第23話 警察庁零課お掃除班②

 十日後の、昼休み。

 お供え用折り紙を折りながらも、ときどきこっくり眠りかけるメイに、楓は言った。

「どーしたの。今日はまた……えらく、くたびれてるね」

「うん……」


 力なくうなずいたきり、メイは黙々とひとつ花を折りあげ、缶にしまう。

 次の紙を手に取る気力がわかず、そのまま机につっぷした。


「もーダメかも。お休みほしー」

「もらいなよ」

「言い出しにくいの。めちゃくちゃ忙しいし、班長さんはいつ見ても元気だし……」

「班長さん?」


「あ、わたし最近、零課お掃除班ってところに、仮編入になってね」

「お掃除班! なにを掃除するの」


「ケガレ。さびれた神社とか廃墟とか、意外なとこではイベント会場とか……ケガレがたまってすごいことになってるとこを祓って……浄化してまわるの。あ、正式名は鎮静班」

「なるほど」


「で、そこの班長さん、女性なんだけど」

「へえ! 白髪頭のおばあちゃん、とか?」


「ううん、若くて元気で、スポーティーなひと。いっつもおしゃれなジャージ着ててね、髪型ポニーテールで、スポーツのインストラクターさんみたいで……すんごいスタミナあるの。絶対、わたしの千倍は祓ってるのに、いつ見ても元気はつらつなの。すごすぎ」


 初日にまわった五カ所のケガレは、中では軽い方だとあとで知った。

 メイが初心者だから、あまり「重たく」ない現場を選んでくれたらしい。


 だが翌日連れて行かれた河川敷のケガレは、ちょっとやそっとなでたぐらいではびくともしない、本物の樹木としか思えない密度と強度で、みっしりと密生していた。


 祈念をこらし、掃く。

 またこらして、掃く。

 無我夢中で祈って、掃く。

 跳ねかえされて、しりもちをつく。

 立ちあがり、半泣きで、また掃く。


 知らないうちに竹ぼうきを握る手のひらの皮がむけた。まめができ、つぶれた。

 あまりにも大変で、帰りは千里が車で送ってくれたのだが気絶するように眠った。その日の晩、うちでなにを食べたかなにをしたか、メイはなにひとつ覚えていない。


 なのに休みもなく、翌日は崩れたお寺。


 次は廃墟になった団地。


 竹ぼうきは「仕事」を終えるころには異様にすりきれ、時には焦げたりして見る影もなくボロボロになってしまうため、毎回、新品を支給してくれる。


 でも、休みはくれない。

 千里はいつも笑顔だし親切だけれど、スパルタだった。


「わたしがどんなにへろへろでも『だいじょうぶ! できるわ!』って言うの」

 ついグチっぽくつぶやくメイに、楓は笑った。

「霊能者の人ってみんな、そうなのかねえ」

「え?」


「だって零課の課長さんも、メイにそんな感じのこと言ってたし。なんだっけほら『大丈夫、できると思うことはできます』だっけ?」

「あう。そ……そうでした」

 メイは恥ずかしさに頭を抱えて縮こまる。


 そんななんでもない動きでも、全身筋肉痛でつらい。

「それで、あんたの神さまは?」

「んー、よくわかんないんだけど、なぜか……ご機嫌?」

 言うと、怪異を見る目を持つ楓は「ははあ」とメイをじっくり見直し、うなずいた。


「あんたの神さまの機嫌がいいのは、あんたが強くなってるからだよ」

 メイはびっくりして顔をあげる。

「そんなこと、どうしてわかるの?」


「オーラが強くなってるから。ぱっと見同じだけど、よく見ると前とは厚みがちがうって言うか、芯ができてきたって言うか。短い間によくこんなに、ってぐらい強くなってる」

「全然……そんな感じしないけど」


 少し気力が戻ってきたのでメイはまた紙を取り上げ、折り始めた。つい、こぼしてしまう。

「忙しすぎて、最近お供え、たくさん折れないし」

「それはまあ、あんたの神さまが文句言わないんなら、いいんじゃない?」

「それとね……これはべつに……べつにいいんだけど……」


 めずらしくも不満そうに口をとがらせるメイに、楓は笑った。

「メイ、あんた『べつにいい』って顔してないよ。言いなよ。聞いたげるから」

「うん……スサノオったら……千里さんのたのみをきいたんだよ」

「え、ほんとに?」


 それはびっくりだ。

 でも楓としては、メイのふくれっ面の方がおもしろくて、つい身を乗り出す。


「どういういきさつ? あの神さまが誰かのたのみをきくなんて信じられないんですけど!」

「おとといの現場がものすごーく広い、国立公園かなんかの敷地でね」

「あ、もしかしてメイが学校、休んだ日?」


 メイは花を折り続けながらこっくり、うなずいた。


「朝いちで現地集合で、お掃除班所属のベテラン霊能者さんが、十人以上集まってね。全員でがんばって、それでも夜までかかるぐらい広かったの」

「うわー」


「でね。それまでは『守護神さんは連れて来ないで』ってことだったんで、ひとりで通ってたんだけど、その日は『もしよければ一緒に来てもらって』って言われて。スサノオも、千里さんに興味あったみたいでついて来てくれて……」

