28 写真

 ベッドの魔力より、喫煙欲に負けて身を起こした。兄は静かな寝息をたてていた。一服してからコンビニに向かった。今日はおにぎりだ。

 目覚めた時に一人なのは心細いだろう、と思って、俺はベッドにマンガを持ち込み兄の隣で読んでいた。


「カナ……」

「あっ、おはよ。具合どう?」

「しんどい……」

「そっか。でも朝も薬あるんだよね。食べて飲んで」

「うん」


 兄に渡したのは昆布と鮭のおにぎりだ。シンプルな具の方が好きだと知っていた。もしゃ、もしゃ、とゆっくり食べながら、兄が話し始めた。


「……カナが生まれる前さ。父さんと母さんと三人で、動物園行ったんだよね」

「ふぅん?」


 それは、両親が結婚して初めての週末だったらしい。桜舞う季節で、うららかな陽気。花見をしながら母の作った弁当を食べたのだという。


「おにぎりと、唐揚げと、卵焼きと、ソーセージ。三人分だから、大きな重箱に入っててさ」

「母さん作るの大変だったろうね」

「うん。父さんよく食べる人だったから」


 おにぎりを食べ終えて、麦茶を飲んだ兄は、写真が貼られていた壁の辺りを見つめた。


「……写真、撮ったはずなんだ。ゾウの前で。三人で」

「探してみようか?」

「僕のアルバムなんて、なかったと思うけどね……」


 俺はリビングに行った。テレビボードの横に大きな収納があり、アルバムならそこにあるはずなのだ。俺のものはすぐに見つかった。生まれた時から高校生くらいまでみっちりあった。

 手前にあったものを全て引っ張り出し、ようやく見つけたのは、大きな白い封筒だった。そこに写真が詰め込まれていた。


「ケイちゃん、あった!」


 俺は封筒の中にあった一枚の写真を兄に見せた。父と母に挟まれてはにかむ幼い兄。桜も綺麗に写っていた。


「ほんとだ、あったんだ……」

「ケイちゃんのは整理されてないだけでこの中に入ってたよ。ほら、赤ちゃんのやつもある」


 赤子を抱く見知らぬ男性のものがあった。これが、兄の血縁上の父親か。顔がよく似ていた。


「僕って二人の父さんに生かされてたんだよね」


 そう、兄が言った。


「実の父さんはクソだったけど、そいつが居ないと僕は生まれてこなかった。育ての父さんだって……カナが自立したら、また優しくなってくれたかもしれない。元に戻れたかもしれない」

「うーん、それはないと思うよ。俺のためにケイちゃん追い出すとか言ってたし」


 慰めようと思って発した言葉だった。もう埋めてしまったしどうにもならないから。兄の声は震えてきた。


「父さん……ごめん、父さん……殺さなきゃよかった……」

「今さら遅いでしょ。死んだ人は生き返らないんだから」

「また、父さんと出かけたかった……思い出作りたかった……」

「もう、無理だってば。父さん新しい女と家庭作ろうとしてたんだよ?」

「父さんにお弁当作って、一緒に食べたかった……」


 メソメソする兄は面倒だが、涙くらいはぬぐってやった。泣き顔はそれまであまり見たことがなかったのだが、きっとこちらの方が本当の兄なのだろう。俺は精一杯兄の気が晴れる方法を考えた。


「そうだ! 俺、アルバム買ってくる。ちゃんと時系列で並べてさ、きちんとまとめよう。ついでにお昼も調達してくるし」


 兄の返事も聞かずに家を飛び出した。駅前に、小さいが写真屋があったはず。そこで探すことにした。

 あの写真の枚数からすると、一冊にまとめられると思った俺は、写真屋で長い間アルバムを吟味した。キャラクターものはさすがに子供っぽい。しかし、渋いデザインも合わない。最終的に、パステルカラーの水玉の表紙のものにした。

 持ち帰りの弁当を買って帰ってくると、兄はうつ伏せになってまだ泣いていた。


「ケイちゃーん。お昼食べよう。ぐすぐすしないでよ」

「だって……だって……」

「ほら、冷めないうちにさ」


 兄を無理やり座らせて箸を握らせた。ひじきの煮物だけ食べて、あとは残してしまった。

 仕方がないので二食分の弁当を食べた俺は、一服した後、寝室の床の上に座り、写真の並び替えに奮闘した。日付が印字されているものもあれば、ないものもあり。兄の幼さ加減で何となく見分けていくしかなかった。

 兄は眠ったようなのだが、時折呼吸が早くなり、頭を動かすということを繰り返していた。いちいち相手をしても無駄だと思ったので放っておいた。


「よし……やるぞ」


 俺が選んだのは貼り付けるタイプのアルバムだった。丁寧に透明なフィルムをはがし、位置を調整して。ハンカチを使って、すりすりとフィルムをかぶせて。

 最初は手間取ったが、慣れてくると楽しくなってきた。最後のページは、着物のようなものにくるまれた赤子と、スーツを着せられた兄、両親のスタジオ写真。おそらく俺のお宮参りだ。


「ねえ! できたよケイちゃん!」

「んっ……」


 兄はすっかり泣きはらした目をしていて、クマも酷かったが、構わず抱き起こしてアルバムを見せた。


「うん……ありがとう、カナ」

「小さい頃のケイちゃんは割と母さんに似てるかもねぇ」


 これできっと元気になってくると思いきや、兄はボロボロと涙をこぼし始めた。


「父さん……父さん……」

「はぁ……俺、タバコ吸ってくるね」


 椅子に座り、薄く煙を吐き出した。あんなに頑張ったのに、なぜ兄が泣くのかわからなかった。今まで俺がすることは何でも褒めてくれた。絵で賞を取った時も。通知表の体育以外が五で埋まった時も。

 ――もっと。もっと、ケイちゃんが楽しくなれるようなこと、考えよう。

 ヒントを探すため、俺は兄の部屋に入った。学習机の中には、文房具が入ったまま。高校のノートや教科書も出てきた。

 クローゼットには服やカバン。趣味のものと言えるものは……やらしーやつだけだった。ここに隠していたのか。

 そうなると、やはり音楽しかない。俺は寝室に行って、横になっている兄に抱きつき、スマートスピーカーに呼びかけた。


「カナ……今は聴きたくない、気が滅入る……」

「でも、ケイちゃんが教えてくれたバンドだよ?」

「しんどいんだよ……わかるでしょ……」

「ああ、最近のアルバムにする?」

「そうじゃなくて……音自体、耳障りだ……」


 俺は渋々音楽を止めた。これくらいしか好きなものがないはずなのに、一体どうしろというのだ。確かに交代はしたけどワガママすぎないか。


「もう、夕飯抜きね。俺は外で食べてくる。薬だけは置いとくからちゃんと飲みなよ」


 俺はファーストフード店に行ってハンバーガーを頬張った。昼の弁当を詰め込んでいたのでサイドメニューはなし。

 夜も兄と一緒に寝たくなかったので、最低限の世話だけしてやった。シャワーを浴びた後、クロマルを連れて自分の部屋のベッドに飛び込んだ。

 ここで眠るのは久しぶり。この前は確か、父にバレた夜だったか。あの時は絶望しかなかったが、今は違う。父を埋め終わって、風呂に入った後。あれは確かに俺たち兄弟の夜明けだったのだ。

 クロマルは俺の腰の辺りで丸まった。毛並みに沿って背中を撫で、うつらうつらと夢の世界に入っていった。

 夜中に兄の絶叫が聞こえてきた。ガタゴト揺れる音も。しかし、階段を降りるのが億劫だった。俺は目を閉じたまま、静かになるのを待った。

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