24 七夕

 七夕は雨のことが多い。兄の誕生日だからそれをよく知っていた。今年もそうらしく、日付が変わる少し前から降り出した。


「誕生日おめでとう、ケイちゃん」


 時計の針が零時を指した瞬間にそう言ってキスをした。俺の放置事件以来、兄はしおらしくて、黙って俺のされるがままになっていた。


「カナ……離さないで」

「大丈夫。今日はべったり過ごそうね」


 兄は今回有給を取るために、キリのいいところまで仕事を終わらせてきたらしい。疲れていたようなので、そのまま腕枕をしてやって寝かせることにした。


「……うっ……あっ……うぁっ……!」


 呻き声で起こされた。額には汗をかいており、自分の首を手で押さえていた。


「ケイちゃん!」


 兄の手を掴んで離させ、肩をゆさぶった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「久しぶりだね……うなされるの」


 薄く目を開けた兄は俺にしがみついてきた。


「父さんに首、絞められた……」

「もう、自分でやってたんだよ?」

「そうなの……?」

「俺が側にいるから。だから安心して。父さんは死んだの。何もできないの。ケイちゃんが俺に言ってくれたことでしょう?」

「うん……そうだよね」


 兄はそれから、なかなか眠れないようだった。俺も目が冴えてしまったので、兄の身体を包んで声をかけた。


「あんなに深く掘ったじゃない。見つからないってば。あとは俺たちの気の持ちようだよ」

「自信、なくなってきたんだ……殺してからしばらくは平気だったのに……」

「塩舐めてたくらいだもんねぇ。あれにはびっくりしたよ」


 俺はスマートスピーカーに呼びかけた。あのバンドの曲をシャッフル再生したのだ。一曲目から景気の良いアップテンポの曲がかかった。俺が初めて見たミュージックビデオのやつだ。キャッチーなメロディーと反復されるわかりやすいフレーズが気分を高めてくれた。


「また、父さんが出てきたらさ……噛みついてやればいいじゃない。もう俺たちは大人なんだ。父親に怯える年齢じゃない」

「カナ……何か、変わったね」


 変わったのは兄だろう。急に弱気になって。俺を死なせかけたことがそれほどこたえているのだろうか。

 俺は兄の鎖骨を指でなぞった。ふうっと兄が息を漏らした。服の襟から中に侵入し、弱いところをつまんだ。


「んっ……」

「忘れさせてあげる」


 抵抗してこないということは、別にいいということなのだろう。兄の服を脱がせてしまい、むさぼった。ぴくぴくと震えながら俺を求めてくる兄は、以前までの威勢がなく、可愛らしかった。

 朝日が昇る頃に一通りのことはやり尽くしたので、四肢を投げ出して天井を見つめた。兄はベッドを出てフラフラと部屋を出ていった。タバコか。


「うわっ……あっ……!」


 叫び声が聞こえたが駆け寄ってなんてやれない。俺はのんびりと大声を出した。


「どーしたのー?」


 兄が部屋に戻ってきて訴えてきた。


「袋麺、できてた……」

「ああ、前にもあったね。お腹すいたし俺食べるよ」

「大丈夫なの?」

「へっ? ケイちゃん食べた時大丈夫だったでしょ? おかしなケイちゃん。熱々で食べたいから鍋ごと持ってきて」

「う、うん」


 テーブルの上に鍋を置いてもらい、そのまますすった。卵はちょっと固めだ。もう少し柔らかい方が好みだな。

 妙な時間に起きて動いていたので、眠気がやってきた。満腹になった腹をさすり、そのまま落ちてしまうことにした。

 バテていたのは兄も同じだったようで、昼過ぎに目を開けると兄は俺の隣で眠っていた。兄の前髪をかきあげ、頬をさすると、ニイッと口角を上げた。

 腹もそんなに空いていないし、と兄が自然に起きるのを待つことにした。曲は途切れていた。全て再生し終わったのだろう。俺は呼びかけてまた鳴らした。

 ――それにしても、俺とケイちゃん、本当に似てないな。

 半分とはいえ血が繋がっているのに。顔立ちだってそうだけど、体格もかなり違う。俺は兄の本当の父親のことを想像した。兄は彼のことは殺したいと思っていないのだろうか。殺したらまた、埋めるの手伝うけど。