「ふんふん」


「そしたら千里さん、高いとこにいたスサノオをこう、ちょいちょいと手招きして呼んで」

「えー、あの神さまの怖さわかる霊能者さんがそんなことするの? すごい度胸だね」


「で、降りてきたスサノオ拝んで、『よくおいでくださいました。突然で失礼ですが本日は、我々の手の届かないケガレを祓っていただきたく、ご助力お願い申しあげます』って」

「うそ」


「驚くでしょ? ぜんぜん聞いてなかったから、わたし、びっくりして固まっちゃったんだけど、そしたらスサノオが即答で『いいだろう』って」

「ええっ?」


 実を言うとその時メイは、うれしいとも感じたのだった。

 それもすごく! だ。


 小さな破壊神が人間のたのみを聞いてくれるなんて、人間のためになにかをしてくれるなんて、それだけでもすごい奇跡に思えてうれしくてたまらなかった。千里みたいな零課のえらい人がスサノオをたよりにしてくれるのも、とてもとても、言い尽くせないほどうれしかった。


 感動で泣けてきちゃうぐらいうれしかったのだけど……同時に、もやもやしてしまった。

 今思い出してもやっぱり、もやもやしてしまう。


「しかも千里さんったら、ものすごーく広い範囲を平然とたのんじゃって、そのうえ、『あ、お手数ですが山ごと吹き飛ばすのはご遠慮ください。樹木も傷つけないよう加減願います。あと、社やほこらの上は避けて通ってください。壊れると困ります』なんて、平気で言うの。で、スサノオも『こまごまうるさいやつだ』とか言いながら、ちゃんとそのとおりにしたんだよ」


「それはすごい!」

「うん。すごいんだけど……」


 楓はあらためて、メイが折り続けている花と、メイのむっつりとした顔を見くらべた。

「でも、そんな顔しながら折ってるのに、お供えには雑念、ぜんぜん入らないんだねー」

「え?」


「あんたがどんだけあの神さまが好きか、あらためて思い知る感じ」

「ええー?」

 頬を染めてうろたえるメイに、楓はため息をつく。


「つまり、こういうことでしょ。あんたとしては、あのあぶない神さまが人助けしてくれるなんて、うれしいびっくりだった。でも、他の人……しかも初対面の人のお願いをあの神さまがあっさり聞き入れるなんて思ってなかったから、これはあんまり、うれしくなかった」

「そ……だって……」


 メイはためらった。

 恥ずかしい。

 でも楓になら話してもいいような気がして、とつとつと言葉を押し出す。


「わたし……わたしはスサノオに……人を殺さないでください、とか、いろんなものを壊さないでください……とか……そういうお願いはよくしてるけど……でも……」


 助けてほしい。

 力を貸してくれたらいいのに、と思ったことは、たくさんある。

 数えきれないほどある。

 生き霊だった時の記憶はあいまいだから、確かなことは言えない。

 けれど、少なくとも身体に戻ってからは──


「ついて来てください、ぐらいまではたのんだことあるけど……」

 それでも、ほんとうについて来てほしいところには、ついて来てくれなかったりする。


「あんな、千里さんみたいにあっさり……力を貸してください、あれこれしてください、なんて……お願いしたことない……から……」

 消え入りそうな声でつぶやくメイに、楓はあっけらかんと言った。

「じゃあお願いすれば」


「そっ、そんなことできないよー」

「なんで? ってゆーか、あんたなんでそんな、泣きそうな顔してんの?」

「だって……だってわたしなんか……い、意気地なしの、弱虫毛虫で……すっ、すぐくじけちゃうし、に、逃げたくなっちゃうし」

 ぽろっと涙をあふれさせるメイに、楓はあわててティッシュを差し出した。


「そ、そんなことないと思うよ! て言うか、あんたはよくやってる、すっごくがんばってると思う! 最近、ちょっとがんばりすぎで心配なぐらい」

 メイは眼鏡をはずし、もらったティッシュに顔をうずめて気を取り直そうとがんばる。


「でも……でもね……き……嫌われちゃう気がするの……」

「えっ?」


「野々宮さんは知らないから……スサノオは……神さまは、す、すごいんだよ。絶対、あきらめないの。死んでも、あきらめないの。わたし……わたしなんか、いくら死ぬ気でがんばったつもりでも……まだ、ぜんぜん……あっ……足もとにもおよばなくて……」


