第5話
――“こんなの、私の好きな章一くんじゃない”。
そう思ってしまってから、私は章一くんのことも、自分のことも嫌になりかけていた。
彼の全部が大好きだったはず。でも目の前の章一くんは、あまりにも前の彼と違いすぎる。
そんな身勝手な感情を引きずって、私は今日も病院に来ていた。
いつもの中庭に着くと、章一くんは1人ではなかった。
7,8歳くらいだろうか。パジャマを着た小さい男の子と一緒にいる。
「うわ、そいつはそんな酷いことをしたのか。そりゃ怒って当然だ」
「でしょ? だから言ったんだ。『お前なんかいなくなっちゃえ!』って……」
「なるほど。そう言いたくなる程、ショックだったんだな」
「うん……あいつが悪いんだ。僕のおもちゃ壊すから」
近くまで寄った私に気づいた章一くんが、申し訳なさそうに軽く目くばせしてくる。ちょっと待ってて、ということだろう。
私は、2人から少し離れた隣のベンチに座った。
「ああ、そうだな。でも君が今すごく悲しくなってる理由は、それだけじゃないんだろ」
「…………」
「後悔してるんだよな。悪いこと言っちゃった、って」
「……僕、どうしよう」
俯いた男の子の顔を、章一くんが優しい目でのぞき込む。
「大事な友達なんだよな」
「……うん」
「だったら、ちゃんと気持ち伝えて、仲直りしないとな」
その後もしばらく、章一くんは男の子に寄り添って、優しい言葉をかけていた。
男の子が心を決めて動き出せるようになるまで、ずっと。
「七海ちゃん、待たせてごめん!」
「全然。あの子も入院してるの?」
「そう、最近仲良くなってさ。でも今日は、同じ病室の子とケンカしちゃったみたい」
「へぇ……章一くん、何か雰囲気違ったね。いつもより優しくて、かっこよくて、頼りになる感じ」
「え? そりゃあ子どもにとって、大人はそういう存在じゃないとダメでしょ」
「それじゃあ……小さい子の前では、いつもあんな感じなの?」
「まあそうかな。子どもはさ、いつだって楽しくて幸せなのが一番じゃん? そのために、周りの大人は優しくて頼れる存在じゃないといけないよなって。うちは蒸発した親父がクソだったからさ、余計にそう思うのかも、なーんて」
あっけらかんと、何でもないことのように話す章一くん。
「そんなことよりさー」と笑顔でスマホを取り出す彼は、さっきまでの姿とはもう全然雰囲気が違う。
――昔から私が好きで好きで堪らなかった、章一くんの姿とは。
そうか、と何かがすっと腑に落ちた。
「……で、壊れてたスマホのデータがなんと復元できたらしくてさ! 奇跡的にICチップが生き残ってたんだと。で、見てみたら30歳の俺、今の俺と同じようなゲーム入れたり動画見たりしてんの。こいつ何も変わってねーじゃんって、まあ笑ったよね。ただSNSの友達は、当然知らない奴ばっかりだったんだけど……って、七海ちゃん!? どうしたの?」
機嫌よく話していた章一くんが、突然動揺した声を上げた。
ぼんやりしていて気づかなかった。私の目からは、涙が静かに流れ落ちていた。
「ごめん、俺何か気に障ることしちゃった? それともまさか何かあったとか……」
「違う、違うの」
ベンチに座る私の正面に、大慌てで跪いた章一くん。その心配そうな顔を見たら、もう涙が止まらなかった。
―― 私、最低だ。
「……大丈夫、俺がついてるよ。だから、」
「ごめんなさい、私、嘘ついてた」
「へ?」
「スマホ貸して。さっき言ってたSNSアプリ開いて」
狼狽えている章一くんを強引に促して、私は連絡先を交換した。
「なんで急に連絡先なんて……って、あれ? なんかもう登録されてる……“二葉ちゃん”? 誰これ、でも……」
「私の名前。七海なんて嘘。それにあとでやり取り見てもらえば分かるけど、私、ずっと前から章一くんのこと知ってたし、好きだった」
