21 傷痕

 口内を舌でこじ開けられていた。寝起きのぼんやりした頭で、なんとなくそれに応えた。ちゅぱり、と最後に唇を吸われた。


「おはよう、カナ」

「おはよう……」


 甘い朝だ。父が死んだからこそ実現したのだと思うと、手放しでは喜べなかった。兄が言った。


「そうだ、いいもの作ってあげる」

「いいもの?」


 それは、バニラアイスが乗ったトーストだった。


「わあっ……」

「アイス色々買っておいたんだけどさ。合うと思って」


 溶けたアイスがパン生地に染み込んで美味しい。バターもたっぷりと塗られていたのだが、それと調和していた。


「ありがとう、ケイちゃん」

「お昼は何にしようか」

「けっこうお腹ふくれたから……軽いものでいいよ」

「じゃあうどんにしようか」


 排泄を済ませると、兄は仰向けになった俺の上に覆いかぶさってきた。


「カナ……」

「んっ」


 弱いところを集中的にいじくられて、どんどん高まってきた。早く、早く兄が欲しい。しかし、一番触ってほしいところは避けられ、焦れったくなってきた。


「ケイちゃん、早くぅ……」

「きちんと僕のものだって刻みつけたいな……消えないようにさ」


 パッと身体を離されて、兄は寝室を出て行ってしまった。俺は先程の言葉の意味が分からず、中途半端に熱を持たされた身体をきゅっと抱きしめた。

 ――悪い予感がする。


「さっ、カナ。座って。腕出して」


 兄が持ってきたのは、カッターだった。


「や、やだっ! 嫌だっ!」

「切り傷ならちゃんと残るよね。そんなに深くはしないから安心して。血が止まらなくなったら大変だもんね」

「お願いケイちゃん、許して、許して」

「僕の言う事なら何でも聞くんでしょう? 信頼されたかったら、きちんと行動で示して」

「う、うわぁっ、ああっ」


 俺は震えながら身を起こし、右腕を差し出した。

 スパリ。スパリ。

 兄は無言で切っていった。痛みは少し遅れてきた。細い線と血の玉が浮き上がった。


「痛いっ……痛いよ……」

「右だけじゃバランス悪いか。はい、左」

「ひぐっ……」


 俺はダラダラと涙を流していた。兄はいつからこうなってしまったのか。父を殺したからか。それとも元々こうだったのか。

 濡らしたタオルで両腕を拭かれた。血はすぐに止まったようだった。


「もう、泣き止んでよ。あっ……そうか。カナばっかりだと不公平だよね。僕にもやって」

「えっ……」


 兄は微笑みながらカッターを渡してきた。


「はい、やるんだよ」

「うっ……うう……」


 涙をぬぐい、カッターを受け取った。力加減がわからない。浅すぎてもダメだろう。俺は大きく深呼吸をして、思い切ってやった。


「ごめん、ケイちゃん、ごめん……」

「謝らなくても。僕がやれって言ったんだし」


 兄の腕も拭いた。俺は自分の傷跡を直視できなかったが、兄はにんまりと笑みを浮かべながら見つめていた。


「ふふっ……お揃いだね。嬉しいな。僕たち年が離れてるでしょ? もう少し近かったら一緒の服とか着せられてたのかなぁって思うんだよね」

「……うん」

「一生残るお揃いだよ。カナ、嬉しくないの?」


 ここで返答を間違えてはダメだ。俺は兄の瞳を真っ直ぐ見ながら笑顔を作った。


「嬉しいよ……」

「ねー。痛い思いしてよかった」


 血のついたタオルを乱雑にゴミ箱に放り込んだ兄は、俺を押し倒してきた。


「続き、ちゃんとしてあげる……」

「んんっ……」


 切り傷の痛みを忘れるために、行為に集中した。兄が与えてくれる刺激に酔いしれ、もっと欲しいとせがんだ。


「……可愛かったよ、カナ。タバコ吸ってくる」


 俺はそっと傷跡をさすった。これではもう半袖で出歩けない。それは兄も同じか。背負うものがまた増えてしまった。

 戻ってきた兄は、とても満足そうに目を細め、俺に抱きついてきた。


