第24話 警察庁零課お掃除班③

 夢も見ないほど熟睡した。

 目が覚めた時、とっさに自分がどこに寝ているか、思い出せなかったぐらいだ。

 ふと横を見ると楓が同じ布団にもぐりこみ、気持ちよさそうに眠っていた。

 びっくりしたが、息のかかる距離にあるプロモデルの顔に、メイは思わず見入ってしまう。


(うわあ、眠ってても美人さん! お人形さんみたい……! お肌きれい、まつげ長ーい)

 起こすのは申し訳ないような気がしたが、そっとつっつき、小さく声をかける。

「野々宮さん、野々宮さーん」


 ぱち、と目が開いたかと思うと、楓はがばっと跳ね起きた。

「はい! 今行きますっ……って、あれ?」

 ねぼけて撮影現場で仮眠を取っているのとかんちがいしたらしい。


 そこが保健室なのに気づいて「たはー」と頭に手をやる。

「やー、ごめんごめん、最近寝不足続いてたんで、つい」

 ばつが悪そうにメイの横から抜けだし、ベッドわきに立ってのびをした。

「ふわー、ちょっとすっきりしたわー。メイはどう?」

「うん、少し楽になった感じ。筋肉痛はまだ、すごいけど」


 起きあがるメイのおでこに、楓は軽く手を当てる。

「さっきよりはマシだけど、まだ熱あるね。早退しなさい、早退」

「うん」


 保健室の先生に早退届を出したところで、ちょうど休み時間になったので教室から鞄を回収した。母に簡単なテキストメッセージを送り、学校を出る。


 ずいぶんよく寝た感じがしたのに、二時間もたっていなかった。

 午後早い時間にがらんとすいたバスに揺られて家へ帰るのは、なんだか不思議な気分だ。

 楓もしっかり、ついてきた。


「ちゃんと送る、って保健室の先生にも言ったしね」

「迷惑かけちゃってごめんね。授業、受けたかったよね」

「ううん、別に」

「えー」


「久しぶりに三日間、なんにも予定入ってないの! メイ誘って遊びに行こうと思ってた」

「あはは」

「でもあんたはまず、ちゃんと休まないと、だね」

「はーい」

「で、これはただの、好奇心なんだけど」


 二人がけの座席で、周囲に他に乗客はいなかったが、楓はなんとなく声をひそめる。

 素直に「うん?」と耳を寄せてくるメイに、続けた。


「さっきメイが言ってた、あの神さまがすごーく広い土地のケガレを祓ってくれたって話」

「うん」

「どーやって祓ったの? て言うか、そもそもあの神さま、ケガレとか祓えるの?」


「それ、わたしも知らなかったんだけど、前に死霊のひとにからまられた時……」

「えっ、なに、からまられたの? メイ! だから人型のオバケには声かけちゃいけないって、あれほど……その時、あんたの神さまはどこにいたのよ!」


「はぐれちゃって、いなかったんだけど、すごくあぶない時、近くで声がした気がして」

「ほう」

「それで我に返って、なんとかなったの」

「ほうほう」


「でね、気がつかなかったけどその時、ケガレがついちゃったみたいでね、次の日に学校でスサノオに『くさい』って文句言われて。よくわかんないでいたら、スサノオが、こう」

 軽く手をふる仕草をして見せる。


「こう、ほこりでもはたくみたいな感じ? 小さいままだったのに、その動きでちょっと痛いぐらいの風が吹いてね、そしたらきれいさっぱり祓われちゃったらしくて、身体が軽くなって」

「なんと」


「『次から自分でやれ』って言われて、それからは自分で気をつけてるけど……」

「つまり、ほんとにケガレ、祓えるんだね。さすが神さま!」

「そうなのー」

 スサノオが敬われると、それだけで輝くばかりの笑顔になるメイに、楓も笑った。


「しっかし、手をふるだけでケガレを祓えちゃうとはねー。でもさっきの話に出た国立公園って、ずいぶん広かったってふうに聞こえたけど……」

「うん。なんか十何キロ四方? とか言ってたかな」

「そんなバカみたいに広い場所、十数人の霊能者さんと、神さまひとりでどーすんのよ」


「お掃除班のみんなが手分けして、古いお社とか泉みたいな、浄化ポイントを手分けしてまわってね、残りの森林とか尾根とか谷とかはぜーんぶ、スサノオが片づけてくれたの」

「だから、どーやって」


「小さいまま、ふつうに、森めがけて飛んでった」

「は?」


「そしたらね、わたしの目には針葉樹の森に見えてたところが……こう、真っ黒にそびえてるとげとげした森が、四車線ぶんぐらいの幅でまとめて消し飛んで……スサノオが通りすぎたあとはぜんぜん種類のちがう、背の低い、明るい色の森になっていくの」

「びっくり」


「それもすごい速さでね、見えない特大新幹線が、ケガレの森を削って飛んでくような感じ。おっきな消しゴムかけてるみたいにみるみる、山の色が変わっていくんだよ」

「見たかった!」


「集まってたベテラン霊能者さんたちも『空飛ぶブルドーザー!』『すごい! ありがたい!』って大喜びで、夜、解散する時、みなさんすごい感謝して、スサノオのこと拝んでくれて」

