第21話 狩猟大会

 翌朝、目を開けると窓際に立つルーファスと目が合った。


「おはよう、ジェレミー。よく眠れたか?」

「はい、熟睡できました」


 朝から朝日に負けないくらい眩い笑顔だ。


(……朝からなんて神々しい)


 気分的には御来光を眺める気持ちにも似ている。


「……なんで手を合わせてる?」

「え? あぁ……これはこっちのこと。あはは。おはよう、ルーファス。いい天気だね。絶好の狩猟祭だ」


 ジェレミーがカーテンを開けると、柔らかな日射しが部屋を照らし出す。

 身支度を調え、部屋を出る。

 馬車に乗り、狩猟祭が行われる会場に向かう。

 そこは王都からほど近い森。

 周囲には、出場者のためのテントがいくつも立てられていた。


(すごい……)


 真剣な参加者たちの顔から、狩猟祭への意気込みが伝わってくる。

 案内されたテントで、弓矢や剣などの装備の点検を行う。


(いよいよだ。最善を尽くそう)


 これまで何度も繰り返し思ったことを改めて考える。

 今日の役回りは弓の腕に勝るルーファスが獲物を獲り、ジェレミーがその獲物を確保するという役回り。それから、風魔法を使っての周囲への警戒。

 そのためにこれまで何度となく練習を重ねてきた。


「そんな思い詰めた顔をしなくてもいい」


 ジェレミーははっとして、ルーファスを見る。

 ルーファスは笑いかけてくれる。


「リラックスだ」

「うん」

「固いぞ。笑え」


 ルーファスが口元を緩める。ジェレミーも息を吐き出し、頬を緩めた。


「そうだ。いい笑顔だ」


 そこへ係官がやってきて、王の到着を知らせた。

 いよいよ狩猟祭だ。

 係官に連れられて向かったのは広場。桟敷席に玉座がすえられている。

 しばらくして王が現れれば、ルーファスをはじめとした出場者たちが揃って片膝を追って最敬礼をする。


「狩猟祭をこのように晴れ渡った空の下、挙行できたことを幸せに思う。互いにしのぎを削り、研鑽に励み、王国の勇士の猛々しさを、天にまします神へ見せようではないか! 諸君らの健闘を祈る!」


 王の開会の言葉を皮切りに、出場者たちはそれぞれに割り振られた地点に向かう。

 狩猟祭は獲物の大きさが重要になってくる。

 例年の優勝者を考えると、狙い目は牡鹿。

 やがてスタートの合図である、角笛の音が聞こえてくる。


「行くぞ」

「うんっ」


 森へ入っていく。ルーファスの足取りは力強い。


「ルーファス。もう少し警戒したほうがいいんじゃない?」

「必要ない。まだ何の獲物も手に入れてはいないからな」

「でもせめて僕の後ろに。ルーファスは要なんだから」


 ジェレミーは、ルーファスを庇うように前を歩く。


「そこまでしなくてもいい。私は無力な人間じゃない」

「ルーファスを守りたいんだ。僕は右腕なんだろ。少しは格好つけさせて」

「分かった。頼む」

「任せて」


 しばらく進むと、「止まれ」とルーファスが声をひそめた。

 その視線の先には目当ての牡鹿。それもかなりの大きさ。角も立派だ。しかしあれだけの大きさの牡鹿を弓だけで仕留めることができるのだろうか。

 牡鹿は湖のほとりで水を飲んでいる。


「あれを一発で仕留められる?」


 獲物をできるかぎり傷つけずに捕らえるのも、ポイントだ。

 弓でいたずらに傷つけ、血まみれにすれば、立派な獲物でもポイントは低くなる。

 獲物の取り方も、狩人の腕を左右するのだ。


「……方向が悪いな。ジェレミー。風魔法であれをこっち側に走ってくるよう誘導できるか?」

「どんな風に?」

「どんな動物も眉間が弱い。真正面から向かってくれば、眉間を射抜ける」

「……やってみる」


 誘導と言えば簡単そうだが、どうするべきだろうか。

 パニック状態にさせてはそれこそどこに向かうか予測できない。それでは駄目だ。

 しっかりルーファスの方へ誘導しなければ。


(野生動物は気配に敏感だ。それなら……)


