一話―ミステリアスなお嬢様は、





「…………ふわぁ……」


 ……なんか夢を見た気がするけど、目を覚ましたらなんも覚えてなかった。

 まぁ、覚えてないぐらいどーでもいいことだったんだろう、とまだ眠気の覚めない頭を起こす。


 今日テストだからって夜更かししたのが原因なんだろう。やっぱ一夜漬けなんてするもんじゃないな、と大あくびしながらベッドから立ち上がり部屋を出た。そして美味しそうな匂いが充満する廊下を抜け、二階から一階へ階段を下りていくと、足音が聞こえたのか下からアタシの名前を呼ぶ声が聞こえてくる。


『ルカ!まだ寝てんのかい!?』

「おきたってばー……おはよーボスー」


 うちの一階は定食屋。それなりな広さのホールにはテーブル三つにカウンター席。そしてカウンターの中にキッチンがあって、アタシの母さんでありこの店のボスであるマリィ・ハーネストが大きなフライパンを振っていた。

 二階まで美味しそうな匂いでいっぱいだったけど、カウンター席に並ぶ料理を見てなるほど、と頷く。


『やっと起きたのかい?さっさと食べとくれ』

「……っていうか、作りすぎじゃない?アタシ朝からこんなに食べれないんだけど」

『はぁ?何言ってんだい。今日はテストだって言ってただろ?たくさん食べりゃ、良い点取れるよ!』

「え~?……たくさん食べて良い点取れたら苦労しないじゃんか」

『はぁ~……ったく、大雑把なくせしてあんたは父さんに似て口うるさいねぇ』

「っ、そんなの知らないし!」


 とりあえずミルクを飲んで、山盛りの朝ごはんを前に覚悟を決めて手を伸ばす。母さんは朝の仕込みで忙しいのか、ずっと背中を向けたままキッチンに立っていた。

 ……それはいつもの光景のはずなのに、妙な感覚。何故かそれが特別なことのように感じてジーっとその後ろ姿を見てしまったら、不意に振り向いた母さんと目が合って笑われた。


『……あんた口の周りちゃんと見てから行きなよ?』

「っ、わかってる!」


 ついさっきまで食べれないと思ってたのに、食べれば美味しくてどんどん口の中に入ってく。アツアツのお肉やスープ、誰かが作ってくれたごはんってなんかいいなぁ、なんて思ってる自分が居て違和感を感じながら口に運ぶ。……毎日母さんの料理食べてるはずなのに、やっぱ今日寝不足なのかも。


「………………」

『なんだい、まだ寝ぼけてんのかい?ボーっとして』

「え?あぁ……母さんの料理美味しいなぁ~って思ってただけ」

『あははっ!当たり前なこと言ってんじゃないよ』

「……そうだよね、……うん」


 ……いつもと変わらない朝なのに。なんだろう、この変な感じ。

 そういえば昨日のこともあんまりよく覚えてない。何となく今日テストだから夜遅くまで起きてたな~なんて曖昧で、でも学校に行く時間も道も何となく分かる。

 見るもの全てがまるで初めて見たかのように感じて、自分の部屋だって起きた時、他人の部屋に居るような錯覚をした。……でもアタシはこの家を知ってるし、何がどこにあるのかも分かってる。

 ……やっぱ今日はなんだかおかしい。自分が自分じゃないみたいだ……。


 アタシはルカ・ハーネスト。この定食屋の娘、うん。働き者の母さんと二人暮らし、父さんは元貴族だったけど、今はどっかに行っちゃって帰ってこない。うん……覚えてる。

 自分をさっき鏡の中で見たけど、金色の髪もくせっ毛も見覚えあるし、いっつも目つき悪いって言われる顔も健在だ。……ん~……なんだろ、この変な感じ。


『……そーいえばあんた、ずいぶんゆっくりしてるけど時間は大丈夫なんだろうね』

「…………は?えっ!?」


 時計を見上げた途端、立ち上がる。いつの間にこんな時間になってた?!とアタシは慌てて二階に駆け上っていった。




「やばいやばい遅刻するっ!!」

『……ったく、気を付けて行くんだよ!』

「はーい!!」


 そして制服に着替えてバタバタと家を出ると、朝の慌ただしさに追われる街並みを横目に丘の上に見える学校へと向かう。

 寝ぐせもそのままに家を出て手ぐしでなんとか誤魔化し、薄い鞄を腕に挟みながら制服は自分の好きな長さにスカートを直した。自分の金色の髪に反射する日差しが眩しくて思わず手のひらで日差しを隠す。



