32 決意

 兄はずっと起きていたのだろう。目を開けると俺の顔を覗き込んでいた。


「ケイちゃん……今何時……」

「九時くらいかな」

「お腹すいたよね。何か買ってくる」

「カナに任せるよ」


 コンビニでサンドイッチを買って戻ってきた。そして、そろそろ兄に足かせをしておく意味もないのではと思ってきた。


「ケイちゃん、外しとく。トイレとか自分で行って」

「はぁい。DVD探しに行くんだよね?」

「うん。お金足りるかな……」

「僕のキャッシュカード使って駅前のATMでおろしなよ」

「暗証番号は?」

「〇一三一」

「また俺の誕生日じゃないか」


 五万円ほどおろして、電車に揺られた。目当ての大きな店は映画を観に行ったのと同じショッピングモールの中に入っていた。まだ定期券の期限も過ぎていなかったのでそれを使った。

 念のために兄のスマホを持って行った。もう一度バンド名で検索して、目当てのDVDのパッケージとタイトルを頭に叩き込んだ。

 俺はNの棚を辿った。しかし、一枚も見つからなかった。店員に尋ねて検索してもらったが、近隣の他の店舗にも在庫がないということだった。

 まだ諦めていなかった。こんなこともあろうかと、中古屋の場所も調べておいたのである。電車で移動し、商店街の中まできた。店内はひっそりと静まり返っており、不気味だったが、吸い寄せられるようにDVDを手にした。


「……あった」


 きちんとフィルムがかけられており、見た目は綺麗だった。視聴確認済みのシールも貼られていた。それを購入した後は、早足で駅に向かった。もうすぐ昼だった。

 自宅の最寄り駅まで着いた俺は、弁当を買って急いで帰ってきた。


「ケイちゃん、あったー! 中古だけど」

「おっ、ありがとう。昼食べたら早速観る?」

「うん、そうしよう!」


 昼食はダイニングテーブルで食べた。兄もすっかり食欲を取り戻したらしく、ぺろりと平らげた。

 ソファに並んで座り、俺はDVDのフィルムを外して中を確かめた。すると、手書きのメモが挟んであった。


「……何これ?」

「隠しトラックだって、カナ」


 DVDは二枚組だった。その二枚目でとある動作をすると何かが観られるらしい。


「先にこっち確認しない? 俺すっげー気になるんだけど」

「よし、そうしようか」


 手順はこうだった。二枚目を再生して、十一分十九秒になったら、リモコンの七と決定ボタンを押す。コマ送りをしてタイミングを伺った。


「……ほんとだ、いけた」


 六種類のライブ映像やミュージックビデオが選べるメニューが表示された。一番最後のタイトルを見て俺も兄も沸き立った。他のバンドのアーティストが出演しているらしいのである。その人のことも俺たちはよく知っていた。


「カッコいいなー!」


 メモの字は……見たところ、女性っぽい。前の持ち主が書いたものなのか、はたまた中古屋の店員が親切で入れてくれていたのか。どちらにせよ、俺は感謝した。

 それらを全て観てから、一枚目に入れ替えて最初から再生した。俺も兄もイントロだけで何の曲かわかる。前のめりになり、二人とも押し黙って、食い入るように画面を見つめた。