「お昼ごはんには……まだ早いねぇ。もうちょっとこうしてようか」

「うん……」


 散々動いた後だし、触れ合っていると暑くなってきた。


「ケイちゃん、クーラーかけない?」

「ああ、そうだね」


 兄はベッドをおりて、壁にかけられていたリモコンを操作した。


「これでいくらベタベタしても大丈夫」

「もう……ケイちゃんったら」


 いつまた兄が豹変するかわからない。俺は今の状態を楽しんでおくことにした。

 昼はうどんを食べて、しばらく二人で寝転んで休んでいた。明日は出席しないとまずい授業がある。どう切り出すべきか、言葉を選んでいた。


「ねぇ……カナ」

「ん……」

「今度は逆……」

「いいよ」


 満たしてやれば、きちんと話を聞いてくれるだろうか。俺は兄の肌をさすり、尽くしていった。

 兄は俺を可愛いと言うけれど、兄だって可愛い。足をピンと伸ばして震わせて。男性にしては高い声で喘いでくれる。

 少し長引かせてやると、兄は濡れた目で俺に訴えてきた。


「カナっ、カナぁ」

「どうしてほしいの?」

「うう……」


 たどたどしく欲求を伝えてくれたので、俺は兄の髪を撫でてそれを叶えてやった。終わった頃には兄も俺もぐったりだ。


「カナの意地悪……」

「ケイちゃんの可愛い姿見たかっただけ」


 俺はたたみかけるように言葉を紡いだ。


「ねえ、明日は必修科目があるんだ。行かないと単位取れない。そろそろロープ外してよ。お風呂も入りたいしさ」


 すると、兄の表情がすうっと冷めたものに変わってしまった。


「単位なんて取らなくてもいいよ。ああ……調べたけど、退学しようとしたら本人の面談がいるみたい。休学は届けだけでいいみたいだからそっちにしとく」

「ケイちゃん、大学では誰とも話さないし、寄り道もしないし、家のこともやるから。ねっ?」

「ダメ。カナのこと完全には信用できてない。自由に行動されるの不安なんだよ」


 そして、さっさと部屋を出られてしまった。俺は兄に聞こえないよう小さく舌打ちをした。

 このままだと前期の単位を全て落とすことになる。それは避けたい。せめて、ルミにレポートの課題を教えてもらって、自宅から送ればいくつかの単位は取れるのではないか。

 そのためには、スマホを返してもらう必要がある。どういう言い訳を作ろう。

 夕飯ができるまで、兄は来てくれなかった。今夜はグラタンだった。なんとなく食べさせてくれるのを待ってしまったのだが、兄にその気はなかったようで、おずおずとスプーンを取って自分で食べた。

 身の回りのことを済ませて寝る前に、兄はあっと声をあげた。


「どうしよう。長袖のシャツしか着れないや」

「ええ……今気付いたの?」

「やだなぁ、うちの職場なかなかクーラーいれてくれないんだよ。とりあえず、日焼け防止で通すか……」


 あの行動は突発的に取ったものらしい。計画的であってほしかった。これではこの先も何があるか全く予想がつかない。


「はぁ……寝ようか、ケイちゃん。明日も早いんでしょ」

「うん。おやすみ」


 少しの間、静かに横に並んでいたのだが、兄がオムツの上からもそもそと探ってきた。


「……ケイちゃん」

「もう一回だけ」


 返事もしていないのに唇をふさがれた。どのみちこのベッドから逃げられない俺に拒否権はない。

 二人の荒い息遣いが部屋を満たし、卑猥な言葉を交わした。そうしていると乗ってしまう。俺も積極的に動いた。

 ちょっと変化が欲しくなった俺は、兄の耳を強く噛んだ。といっても、歯型が残らない程度だ。

 兄は少し呻いて、それでも嬉しそうで。同じことをやり返された。

 父はこんな俺たちのことを見ているのだと思う。すっかり堕落しきった俺たちを。けれど、元を辿れば父のせいだ。父が俺たち兄弟に平等に接してくれていたなら、運命は変わっていたはずだったのだ。

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