 ここはガルディア。海に囲まれた大きな貿易都市。

 王と貴族がこの国を運営し、アタシたち平民はその元で暮らしている。そしてアタシが通ってる学校も然り。

 元は貴族が士官する為の教養を学ぶため、婚前の社交場として作られていた。だからアタシたちみたいな平民がこの学校に通うには、それなりに勉強が出来なきゃいけないんだとか。……貴族の子たちみたいに小さな頃から家庭教師が付いてるわけでもないアタシたちが学ぶのは相当大変なことだけど、幸いうちは父さんが元貴族だったから勉強を教えてもらえた。……今はどっか行っちゃっていないけど。


 港に近い街の定食屋がアタシの家。そこから丘の上、坂を上った所にアタシが通う学校はある。学校までの道を歩いていると、その途中から学校へと向かう馬車がなかなか前に進めずに並んでいた。



「おっはよ~!ルカ」


 道を歩くのは平民の生徒だけ。正直歩く方が馬車より早くても、貴族のご令息やご令嬢たちはどうしても歩きたくはないらしい。そんないつもの朝の様子を横目にしながら歩いていると、同じく平民でこの学校へと通うアイラという唯一の友達が声を掛けてくる。


「……アイラおはよ~。ねぇ教室行ったら髪やって~」

「はいはい、また寝坊~?……そんな目の下におっきなクマ飼っちゃって。真面目ですなぁ?ルカさんや」

「は??誰かさんと違って勉強しないとテストで点取れないだけだし?」

「またまたぁ~。ルカは勉強好きなだけでしょ?」

「っ、違うから!」


 アイラ・クルヴィス

 アイラは元々この国の出身じゃないけど、商人をしている父親の仕事でこの国に来てこの学校へ通っている編入生。他の貴族たちに目を付けられないように、と平民らしく見た目を地味に大人しくしていられないアタシを奇異の目で見る他の連中と違って、アイラは一番に「友達になって」と声を掛けてきた好奇心旺盛な面白い女の子。

 癖のある赤茶の髪。好奇心旺盛さが良くわかるくりくりとした黄金色の大きな瞳。勉強勉強としか言わない他の連中よりも世界を知ってるし現実を見ている。そんな彼女と一緒にいるのは気楽だった。


「……今日テストイケそう?」

「だいじょぶ、だいじょぶ。イケるっしょ」

「軽いな~」

「今のアタシなら空飛べるかも」

「マジで!?一緒に飛ぼうよ!」


 軽口を返しながら、アタシは眠い目を擦る。

 平民のアタシがここで学校に通い続けるにはそれなりに良い成績を取らなきゃならない。通うことが義務の貴族以外の身分の者は勉強したかったら自力で来いってスタンスだ。……たまに優秀な人材だと認められて、特別に通うことを許される子も居るみたいだけど。だからか平民で通う生徒たちは優秀な人間が多い。

 そんな中、アタシもこう見えて必死に食らいついている。……せっかく入ったのに易々と追い出されてたまるかっつーの。

 ……学校に通えなくなったアタシの未来なんて簡単に決まっちゃうんだから、もう少しぐらい足掻きたい。


 そしてアイラとテストの話をしながら学校の門をくぐると、正門の前で一際目立つ生徒たちの集団を見つけた。


「わっ、レイチェル様だ。朝から眼福眼福♪」


 アイラが足を止めた隣で、アタシもその姿を見つめる。


 レイチェル・ウィル・アイギス

 目元は涼し気でクリーム色の髪をポニーテールにしてまとめて大きなリボンを付けている。端正な顔立ちで近寄りがたささえ感じる程、お嬢様オーラを放つその人は貴族の中でも特に突出した家の、まさにお嬢様の中のお嬢様。

 アイラは転校初日に今日と同じように彼女に出会い、一目惚れしたんだとか。それから毎日のように彼女が何してただとか興味の無い情報を聞かせられる羽目になっている。


「今日もお綺麗だねぇ~。はぁ……お話してみたいなぁ」

「……そ?アタシはアイラの方が可愛いと思うけど」

「!ルカ~さっすが私のダーリン♪」

「っていうかさ、話すのとか大変そうじゃん。……話合わせられんの?アイラ」

「ぐっ…………それはぁ……」


 しょぼーんとその場にうずくまったアイラの頭をポンポンと撫でる。チラッと彼女を方を見てアタシには縁遠い世界だと、黄色い歓声を上げる他の生徒達を尻目にさっさと校舎の中へと入った。