 一旦タバコを吸ってから、二枚目に突入した。最後の曲で、スンと鼻をすする音が隣から聞こえてきたので、俺は兄の顔を見た。


「ケイちゃん……泣いてる?」

「つい……」


 オイルライターだろうか。客が明かりを灯しているのが映されていた。顔を覆う男性の姿もあった。激しく照明が明滅し、エンドロールが流れた。


「よかったね、ケイちゃん」

「うん。最高だった」


 今、言うべきだと思った。


「ねえ、俺も一緒に死ぬ。痛いのもこわいのも嫌だけど……ケイちゃんとならできそう。俺の全部、ケイちゃんにあげる」

「ありがとう、カナ……」


 兄はぎゅっと俺にしがみついてきた。俺は具体的な話を進めることにした。


「で、どうする? どうせだったらこの家燃やす?」

「他の家に燃え移ったら大変だよ。助け出されて死ねないかもしれないし」

「電車?」

「最近のとこはホームドアとかついてるからなぁ……それに、あまり他の人に迷惑かからない方法がいいな」


 兄のスマホで検索したら、真っ先にヘルプダイヤルへの案内が出てきてしまった。遺族の手記も見つけた。


「……まあ、僕たち遺族居ないけど」

「父さんの親戚で誰かいるんだっけ?」

「ああ、父さんって遺産相続で揉めてからあちらとは縁切ってるんだよ」

「へぇ、初めて知った」


 検索ワードを変えて調べてみた。どの方法を取ったとしても、失敗する可能性はあるし、どうしたって他人に迷惑はかかるらしい。日本だと拳銃も薬も現実的ではない。


「ケイちゃん、やっぱり飛び降りかなぁ」

「同時にできそうだしね。できるだけ高いビル探そう」


 そうと決まれば、決心が鈍らないうちに、手順を考えるまでだ。


「カナはまだやりたいことある?」

「うん。水族館行きたい」

「水族館かぁ……小学校の遠足で行って以来だ」

「あとね、最後にケイちゃんが作ったオムライス食べたい」

「いいよ。僕はビール飲みたいかな」


 決行は明日にした。俺と兄はスーパーに行くことにした。カートを押しながら、兄が言った。


「今日の晩も豪勢にしよう。僕すき焼き食べたい」

「いいね。締めはうどんがいい」

「了解」


 兄は慣れた手つきで食材をカゴに入れた。俺はお菓子売り場に行って、ポテトチップスを何袋か両手に抱えて兄のところに戻った。


「……カナ、それ全部食べるの?」

「いけるとこまでいく」

「欲張りだなぁ」


 そう言う兄こそ、たんまり缶ビールを買ったのを見逃さなかった。

 帰宅してすぐに兄は調理を始めた。やはり兄のこういう姿はいい。好きだ。俺は邪魔にならないくらいには離れて様子を見守っていた。


「カナ、見てる暇あるならお皿出しといて。コップも」

「はぁい」


 すき焼きといえば卵だが、俺も兄も生卵につけるやり方は好きじゃない。鍋の中に落として、固めて食べるのだ。


「ケイちゃん、美味しい!」

「高い肉はいいねぇ。柔らかい」

「卵まだかな」

「もう少し我慢して」


 食後は兄弟揃ってタバコをぷかぷか。もう明日には死ぬのだ。病気の心配なんて要らない。ビールを飲みながら、兄はニヤニヤと俺に言った。


「ねえ……あれ着てよ」

「えー、また?」

「一回しか使ってないんだもん。勿体ないでしょ」

「まあ、いいけどさぁ……」


 風呂に入った後、しっかりと身体を拭いて、例のビキニと靴下を身に着けた。


「ケイちゃんの変態……」

「あっ、もっと言って」

「やだ。ケイちゃんって俺のことネチネチ責めるくせに自分もされるの好きだよね?」

「そういうこと」


 鼻息を荒くして兄が覆いかぶさってきた。俺の身体のことをいちいち褒め、変化も実況してくるものだから、一発殴って黙らせたくなったがやめておいた。

 最後にビキニは外されたが靴下はそのまま。俺もお返しに言葉で責め立てた。スラスラとセリフが出てくるのには自分でも驚いた。

 事後のタバコは格別だった。けだるい身体にニコチンが染み渡る。


「カナと眠るの、これが最後か」

「そうだね。よく眠れるといいけど」


 俺と兄は、ベッドに寝そべって向かい合って、互いの顔をぺたぺたと触った。


「あっ……ケイちゃんそういえば肌荒れ治ってるね」

「カナが買ってきてくれたやつ、ちゃんとつけてたから」

「偉い偉い」


 今夜はどうか静かな夜を過ごせますように。

 その祈りが通じたのか、兄は目を覚ますことはなく、スッキリとした朝を迎えた。

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