「いやそれ、くらべる相手まちがってるから!」

「そ……そう?」


「あっちは神さま、あんたは人間。人間は、死んでもあきらめなかったら死んじゃうの!」

「そ……そうだけど……でも……わたし……」

 どっとあふれ出す涙に、ティッシュがみるみるぐっしょり濡れていく。


「つ、つまんないことで、よくひるむし、わたしにはすごく……たっ、大変なことでも、ひとから見たらぜんぜん、ってこと、よくあるし……ち、ちゃんとがんばりきれてるか、いつも……いっつも自信なくて……こんなわたしがスサノオに、力を貸してください、なんてお願い……する資格ない……って、お、思ってて……」


 しゃくりあげ、本格的に泣きだしてしまうメイに、楓は驚いて立ちあがった。

 背中をなでてやりながら、


「おバカさん。あんたさっき、あんたの神さまご機嫌だって、言ってたじゃない」

「う……うん?」

「それこそ、あんたが『死ぬほど』がんばってる証拠でしょ」

「あ……」


「死ぬほどがんばって、できることは全部やって、それでもどうしようもない問題に出くわしたら遠慮なく、助けを求めたらいいんだよ。絶対、助けてくれる。あの神さまはそれであんたをバカにしたり、嫌ったりなんか、しないよ。でしょ?」

「……うん」


 言われてみればほんとうにそのとおりで、なんで気がつかなかったんだろう、という思いにメイは目を見開く。おかげで少し落ちついたが、まだ涙が止まらないうちに予鈴が鳴った。


 クラスメイトが教室に戻りはじめ、メイの泣き顔に気づいてびっくりする。

「え、神納さん、どうしたの?」

「な、なんでもないの。ただ、ちょっと……」

 しどろもどろのメイを、楓はうながして立ちあがらせた。


 作りかけのお供えにふれないよう、缶のふたですくって片づけてやる。

「メイ、あんたちょっと疲れすぎ。身体熱いし、絶対、熱ある」

「え……」

「保健室行こ。連れてったげるから」


 楓に手をひかれて──

メイは入学以来初めて、保健室に行った。

 場所さえよく知らなかった。もしひとりだったら、運良くたどりつけたとしても絶対、中には入れなかっただろう。


 測ってもらったらけっこう高い熱が出ていて、解熱剤をくれた。

「おうちの人に連絡して、迎えに来てもらう?」

 心配する保健室の先生に、


「いえ、母は仕事中なので……ちょっと休んだら自分で帰れますから」

 メイは言い、楓も「わたしが送って行きますから! 幼なじみで家も近いんです」と援護してくれたので、母には連絡されずにすんだ。すんだのだが、


「メイ、寝る前に、はい」

 保健室のベッドにすわったメイに、楓は、メイが小机に出したばかりのスマホを手渡した。

「? お母さんには、学校出る時にでもテキストメッセージ送ればいいかな、って……」

「お母さんじゃなくて、今日のお仕事! 断らなきゃ」

「あう。で……でも……」


「まさかその体調で行けるなんて思ってないよね? しかもハードな肉体労働なんでしょ?  今すぐ、欠勤の連絡入れなさい。来ると思ってるスタッフが来ないと現場は困るの。来られないなら来られないと、早くわかる方がいいに決まってるんだから!」


 さすがプロのモデル、社会人の経験値がちがう。

 楓は、ほら、早く電話して! と目顔でせかしながら、間仕切りのカーテンを閉める。


 メイは家族や楓以外の人に電話をかけるのが、苦手だ。

 欠勤の連絡どころか、簡単な問い合わせの電話だって、できればかけずにすませたい。


 しかし楓の無言の圧力に負け、冷や汗をかきながら零課のサポート係の番号を打ちこんだ。

 係の人はすぐ出てくれたが、おかげで心の準備が間に合わず、緊張に声が震える。


「か、神納五月です。も……申し訳ありませんが、その……た、体調不良で……はい、今日のシフトはお休みさせてください……はい……はい、ありがとうございます……すみません」


 二十秒もかからない簡単な通話だったのに、切った時には熱が一度あがった気がするぐらい、ふらふらになっていた。

「ご苦労さま! お休み、もらえたね」


 にっこりねぎらう楓にスマホをあずけて、メイはのろのろと布団にもぐりこむ。

「うん。今日と……明日も……オフになりました」

 夢みたい。


「良かったね」

「野々宮さん……」

「うん?」

「ありがとう」


 まぶたを閉じた、という自覚さえないうちに、メイはすとんと眠りこんだ。



警察庁零課お掃除班③へ続く

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