「ちょっと待ってよっ、ルカ!」

「………………ふぅ、」


 教室に入り自分の机につくと、ひと心地着いた。

 こういう時はあの人たちと一緒の教室じゃないことにホッとする。身分の違いってめんどくさいと思ってたけど、こんな時は逆にありがたい。……まぁアタシたちの教室だけやたら校門から遠いとか昼食のグレードも違うだとか、差別を感じることは多々あるけど。逆にハッキリ分けられてる方が楽だし。


「もぉ、ルカなんで先に行っちゃうの?」

「うっさいなぁ……アイラがあのお嬢様に夢中だからじゃん」

「だってぇ、レイチェル様って本当にお綺麗なんだもん」

「…………あっそ」


 いつものようにアイラの話を聞き流して、テスト前に本を見返そうとしていると、にやにやした顔でアタシの前の席に後ろ向きになって座った。


「……なに?」

「さっきルカが先に行っちゃったでしょ?……その後もレイチェル様を見てたらね?」


 そう言いかけたまま止まるから、不思議に思ってアイラを見てしまうとにや~と腹立たしい笑みを浮かべたから手を伸ばしてほっぺをつまむ。


「ひょっほ!」

「……その笑い方ムカつくんだけど」

「えへへ。レイチェル様と目が合ったの~!!」

「ふぅ~ん……良かったじゃん」


 そしてアタシがまた教科書に視線を落とすと、邪魔するようにアイラの手が遮ってくる。


「ほら邪魔だからどいてってば」

「少しは興味持ってよ~」

「……やーだ」


 ついさっきまでだらしなく頬が緩んでいたのに今度は頬を膨らませて怒っていた。そんなアイラを笑いながら見ていると急にジロジロとこっちを見てくる。


「…………なに?」

「ルカってさ、レイチェル様とお話したことある?」

「は?あるわけないじゃん」

「……だよね~、うん……」


 その後続かない言葉に何かと思ってると、アイラが穴でも開きそうなぐらいにアタシの顔を見ていた。


「なに?何かあんの?」

「うん……えっとね?私の勘違いじゃなかったらルカのこと見てたよ?」

「…………は?見間違いだよ、それ。だってアタシ面識無いし」

「知ってる。ルカの友達って私だけだもんね」

「――うっさいな!」


 デコピンして返せば、ちょうどよくチャイムが鳴る。そしてアイラはおでこを手で押さえながら大人しく自分の机に戻っていった。

 あのお嬢様がアタシを見てたって?随分おしとやかじゃない生徒が居るな、とかそういうことでしょ?

 ……そんな目で見られるのは慣れてるしアタシは特に気にならなかった。

 それよりテストを終わらせて、最近テスト勉強で手伝ってなかった分も店の手伝いしなきゃ……と、アタシの頭の中は切り替わっていた。




+++




「ルカ~どうだった?」


 テストが終わってホッと一息。教室から出たアタシとアイラは持ってきたおやつをつまみながら喋っていた。食堂というには狭いけど休む場所として一般生徒が使っていい場所。他にもチラホラここを使ってる生徒もいる。


「……んー……まぁまぁ?アイラは?」

「えへへ~バッチリ☆ルカもなんだかんだ言ってここに通うぐらい頭良いもんね」

「それはアイラもでしょ?」

「ふふんっ♪まぁね~」


 今日のテスト範囲を見直しながら教科書を開いてるとアイラが真面目だねぇ~と茶化してくる。

 アタシは父さんの影響なのか勉強がそんなに嫌じゃなかった。むしろ父さんと居られる理由が勉強だったせいか褒めてもらいたくて頑張ってたくらいだ。

 ……今は定食屋の仕事を手伝いながら、のちのち役立つようにと薬学を学んでいる。母さんはきっとアタシが何をしても応援してくれるだろうけど、……どうせなら手伝いながら出来ることがいい。……そんなことをぼんやりと考えていたら、アイラが気を引こうと目の前で手を振ってくる。