 ジェレミーは「《ささやくような風。枝を、木の葉を、揺らせ》」そう呪文を唱えた。

 魔力がイメージを実体化させ、木の葉や枝を、揺らす。

 牡鹿が頭を上げ、警戒するように耳を動かす。

 ジェレミーが生み出した風が背後の草むらと、木々を揺らしたのだ。

 ただ揺らすだけではない。

 牡鹿のほうへまるで何者かが近づいてくるかのように揺らす。

 牡鹿が耳をそばだて、動く。草むらの揺らめきから遠ざかるようにルーファスが待ち構える方向へまっすぐ。

 ヒュッ、と矢が飛べば、牡鹿の眉間を貫く。一瞬大きく前足を持ち上げたが、すぐに力なく倒れた。


「やった!」


 ジェレミーたちは草むらから出る。


「よし。これだけの獲物なら優勝も狙えるだろう」

「それじゃあ、運ぶよ。《支えよ。浮かべよ》」


 小さな風が生み出されると、牡鹿が浮き上がる。

 こうすれば獲物を背負って運ぶような真似をする必要がない。


「あとはこれを守り抜けば……って、それが大変なのか」

「そう。兄上のことだ。自分は高みの見物と洒落込んで、かっさらうことを主眼においてるはず……」

「――よく分かってるな」


 火の玉が真っ直ぐ飛んでくる。

 ルーファスは己の手に生み出した炎をそれにぶつけ、相殺した。

 森の奥からレイヴンとその従者が姿を見せた。

 王太子はその地位にはあまりにも似付かわしくない、歪んだ笑みを浮かべる。


「ジェレミー。行け!」

「……分かった」


 打ち合わせ通り、ジェレミーは獲物を手に駆け出す。

 戦闘に向いているのは風魔法より、火魔法だ。それも火と風は相性がいいとは言えない。

 だからジェレミーの仕事は獲物を死守すること。他の出場者と鉢合わせた時には迷わず、逃げろと言われていた。

 ジェレミーは自分の両足にも風魔法を生み出し、滑るように動く。

 しかし突如として目の前の土が隆起したかと思えば、巨大な壁に行く手を塞がれてしまう。


(何だよ、これ!)


 別方向に進もうとするが、その先には三組の他の出場者の姿。

 ルーファスが苦笑する。


「さすがは兄上、やり口が汚い」

「汚い?」

「魔力抑制剤でさんざん、私を苦しめただけでなく、こんな手まで……」

「抑制剤? 何を訳の分からないことを。それから、他の出場者と共闘してはいけないというルールは存在しない」

「それはそうでしょう。ルール以前……一人の武人としてあるまじき行いですからね」

「自分の臣下を使って何が悪い?」

「父上の臣下だ。あなたのではありませんよ」

「一緒だ。王太子は俺なんだからな」

「そこまでして私が煩わしいのですか?」

「当然だろ。お前は卑しい踊り子の血を引いた、卑しい男。なのに、お前がちょっと手柄を上げただけで父上は有頂天だ。冗談じゃない! お前みたいな奴が存在すること自体、目障りなんだよ! 魔法さえ使えなければ滑稽な道化のままでいられたものを!」


