3. Me too!


 ルイサはびっくりした顔を見せてから真顔になり、周一の手を取った。シャイな民族だと有名な日本人がそんなことをするとは思っていなかったのかもしれない。


 普段しないようなことを自然にしてしまった自分に驚きながら、周一は丘のてっぺんへと続く遊歩道をゆっくり歩く。道を覚えているのは幸いだった。迷ったりしたら格好がつかない。


 相手が外国人だからだろうか、それともルイサを子供だと認識しての行動だったのだろうか、女の子と手を繋ぐのは幼稚園の頃以来だ。恥ずかしさで顔が下を向いてしまう。


 平日の人気のない公園では、時折強く吹く風で木々の枝や葉がこすれる音と二人の足音しか聞こえない。何か話さなければと考えるが何も思い浮かばず、周一の頭はただ空回りするだけだ。


「さくら、さいてる! きれい!」


 ルイサの弾んだ声。顔を上げてその視線の先を見ると、日当たりの良さそうな場所の桜の木が一本だけ、満開に近いくらいに咲き誇っていた。


「本当だ、もう咲いてる桜が……きれいだな」


 群れて咲く小さな花たちの向こうには、公園の東側に広がる海が見える。白みがかった薄紅色と透明感のある群青色の組み合わせに、周一は素直に感嘆の声を上げた。


 ルイサは周一の手をぱっと離すと、片手で持っていたカメラで写真を撮り始めた。繋いでいた右手が風で冷やされることに少々寂しさを覚えるが、仕方ないと諦める。ファインダーを覗き込んで良いアングルを探す彼女は、とても楽しそうだから。


 通行する白い船をぼんやりと眺める周一に、ルイサが背中側から「しゃしん、とった」と声をかける。


「たくさん撮った?」


「はい。しゃしん、みてください」


「ああ、見たいなぁ。現像したら持ってきてくれる?」


「はい、もってくる。さんにち、あと」


「さんにち……ええと、日曜日だね。何時がいい?」


「Hmm……、にじ」


「二時? いいよ、日曜日の二時に来るから見せてね」


 ルイサがポニーテールをわずかに揺らし、「はい」と言った。柔らかく笑う顔に周一の口元にも自然と笑みが出る。


「うーん、と……、I'm looking forward to seeing you」


 授業で教わった文章を、恐る恐る言ってみる。するとルイサが満面の笑みになった。


「Me too!」


 内心で英語の授業に初めての感謝を告げていると、ルイサが左手を出した。その手をそっと取り、来た道を戻る。周一の暗い気持ちに明かりを灯してくれたルイサの手は、小さくて温かかった。



 ◇◇



 周一は、毎朝乗る電車を一本早めた。野崎と顔を合わせづらく、どうしようかと考えた末の結論だ。本当は「あの時は一人で寂しかった」と言いたい気持ちもあるが、野崎以外は誰ともつるまないのにそんなことを言っても「一人は慣れてるだろう」と笑われるだけかもしれないと思ってしまう。


 一本前の電車はスーツ姿や大学生風の私服の人たちで混雑しており、高校生は少ない。ほっとする気持ちと、何故自分が逃げないといけないのかという怒りにも似た気持ちが胸に同居していて、鬱陶しさを覚える。


 車窓を眺めながら、そうだ、日曜日はあの飴を持っていこうと思い立つ。駄菓子屋のじいさんがこだわって作っている飴で、種類がとても多く味も良いため、大人にも人気があるのだ。日曜日は店が休みだから前日に買いにいかないと、忘れないようにしないといけないと思うと、沈んでいた周一の心が少し浮上した。


 電車を降り、学校までの坂道を一人行く。途中で目についた桜の木々のつぼみが数日前よりふくらんでいるのがわかり、心に暗い影がよぎった。その輝きでハレーションを起こし、周囲をぼやけさせる野崎がいないからよく見えるのかもしれない、という考えが頭を離れない。


 その日、一度だけ廊下で野崎とすれ違ったが、軽く挨拶をされただけで声をかけられたりはしなかった。一人で過ごすのは慣れている、春休みが始まるまでの辛抱だと、周一は自分に言い聞かせなければならなかった。



 ◇◇



 土曜日、周一は学校帰りに駄菓子屋に行った。店に入り、約二十センチ四方の平らなガラスケースにころんとかわいらしく収まっている飴を指差しながら、水色のソーダ味と濃いピンクの梅味、明るいオレンジ色のみかん味を選ぶ。


「一個ずつでいいのか?」


「あ、四個ずつで」


「はいよ」


 あまり愛想のないじいさんが、木で縁取られたガラス蓋の小さな取っ手をつまんで開け、ビニール袋に同じ種類の飴を入れてくれる。周一は三つの袋を受け取り、代金を支払った。


「そういえば、消費税、だっけ? 来年始まったらどうするの?」


「さぁな。その頃にはもう店畳んでるかもしんねえし、知らんよ」


「そっか……。じゃ、また来るね」


「おう」


 じいさんの声を背中に店を後にすると、手に持ったビニール袋を目の前に持ち上げて眺めた。きれいなパステルカラーの大粒の飴は、ここでも行儀よく袋に収まっている。


「喜んでくれるといいんだけど」


 自分が微笑んでいることに気付かないまま、周一は独り言を漏らしてから歩き始めた。

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