「ね~ぇ~ルカはこの後お店の手伝い?」

「……うん、そう。テスト期間はあんまり手伝えないんだけどね」

「そっか~…………そっかーそうだよね」


 チラチラとアタシに視線を送ってくる可愛いアイラの頭を撫でた。


「わかってるよ、週末でしょ?アイラとのデート。……アタシ、もう行くからさ」

「うんっ!ルカ、絶対だよ?絶対」


 アイラが顔を上げてパァッと笑顔を見せる。

 ゆびきりをせがんでくるアイラの小指にアタシは仕方なく指を絡めた。


「…………ったく」


 何だかんだ愛らしいこの友達を放っておくことは出来ないらしい。鞄を掴み立ち上がると、アイラに手を振って校舎を出た。



+++



 アタシたちの教室は校舎も違うし入口からもだいぶ離れている。みんな遠回りしても綺麗に整備されてる校庭を歩くけど、アタシはショートカットする為、ほとんど手入れもしていない鬱蒼とした木々が生えている林のような旧中庭を突っ切っていた。

 ……きっとこんなとこ歩くのアタシだけなんだろう。この間雨が降った日の足跡がまだ残ってる。そしていつものように旧中庭の古びたテラスの前を通り過ぎようとすると、普段人を見掛けないその場所に佇む人がいた。


「…………あれって……」


 毎朝アイラが騒いでるレイチェル様だ。

 テラスにあるボロボロのテーブルや椅子を眺めているだけなのに何か物語が始まりそうな雰囲気。……本物?このあいだ図書室で見つけた本の物語のようで、目がおかしくなったのかと思わず二度見してしまう。

 アイラの言う通りみたいで癪に触るけど、立ってるだけなのにあんなに絵になる人もいないだろう。いつもならすぐ通り過ぎるのについ足を止めてしまった。

 ……彼女がアタシに気付いてることも知らずに。


「……ここは一人になれて良い場所ね」

「…………え」

「それに、あなた以外誰も通らなそうだし」


 最初自分に話しかけてるなんて分からなかった。だけど見渡しても他に誰もいない。


「……それ、アタシに言ってるの?」


 意を決して言葉を返すと、彼女が振り向いた。

 ……やっぱりあのお嬢様だ。


「えぇ、そうよ。ルカ・ハーネストさん」


 そう言い見つめてくる彼女から目を逸らそうとしても逸らせない。……傍目に見てたにこやかな彼女とは違う真面目な表情。どうやらただ単に近くを通ったからって話しかけてきたわけではないらしい。


「……なんでアタシの名前……。話したの初めてだと思うんだけど」

「そうね。……ここでは初めてかしら」

「……ここでは?」


 他の場所で会ったことがあるってこと?

 意味が分からず立ち尽くしていると、彼女の方から近付いてくる。古びたテラスがある場所から整備されてないこの抜け道に。……すると近付いてくるにつれ、何故か離れたい気持ちが強くなって後ずさっていた。


「……怖がらせてしまったかしら。急にごめんなさい。……そうね、今のあなたは何も知らないのよね」

「……は?待ってよ。勝手に話進めてるけど、誰かと間違えてない?……アタシとあなたじゃどー見ても生きる世界違いすぎでしょ。知り合いなわけないし」

「あら……そうかしら。あなたが覚えていないだけかもしれないわ」

「なにこの子……」


 学校の有名人に急に話しかけられてよくわかんない話をされて、目に見えてるものが違和感だらけだ。別にアタシはこの子のこと何とも思ってなかったのに、今は体が拒否してる。なんでこの子にビビってるのか分からなくてすごく気持ち悪い。