 曲を聴きながら、兄の長いまつ毛の先が時折揺れるのを観察し、そうこうしていると昼の二時になっていた。兄はようやく目を覚ました。


「あっ……カナ……今何時?」

「二時だよ」

「そうだ……ケーキ取りに行かないと」


 兄はチョコレートのホールケーキを買ってきた。ロウソクはついていなかったのでがっかりした。


「なーんだ、ケイちゃんに火ぃ消してほしかったのに」

「要るか聞かれたけど恥ずかしくてさ。自分のやつだし」


 切り分けるのも面倒だったので、兄と二人でザクザクとフォークを刺して食べていった。一番小さなサイズだったのだろうが、それでも量があった。昼食代わりに丁度いい。


「改めて、二十六歳おめでとう」

「はぁ……もうすぐ三十代かぁ」

「ケイちゃん童顔だから全然見えないけどね」


 食べ尽くしたケーキの残骸をそのままに、俺は兄を押し倒した。


「ちょっ……カナぁ」

「次はケイちゃん食べたい」

「もう……」


 俺たち二人以外、誰も知らない部屋の中でのこと。兄弟だから何だというのだろう。俺と兄はしっかりと愛し合っているのだから。

 しとしとと雨が降り続いていた。今夜も天の川なんて見られないと思うが、二人はどうするのだろうか。それにしても、一年に一度しか会えないなんてバカみたいだ。どちらかが閉じ込めておけばいいのに。俺と兄みたいに。


「カナっ、腰、砕ける……」

「はいはい、頑張ってー」


 俺は兄を休ませてやらなかった。極限まで追い込みたくなってみたのだ。最後の方は、声を出すことすらしなくなって、ヒューヒューと乾いた息を吐いていた。

 

「あっ、夕飯何?」


 うつ伏せでシーツを握りしめていた兄に問いかけた。


「ん……何か頼むつもり……誕生日にまで自分のご飯やだ……」

「ピザは?」

「ああ……いいね……」


 俺はベッドからずり落ちそうになっていた兄のズボンを引き上げ、ポケットに入っていたスマホを渡した。


「カナ、前に頼んだやつでいい?」

「うん。マルゲリータ好き」


 兄は注文を終えると服を着て、一旦タバコを吸いに行った。それからテーブルの上を片付け、窓を開けてぽつりと言った。


「雨、止みそうにないね」

「ケイちゃんの誕生日はいつも雨だ」

「でも……僕が生まれた日は晴れてたってさ。母さんからそう聞いた」

「俺の時は?」

「雪がちらついてた。寒かったからね。よく覚えてる」


 ピザが届くまで、兄は思い出話をしてくれた。産院で、弟だよと母に見せられて、頬をつついてみたらしい。


「生まれたばかりのカナは……サルみたいだった」

「えー、サル?」

「髪の毛がしっかり生えてたし、産毛も凄くて。不思議な生き物だなぁって思ったよ」


 ピザを食べた後、俺は入浴をせがんだ。今度は兄を洗いたくなったのだ。兄を座らせ、美容師気取りで声をかけた。


「お湯のお加減いかがですかー?」

「はい。大丈夫です」


 まだ終わらせるつもりなどない。風呂からあがった後、俺は兄の耳元で囁いた。


「もっと、お揃い増やそう……?」

「いいよ……」


 切られているのに、切っている感覚がして。切っているのに、切られている感覚がして。

 まるで違う二つの肉体なのに、俺は自分と兄の境目がわからなくなっていた。

 これでは困るから、兄と繋がり、こすり合わせることで、しっかり自分というものを確かめた。


「生まれてきてくれてありがとう、ケイちゃん」


 兄は、薄っすらと笑った。

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