11 外出

 身体が重い。目を開けて手で探ってみると、兄が俺を抱き枕のようにしてべったりとくっついていた。兄を押しのけてベッドから抜け出し、キッチンに行った。また、タバコだ。これも慣れるしかないのだろうか。俺はそれをもみ消した。

 兄はキッチリと土日祝が休みの仕事だ。内容については聞いたことがない。毎日スーツを着て出社するから、事務か営業なのだろうか。聞けるタイミングを失ってしまったな、と思う。

 冷蔵庫にあったサイダーを一口飲み、他に異変がないか見回した。トイレの水が流れる音がしたのでヒヤリとしてしまったのだが、それは兄だった。


「おはよう、カナ」

「おはよう」

「モーニングでも食べに行かない? そういう気分」

「いいね」


 俺と兄は車に乗った。十分ほど行ったところにチェーンの喫茶店があるのだ。俺はミルクティー。兄はブラックコーヒーだ。たっぷりスクランブルエッグがはさまれたトーストを、中身がこぼれないよう慎重に食べた。

 兄はゆったりとコーヒーを口に含んだ後、ぽつりと言った。


「……なんか、落ち着くね。こういうの」

「まあ、今朝もタバコあったけどね」

「またか。次あったらカナも吸ってみれば?」

「嫌だよ……俺は喫煙だけはしないから」


 俺まで父のようになってはたまらない。ただでさえ、兄が父をなぞるような真似をしていて参っているのに。

 兄は一旦店の外に出た。灰皿があることなら入る時に確認していた。俺はスマホを取り出して、パズルゲームをして待った。

 戻ってきた兄がこう提案してきた。


「せっかくだし、このままドライブしない? カナと二人で車乗るなんて、思えばアレしかなかったしさ。思い出上書きしよう」

「まあ、いいよ。暇だし」


 兄は音楽をかけ、気ままに車を走らせた。あのバンドの曲なら、歌いだしくらいは英語で歌えた。俺は時折それを口ずさみ、窓の外を見た。

 どうやら父を埋めた山とは反対方向に進んでいるようだった。市街地を抜け、高速に入った。


「……どこまで行くの?」

「確か大きい道の駅あるんだよね。そこ行こう」


 一時間ほどしてそこに着いた。まずは兄が野菜を見たいと言い出した。


「おっ、これだけ入って二百円か。安いな」

「そうなの?」


 トマトだった。兄は品定めをしてから一袋掴んでレジに持って行った。


「切って塩つけて食べよう。絶対美味しい」

「楽しみ」


 それからソフトクリームを買った。俺が食べようとすると、兄がスマホを向けてきた。


「……ケイちゃん、何してんの?」

「そのまま、そのまま。うん、可愛い」


 兄のスマホを覗き込むと、撮ったばかりの俺の写真をホーム画面に設定しているところだった。


「恥ずかしいなぁ、もう」

「いいじゃない」


 少年のように無垢に微笑むから、俺も許してしまって。兄が幸せそうならそれでいいや、と俺も笑った。

 兄がタバコを吸い終わるのを待って、俺は尋ねた。


「昼ご飯どうする? 今からだと早いよね」

「そうだなぁ……別のとこ行こうか」


 どこかファミレスにでも連れて行かれるのかな、と思いながら車に揺られたのだが……着いたのは、西洋の城のような外観の建物だった。


「えっ、ここって……」

「大丈夫。男同士でも入れるって調べてある」


 駐車場に停まった後、俺はおずおずと兄の後ろを歩いた。わざわざ車で来たのだ、知り合いと出くわすことはないだろうが、それでも不安だった。

 パネルを押したりカードキーを受け取ったりするのは兄に任せた。狭いエレベーターに乗り、三階に着いた。


「ふぅん、こうなってるんだ」


 兄は部屋の中を調べ始めた。何とか大人二人で座れるだろうか、という小さいソファにローテーブル。白いシーツが敷かれたベッド。本当にそのためだけの部屋なのだ。兄が言った。