「……ふふっ」

「ちょっと……なに笑ってんの?」

「ううん。どこをどう見ても私の知ってる子よ。……少し見た目は変わったけれど、それは私もよ」

「はぁ?まだ言ってるの?……ますます気味悪いな……帰るから、アタシ」


 さすがにギブアップ。もう考えるのもやめて帰り道を歩き出すと、あの子がアタシを追って脇道から出てきた。


「ちょっと待ってルカ、まっ――!」

「っ!!」


 振り返りながらアタシは鞄を手放し、彼女を受け止めていた。

 ……アイラがよく転びそうになるから、こういう時体がすぐ動いてしまう。そして動いてしまってから、しまった、と思った。


「あぶないな」

「っ……ありがとう」


 慌てて抱きとめると彼女の髪が顔をくすぐり、その声がとても近くで聞こえる。ドキッと大きく胸が鳴って咄嗟に離れようとしたのに、逆に彼女に掴まれていた。

 支えた体は緊張して固まっていた。アタシより背が高いのにあまりに華奢で驚く。


「ちょっ、ちょっと……離してくんない?」

「……ご、ごめんなさい……」


 謝りながら手を離す、この子の視線はアタシのこと知ってる目だ。アタシはそれにどう応えていいのかわからず、視線を外し彼女が汚れてないか制服に目をやり押し返す。

 飛び出していた枝に引っ掛かったようだ。足を取られた彼女の足元に怪我が無いか見ると、少し枝で切ったらしい傷がついていた。


「……はぁ。ちょっと切ってるじゃん。……おじょーさまはこんなとこ入らない方がいいよ。ここ手入れされてないし」


 こんなとこお嬢様が居るような場所じゃないのに何してんだか、と呆れていると少し落ち込んだ様子の彼女と目が合う。


「うん……ありがとう」

「……別に。転ばなくて良かったじゃん」

「……うん」


 離れた後も、しばらく何か言いたそうにアタシを見つめていた。

 ……間違いなく初めて話したはずなのに、この顔も声もどこかで……。いや、まぁ、そんなわけないんだけど。

 ……全然覚えてないけど、本当にどこかで会ったことあったのかな?そんな考えがふと頭をよぎる。


「……さっきの話だけどさ」

「えぇ、私のこと思い出したかしら」

「いや………………うん、やっぱ覚えが無い」


 じーっと彼女の顔を見たけど、アタシの記憶には無い。近所に住んでる子ならすぐ分かるけど、こんな昔からお貴族様の家の子と知り合いなわけないし。たぶん、うちのボスに聞いたって「貴族のお嬢様がルカと知り合い?あっはは!何かの間違いじゃないかい?」って言うに決まってる。


「……そうよね……ルカが私のこと覚えてるはず、なかった」

「レイチェル・ウィル・アイギス。学校の有名人のおじょーさま、ここに通ってる王子様の婚約者。アタシが知ってるのはそれだけ」

「!……違う、違うの、”その私”じゃないの」

「……”その私”?」


 意味が分からず首を傾げると、彼女も頭を横に振って落ち込んでしまった。

 やっぱり全然分からない。アタシの言葉の理解力が無いって言われたらそれまでだけどさ、彼女の言うルカってほんとにアタシのことなの?


「…………はぁ。そんな顔されるとアタシが悪いみたいじゃん」

「!……あなたは悪くないの。私が悪いの。だから……」

「何?喧嘩でもしたの?アタシに似た子と」


 そうだ、と言わんばかりの顔して驚いて固まっていた。

 このお嬢様意外と顔に出るタイプなのかも、と観察しているとまた何か言いたげにアタシをチラチラ見てくる。


「……えぇ。でも元はと言えば私が悪いんだし。あんなこと言ったから嫌われて忘れられてもしょうが……ないの」

「……ちょっと、……」


 ……はぁーー……と地面に深くもぐりそうな深いため息をついて落ち込んでいた。ぶつぶつとひとり言を呟く彼女が心配になって肩を叩くと悲しそうな顔を上げる。


「……そんな落ち込むことないよ」

「………………」

「覚えてないアタシが言っても、って感じだけど」

「…………そんなことないわ」

「その…………ごめんね、覚えてなくて」


 アタシに言えるのはそれぐらいだ。そもそも覚えてないし、謝る理由も見つからないけど。

 でも彼女は謝った途端、今にも泣きそうな顔を両手で覆った。


「えっ、ちょっ、泣くのっ!?」

「…………ふふっ。ルカが素直に謝るなんて……明日台風かも」

「笑ってるし」


 ……でも明らかに声が震えてる。

 アタシにその記憶の欠片でもあればいいけど、本当にほんとーに何にもこのお嬢様との接点は無い。下心のあるやつなら、この子と仲良くなれるチャンスだと、ありもしないこと並べて仲良くなろうとするんだろうけど、アタシはそんなめんどくさいこと興味無いし。


「……喧嘩したことも覚えてないけどさ、そんなに気にしなくていいと思うよ?」

「……どうして、そう思うの?」

「アタシがその子なら気にされる方が嫌だと思うし。そんな顔して会いに来るんだったらもう忘れててほしいって思う」

「っ!やっぱり私、死んだ方がいいのね……」

「わー!違う!……その、アレだよ。普通に話しかければ大丈夫。最初はまだ怒ってるかもしれないけど、そのうちバカ話してたらいつもの感じに戻ってるって。……実際アタシと友達のアイラはそうだし」

