第2話


 ――1週間後。


「きれいな空ですね」


 郊外にある病院の、広々とした中庭。

 木のベンチに座ってぼんやりと空を見ていた章一くんに、私は声をかけた。


「え? ああ、そうですね」


 章一くんは、私に向けてこわばった笑みを浮かべる。

 仕方ない。急にが話しかけてきたのだから。

 そんな彼の横に、私はそっと座った。

 "社交的で人懐っこい、可愛い女の子”に見えるよう意識して。


「この場所、ほっとしますよね。病院とは思えないくらい緑が多くて、穏やかで。最近は毎日来ちゃってます」


 わき見運転の車に轢かれた章一くんは、奇跡的にも軽症だった。左腕を骨折して打撲もひどかったけれど、内臓や脳に大きな損傷はなかったらしい。事故の翌日には目が覚めて、何もなければ骨折の処置が終わり次第退院し、元の生活に戻ることになっていた。


 ――そう、何もなければ。


「そうなんだ、毎日……誰かのお見舞いとか?」


 彼の言葉に、嬉しさが込み上げる。

 章一くんは近づいてきた女の子が話したそうにしてたら、自分がそんな気分じゃなくても会話を繋げてくれるだろうて思ってた。


 やっぱり、私の大好きな章一くんだ。


「そうなんです。家族が体調を崩して、しばらく入院しなきゃいけないみたいで」

「それは心配だね」

「でも、命に別状はないみたいなので。お兄さんは……って、そんなこと聞いちゃいけなかったですよね、ごめんなさい」


 ハッと申し訳なさそうに、私は俯いた。

「いや、大丈夫だよ」と、章一くんは遠くを見つめて力なく笑う。


「俺はちょっと事故にあっちゃってさ。体は元気なんだけど、退院はまだしばらく先みたいで」

「そうだったんですね。早く治りますように」

「ありがとう。君のご家族も」


 自分もすごく大変なのに、私を気遣うように微笑んでくれる章一くん。

 こういうところが好き。大好き。

 でもごめんなさい、家族が病気なんて嘘。それにこれからも私は、章一くんにたくさん嘘をつく。

 章一くんに、私を好きになってもらうために。

 

「あの……もしよかったら、また話しに来てもいいですか? お兄さんが、嫌じゃなかったら」

「へ? えーっと、それはまたどうして……」

「それはその、お兄さんのこと、最初に見かけた時からずっと……素敵な人だなって思ってて」


 章一くんから目を逸らし、私は恥ずかしそうに言い切った。頬が少しでも赤く染まってくれてればいいんだけど。


「はは、何それ。こんなおっさんのことが?」


 自嘲気味に笑う章一くん。

 こんな顔、彼らしくない。けれど今は無理もないだろうと、私は見なかったふりをする。


「おっさんだなんてそんな。どう見てもかっこいい大人のお兄さんです!」

「いや、これでもう30歳らしいよ。立派なおっさんでしょ」

「らしい……?」


 しめた、と私は章一くんの言葉尻をとらえて首を傾げた。

 ああしまった、と苦々しく顔を歪めた彼は、投げやりに頭を掻く。

 

「あー……。実は俺ね、事故で記憶が飛んじゃったらしくてさ、最近のこと全然覚えてないの。ざっと12年分くらい。笑っちゃうよな」

「12年!? そんな……」

「嘘みたいだろ? 目が覚めた時、俺は自分が4月から大学生になる18歳だって思ってた。でも実際にはもう30歳の、立派な社会人なんだと。だから君が俺のことを、"良さげな年上の男”だと思ってくれたなら、期待はずれだと思うよ。だって、中身は18歳のガキなんだから」


 肩をすくめる章一くん。私は驚いたふりをして息を飲んだ。

 どんなに辛いだろう。18歳のはずの自分が一瞬で30歳になっていて、その間の記憶が全くないなんて。私だったらきっと、気が狂いそうになる。

 でも章一くんは大丈夫。だって、私がついてるから。


「そんな……じゃあお兄さんは今、私と同い年なんですね」

「えぇ、そういう感想? ちょっと予想外なんだけど」

「お医者さんはなんて?」

「意外とぐいぐいくるね……医者は『脳に異常はないし、精神的な問題じゃないか』ってさ。ゆっくり休んでればそのうちパッと思い出すよ、なんて励まされたけどね」

「なるほど。そしたら尚更、私とここで会いませんか?」

「なんでそうなる!?」

 

 章一くんは戸惑いと驚きとで、目と口を大きく開けた。12年間で初めて見る顔だ。かわいい。

 18歳の彼は、こんなに表情がころころと変わるんだ。子どもの頃は気づかなかった。


 私は章一くんにぐっと近づいて、その目をまっすぐ覗き込んだ。


「元気がない時に1人でいると、どんどん嫌なこと考えちゃうじゃないですか。鬱モードに入っちゃうっていうか」

「うん、まあそうだね?」

「だから人と話すことって、結構大事だと思うんです。気分転換にもなるし。私のことを同級生だと思って、気軽にお喋りしませんか? 私はお兄さんに会えるだけで嬉しいし、Win-Winってやつです」


 目を輝かせる私を、章一くんはしばらく呆然と見つめていた。


「……普通、こんな意味不明の怪しいおっさん相手にするかな。怖くなって逃げ出すと思うけど」

「どうしてです? 気になった人が、だっただけじゃないですか。全然問題じゃないですけど」

「わあ、君、凄いを通り越していっそ怖いな……」


 苦笑いの章一くん。でも、どこか楽しそうにも見える。


「いいよ、わかった。こんな得体の知れないおっさんでよければ、時々話し相手になってくれる?」

「やったあ! 私、七海。あなたは?」

「そんな喜ぶ? 早速タメ口だし」

「だって中身同い年ならいいかなって」

「なるほどね。俺は章一でいいよ。よろしく」


 へらっと笑った章一くんは、ちょっと子どもっぽくてふにゃふにゃで。

 抱きしめたくなるくらい可愛かった。


 神様、ありがとう。こんなチャンスをくれて。


 私と章一くんを、同い年にしてくれて。



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