遠くから眺めていたい、が本音だった〜多良奈央子と千崎靖人〜4

 次の日、朝礼後。

なんの躊躇いもなく、千崎靖人は私の教室にやって来た。

なんの迷いもなく私の席の横に立ち、


「ちょっと来てくれないかな?」


と、堂々と入ってきたわりに、少し不安げで、どこか照れている表情で言う。


「うん」


その時の私は、周りの視線を確かに気にしてはいた。

でも、視線を感じているだけで、そんなのはどうでも良いという気持ちに変わっていく。

 私が立ち上がると、千崎靖人は背中を向け歩き出す。

決意するように、彼の後をついて行く。

千崎靖人は右手にノートを持っていた。

これがあの、本音だ。

千崎靖人の本音。


 もうすぐ一時限目の授業が始まる。

私達が教室を出て廊下を歩いていた段階で、すでに予鈴は鳴っていた。

そして、誰もいない図書室に入るまで、千崎靖人は一言も発さなかった。



「持ってきたよ」


そう言いながらノートを手渡そうとする。

 私は思った。

好きな人が私を好きになる。

それを断るなんて、贅沢すぎる。

でも、怖い。

本当の千崎靖人を知るのも、本当の私を教えるのも。


「俺もさ昨日、日記のこと、突発的に言っちゃったから。寝る前に後悔もしたんだよ。でも、遠くから見られるだけは嫌だから。本当の俺を知ってほしいって思ったうえでの発言だった」


「うん」


「俺、多良さんのことが好きだ。近づきたい。昨日、本音がどうとか色々言ったけど、ただ、好きなんだ。好きなのはさ、どうしようもできないだろ?」


「うん」


その時分かった。

どうしてあんなにあのポスターに触れたかったのか。


 私はゆっくりと手を伸ばす。

千崎靖人の日記という本音に向けてではない。

彼の日記を持っていない左手を掴んだ。


「えっ?」


千崎靖人は、驚いた顔をしている。


「私、好きだと思う。いや、違う。思うじゃなくて、好き。素直に、気になるなら気になる、好きなら好きって言ってくれる千崎くんのことが」


そこで本鈴が鳴る。

一時間目の授業開始だ。

彼が少し心配そうに私を見る。

だから、


「いいの。サボる」


と、私は気が強そうに言った。


「いいの?」


どこか嬉しそうに、千崎靖人が聞く。


「良くはない。でも、サボる理由が告白なら、悪くないと思う」


私も彼も笑った。


「だからね」


勇気は必要。

今から本音を伝える。

日記にも書かない本音。


「千崎くんの日記は見ない。もう胸いっぱいになるくらい、伝えようとしてくれてるのが分かるから。好きって言ってくれる人だって分かったから」


顔が熱い。

彼の左手を掴んだ自分の手も熱い。


「私はね、日記にすら本音を書かないの。感情は隠して、記録を残す為のものなの。だから代わりに、千崎くんに話してみようと思う。感情の部分を。少しずつでも」


千崎靖人が、一方的に掴まれた左手を動かし、私の手を握り返した。


「実は私。何読んでるの?って千崎くんに聞かれた時、答えてみたくなったの。教えたいって。知ってほしいって思った」


「多良さんが好きな世界は壊したくない。でも、多良さんが俺に知ってほしいと思う世界なら、見てみたい。とにかく近くにはいてほしい。遠くからじゃなくて」


今、これまでの中で一番近い距離に二人はいる。

本当に自分でも驚く。

恋の音が、聞こえる。

本当の音。


「これからどうする?」


千崎靖人が、いたずらっ子みたいに笑いながら聞いてきた。


「サボる」


私は、私らしくないことをまた、平気に言う。


「今日だけ、いいよな」


さっきよりも小声で、千崎靖人が答える。


 その時、小さな見覚えのある何かが彼の肩に乗る。


「ヒーロー」


「えっ?」


「千崎くん。靖人くん」


「ん?」


彼の頬が赤くなった。

私の頬も当たり前のように赤くなっていると思う。


「私の日記、見せないけどね。でも私の日記は、千崎靖人との記録でいっぱいなんだよ」




8月25日(月)


ヒーローに出会った。

図書室から出たら、具合悪そうな人がいて焦って駆け寄った。

そしたらその人は、てんとう虫を救っていた。

千崎という名前で、同学年の人だった。

爽やかな人で、笑顔がとても良い人。

ポスターにてんとう虫を乗せて、てんとう虫が飛ぶまで待ってあげていた。

そういうの、すごく良いと思う。

彼は、てんとう虫は自分が救われたことに気づいているのだろうか、と言った。

だから、私が覚えておいてあげることにした。

彼がヒーローだということを。

そのポスターが剥がされない限り、私も彼も今日のことを思い出すと約束した。

彼は憧れみたいだと思った。

とても尊くて、突然現れた喜びだ。

憧れって、きっと遠い。

そういうのも、すごく良いと思う。

でも、なんだか・・・

いや。

なんでもない。

ここはあくまで記録を残す場所。

高校に入って初めて・・・

違う。

今日は、人生で初めて知る気持ちに出会った日でした。

23時37分現在。

眠れそうにありません。

読書の続きでもしよう。

本当に面白い本だから。

今もし彼が、私と同じ本を読んだら・・・と想像した自分がいた。

どんな感想を抱くのか気になるし、私が抱いた気持ちを話してみたい。



 千崎靖人と出会った日の日記。

いざ読み返すと、彼への感情を隠しきれていない日記だった。


 もしも私の日記を見せるなら、このページを一番に千崎靖人に読んでもらいたい。

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