「……それが出来ればしてるわ」

「あー……まぁ……そうかもしれないけど」


 確かにみんなのお嬢様がバカ話してたら何があったんだって心配されるか。


「……でもありがとう、慰めてくれて」

「!……いや、別に……」


 どんな理由で喧嘩したのか分からないけど、この子にこんな後悔させるなんてアタシに似たやつはすごいなーと感心する。


「……そんな優しいルカに一つお願いがあるのだけど、いいかしら」

「え?なに、急に……お願い?」

「抱きしめさせてほしいの」

「……は?」

「私に悪いと思ってるなら、ルカのこと抱きしめさせてほしいの」

「なっ……あんた急に開き直ったでしょ。……二回も言わないでよ、そんなこと。そもそもアタシ無関係だし」

「……私に悪いと思っているなら……」

「あー!もー……わ、分かったから!三回言うとか頭おかしいから」


 恥ずかしい台詞を悪びれることなく平然と言ってくるのがムカつく。でもさっきよりは元気そうだ。

 顔を上げた彼女の目は多少潤んでたけど、アタシは見ないフリして仕方なく両手を広げた。……これで彼女の気が済むなら、今日のことは夢だと思っていればいい。


「……ありがとう」

「っ、」


 ……思ってたより、なんか……。さっきコケそうになった所を抱きとめたし平気だと思ってたのに、息が近いしこの子の手がアタシの背中に回ってきて密着してるから心臓の音も緊張して固まってるのも全部伝わってそうで嫌になる。


「……ね……ねぇ」

「なぁに?」

「長くない?」

「……もう少し」

「…………ぅ……」


 熱い……それにどこに置いていいのか分からず、かろうじて肩に置いている手が汗ばんで仕方ない。


「……ね、ねぇ」

「なに?」

「……友達……だったんだよね?その子と」


 あまりにも……あまりにも過ぎてアタシの顔のすぐ横にあった彼女の耳元で呟くと、更にキツく抱きしめられる。そしてその答えはなかなか返ってこない。そしてその沈黙に耐えられず聞いてしまう。


「も……もしかして、さ」

「……もしかして……なに?」


 街中ですれ違うカップルとか、学校内でもたまに見かける、友達よりも更に深くて甘い関係が浮かんでしまう。いや、まさか。そう否定するけど、この距離感って友達なの?もう頭沸騰しそうで全然考えがまとまらない。


「っ…………なん、でもない」

「そう」


 それからもう少し続いた抱擁が終わると、彼女から離れてく。……アタシは顔が熱くてまともに顔が見れなかった。


「ふふっ……ちょっと照れくさいわね」

「っ!……あなたのせいじゃん」


 お互い顔を見てはすぐ目を逸らし、なんかやってることおかしいんだけど。


「え、えっと。じゃ……じゃあ、アタシ帰るから。家の手伝いあるし」

「!……そうなのね。引き止めてしまってごめんなさい。またね、ルカ」

「もういいからっ!話しかけないでっ」


 顔を手で扇ぎながら、視線は顔じゃない所しか見れない。軽く手を上げていつもの帰り道に戻る。


 ……そして一人になった途端、色々思い出してきて更に恥ずかしくなって、アタシは駆け出していた。

 しばらく走った後、少し後ろを振り向くと木々の間にあの子の制服が見える。もうほとんど見えなくなってからスピードを緩め、正門を出てから学園を囲む壁に背中を預けて寄りかかった。

 

「…………はぁ…………はぁ……何なのあの子……」


 近くにあの子が居なくなってからやっと落ち着く。

 どんな顔していいのか分かんなくなって逃げ出してきたけど、あの子のアタシに対する距離の近さに未だに心臓の音がうるさい。走って紛らわせたけど、それだけじゃないうるささが残ってる。


 ……結局あの子の記憶は全然思い出せなかったけど、今のアタシの記憶には強烈に焼きついた。あんな風に自分からグイグイ来るやつ、今までアイラぐらいだったけど。ほんとビックリした………………。


「……はぁ……帰ろ」


 色々考えるのは後にしよう。せっかくテストが終わったのに、悩みの種が増えそうな予感がして思わず首を横に振った。





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