(3)~

(3)

 その後の君のことを、想像を中心に、聞いた話も部分的に交えて書いていこう。

大学を卒業して念願の地方公務員になった君は、地元の中学校の国語教師になった。正確には生徒を教える教諭だ。

 ただ学校の先生といっても専門の学科を教えていればいいというわけではない。特に中学校の生徒はまだ子供だ。生活指導や部活の面倒などを見ないといけない。特に養育者対応はいわゆるユーザ対応窓口みたいなもので最初は困惑の日々だった。先生になりたての若い先生は保護者は敬遠する傾向にあり、生徒には年齢が近いこともあり受けがいいのだが思惑が逆の場合が多かった。今ほどキャラクターが異常な人は多くなく、教師というのは堅実で社会人として良識のある人間として見られていた。君もそんな人の一人として自覚を持って業務に取り組んでいた。真面目だが馬鹿正直ではない、融通のきく良い先生として存在感をまして行った。

 それでも最初は慣れないことは多くプライベートな時間も含め大部分を教師を意識する生活が続いた。若いからこそ羽目を外さず、時には同窓生の誘惑にも負けず、普通のサラリーマンならもっと自由に恋愛や冒険や、いけない好奇心を満たすことができたのに、と少し歯痒い思いもあったが自分の職業に誇りを持っている君は正直で誰にも後ろ指を刺されない人生を送った。

 年が過ぎて30歳目前くらいになって、業務の大変さは変わらないものの、効率的に、良い意味で手を抜いて体やメンタルに負担をかけないで済むようなこなしかたを覚える中堅になった頃、そろそろプライベートな部分にも時間を割くことに意識が向いてきた。

 大都会ではなくむしろ田舎と呼ぶにふさわしい場所では、所帯を持って落ち着く年頃だった。むしろ野放図な者と比べると遅すぎるくらいだったろう。所帯を持つことも常識的な人であることの証として見られていた時代、地域だったのだ。

 手近に同僚を目論むのも手段としてはあったが、都会の遊び暮らした若者がセカンドラブを狙うならともかく、真っ当で正しい道をいくことを信念にしている君にはそれは不純なことに思えた。かといって流石にお見合いをするのは時代錯誤だ。さすがにそんな時代じゃない。お見合いサービスに登録しようともしたがそんな地方では相手もたがが知れているし、そもそもそいう手段も不純に思えるほと君は純真で真面目だった。今の風潮では考えられないことが普通に思えていた。


(4)

 一方僕の方はどうだったろう。

 まだまだチキンでときどき押しかけで君に会いにいくことくらいで、確かに仕事は想像していた者とは全然違っていて正直うんざりする者だったが、転職するには勇気も新年もなかった。大学の頃からいったい自分は何になりたいのか、何をやりたいのか、君とは正反対で何の信念も持っていなかった。なんとなく就職指導の教授に指定された会社に対して首を縦に振り、いい加減な履歴書ともエッセイともつかないような書類を持参して近くの支店だかなんだが、今でも覚えていないが、行けと言われていって少し話をし、服装も特に配慮もせず、世の中を舐めるどころか関心を全く持たない状態で過ごしていた。

 面会したのは大学の先輩で、たぶん、うちの大学だからこんなもんだろうと思ったのかも知れないが、そのままパスして実はそれが最終選考で、次は健康診断と体力測定をするくらいで東京の本社に出向いた。初日は現金で給与というか、きてくれてありがとう、くらいのお金をもらって、学生時代アルバイトもしないでダラダラ過ごしていた社会のなんたることさえ知らない人間が、総裁と呼ばれる人の話を聴講するだけで金をもらえる、なんか人生ってこんなもんなんだろうか、と思いだった。同郷や大学の先輩も同時に入社していたが、学科も年齢も違っていて仲良くは慣れなかった。まともに話もしなかった。記憶が全然ない。今となっては名前さえ覚えていない。僕は全体の最年少でもっとも経験がない人だった。

 そういういい加減な生き方をしていきながら、君と違って僕はむしろ自分のことを中心にして生きていた。自分の楽しみや気楽さ、いい加減に過ごすことだけを考えて生きていった気がする。本当に何ら真面目なところがなかった。


