武蔵野の果てを見に行こう!

ケイスケ

武蔵野の果てを見に行こう!

「武蔵野の果てを見に行こう!」

 二人掛けのソファーに体重を預けて、スマホをいじりながらダラダラしていると、ことねが急に立ち上がって力強く宣言する。

「……どゆこと?」

 おすわりなさいと脇腹を掴んで体重を下にかけると、ことねはすんなりと元のポジションに収まり、顔だけ勢いよくこちらに向けてくる。

「ほら。よくあるじゃん? 虹の根元を探しに行くとか!」

 あれって絶対に辿り着けないんじゃなかったっけ?

「あれとおんなじで! 今から武蔵野の果て……探しにいかない?」

「……あんまり興味ない」

「えー! つまんないー! まつりのリアリスト!」

 とっておきの誘い文句を断られて、ことねはぷんすかと頬を膨らませながら私の左肩をぶんぶん揺さぶってくる。

「それ、そもそも存在するものなの?」

 武蔵野という概念に、どこからどこまでという明確な定義はないという結論だった気がする。

 ためしにスマートフォンで『武蔵野の果て』と検索すると、縁もゆかりもない中学校の校歌が表示された。ここが果てだとしたら通報エンドの可能性がある。

「わかんない! わからないから……ロマンなんだよ!」

 その目は、ヘラクレスオオカブトと対面した少年のように輝いている。

 大学の春休み。私たちは毎日昼過ぎに起きて、ゲームをしたり、動画をみたり、漫画を読んだりして、まどろみのような時間を貪っていた。

 そんな日々に生活リズムが破壊された結果、今日は二人とも早朝に目を覚ましてしまった奇跡の一日だ。

「つまり、おでかけしたいってことでいい?」

「イエス! フェスティバル!」

 ことねはグッと親指を立てて肯定する。フェスティバルいうな。



***



「ここが武蔵野の果てちゃんですか?」

「……微妙なところだね」

 目的地が決まっていない私たちは、のんびり身支度を整え、通勤ラッシュが落ち着いた時間に西船橋駅へ到着する。

「でも、武蔵野線の終点ってことは、果てじゃない?」

 一理あるかもしれない。

 改札を出て、駅に向かう人の流れに逆らうようにエスカレーターを下ると、何というか、うん……。

「ごちゃごちゃしてるけど、何もないね」

「なんか空気が悪い!」

 二人して失礼なことを口走ってしまう。

 バスターミナルの奥に目を凝らすと夜のお店が立ち並んでいる。

 純粋に今の私たちにとっては、視界の外で息づいている街なのかもしれない。

「ここを武蔵野認定したら国木田先生もおこだよ!」

 ことねは国木田独歩のことを勝手に慮ってキレている。

「まあ、西船橋の一駅先から武蔵野じゃなくなりますって言われると、なんか違う気もするよね」

「でしょ! まつりもノッて来たね~」

 ニヤニヤしながらことねに見つめられると、少し楽しくなってきたのを見透かされているようで目を逸らしてしまう。

「……うっさい。次行くよ、次」

「はーい」


「船橋法典!」

「競馬場のイメージしかない」

「じゃあ、新松戸?」

「……まだ千葉の匂いが強いなぁ」

「千葉って武蔵野じゃないの?」

「千葉は違うんじゃない? いや、そうでもないのかな……」

 武蔵野線に揺られながら、ひと駅ずつ境界線を探っていくと、だんだん『武蔵野』という概念がゲシュタルト崩壊していくのを感じる。

「なんか、前にもこんなことあったよね?」

「あー。夏にうどん食べいった時だ」

「そうそう! あれからもう二年かぁ……」

 隣に座ることねは、懐かしむように車窓の外を見つめている。

 苦闘の末、この春、なんとか無事に二人とも大学を卒業できる運びになった。

 私とことねのルームシェアは、もともと一限の単位を落としたことをキッカケに始めたものだ。

 卒業が確定した今となっては、私たちが一緒に暮らす理由はなくなってしまった。

 ことねは地元の府中で就職することになり、なんと私は鹿児島に行くことが決まった。

 引っ越しは卒業式の後と決めて、私たちは過剰なまでに“いつもの日常”を過ごすことに費やした。

 ハッキリ言うと、当たり前になっていたこの二人暮らしが終わってしまうのが、少し寂しかったのだ。

 ……ことねも、ちょっとは私と同じように想ってくれているのだろうか。

 だから、また私を外に連れ出してくれたのかな?