 レイヴンの目には殺気が漲っていた。


「……殺すつもりですか?」

「初心者の魔法が暴走することはよくあることだ。私たちはそれを必死で止めようとしたが、お前は力に飲まれ……悲劇的な最期を迎える」

「せめてジェレミーだけでも助けてくれませんか?」

「駄目だ。そいつも巻き添えをくらって死ぬ。主従は最期まで一緒だ。良かったな」

「……悪かった。私に付き合わせて」


 ジェレミーは魔法を解除し、獲物を地面に下ろす。


「好きで一緒にいるから、問題ない」

「その言葉、嬉しいぞ! ――というわけなので、兄上、ここで決着をつけましょう!」


 ルーファスは余裕のある笑みを浮かべる。


「殺せ。そいつの首を獲ったら、出世させてやる!」


 レイヴンの号令一下、三組の参加者たちが襲いかかってくる。

 六人がそれぞれ得意の魔法を解き放つ。


「《炎の壁よ、迫り上がれ》!》」


 遮るのはゴウッとうなりをあげる紅蓮の壁。


「な!? 俺たちの魔法がかき消された!?」

「ありえない! あんな初心者に!?」

「忘れては困る。お前たちが相手にしているのはただの魔法ではない。お前たちが相手にしているのは王家の魔法……」


 ルーファスが歩き出すと、炎の壁が綺麗に割れる。まるでモーゼの海渡りのように。


(カッコ良すぎる!)


 もはや悪役王子じゃない。彼こそ、この物語の主人公だ。


「《憤激せよ、紅蓮の竜巻》!」

「ぐっわああああああああ……!?」


 彼らは魔法障壁を張ってやりすごそうとするが、うねり、狂い猛る炎の塊を前に障壁は跡形もなく粉々にくだけ、一気に三人を呑み込んだ。

 魔法障壁を張っていなければ今ごろ消し炭になっていたことだろう。

 吹き飛ばされ彼らはその場に倒れた。


「クソ! あいつだ! 取り巻きを狙え!」


 残りの三人が、ルーファスに魔法を放つ。

 ジェレミーもルーファスに負けじと、風魔法で浮かび上がり、加速し、三人のうちの一人に肉迫した。


「取り巻きのモブだって舐めんなあああああああああああ!」


 風の推進力を得た鼓舞しを男の顔面めがけ叩きつければ、風魔法による加速とも相俟って、男が吹き飛ぶ。何本もの大木を叩き折ながら、ボールのようにバウンドしながら森の奥へ消えていく。


「魔法というのは凄いな!」


 ルーファスは言葉に笑みを滲ませながら、その目は少しも笑っていない。


「なんだよ、こいつら! こんなに強いなんて、き、聞いてないぞぉぉぉ……ひいいいい!」


 怖れをなして、残り二人が逃げようとする。

 何とも情けない限りだが、気持ちは理解できる。できるが、あんなどうしようもないクズ王太子の言うことなど二度とで聞けないようにたっぷりと思い知らさなければ。


「ルーファス!」

「ああっ!」


 視線を交わせば、何を考えているのかが伝わる。

 あうんの呼吸でルーファスの腕を掴むと、風の力で跳ぶ。

 逃げようとする二人の前方に飛び出し、風と炎魔法を同時に唱える。


「《跳べ、風弾》!」

「《爆ぜよ、焔》!」


 絡み合い、混ざり合った魔力の塊が戦闘意欲を無くした二人の男たちを直撃し、吹き飛ばす。

 ルーファスと笑みを交わしあったジェレミーは、まっすぐ王太子へ目をやる。

 あっという間に手下が片付けられ、レイヴンは愕然とした表情で後退った。


「は? なんでだよ……たかが昨日今日魔法を使えるようになった奴がどうしてこんな……!」

「兄上。味方はしっかりと選ばれるべきでしたね。これでは……この国の行く末が思い遣られてしまう。まあ、目先の利益のためにあなたに従う輩ですから、この程度……なのでしょうけど」