(5)

 僕は心の深いところでそんな自分に黄信号を出して、真面目な君に指導を期待していたかも知れない。いやそんなことはなく単に邪な思いだけがあったかも知れない。チキンな自分であるにも関わらず、ほんのり優越感をひけらかして君に臨んだかも知れない。君が自ら手を繋いできてくれるような期待感があったかも知れない。自分では行動を起こさないのになんて卑怯な人間なんだろう。今でもそう思う。数年後そのスタンスはまんまと逆利用されてその後の人生をほぼ決めてしまうなど思いもせずに。


(6)

 そんな、何ら信念も持たずに社会人を生きている僕に、君は少しうんざりしながら会っている。また連絡をくれたの、もういい加減やめてくれないかな、私にもここでやることがあるんだから。仕事についても、そろそろプライベートなことについても。そう心の中で思いながら、二人の子供も成長して家を離れ、それほど遠くはないがたびたび帰ってくる程度でもないところに住んでいる子供達に、いい距離感で生きている。これからどんな生き方をしていこう、まだ完全には慣れていない学校の仕事も、そろそろは慣れてきたけど、振り返ったらプライベートなことは少しも進展していない。ちょっと冒険はして見たいけど将来を見据えると何らメリットが見えないこの人とはこの先深い間からになる必要はない。そう思いながら、結構いい人生を送ってきたかも知れないと思う。自分の落ち着き先を考えるととても不安だ。悪くない生き方をしてきた。正直いうと他の同級生たちと同じようにもっと遊びたい。羽目を外さず真っ正に生きてきた結果で会って自負している部分だ。でもこんな田舎じゃすぐ噂も立つし自分の職種だと尚更噂されやすい。誰にも後ろ指刺されない生き方をしてきた。それは人に誇れるところだ。

 僕は自信を全く持てすに、仕事も何ら誇れることもせずに、足掻きもせず、学生時代と変わらずほとんど好きなことをして過ごしている。会社でもプライベートでも。適当に生きて行けるのでちょろく生きていけると勘違いしている。それは周りの先輩とかが将来何かやってくれるだろうと宝くじのような思いで見ているからということに気づかず。そんなことは露ほども考えなかった。時間が貴重なことを考えてなかった。まあしょうがないかと思っているだろう先輩に連れ出されて当地の遊びに耽って真面目に仕事をしていない日々だ。まあ楽しくはある。完全に自分の嗜好に会っているとは言えないが。わがままで贅沢な生活は貴重だった。同じ年齢の人たちが当時同じような暮らしをしていたとは到底思えない。側から見ると幸せな境遇だなと思われていただろう。


(7)

 君は今何をしているだろうか。口うるさい女先生として、でも親身で生徒にも好かれている教師として日々を充実させているだろうか。それとも今度の週末に遊びにくる娘と孫たち一家にあげる用の野菜を畑で収穫しているだろうか。

 君は今何を思っているだろうか。明日会う男の人と何を話そうか。取り繕って自分を

美化する必要はなくて、その後も一緒に過ごすのならいつもの自分の姿を見せるのが一番いいんだろうな。それとも台所の窓枠が少し壊れていたからそろそろ旦那に修理してもらおうかなと考えているだろうか。今日帰ってきてから話そう。自分で気づくことはないだろうから。

 君は何か思い出しているだろうか。昨日僕からきた手紙を、うんざりして、読むのも嫌なんだけどと思って机の上に封書のまま置いて、相変わらず字もきたないなと思っているだろうか。それともこの前数十年ぶりに見た時、髪も顔の皺も年齢なりに変化していたけど人当たりは安心できる常識人になっていたな。時間があればもっと話したかったけど、だからと言って深くは入っていきたいくないな。本性は昔のままかも知れないし。私わかっているんだよ。若い男が何を考えているか。歳をとっても男がどんな生き物なのか。あまり甘く見ないでね。あまり甘く見ないでね。

