第19話 暗殺者

 ジェレミーは馬車で王宮から屋敷へ戻る。

 学校と魔法の練習の繰り返しでクタクタでウトウトしていると、馬車が急停車した。大きな揺れを感じて、ジェレミーははっとした。


「ど、どうしたんですかっ」


 御者に声をかける。


「分かりません。突然、目の前に人、が――」

「どうしたんですか!?」


 その時、扉が乱暴に開けられた。フードを目深にかぶった人間に腕を掴まれる。


(な、なんだ!)


 ジェレミーは抗おうとするが、力が入らず、地面に引きずり出されてしまう。

 フードの人間。顔は分からない。


「誰だ、お前――!」


 相手は右手でジェレミーの口を塞ぐと短剣を抜き、振りかぶる。


「ジェレミー殿!」


 騎士が乱入すれば、フードをかぶった人間が跳び退いた。

 すぐにジェレミーは騎士に腕を掴まれ、背にかばわれる。

 フードの人間が身構えるが、他の騎士たちも駆けつると夜の闇に紛れるように姿を消した。

 同時に両手両足が自由を取り戻し、口もきけるようになった。


「あなたたちは……」

「殿下に命じられ、ひそかに護衛を。すぐに王宮へお戻り下さいっ」

「御者の人は!」

「気絶しているだけです。ご安心を」


 騎士たちはジェレミーを馬車に乗せ、王宮に向かって走らせた。

 ジェレミーは馬車の中で小刻みに震える体を押さえるように、自分の体を抱きしめた。


(魔法を使う暇もなかった……)


 刃を見た瞬間、頭が真っ白になってしまった。

 ジェレミーは騎士に護衛されて王宮へ戻ると、まっすぐルーファスの私室へ通された。

 ルーファスは、ジェレミーが騎士たちと戻ってきたことで、全てを悟ったらしい。


「ご苦労。下がれ」


 騎士たちから報告を受けると、ルーファスは騎士たちを下がらせた。

 ルーファスはジェレミーの体に触れる。


「怪我は?」

「擦り傷くらいだから、平気」

「すぐに宮廷医を」

「大丈夫だから。こんな継承で呼ばないでいいからっ」

「……分かった」


 騎士たちが退出して二人きりになると、ルーファスは「良かった……」と呟き、抱きついてくる。


「る、ルーファス……!?」


 小刻みな震えが伝わってくる。


「良かった、無事で……本当に……」


 かすかに鼻を啜る音が混じる。ジェレミーはルーファスを抱きしめ、背中をさする。


「こうして無事なのは、ルーファスのお陰だよ。ありがとう」

「……礼など言うな。私がお前を巻き込んでしまった」

「そんなことない。それを言うなら、夜会で僕がそもそもルーファスを巻き込んだんだ。だから責任なんて感じないで。悪いのは王太子だ」

「今日からはしばらくここで過ごせ。男爵家には戻るな」

「でも迷惑に」

「迷惑? なるわけないだろう」


 キッパリと言われ、ジェレミーがそれでも口ごもると、


「……もし無理なら私が男爵家に押しかける。本気だ」


 真剣なルーファスに、ジェレミーは「分かった」と頷く。

 ルーファスは戯れでこんなことを言ったりはしない。すると言ったら、するのだ。


「僕もこんなところで死にたくないからね」

「ありがとう」

「お礼を言うのはこっちだと思うけど」


 ルーファスは安心したように微笑んだ。



 ジェレミーの王宮生活が始まった。

 ルーファスがいない時には常に騎士の警護がついた。命を狙われたのだから当然なのかもしれないが、常に誰かに見られているというのは落ち着かない。


(僕のことを心配してくれるのは嬉しいけど)


 ジェレミーが心配するのはやはりルーファスだ。

 ジェレミーが狙われたのは狙いやすかったからで、あくまで本命はルーファスのはず。


(このまま刺客の影に怯えているなんてありえない。こっちから動くべきだ)


