2. Chocolate cookies!


「な、十和田、明後日の専門学校説明会、一緒に行かないか?」


「専門学校? 俺は大学行くつもりだからなぁ」


 少女に出会った翌日、学校への道のりで野崎が言った。専門学校説明会が市内の広い会場で行われる予定があることは知っているが、周一は参加するつもりはなかった。


「いいじゃん、滑り止めのつもりでさ。それとも何か用事ある?」


「いや、ないけど……」


「ならいいだろ?」


「ええー……」


 「どうせ暇なんだろ」と言われたような気がして、言い返せなくなる。結局野崎の押しに負けた形で、周一も参加することになってしまった。学校からはバス便を利用するらしい。


「弁当持ってこいよ」


「わかったよ。じゃ、明日の帰りはバス停で」


「うん。明日は十和田も遠足になるな」


「貸切バスじゃなくて、こくて……JRだから、そこだけは遠足っぽくないけど」


「おまえまだ国鉄って言ってんのかよ。変わってからもう一年も経つんだぞ」


 野崎はカラッと周一の言葉を笑い飛ばした。彼が他の生徒や教師から人気がある所以だ。周一にはそんな野崎が時々輝いているように見える。適度に鍛えられた体、健康的に焼けた肌や短く切られた黒髪、明るい話し方。


「そうだけどさ、クセなんだよ」


「はは、まあ、わかるよ」


 光源がより明るさを増し、周一はその眩しさから目を逸らした。



 ◇◇



 野崎に誘われた専門学校説明会の日、教室で弁当を食べ終えた周一がバス停に向かうと、彼は既に同じクラスの男友達二人とともにバスを待っていた。


「よ。もう来てたのか」


「ああ、ついさっき来たところだよ」


 野崎は周一に声をかけられて返答はしたが、すぐに友人の話の輪に入ってしまった。知らない面子の輪に入れない周一はイヤホンをつけて好きな音楽を聞くことも考えたが、誘ってきた人物がすぐそばにいると考えるとそれもできず、ただ前を向いて立つだけだ。


 バス停に到着したバスに乗り込み、座席には座らずつり革につかまると、野崎たちはそのそばで立ちながら一旦中断していた話を再開させた。全員専門学校への進学を希望しているらしく、話が弾むようだ。バスの中でも、周一は一言も言葉を発しなかった。


 説明会の会場に入ると、予想できていたことではあるが、野崎は周一のことなどお構いなしに友人たちと三人で各専門学校のブースを訪れ、話を聞いたり質問したりということを繰り返した。特に興味が湧く分野の専門学校が見つからず、周一はぽつんと一人、何もせず会場の端で立ったままだ。四十分程経ったところでさすがに馬鹿馬鹿しくなり、周一は楽しそうにブースを回る野崎を捕まえて「帰るよ」と一言告げた。


「え? もう帰るのか?」


「あまり興味が湧く学校がないんだ」


「えー、そんなことないだろ。せっかく来たんだから、いろいろ話聞いてみればいいじゃないか」


「……いいよ、もう。疲れるだけだから。帰る」


 そう言い捨てると周一は野崎の返答を待たず、背中を向けた。彼からは特に言葉をかけられず、追いかけられることもなく、すんなりと会場を出ることができた。


「せっかく来たのに、か」


 誘っておいて放置したのは誰だと文句を言いたい気持ちはあった。だが、言わなかった。


 他に友達もいない自分の立ち位置や、友人だと思っていた人物の振る舞いに嫌気が差し、周一は重苦しい感情を引きずりながら、帰りの電車に乗り込んだ。



 ◇◇



 自宅の最寄り駅で電車を降りたのはいいが、まっすぐ帰りたくないという気持ちを持て余す。駅前のロータリーで迷った末に、周一はバスに乗ることにした。あの博物館前の公園に行くつもりで。


 あの時と同じようにバスを降りると、今度はいちご牛乳を買った。腹が減っているわけではないが、チョコレートクッキーも。午前中しか授業がなく、空きスペースに余裕のある鞄に買ったものを詰め込んで、周一は坂道を上り始めた。


 歩を進めながら、どうしてあの公園に向かうのかと考えてみる。ベンチから少しだけ歩いて丘のてっぺんまで上れば海が見えることを知っているからかもしれない、人は悲しいことがあると海を見たくなるとドラマの登場人物が言っていた、そこまで思考し、自分が悲しんでいることにやっと気付く。


「あんな小さいことで悲しいなんて」


 野崎が自分をないがしろにしたことは確かだが、周一は自分を責めるように考える。今日だけだろう、野崎は他人に気遣いできる奴なんだ、きっと次に会ったらいつものように軽く会話を始めることができるのに何を悲しむ必要があるんだ、と。鞄をベンチに置き、腰を下ろしていちご牛乳を飲みながらそんな風に心に問いかけてみるが、答えは見つからない。


「Glad to see you again!」


「……えっ? あ、きみ……ええと、me too……で合ってるのかな」


「ありがと。キャンディ、おいしい」


「いや、あんなの別に……」


 ベンチに浅く腰掛けてうなだれる周一に、突然明るい声が降ってきた。顔を上げると、三日前に会った少女がカメラを手に目の前に立っている。彼女の言葉で鞄に入れておいたチョコレートクッキーの存在を思い出し、周一は鞄のファスナーを開けた。


「今日もお菓子あるよ。食べる?」


「たべる、でも、あなたのもの……」


「いいよ、そんなの」


 そう言って個包装のチョコレートクッキーを渡すと、彼女は「Chocolate cookies!」と言ってとびきりの笑顔になった。甘いものが好きなのかもしれないなと、コンビニエンスストアで菓子類の棚も見に行った自分を褒めてやりたくなる。


「今日も写真撮ってたの?」


「はい。きょう、はれ。てんき」


「そうだよね。青空だからいい写真が撮れそうだ」


「はな、すこし、さいてる」


「暖かい日が続いてるもんな。雨も降ってないし」


 並んでベンチに座り、チョコレートクッキーを食べながら、二人でのんびりと話す。日本語と少しの英語が交じる彼女の言葉は、周一を安らかな気持ちにさせる。母国語が違う彼女が懸命に話してくれることがうれしいのだ。


「あなたのなまえ、なに?」


「俺の名前は、シュウイチ」


「シュー、イ……」


「シュウ、でいいよ」


「シュー」


「それだと『靴』になっちゃうな。シュ、ウ、だよ」


「シュウ」


「そうそう。きみは?」


「ルイサ。エル、ユー、アイ、エス、エー」


「ルイサっていうんだ」


「はい。シュウ、このこうえん、すき?」


「そうだね、好きだよ」


 子供の頃に一度だけしか訪れたことがないのに、周一がよく覚えていた公園だ。博物館への通り道として遊歩道が整備されており、その周辺の芝生と、端に設置されているベンチ。座れば広い空が見える。この山がちな地形の土地ではあまり見られない広がりのある風景は、美しいと思う。


「シュウ、うみ、みる?」


「海か、そういえば最近見てないな。行こうか」


 ベンチから立ち上がった周一は、まだ座っている彼女に、鞄を持っていない右手を差し出した。

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