 君はこの後どんな生き方をしていくだろうか。そんなのわからないじゃない。今は一生懸命仕事をしていい教師になってみんなに尊敬されるようになりたい。夫は歳下だけどたぶん先に死ぬだろう。その先どうしよう。子供達も近くにいるから寂しくはないだろうけどそれだけじゃ充実したものじゃない。ずっと畑仕事するのも疲れるし、この前僕が言った晴耕雨読はもう性に合わない。無理した姿を世間に見せる必要ももうない。若いからこそ遊びたいけどもう少し我慢だな。そんなに焦る必要はない。きっと楽しい時が来る。遊びたいけど歳相応の遊びって何だろう。そろそろ恋愛できる歳でもなくなるし、恋愛は体の関係ではないけど、若い頃それほど冒険しなかったからちょっと好奇心はあるかな。無理しない程度に。

 僕は何を思っているか。こんないい加減な生き方をしていていいんだろうか。そろそろ真面目に仕事に取り組む必要があるんじゃないか。そろそろバケの皮も剥げてきてこの宝くじは大外れかも知れないなと思われているに違いない。子供達も大きくなったし別れた妻がすむ家のローンもとうの昔に前倒しで払い終わっているし、なるべくみんなに迷惑をかけない生き方をしていこう。

 僕は何を思い出しているか。もう君に会うことは無理なのかな。大きな期待はしていなかったけどそれども友達としてさえ会えなくなるのは寂しいな。田舎だから若い男と女が一対一で会うのは噂も立つしあまり良くないだろうな。そのくらいの良識はさすがに自分にもある。日本の半分くらいの遠いところに離れているし、もう会う理由もなくなってきたのかな。相変わらず昔の顔のままでそこに立っていて、今は気さくに話しかけてくれて、過去を笑い話にできるくらいに歳をとってある意味時間を共有していた者どうしもっと話をしたかったな。その後の人生について新たに共有する時間を持ちたかったな。もう若い頃のような裏心なしに話だけを楽しんで。


(8)

 僕はこの後どんな生き方をしていくだろうか。なんか起爆剤になることもやっていきたいけど先週もらった辞令で離れたところに行って違った仕事を一生懸命やることにしよう。今までの恩をお返しするくらいの思いで一生懸命働こう。何ができるかどこまでやれるかわからないけど。もうほとんど途中下車した人生で、再び君と会える時が来るだろうか。充実した話をする機会はあるだろうか。あれからこんなことがあったんだよ、君はどんな人生だった、二人ともまだ人生は十数年は残っているけどまた会うことはあるんだろうか。生きてきた交差点は、人生が一直線なら交わることはないだろうけど、人生ってそれほどまっすぐじゃないよね。けっこううねってるよね。くねくね曲がってるよね。だから会うこともあるんじゃないかと思っている。心の中の数%くらいだけど。


(9)

 意識が混濁してきた。思考も過去と現在が混淆している。今がいつなのかわからなくなっている。自分の歳がいくつなのか、窓から見えている景色がここはどこなのかがわからない。会ったことがある人だろうなとは思っていてもそれが大学時代の友人なのか中学校の友達でこの前あった人の顔なのか別れた妻なのかわからない。対面して話している人の顔が君の顔なのか会社に入った時にいた中年の派遣社員の顔なのかわからない。何もかもがないまぜになって一つになってしまった。生きているのかさえわからない。死んでいるのかも知れない。もしかしたら昨日の夜首を釣って死んだかも知れない。僕はどこにいる。そして君はどこにいる。手を伸ばせは触れるところにいるのか。息を吹きかけて髪が揺れるところにいるのか。君は僕の思いの中だけにいてとうの昔に死んでしまっているのか。


(10)

 僕を噛んだ彼女とは別の彼女に明日会う。その彼女も噛むだろうか。噛まれるのが趣味ではないがそうされても仕方ない体をしている自覚はある。久しぶりの遠出で服装に悩む。時節柄というのもある。暖かかったり肌寒かったりするこの頃だ。このようにしてほんのわずかの時間だけだが時々君のことを思い出す。それはこれまで生きてきたことのご褒美。悪いことではないだろう?


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