らなければならなかったのか」
そう!ウォルフ・タグが持つ『記憶』はいまだ謎に包まれている。しかし、その中に秘められているのは、計り知れない力なのか、あるいは恐ろしい真実なのか、と考えれば考えるほど、心がダンスを踊っているようだ。そのタグを、ヘッドレスト近くの固定スロットに素早く差し込む。それから、手袋を外し、背中にフィットするヘマタイト石の湾曲表面にもたれた。
他の二人の女性研究員がやってきて、私の腕と脚を凹んだところに置いた。その凹みには、座っている人の心臓の動きや血液の流れを、監視する無数のセンサーが埋め込まれている。これらのセンサーは、ウォルフ・タグの移植を受けた人の視界や感情や思考などを、私の五感で再現し、動画としてサーバーに送信する役割を果たす。つまり、私はウォルフ・タグを装着した人の体験を、まるで自分が実際に体験しているかのように追体験することができるのだ。
そして、あらゆるセンサーは、私の脳と臓器の正常な機能を監視するために、二台のコンピューターに接続されている。
さらに、臓器に異常が発生したり、食欲・排泄欲などの生理的欲求が生じたり、情報過多による
それと同時に、脳に近いセンサーは、
全てのチェックが完了した後、目を閉じ、アニマにフェイスシールドグラスを引き下げてもらった。目の前のシールドグラスから広がっている
「いってらっしゃいね!」
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