「貴様!」

「これ以上、恥の上塗りはおやめください」

「下賤の腹からうまれたろくでなしの分際でえええええええええ!」


 従者が止めるのも聞かず、レイヴンがさっきよりも数倍大きな火球を放つ。

 ルーファスもまた同じ火球で応じた。

 二つの火球がぶつかり合えば、両者の力は伯仲し、霧散した。一瞬周囲が明るくなり、目が眩む。

 瞬間、ジェレミーは背後に人の気配を感じた。同時に羽交い締めにされてしまう。

 羽交い締めの主は、レイヴンの従者。


「ク……あなたはどこまで……。矜持も何もないのですかっ!」


 ルーファスの顔が歪む。


「お前こそ、自分を何様だと思っている? まさか王太子の私と、卑しいお前が対等な戦いができるような関係性にあると、本気で思っているのかっ?」

「ルーファス! 僕のことは心配しないで! そのクソ野郎を……ぐっ!」

 ルーファスの顔が歪む。

「……兄上、ジェレミーを解放してください。あなたの言うとおりに従う……だから……」「殊勝だな。だが残念。言っただろう。二人とも死ぬ。どっちが先か、それを決めさせてやる……」

「……私から」


 レイヴンは剣を抜く。


「僕のことは無視してください! こんなところでそんな奴に……!」

「黙れ!」


 レイヴンの従者の腕に力がこもり、首を締め上げられる。


「……ジェレミー。すまない。こんな私で最後の最後に油断するなんて、こんな無様な私に付き従ってくれて……礼を言う……」


(僕のせいで? ここまできたのに……あ、あんな……クソ王太子のせいで何もかも駄目になるのか……?)


 レイヴンが勝ち誇り、酷薄な笑みでルーファスを見下ろす。


(冗談じゃない!!)


 魔力はイメージ。呪文はただそれを補強しているだけに過ぎない。

 ジェレミーはこの世界の住人ではなく、前世はこことは比べものにならないくらい様々なもので溢れかえっている。

 ジェレミーの頭の中は、この世界の人々が想像もつかないイメージで一杯だ。


(だから、僕に呪文は必要ない!)


 イメージしたのは竜巻。

 風もないのに、草が揺れる。

 少しずつその風のうねりが大きくなっていく。ざわざわ、と木々が揺れ、葉擦れの音が大きく響く。

 それがただ風でないことを、レイヴンたちは感じ取ったはず。


「魔法……? ど、どこから……! ――おい、ルーファス! お前、他にも仲間がいたのかっ!?」


 王太子は辺りをキョロキョロと見回す。

 呪文も唱えないのに、魔法が使えるなんて考えもつかないようだ。

 風が渦巻く。千切られ、巻き上げられた木の葉が魔力を孕んだ気流に巻き込まれ、ルーファスたちの周囲をぐるぐると回る。


「な、なああああああ!?」


 背後を取っていた男が空に巻き上げられる。同時に、巻き上げられた土埃が、レイヴンの視界を奪う。

 それだけで、ルーファスが反撃に移るには十分だった。

 目にも取らぬ速さで抜剣し、目を覆うレイヴンの剣を弾き飛ばす。続けて彼の顔面めがけ、拳を叩きつけた。背中から大木に叩きつけられたレイヴンはその場でぐったりとして意識を失った。


「ジェレミー!」


 ルーファスが駆け寄り、抱きしめてくる。


「平気か!? 大丈夫か!? 怪我は!?」

「お、落ち着いてくだ……」

「落ち着いてなどいられるか!」

「ちょ、ちょっと押さえられた首が痛むくらいで……」

「あいつか。あいつだな。お前に傷を!」


 巻き上げられ地面に落下した従者は、鬼気迫るルーファスに言葉を無くし、ガクガクと震える。


「落ち着いてください!」


 尋常ではない様子に、ジェレミーは羽交い締めにする。


「離せ! こいつはお前を!」

「僕は無事だから! それより、こいつにちゃんと証言をさせないと!」


 ルーファスは荒い息を繰り返し、眦を決して、従者を睨み付ける。


「ぐ…………。おい、お前。分かってるな。ありのままを報告しろ! さもなければ、お前が王太子に従ったことを後悔するほどの目に遭わせる! これは脅しじゃない!」

「は、はぃぃ!」


 男は涙目でひれ伏した。


「ジェレミー。これも、運べるか? 大物を二匹も仕留めた出場者はこれまで存在していないからな」


 ルーファスはぞくりと背筋が冷たくなるような声で、気絶しているレイヴンを軽く蹴った。

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