「あはは、あの神さま、どんな顔してた」


「……嫌そーな顔して、先に帰っちゃった。失礼だよね」

「ぶははは」

 爆笑する楓につられて笑いながら、メイは、ふと気づく。


 千里班長は、メイにはとてもできないほど自信たっぷりに、当たり前みたいにスサノオに「お願い」し、スサノオもあっさり聞き入れて、あれほどの大仕事を片づけてくれた。


 目がくらむほどうれしかった。


 同時に、息苦しいほどうらやましかった、とあらためて自覚する。


 お昼休みに、千里班長がスサノオと言葉を交わすのを見た時も、そうだ。

 小さい破壊神と千里班長は、ハイキングコースの案内板に貼った地図を前に、このあたりにもののけがいない理由や、「気脈の詰まり」とその対処の仕方について話し合っていた。


 メイにはちんぷんかんぷんだったが、ふたりにとっては常識のようで、長年一緒に働いてる同僚みたいにムダなくてきぱき、話が通じていた。

 すごく、気が合っているように見えた。


(わたしまだ……なんにも知らない。妖怪のことも霊力のことも……ぜんぜんわかってない)

 思わずぎゅっ、と拳を握りしめる。


 メイなら六回掃いてやっと浄化できるかどうか、というぐらい強固なケガレの〈樹木〉を、小さい破壊神がそばを通るだけで何十本もまとめて消し飛ばしたのも衝撃だった。


 ちなみに千里も数本ぐらいなら、ひと掃きで消し飛ばす。

 しかも千里は人間なのに、ぜんぜん疲れない。

 神さまと同じぐらい、底なしに元気だ。


(わたしも、もっと……もっと強くなりたい……! うんと、うんと強くならないと……)

 スサノオと闘うという約束を、果たせない。


「て言うかさ、メイあんた、忘れてない?」

 という声に物思いからさめ、ふり向くと、楓がいたずらっぽい目でのぞきこんでいた。

「な、なにを?」


「オバケって普通、タダでたのみをきいたりなんか、しないんだよ」

「あ……そういえば零課の研修でも、もし神社とかでなにかお願いしたら、あとで必ずお礼参りして、お供えをさしあげなさい、って……」

「そう、それ」


「ええと、千里さんにもスサノオにお供えするよう、たのんだ方がいい……ってこと?」

「逆よ、逆!」

「???」


「あんたの神さまが千里さんのお願いを聞いたのは、返礼として、だったとあたしは思うな」

「え……? 返礼? で、でも、千里さん、スサノオに会うのもあれが初めてで……」


「あんたのこと、鍛えてくれてるじゃない」

「え……」

「千里さんがあんたをすごく強くしてくれたから、あんたの神さまはお返しに、ものすごく広い森、きれいに祓ってくれたんだよ」

「!」


 その発想はなかった。

 ぽかんと目を丸くするメイに、楓はにんまり、とどめを刺す。


「お願いなんかしなくてもさ、あんた、あの神さまにすんごく、大事にされてんじゃん」

「え……」


 熱のある頭にゆっくり言葉の意味がしみこんでくるにつれ、メイはじんわり赤くなる。

 そうかもしれない……いや、確かにそうだ。

 とっくに何度も助けてもらっている。


 死霊にとり殺されかけた時、その場にいなかったのに助けてくれた。もののけが封じられた箱を前にどうしていいかわからなかった時も、助けを求めるより先に、教えてくれた。

(お月さまのかけらまで……もらって……なのにわたし、わたしったら……)


 お願いなんかしたら、嫌われるかも……なんていじけたこと考えてうじうじ悩んでいたなんて、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。


