05 変化
手首を縛られ、無理な体勢で事に及んだから、身体がきしんでいた。
それで熟睡できず、夢うつつでベッドに寝転がった。最初に兄に挿れろと命令されてそうしたのは中学生の時。そして、俺も同じことをしろと広げられて、高校生の時に喪失した。
――痛かったなぁ。血は出なかったけどさ。
それが、今では快楽を感じられるようになった。こちらの方が好きかもしれない。その時々の役割を決めるのは兄で、ずっとそれに従ってきたが。
まだ残る腹の中の感覚は愛おしく、ここが父が死んだ場所だとはわかっていても、嬌声が止められなかった。兄は俺のことを知り尽くしていた。深いところまで、全部。
兄がうなされはじめた。俺は上半身を起こし、兄の額をさすった。
「あっ、あっ、あっ……」
顔を歪めて、身をよじっていた。
「大丈夫、大丈夫だよ、ケイちゃん……」
しばらくすると収まり、呼吸も元に戻ったので、俺は兄の身体にぴったりとくっついて体温を感じた。
目覚めると、兄の姿はなかった。全ての部屋を探したが、見つからなくて。今どこにいるの、とスマホで連絡した。冷蔵庫を見ると、新しく焼いたらしい卵焼きだけがラップをかけられ置いてあったので、納豆と一緒に食べた。
食べ終わった食器をどうするべきか悩んだ。うちには食洗機があるのだが、これを使えるのは兄だけだ。俺と父はシンクに置いてそのままにしていた。どこにどの皿をセットすればいいのか見当がつかなかったし、洗剤だってどれなのか。結局、いつも通り兄に任せてしまうことにした。
ソファに座ってテレビをつけると、幼児向けのヒーロー番組が流れていた。俺も誕生日の時に合体変形するロボットを貰った気がする。そういえば、兄の誕生日は、ケーキはあったがプレゼントはなかった。
スマホを何度も確認したが、いつまで経っても返事はなかった。とうとう昼になってしまい、諦めた俺は買い置きされていたカップ麺にお湯を入れて食べることにした。
「カナ、ただいまぁ!」
やけに上機嫌の兄が帰ってきたのは食べ終わった直後くらいだった。
「ケイちゃん、どこ行ってたの。心配したんだからね」
「いやぁ、勝てた勝てた。今夜は美味しいもの食べに行こう」
「えっ……?」
「パチンコ行ってきたんだけどさ。粘ってみるもんだね」
父が賭け事をするのを、兄は良く思っていなかったはずなのに。
「ケイちゃん、本当に、どうしちゃったの……」
兄は俺の声などほとんど聞こえていないのか、タバコに火をつけた。
「ああ、昼は自分で食べたんだ? ごめん、途中でやめるわけにはいかなくて」
「うん……それはいいんだ。ケイちゃんは何か食べた?」
「いや、まだ。おれもカップ麺でいいや」
兄が自分のことを「おれ」と言ったのを聞き逃さなかった。
「ケイちゃん……! また、おかしくなってる!」
「ん……あれ……何でパチンコなんて行ってたんだろう……」
火のついたタバコを持ちながら、兄は空いた手でこめかみを押さえた。そして、ブツブツと何かを呟き出したのだが、よく聞き取れなかった。ぽとり、と灰が床に落ちた。
「タバコ……」
「ああ、悪い、片付けるよ」
兄はタバコを灰皿に押し付けて、ウェットティッシュで床を拭いた。それからカップ麺を作り、三分経つまでぼんやりと頬杖をついていた。
「カナ……僕がまた、変なことしてたら止めてくれる?」
「うん。でも、今朝は止めようがなかったよ。何で俺にも言わないで外に出ちゃったかわかる?」
「起きた瞬間、妙に気分良くてさ。開店前に並びたくなって。それからは、自然と台の前に座ってたな……」