 ルーファスは学校の休み時間中に校舎を抜け出すと、学外で待機している護衛の騎士たちと接触した。


「暗殺者を捕まえるのに協力してもらえませんか?」


 騎士たちは顔を見合わせる。その顔が戸惑いに曇る。


「我々も手をこまねいているわけではありません。暗殺者の行方を追っています。しかし尻尾を掴ませなくて……」

「僕に心当たりがあります」


 そう、暗殺者の姿を思い返してみてどこかで見たことがあると、思い出した野だ。作中でルーファスが、ラインハルトを殺すために雇う暗殺者だ。

 作中ではラインハルトが根城を襲撃し、暗殺者を殺す。


「何故そんなことをあなたがご存じなのですか?」

「貴族には貴族の情報網がありますから、詳しくは内緒です」

「……確かなんですね」

「自分の命もかかっているのに、ふざけたりはしません」

「場所を教えてください。あとは我々が」

「僕も行きます。これでも最近は殿下と一緒に鍛えられているので、腕には自信があります。魔法が使える人間がいたほうがいいでしょう」

「たしかにそれはその通りですが……このことは殿下には」

「話していません。心配させるといけませんから。パパッと済ませて昼休みまでに戻れば大丈夫」

「分かりました。ではすぐに行きましょう」


 学校を抜け出し、ジェレミーと騎士団は馬で向かう。

 騎士の一人に借りた外套を羽織り、目立つ制服を隠している。

 根城は下水道の中だ。

 川に面した暗渠から中へ入る。

 ひどい匂いに全員が布で鼻から下を覆った。

 ねずみが足元を走り回る気配にびくつきながらも、暗闇の中を手探りで少しずつ進んでいく。


「……ジェレミー殿、分かれ道です。どちらへ」

「《風よ、うねれ……我が五感となれ》」


 そよ風が暗渠を抜けていく。ただの風だが、ジェレミーの五感と繋がっているのだ。

 これはルーファスとの魔法の特訓で身につけたものだ。

 風が、火の気配を捉えた。


「こっちです」


 しばらく進むと、壁にかけられたランプの灯りが見えてきた。


「あそこに隠し部屋があります」

「ジェレミー殿はこちらでお待ち下さい」


 ジェレミーのために護衛を一人残し、騎士たちが足音を殺し近づき、突入しようとした刹那、部屋の中から小柄な影が飛び出して来た。

 人影の姿がランプに映し出され、一瞬、うつる。

 不意をついたことでフードをかぶっていない。子どもだ。

 その手に短剣を持ち、ジェレミーに向かって跳びかかってくる。


「《風の弾丸》!」


 凝縮させた空気の塊を銃弾のように放つ。しかしその少年は壁を蹴り、目を瞠るばかりの反射神経で回避すると、警護の騎士の顎を蹴り上げて失神させ、ジェレミーの背後を取り、喉笛に刃をつきつけてきた。


「……一歩でも動けば、こいつの首を刎ねる」


 淡々とした言葉に、騎士たちが剣を構えたまま動けなくなる。


「来いっ」


 暗殺者の刃に促されるがまま、下水道を歩かせる。


「……無駄だよ。外にも騎士がいる。君は袋の鼠だ。無駄な抵抗はやめたほうがいいっ」

「ハッ、そうかよ。じゃあ、その時もあんたには役だってもらう」

「な、なあ、王太子に雇われたんだろ。だったらこっちに鞍替えしたほうがいい。あいつについたっていいことは……」


 脇腹を強かに殴られる。体をくの字に折り、咳き込んだ。


「うるさい、黙れ」


 下水道の出口が見えてくる。差し込む日射しで、一瞬、目が眩んだ。


(ルーファス!?)


 白んだ視界の中、ここにいるはずのない人物の姿に目を疑う。

 刃が深く食い込もうとするが、それよりも早く暗殺者の腕をルーファスが掴んだ。


「《爆ぜろ》!」


 ゴウッ、と耳元で上がった爆音と熱気。


「っぁあ……ああああ!」


 暗殺者の悲鳴が上がった。ルーファスは、体にまとわりつく炎を払おうとジェレミーから距離を取った暗殺者を、俯せの格好でねじ伏せていた。

 肉の焼けるような嫌な臭いをかすめる。


「ルーファス! もう十分だから!」


 暗殺者の両手首は真っ赤に焼けただれ、もはや刃を持つことも叶わない。

 少し遅れて騎士たちが追いついてきた。


「お前たちもいて、このざまは一体どういうことだ!」

「殿下、も、申し訳ありません……っ」


 ルーファスは苛立ちながらも、痛みに藻掻く暗殺者の首根っこを掴むと、騎士の一人に押しつけた。


「こいつは大事な証拠だ。絶対に奪われたり、自決させるな。傷を治してから、搾り上げ、必要なことを全て吐かせろ」


 ルーファスはうなるような低い声で、騎士たちに命じる。


「わ、分かりました」

「屯所ではなく、王都の外で保護しろ。――お前は来いっ」


 矢継ぎ早に命じたルーファスに手を引かれ、裏通りの壁に押さえつけられた。

 両腕に手が食い込み、痛みがはしる。


「ルーファス……」

「どうしてこんな無茶をした。これでは、何のためにお前に護衛をつけたか分からないだろ。せめて私に一言あってしかるべきだったとは思わないかっ!」

「……何とかなると、思ったんだ」

「ならなかった。むしろ最悪の結果を引き起こすところだったんだぞ」


 ルーファスは今にも泣き出しそうに顔を歪めた。目元がじんわりと赤みが増す。

 その姿に、ジェレミーは罪悪感のあまり、顔を見られなくなった。


「ごめん」


 ルーファスは自分を落ち着かせるように深呼吸をする。吐き出す息遣いがかすかに震えていた。


「……とにかく無事で良かった」

 ルーファスは搾り出すように言った。

「もう、しない」

「当然だ。もうさせない」

「……でもどうして、僕が抜け出したことに気付いたの」

「お前のクラスメートに、お前が一人でどこかへ出ていくようなら知らせるよう頼んでおいたんだ」

「! か、監視してたってこと?」

「違う。暗殺者におびきだされるかもしれないことを危惧して……念の為だ。ずっとそばにいてやりたいが、学年が違う以上、難しいから。だがまさか授業をすっぽかして、暗殺者のアジトを襲撃するとは想像もしてなかった。だいたい、どうしてこんな場所を知っていた?」

「……男爵家の使用人を使って色々と調べさせたんだ。その情報の一つに下水道のことがあって……。ここなら隠れ家にも、万が一見つかった場合、逃げやすいだろうと思って、ここに当たりを付けたんだ」


 信じさせられただろうか。


「お前は本当に馬鹿だ」

「……うん」

「学校に戻るぞ」


 がっしりと腕を掴まれ、引っ張られる。


「ルーファス、手の力を緩めてくれる?」

「我慢しろ」

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