忠犬執事は魔王様のそばにいたい2

私が王子様だと思った彼女は実際には王子様ではなく魔王様だったわけだが、生まれてこの方人間の国でしか育ってこなかった私はそもそも魔王様の姿を見た事もなければ知識だってそんなに無かった。ただ人間が口を揃えて恐ろしい存在だと言っていたのでなんとなく怖い人なのかなって思ってた。


「お返事いただけるかな。できれば早くここを去りたいんだ」

「どこに行くの?私この首輪のせいで魔法も使えないし力だって本来の十分の一ぐらいしか出せないですよ」

「どれどれ、ああ、彼らはとうとうこんなものまで作ってしまったのか」


扉の近くにいた彼女は綺麗な銀髪をなびかせて私の首元に目を向ける。見た瞬間に眉を顰めて表情や雰囲気が険しくなったけど、すぐにパッと笑顔になっておちゃらけたように話し出す。


「何、解除が出来ないわけでもない。少し動かないでそのままでいてくれ」


彼女は両手で私の首輪に触れる。当然その分距離は近くなる。私はすっかり彼女を自分の王子様だと思い込んでいたので段々彼女の顔が近づいてきた時キスされるのだと勘違いした。目を瞑る。少し顔を上に向けて若干唇を突き出す様にした。しかしいつまで経っても唇に何も触れられない。変に思って少し目を開く。


「何してるんだ?首輪ならもう取ったぞ」

「えっ?」

「首輪の契約自体は直ぐに解除できたんだがいかんせんこの首輪自体が物理的にかなりがっちりした物だったからな。無理やり外させてもらった」


そういった彼女の手には綺麗に二つに分かれた元首輪があった。確かに首周りがかなりスースーするし、だいぶ動かしやすくなっている。恐る恐る首元に手を伸ばせば、そこには重量感のある金属性の首輪ではなく、首輪の跡で少し形が歪んでいる私の首が手に触れる。そこでようやく私は涙が出た。やっと、やっとだ。地獄から解放されたのだ。もうアイツの相手なんてしなくて良いし、死ぬギリギリまでの暴力を振るわれたり、外を自由に歩ける。何よりまたあの小説が読めるんだ!だけど生まれた意味なんて無ければ自分の意思さえも意味が無かった私は突然の自由にどうすれば良いのか分からなくなってしまった。死にたいと思ったことしかなくて生きたいと思うことの無かったから、自由になって、好きな小説を読んで、その後は?私は生きて何をしたいんだ?


「色々考え込んでる所悪いが、そろそろ返事をもらえないか?」

「返事?」

「ああ、言ったじゃないか。ここを出て私と一緒に来ないかって」


そういえばそうだった。首輪が外れた事の感動ですっかり忘れていた。彼女についていったらどうなるのだろう。素敵なお城に案内されて、誰も私を殴らなくて、生きてるのに物みたいな扱いをされる事は無いだろうか。どう転んだとしても、ここから逃げ出せて、隣に彼女がいるならそれで良いと思った。


「喜んで」

「良かった、断られたらどうしようかと思っていたんだ。じゃあ早速だけど移動しようか。手を片方出して」

「はい」


言われた通りに出した私の右手を彼女が掬うように自分の手に乗せた。私がよく見た小説だったらそのまま手の甲にキスでもしそうな格好だった。


「ちょっと慣れないと気持ち悪いかもしれないが、そこは耐えてくれ」

「どういう、」


何か嫌な予感がしたので聞こうと思ったら体がふっと浮いた。内臓が全部上に持ち上げられる様な感覚と地に足のつかない気持ち悪さで少し眩暈がしてきた。自分が立っているのか座っているのかも分からなくなったが、すぐにズドンと重力が体にかかるのを感じる。さっきまでの浮遊感とは裏腹に、体の感覚が戻っていくのが急に夢から覚めて現実に引き戻された様だった。


「うっ...」

「おっと、やっぱり誰もが最初はそうなってしまうな。慣れればそんなに大した事じゃないんだが」


気持ち悪さに耐えている私と平然とした顔で背中をさする彼女。そもそもこれって転移の魔法?そんなの人間で使える者はいないし、存在は知っているけど、かなり古い本でもあやふやなことしか書いてない程度のいわゆる古代魔法だ。


「自己紹介がまだだったな。私はモネチア、魔族たちをまとめている者で周りからは魔王と呼ばれている。君の名前は?」

「私、名前がないんです」

「何だって?」

「生まれた時から人間の奴隷をしてて、呼ぶ時も、おい、とかお前だったので」

「それは...」


まあ、これは別に無いわけでもないケースだ。普通に生きていて人間たちに捕まえられたパターンの場合はちゃんと皆んな固有の名前を持っているが、私のように奴隷と奴隷を掛け合わせた魔族の場合は、良くて番号、ないしは身体的特徴で済まされる。お店にいた頃は番号で呼ばれていたけど、買われてからはそれすら無くなった。


「別に私はなんと呼んで頂いても大丈夫ですけど」

「名前が無いのは不便だ。そうだな、君は何か好きなものはあるか?」

「好きなもの?」

「ああ、なんでも良いぞ」


私の好きなものって言ったらあれしかない。


「恋愛小説が好きです」

「恋愛小説、良いじゃないか。私も良く本を読む。ふむ、ならば君は今日からシニメノと名乗ると良い。中々似合うんじゃないか?」

「シニメノ、はい、ありがとうございます」


誰かから何かを貰うのは初めてだ。しかも名前。嬉しい、嬉しすぎて怖くなってくる。こんな私に都合の良いことばっかり起こって、実はこれは私の夢なんじゃないかって思いだしてきた。夢はいつか覚めるものだ。覚めてほしくない。永遠にこの幸せのままでいたい。


「大丈夫か?顔が真っ青だ。環境も変わって疲れているだろう。部屋に案内するからそこで休むと良い」

「貴女は?」

「ん?」

「そばに居てくれないんですか」

「そういうことか。それなら君が眠るまでそばに居よう。それでも寂しいのなら起きるまでそばに居るぞ」

「ありがとうございます」


部屋に着いたら直ぐベッドまで案内されてそのまま横になるよう促された。素直に従えば、確かに私は疲れていたらしい。横になって直ぐに眠気が来た。どんどん意識があやふやになりそうな中、ふと気になったことがあった。どうしても気になって今すぐ聞きたかったのでちょっと気合を入れて目を開けて魔王様に聞いてみた。


「あの、」

「どうした?眠れないのか?」

「そうじゃなくって、聞きたいことがあるんです」

「言ってみろ、答えられるならちゃんと答えるぞ」

「私の名前、付けてくれたじゃないですか。あれってどういう意味なんですか?」


シニメノ。私は知識がないからそれが一体どんな意味なのか分からなかった。せっかく付けてもらった名前だ。意味があるなら知っておきたい。


「それか。恋愛小説が好きだと言っただろう。今はもう滅びてしまった昔の言語の一つから取ってもので、恋慕という意味を持っている」


恋慕。それは憧れてはいたけど今までを振り返ると到底似合わないものだけど、ああ、でも今の私にはぴったりなものだった。

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