 穴があったら入りたい。

 消えてなくなっちゃいたい。


 耳たぶまで真っ赤になって固まるメイの横で、楓があわてた声を出した。


「わ! ごめん! 落ちつけ! 落ちついてメイ! あんたのオーラがすごいことになってる、まぶしっ……か、からかってごめん、ごめんってば!」


 学校でもらった解熱剤の効果が切れたのか、恥じ入りすぎて力尽きたのか。

 家にたどりつくころにはまた熱が上がって、メイはまっすぐ歩くのもあぶなくなっていた。

 楓はメイの鞄を持って家の前まで送ってくれたものの、さすがに心配そうにきく。


「ほんとにうちにひとりでだいじょうぶ? お母さん帰るまでついててあげようか」

 その時、

「メイ!」

「えっ、お母さん……?」


 メイと楓が驚いてふり返ると、メイの母が走ってくるところだった。

 豊かな胸をはずませ、長いスカートのすそを蹴立てて、美人が台なしのすごい気迫だ。

 あっという間にふたりに追いつき呼吸を整える母を前に、メイは気圧されてつぶやく。


「ま、まだお仕事時間中じゃ……」

「早びけしたの! とーぜんでしょ! 熱出たって何度? まだあるの? やだ、熱い!」

 メイのおでこをさわって青ざめたところでやっと、ぼうぜんと立っている楓に気づいた。


「野々宮さん! うちの子送ってくれてありがとう! いつもお世話になっちゃって……」

「いえいえ、どうぞその、お気になさらず……」

 たじたじと後ずさる楓から、ぱっとメイの方へ向き直る。玄関の鍵を開けながら、

「ちょっとここで待っててね! お母さん、診察券と保険証と、マスク取ってくるから」

「え……」


「病院行かなきゃ! インフルエンザか、コロナかも!」

「え、こ、これはその、ただの疲れで……」

 と言うひまもなく、家に駆けこんでいってしまった。


 楓はメイと顔を見合わせ、どちらからともなく忍び笑いする。

「あはは、メイのお母さん、あいかわらずだね。ひとり娘だからって、すんごい心配症ー」

「うちでゆっくり、寝ようと思ってたのに……」


「まあまあ、親孝行と思って病院行っておいでよ。ほんとになにかにかかってたら困るし」

「ないと思うんだけど……」

「よく休みなよ! お大事にー」

「ありがとー」


 楓と別れてすぐ、駆け戻ってきた母にひっぱられて、メイは、小さいころからかかりつけの近所の病院に行った。先生の診断はふつうに「過労」だったが──。


 おかげで母は夕飯の間じゅう、ぷんぷん腹を立てていた。

「モデルさんのレッスンって、そんなひどい筋肉痛になるほどなの? だいたいいつも夜遅いし、ジャージも泥だらけになってたりするし、なんの修行なの、って感じ!」


 今にも「辞めちゃいなさい!」と言い出しそうな母をなだめるのに、メイは必死だった。

「わ、わたし初心者だから……体力なくて、コツもわかってないから疲れちゃうだけで……」

「信じられない!」

「で、でもベテランの千里さんなんて、どんなに動いてもぜんぜん、疲れないんだよ!」


 もちろん、「千里さん」がケガレ祓いの専門家だなんて明かすわけにはいかないが、


「わたしもあんなふうになりたくて、ちょっとでも近づきたくて、がんばってるとこなの」

 という気持ちは本当だった。


 内気な娘のめずらしくきっぱりした物言いに、母は驚いた顔をした。

 しぶしぶ、折れた。

「それなら……いいけど。あんまり無理しないでね」


 もらった薬を飲み、母に湿布も貼ってもらった。やっと二階の自室にあがった時には、今にもそのへんに倒れてしまいそうなほどへとへとだった。

 それでもメイは、本棚の上の神さまに、耐熱皿に乗せた花細工をいくばくか出した。


「今日も……ありがとうございました」

 ゆらゆらしながらも手を合わせて挨拶するメイに、小さい破壊神は、片ひじをついて寝そべったまま、わずかに目を細めた。


「なんだおまえ。いつもより温度が高いな」

「はい」

「寝ろ」


 味もそっけもない、しかしまぎれもない思いやりの言葉に、メイは思わずほほ笑んだ。

「はい、おやすみなさい」

 パジャマには着替えたけれど、髪をほどくのは忘れてそのまま寝てしまった。


 翌日は、お昼過ぎまで寝すごした。

 起きると、生まれ変わったみたいに元気になっていた。

 びっくりするぐらい身体が軽くて、今からでも学校に行こうかと思ったぐらいだ。

 さすがにやめた。


 着替えて、母が置いていってくれたごはんを食べ、自室で、心ゆくまでお供えを折った。

 今日は小さい破壊神は、なにもぶつけて来なかった。

 目を覚ましているのに置物みたいに静かで、でも、機嫌がいいのがわかる。


 メイは、出せなかった朝のお供えを、夕方に出した。

 母はいつもより早く帰宅して、メイが元気なのを見てとても喜んだ。


 久しぶりに一緒に晩ご飯を食べた。母のお気に入りドラマ『どんちゃら探偵の野望』をちょっとだけ一緒に見てお風呂に入り、早く寝るつもりで二階にあがる。


 寝る前に、夜用のお供えをもうちょっと折ろうと折り紙を広げた時、スマホが鳴った。

 てっきり楓かと思ってなにげなくとったら、

『神納さん?』

 千里班長の声に、メイはびっくりして椅子から立ちあがった。


「はい、神納ですっ。す、すみません、昨日と今日、お休みいただいちゃって……」

『こちらこそ、こんな時間にごめんなさい。調子はどう?』

「はい! おかげさまですっかり元気です。明日はちゃんと出られると……」

『ごめん。今からおうち、抜け出せる?』

「えっ……」


『ちょっと遠い現場で、手を借りたいの。帰りは真夜中すぎるかも。あなたの神さまにも来てほしいんだけど……メイちゃん未成年だし、無理なら断ってくれていいから』

 いつも元気な千里らしくない沈んだ声音に、メイは緊急事態なのだと悟った。


 なにかはわからない。でも、よほどのことにちがいない。

「行きます」

 即答した。



警察庁零課お掃除班④へ続く


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