遠くから眺めていたい、が本音だった〜多良奈央子と千崎靖人〜3
次の日から私は、千崎靖人に遭遇しないよう気をつけながら生活した。
移動教室の時、廊下に彼を見つけると遠回りして行ったり、用事もない売店に寄ってみたりした。
この間の話の続きをするのは避けたかった。
どうして、千崎靖人のフルネームを知っていたかなんて。
気になっていたからに決まっている。
何部なのかも、どこの中学出身なのかも、友達が少ないなりに懸命に調べた。
気になるから。
好きだから・・・
千崎靖人のクラスで話をしてから1週間が経っていた。
図書室で読書をした放課後。
あのポスターの前に行き、誰もいないのを確認して、ついにポスターに触れることができた日だった。
ポスターに触れることに何の意味があるのか、自分でも分からなかったけれど、そうしたかった。
そうしてみたかった。
そうせずにはいられなかった。
触れて、何かを変えたいと思ったのかもしれない。
その後、グランドをこっそり通って帰ろうとした時。
部活中の千崎靖人に見つかってしまう。
そもそも、図書室に寄らず、誰よりも早く帰宅すれば良かった。
せめて、部活が始まるより前に、彼にバレないように帰宅すれば良かったのだ。
きっと心のどこかで千崎靖人に見つかりたい気持ちがあったのだと思う。
「多良さん!」
彼が同じ色のユニフォームを着た集団から抜けて、私の元へと駆けて来た。
私は恥ずかしくて、聞こえないフリをしながら歩き続ける。
「多良さん、待って」
そう言って千崎靖人は私の右手首を掴んだ。
一瞬で体が熱くなる。
そして、振り返る。
「多良さん、俺のこと避けてるでしょ?」
彼の額からは、爽やかな汗が流れていた。
不思議だった。
汗なのに爽やかだなんて。
「避けてないよ」
「避けてるじゃん。今だって逃げたじゃん」
「ごめん」
素直に謝る私。
彼が捕まえてくれて、嬉しかった。
「あっ、ごめん」
そこでようやく、千崎靖人は私から手を離した。
謝らなくてもいいのに。
私は彼との距離を少し空けた。
多分、千崎靖人を好き過ぎるから。
どうして良いか分からないから。
何かが変わるのが、やっぱり怖いから。
「俺さ。多良さんが気になってしょうがないんだよ。だから下の名前も知ってたし、帰宅部ってことも知ってた。多良さんは違った?俺とは違った?ただ偶然、クラスも違う俺の下の名前知ってただけ?」
「私は・・・」
私はどうしたら良いのか分からない。
千崎靖人に呼び止められて、本当に嬉しいのに。
それなのに、遠くから眺めていたい、が本音な気もする。
憧れのままが良い気もする。
私を知られるのが怖い。
今以上というのがあるのか、知っていくのが怖い。
「多分、遠くから見てるのがいいの。憧れだから。だって、てんとう虫を救ったヒーローでしょ?ヒーローと距離が近すぎるのは・・・」
きっとこんな発言をしている段階で、こんな私を面倒臭いと思っているはずだ。
「多良さんのその気持ちは本心かもしれない。でも、あくまでそれは、遠くから見える俺しか見てないだけであって」
と言ってから、千崎靖人は照れ隠しのように、グランドの土を右足で少しだけ蹴った。
「前に、何読んでるのって聞いてきたでしょ?千崎くん」
彼はその発言を思い出そうとする表情をする。
そして思い出したように頷く。
「うん。した」
「私、自分が読んでる小説を人に教えるのも好きじゃないし、人に小説を薦められるのも好きじゃなくて」
今度こそ、このスーパー面倒臭い女に飽き飽きしているに違いない。
「うん」
「誰かに話せば壊れる世界があって。誰かに教えられたら失われる気持ちがあって・・・」
「うん」
「だから、こうやって閉じこもってしまったわけで・・・というか、それが私にとって心地良くて。この間、図書室にいた河辺ちゃんともそういう境界線みたいなのを守りあってて」
「うん」
真剣な表情で、私のよく分からない話を聞いている彼。
すると、千崎靖人は一歩私に近づいた。
「でも俺に、そういう大切なことを教えてくれたわけね?」
「え?」
「境界線の話?好きだから言いたくない、好きだから誰かに影響されたくないっていう気持ちを俺に教えてくれたじゃん。今」
「うん」
どうしてか分からないけれど私は、泣きたくなった。
悲しくてじゃない。
嬉しくてだった。
私を理解しようとしてくれている千崎靖人は、物凄く格好良い。
「なあ。俺の日記読んでみないか?」
「え?」
いきなり過ぎる話の展開に、私はポカンとしてしまう。
「俺だって一応、勇気出して言ってるんだからな」
勇気。
人気者の彼にだって、勇気が必要なことがあるんだ。
その時初めて気づく。
でも、話の内容がよく分からない。
「多良さんは日記書く?」
「日記は、たまに書くよ。でも、日記は人に見せないものでしょ?」
「そうだよ。見せないものだよ。俺は嬉しかったことも、悔しかったことも書くんだ。嫌だったことだって、ムカついたことだって書く」
「じゃあ見れないよ。そんな、本音みたいな日記」
千崎靖人がさらに近づいた。
私は後ずさりせず、懸命にその場に立ち続ける。
「いや。多良さんの本音は”見たい”だ。俺の日記を読んでみたいはずだ」
「えっ」
「明日持ってくる。俺の本音」
そう言うと、千崎靖人はグランドを軽やかに走り去って行った。
その足音がとても心地良く、同時に寂しさを感じさせた。
「千崎!」
「何やってんだよ」
「サボんなよ」
チームメイトが声を掛ける。
千崎靖人は、同じユニフォームの集団の中に戻っていった。
日記。
俺の本音と言っていた。
私は、日記でさえ本音を書かない。
本音を隠す。
もしも、私の日記を見せるなら。
それは喜びになりうるのだろうか。
それよりも、本音を隠したその日記ではなく、日記には書いていない、本当の心を知ってもらいたくなるのだろうか。
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