驚きで声も出せずに、スマホと私を交互に見る章一くん。
一方で私の口からは、身勝手な言葉がぼろぼろと零れ出てきて止まらない。
「でももう振られてるの、そういう対象に見れないって。なのに諦められなかった、だから章一くんが事故で記憶を無くしたって聞いてチャンスだって思って。年齢なんか関係なく、私のことを見て好きになってくれるかもって。けどね、ちゃんと見てないのは私の方だったの。甘やかしてくれる章一くんしか知らないくせに、章一くんのこと全部知ってる気になってた。それで私を子ども扱いしない同い年の章一くんに勝手に幻滅して、好きじゃないかもなんてほんと最低だよね。ごめんなさい。本当に大好きだったのに……」
「えっと……ごめん、ちょっと混乱してる。七海、じゃなくて二葉ちゃんは、前は俺が好きだったけど今はもう好きじゃない……って、そういうこと?」
「そうじゃないの、たぶん、けどわかんない、ごめんなさい」
私は何てバカなんだろう。何て最低なんだろう。
私を“子ども”として大事にしてくれてた章一くんを、彼の全てだと思い込んでた。 だから18歳の章一くんに幻滅した。彼のことを何も、見ようともしていなかったせいで。
今だって、彼に身勝手な気持ちを押し付けてる。
ただ許してもらいたくて。もしくはいっそ、冷たく突き放してほしくて。
神妙な顔で、黙り込む章一くん。
けれどしばらくすると、彼は突然ふっと笑い出した。
「いや、わりと真剣に考えたけど二葉ちゃん謝ることなくない? やめよやめよ、こんな重苦しいの」
「……なんで? なんで怒らないの?」
「え、なんで?」
章一くんが首をかしげる。
「だって私、ずっと章一くんに嘘ついてたのに」
「悪気があったわけじゃないじゃない。それに今の俺にとっては嬉しい理由だったし、結果こんな可愛い女の子と数週間も楽しくお喋りできたわけだし? 良いことしかなかったわ」
「でも私、今の章一くんは好きじゃないかもなんて、酷いこと言って……」
「それだってさ、要は、『好みのタイプだと思ってた奴が、よくよく知ったら全然違ったわ』、ってだけでしょ? 謝ることなんて何もないじゃん。気にしなくていいって、な?」
陽気に笑い飛ばす章一くん。
ぎゅっと胸が苦しくなる。どうして私ってこうなんだろう。この人を誰にも渡したくない。
「……やっぱり大好きかも」
「えぇ!? 二葉ちゃん小悪魔なの? 俺としては嬉しいけど……でもそれに乗っかったら、いずれ記憶が戻った俺に俺が殺されそう……。だからさ、良かったらまた改めて、友達から始めない?」
「友達……?」
「そう。30歳までの俺さ、二葉ちゃんのこと結構大事にしてたと思うんだよ。じゃなきゃこんなにマメにやり取りしてなかったって。だからそれを裏切るようなことはできないけど……友達だったら、俺が記憶を取り戻した時もまあ、納得してくれるかなって」
私はすぐに頷いた。彼の気持ちの全部が嬉しかった。
でもそれだけじゃダメだ。私の方からちゃんと、一線引かないといけない。もう、この人を困らせないようにするために。
そう思ったら緊張が緩んで、自然と笑みがこぼれた。
「わかった。でも、会うのは今日で終わりにしよ。次に会うのは章一くんの記憶が戻っても、私と友達から始めてやってもいいかな、って思ってくれた時。その時は連絡して。そうでなければ、何もかも忘れて今まで通りのご近所さん。それでどうかな」
「いいよ。二葉ちゃんが、そうしたいなら」
その後、私たちはくだらないことをバカみたいに笑いながら喋り続けた。
教室で友達とはしゃぐみたいに。
面会時間が終わるまで、ずっと。
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