タイマーが鳴った。ほとんどすする音を立てずに食べてみせる様子はいつもの兄だ。しかし、何かを変えないと、兄はどこまでも遠いところへ行ってしまうのではないか。兄が兄でなくなるのではないか。
「ケイちゃん、一緒にライブ動画でも見ようよ」
「んっ。そうしようか」
兄とベッドに寝転がり、俺のスマホで再生した。クリーブランドで行われたライブ映像。白い照明が明滅し、激しいドラムの音が刻まれる。間奏で手を叩き、オーディエンスを煽るボーカル。兄はぽつりと言った。
「もうすぐ六十歳なんだよね……凄いなぁ」
「ミュージシャンって、短命か、いつまでも元気な人か、両極端のイメージだよ」
「確かに。また日本に来てくれないかな。絶対行くのに」
俺は兄と一緒に会場に行くことを夢想した。あの爆音を肌で感じたい。叫びたい。拳を振り上げたい。
動画が終わり、兄は一番気に入っているというミュージックビデオを再生した。兄は俺の髪を撫でた。
「……カナ、したくなってきた」
「んっ……」
舌を絡め、奥の方まで。俺から兄の服の中に手を入れた。肌は温かく滑らかだった。近親相姦の罪なら十分すぎるほど重ねている。これ以上もこれ以下も同じこと。
何度も俺の名前を呼びながら、兄はどこまでも求めてくるから、俺はそれに応じた。関連動画が勝手に再生されているようで、スマホからは重低音が鳴り響いていた。
「カナ、まだ足りない……」
兄は俺の鎖骨の辺りに吸い付いてきた。そこなら隠せるからいいだろう。俺はされるがままになった。
俺を作り出したのは父と母だけど、こういう風に育てたのは兄だ。玩具、と言われたのには傷付いたが……あながち間違ってもいない。しかし、兄が俺を縛るなら、俺も兄を縛るまでだ。
「ケイちゃん。浮気したら、許さない……」
兄を抑えつけて、俺も痕をつけた。兄は満足そうに甘い吐息を漏らし、こう囁いてきた。
「それはカナもだよ……もう、僕たちにはお互いしか居ないんだ」
シーツは二人分の体液とローションでグシャグシャになってしまったので、洗うことにした。俺はソファに座ってぼんやりとサイダーを飲んだ。
「カナ、焼肉行こうか」
「いいね。日曜だけど空いてるかな」
「電話で聞いてみるよ」
予約が取れたので、電車で一駅移動した。少しだけ店内で待ち、その間にメニューを確認した。食べ放題のところだ。
「カナはビール飲む?」
「もう、俺まだ十八だって。ケイちゃん飲みたいなら飲みなよ」
「そうする」
トングをぶん取り、焼くのは俺がやった。それくらいなら俺でもできる。兄は調子よくビールジョッキを傾けた。
兄は苦手なはずだったホルモンにも手をつけ、美味しそうに食べるので、やはりそこは不気味だった。
「ケイちゃん、自分が変わってるの、わかってる……?」
「まあ……ね。なんだか、止められないんだよね……」
満腹になり、甘いものは別腹だとアイスを口に入れ、兄の顔を見てみると、すっかり真っ赤になっていた。そこまで酒には強くないらしい。
兄を連れて帰ると、風呂にも入らずベッドに突っ伏してイビキをかきはじめてしまった。服くらい着替えて欲しかったな、とは思いつつ、何か飲もうとリビングに行くと、また火のついたタバコがあった。
「父さん……いるの?」
返事はない。気配もない。俺はタバコをぐちゃぐちゃにして消した。一人で風呂に入るのも心細くなってしまったので、着替えだけして兄の隣にくっついた。
「ケイちゃん……俺たち、どうなるのかな……」
兄の細い手を握った。雨が降り出したようで、窓に打ち付ける音が聞こえてきた。明日は大学だ。天気予報を見て、夜明けには止むことを確認し、俺は眠りについた。
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