第6話 3月26日 七海(涼子のいとこ)

 3月26日(火曜日)


 涼子は、マサオと1週間会話をしていない。


 今日からマサオは台湾出張で4日間不在だ。これまで海外出張の朝はみゆと2人玄関で「いってらっしゃい、気を付けて」をするのだが、マサオも今朝は何も言わず出ていった。


(4日間は天国だな)


 涼子は安堵あんどに包まれ、鼻歌を歌いながら食器を洗っている。


 1年半前の6月、いとこの七海ななみが言ったことを思い出していた。


「だいたいさー、涼子の夫って、いつも許すだの許さないだの言ってるじゃん。」


「『許す』って言葉をざつに使うよね。それ何なのよ?『許す』ってのは、もっと重い言葉だよ。すぐに『おまえらもう許さない』とかさー、あのクズ男はそんなご立派な人なの?人に許しを与えれる人物なの?神様かよっ、ムカつくわー」


 七海のセリフに、涼子は思わず吹き出した。たしかに、その通りだ。


 七海は、涼子のふたつ歳下のいとこだ。

いつもきぬきせない正論が心地よい。


 涼子の父親は5人兄弟だった。

 涼子の父親が次男、七海の父親は四男坊だ。西田家はお盆と正月は親戚で集まる風習があったため、幼少期はいとこ達みんなで、いつも遊んでいた。

 いとこの中でも、七海とは歳も近く1番仲がよかった。


 七海とは、大人になった今でも良く話す。たまに長電話していて、気づけば1時間経っていたことも少なくない。


 七海の発言は常に一貫してしていて、自分というものをしっかり持っている。

 対象的に感情でころころ振り回される涼子は、七海のそんなところを尊敬している。(もし妹がいたらこんな感じだったのかな)

 涼子にとって七海は、どっしりとした木の根っこのような頼もしい存在だった。


 涼子はひとりっ子だ。

 だからといって、ことさら両親に溺愛できあいされていたわけでもない。

 父は小学生の涼子を「涼子さん」と呼んでいた時期があり、友達に『お嬢様なの?』とからかわれたことがある。お嬢様なんかではなく、そのくらい父親とは距離があっただけだ。

 幼い頃から両親ともに共働き、そうしなければ生活が厳しい一般的なサラリーマン家庭だった。


 涼子は、3年前に他界した父とあまり会話という会話をした記憶がない。

 外で饒舌じょうぜつな父の姿を見たときには別人かと思ってビックリしたことがある。家庭では家族とほぼ話さないので、勝手に高倉健のような寡黙かもくな人かと思っていたくらいだ。


 母はというと、涼子が悩みを話すとか、ぐちを聞いてもらう、などしてくれたことは数える程度しかない。


 母は人の話を全く聞かないタイプで、常に自分が話したいことを、タイミングなどお構いなしにしゃべりだす。


 涼子にも相談事があって、実家の母に電話をかけることがあるのだが、すぐに母は自分の話を始める。会話泥棒だ。

 そして話はなかなか終わらない。涼子は相談事があるほど弱っているうえに、母のぐちを全力で聞いてしまうので、余計に精神を消耗しょうもうしてグッタリするというわけだ。

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