「わぁ……窓に板あるよ。火事の時とかどうするんだろうね」

「そうだね……」


 俺はベッドのわきにコンドームが置いてあるのを見つけた。兄との行為でこれを使ったことは一度もなかった。この存在を知ってから、使わなくていいのか聞いたことがあったが、お互いが浮気しなければ別にいいのだと言いくるめられた。兄が言った。


「何か頼もうよ。ルームサービスとかあるはず」


 俺はローテーブルの上に置いてあったタブレットを操作した。


「うん……軽食、っていうか割とガッツリしたのも頼めるね」

「どれどれ?」


 二人ともハンバーグにした。待っている間、今度は風呂場の探検だ。


「見て、カナ。バスタブの底にライトついてる」

「うわぁ……逆に萎えない?」

「えー、面白くない?」


 兄が乗り気なので、湯を入れることにして、さらに待った。ハンバーグが届き、それを食べながら、俺は兄に聞いた。


「今さらだけど、するんだよね……」

「うん。ローション持ってきた」

「もう! モーニング行く時からそのつもりだったんじゃない!」

「あはっ、バレたか」


 チカチカと五色くらいに光るバスタブは、やっぱり意欲が削がれた。それでも、家のよりも広くて手足が伸ばせたので、お湯自体は楽しめた。

 時間ならたっぷりあった。いくら汚しても自分で掃除しなくていいから、と兄は無茶をしてきた。

 終わってからまた風呂場に入り、互いの身体についていた精液を洗い流した。耳元で兄は囁いてきた。


「いつもと違うところでさ……楽しかった?」

「うん……」


 兄に触れられると、たちまち燃え上がってしまう自分がいた。もうどうしようもないのだろうか。そして、あれだけ求め合ったというのに、まだ満足できていないことに気付いた。


「ケイちゃん……夜も、したい……」

「すっかり淫乱に育ったね。いいよ。受け止めてあげる」


 帰宅して、兄が料理をしている間、ソファに横になって待った。トン、トン、というリズミカルな包丁の音。トマトを切っているのだろう。

 今夜の食卓はいつもに増して彩り豊かだった。トマトは食べやすい大きさに切られており、レタスも添えてあった。卵焼きと牛肉の炒め物、インスタントの味噌汁。


「ケイちゃん、やっぱりこのトマト美味しいねぇ」

「だね。買ってよかった」


 そんな会話をしていると、ゴトリ、と音がした。俺も兄も一斉にそちらの方を向いた。父の寝室からだ。兄は箸を置いて立ち上がった。


「見てくる」

「お、俺も行く」


 兄が扉を開け、俺も続いて入ると、床の上に何かが散乱していた。兄はそれを一つつまみあげた。壁に貼られていたはずの写真が、一枚残らずビリビリに千切られて落ちていたのだった。


「うぁっ、ああっ……」


 俺が貧相な悲鳴をあげると、兄はため息をついた。


「カナ。片付けるの手伝って」

「やだよ……こわいよ……」

「はぁ……いい。僕がやる。続き食べな」

「ごめん、ごめんね、ケイちゃん」


 半泣きになりながら、残りの料理をかきこんだ。しばらくして、兄が紙片の束を持ってきてキッチンのゴミ箱に捨てた。

 そんなことがあったものだから、ベッドで兄に押し倒されても、恐怖の方が勝ってしまい。


「ケイちゃん、ここでするの、やめた方が……」

「夜もしたいって言ってたのカナでしょ。いいじゃないか、見せつければさ」

「これ以上父さんのこと怒らせたら、どうなるか……」

「いい、カナ。父さんは死んだの。僕たちが埋めたの。こんなくだらないことしかできないの。だから、目ぇ閉じなよ……」


 俺は言われた通りにした。ねっとりと甘い兄の感触に翻弄され、また、快楽の渦に身を投じてしまった。

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