 ちらりと横顔をみると、ことねは顎に手を当てて何かを考えているようだった。

「……ねえ、まつり。わたし、わかっちゃったかもしれない」

「何が?」

「武蔵野の境目、きっと南流山と三郷の間だよ! なんか駅前の空気が違うもん!」

 あ、特に何も考えてないかもしれない。それならそれでいいけどさ……。

 千葉県出身の私は、南流山と三郷は単純に千葉と埼玉の県境であることをことねに説明した。



***



「知ってる? ここに変な施設があるの!」

 武蔵野の果てを二人で考察していると、私たちが乗っていた電車はあっというまに終着駅の東所沢に降り立つ。

「あー、前にお昼の情報番組で観たかも」

「あそこに武蔵野うどんのお店があるから食べにいこ! クラフトビールもあるよ!」

「それは超ナイスアイデア」

 平日の昼から気兼ねなくビールを飲めるのもきっと今だけの特権だ。満喫しない手はない。

 東所沢の街並みは、テレビでみたインスタ映えする商業施設がある雰囲気ではとてもなかった。

 商業施設と関連しているであろうアニメのキャラクターがあしらわれたマンホールを辿ると、急に巨大な岩の塊が目の前に現れる。

 これが角川武蔵野ミュージアムちゃんですか……。

「……なんかウケるね」

「だよね! 笑っちゃうんだよね」

 すごいとか、感動したというよりも“ウケる”というのが第一の感想だった。

「実はね……。この建物の中に武蔵野の文献をまとめたコーナーがあるんだよ!」

 施設へ向かう階段を登りながら、ことねが得意げに語る。

「おっ。ちゃんとした目的があったんだ」

「ふふん。まずは腹ごしらえしてからいこう!」

 電飾が巻き付いたデカい鳥居と、ガンダムの頭みたいな形をした社務所を横目に、商業施設が集まったところざわサクラタウンへと向かう。

「…………えっ、無い! うどん屋さんなくなってる!」

 案内板をみると、ラーメン屋さんや食堂、甘味処やコーヒーショップはあったけど、うどん屋さんは見当たらなかった。

「張り紙。『10月30日を持って閉店しました』だって」

「えー! この施設自体ができたばっかなのに……」

「まあまあ。ラーメン食べよ。美味しそうだよ」

「うう……クラフトビール……」

 それは私も残念だけど仕方がない。

 しょぼくれることねを励まして、都内の有名店が間借りしているラーメン屋さんでお腹を満たすことにした。


「……えっ! 武蔵野コーナーもないじゃん!」

 食後に外のテラスでコーヒーを飲みながら一服していると、ことねがスマートフォンをみて大きな声をあげる。

 周りに全く人がいなくて良かった。(人がいないからうどん屋はつぶれてしまったという事実を除けば……)

 ことねが見せてきたスマートフォンの画面には『武蔵野回廊は改装中につき、展示を休止しています』という公式アカウントのツイートが表示されている。

「武蔵野ぉ、いなくならないでくれよぉ……」

 ことねは目の前の机に力なく突っ伏す。

「ことねはさ、なんでそんなに武蔵野にこだわるの?」

「……うーん、どうしてだろうね」

 ことねは、腕をまくらのようにして少しだけ顔をあげて考えごとをする。

「……多分ね、本当は別に何だっていいんだと思う。まつりと一緒なら」

 視線が合わないように、ヘラっと笑うことねの笑顔には、どこか寂しさが混ざっているように見えた。

「特に意味はないけど、楽しかったり、ワクワクすることの隣にまつりがいてくれたことが嬉しかったんだ」

「……そっか」

 私は照れ隠しに少しだけコーヒーをすする。いつからかブラックで飲むのが自然になっていた。

 外は昼間でもまだ少し肌寒くて、そのあたたかさが心強い。

「私も、おかげで四年間楽しかったよ。ありがとうね」

「やめてよ~! 泣いちゃうじゃん……」

 涙声になることねの声を聞いたら、ちょっと私まで泣けてきてしまった。

「泣くなよ……。こんなところで……」

「おい! 失礼だよ! ところざわサクラタウンに!」

 しんみりとした空気を誤魔化すように私たちは笑いあう。

「……でも、いつまでも変わらないものはないんだなって。まつりもずっと遠くに行っちゃうし」

 ことねは一度だけ目元をぬぐって言葉を続ける。

「だから、わたしはここにいるよって言いたかったのかもね。『武蔵野』って言葉をみたら、わたしを思い出しちゃうように」

 ことねは笑いながら、小さくピースサインをしてくる。

 これからの私たちの間には、共通の目的も、賃貸契約も、一緒にいる理由も存在しなくなる。

 一緒に過ごす時間は楽しくて、心地よかったけど、ここからはそれぞれに歩き出さなくてはいけないことも分かっていた。

「……大丈夫。ことねが思ってるより、そんなに簡単には変わらないよ」

「ほんとかなぁ~?」

「本当だよ」

 未来のことは分からない。

 でも武蔵野なんて、定義も境目もハッキリしない概念が現代まで残り続けているのだ。

 私がことねと過ごした時間を大切に想っていて、ことねが私が隣にいたことを嬉しかったと言ってくれたなら、きっとその想いが全部無くなったりはしないのだと、今は信じることができる。

「じゃあさ、一個だけ約束」

「……なぁに?」

 疑いが消えないことねに、私は一つの提案を持ちかける。

「これからいろんなところで武蔵野って言葉をみつけたら、私はことねに、ことねは私に写真を送るの。今日のミッションは、これからも続行……ってことで」

 彼女が教えてくれた、曖昧でぼんやりとした場所の中に、私は小さな約束を託す。

「……わたしたち、多分『武蔵野』って言った回数のデイリーランキング、全国一位と二位だよね」

「流石に武蔵野線の車掌さんとかの方が多いんじゃない?」

 いつものような冗談で笑いあうと、ことねは真っすぐに私をみて、ワクワクした表情で宣言する。

「……いいよ! いつか武蔵野の果てを見に行こう!」

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