第21話 それが遊びのわけがない

 楓は耳を疑った。くわえていたストローがぽろりとこぼれたのにも気づかず、

「え? 今、なんて?」


 昼休みである。

 メイはいつものようにちまちまと折り紙でお供えを作りながら、困ったように答えた。


「スサノオがね、最近、お供えで遊ぶの」

「遊ぶ? あの神さまが?」

 思わず周囲を見回してしまうが、今日は小さな破壊神の姿は見当たらない。


「ごめん、想像できないんですけど! あの神さまが遊ぶ? お供えで? どーやって」

「あのね、今まで出したお供えは、出してすぐスサノオがさわって、灰になってたんだけど」

 あらためて聞くとやっぱりけっこう怖いよね、と思う楓をよそに、メイは続けた。


「どんぐりとか、すぐ灰にしないで、代わりに……」

 困惑したような、傷ついたような顔をするメイに、楓も心配になって身を乗り出す。

「どうするの?」


「……宿題してるわたしに後ろから、ぽんぽん……ぶつけてくるの」

「ええーっ? なにそれ、小学生の悪ガキみたい! どんな顔してそんなことするの?」

「おおまじめ」

「わけわかんない!」


「だよね。ふり向いても笑ってないし、怒ってもいないの。べつに不機嫌でもないし、一度なんか、警戒してね、ぱっとふり向いたらたまたま、投げようとしてるところで、ぴたっと動きは止まったんだけど」


「だるまさん、転んだ、みたいだね」


「うん。それでも、悪いところ見つかった、みたいな感じでさえないの。こう、ものすごーく平然としてて、言い訳さえしないし、なにか用か? みたいな感じ。なんでこんなことするんですか、なんて、きく方がバカ、みたいな」

「うーん」


「でね、しかたないからまた宿題に戻って……あ、もう投げてこないかな、って忘れたころにぺしっ、て、後ろ頭にどんぐりが当たるの」

「ううーん……飼い主の隙を狙うのが大好きな……狩猟本能旺盛な猫……みたい?」

「そう、猫さん!」

「へ……?」


「たとえば猫さんは、肉食でしょう?」

「そ、それはそーだね」

「野々宮さんも前に言ってたけど、スサノオは戦(いくさ)の神さまだし……ほんとは生き餌……ていうか、生きたお供えの方がいいんじゃないかって、ときどき心配になっちゃって」

「ああ、うーん、それはまあ……あるかもね」


「出してる折り紙の花束、ちゃんと喜んでくれてるのはわかるんだけど」

「わかるんだ」

「うん。でもそれでも、肉食さんに植物ばっかり出したら栄養不良になるでしょう? そうじゃないとしてもなんていうか……精進料理ばっかりで飽きちゃったのかなあ、って」


「それ、直接きいてみた?」

 メイはふるふると首を横にふった。

「だってほしいって言われてもイケニエは……ネズミさん一匹でもわたしには出せないもん」

「ムリだよね」


「でね、わかんないことはまだあって」

「なになに」

「ぶつけられたどんぐり、お供えのお皿に戻すわけにもいかないし、そのまま捨てるのもちょっと……って思って机のわきに集めて置いといたら、あとでちゃんと灰になってたの」

「んんんん?」


「つい『どんぐりがお嫌い、というわけではないんですね』って言ったら『そんなことはない』って、ちょっとびっくりしたみたいな顔してね。『投げやすいだけだ』って」

「うううーん???」


「でもでも、いくらどんぐりでも、後ろからぺしぺしぶつけられたらけっこう痛いし、うれしくもないから、お供えに出すの、ちょっぴり避けるようになったらね」

メイはごそごそと通学鞄を探り、ガラスの小びんを取り出した。


 ジャムの空き瓶らしい。中に、真っ白なビーズがたくさん入っている。


「なにそれ」

「スサノオが丸めたティッシュ」

「えっ? み、見てもいい?」


 メイがうなずいたので、楓は小びんのふたを開け、ひと粒、手のひらに出してみる。

直径は五ミリほど。

 妖異を見ることのできる楓の目には、かすかな霊気の名残が見えた。


 固い。

 石のように固かった。

 ほぐしてみようとしたが、どうがんばっても爪が立たない。


「うそ! これ、ほんとにティッシュなの?」

「うん。一度、目の前で丸めるの、見た」

「手で? プレス機で圧縮したみたいだよこれ!」


 小さな破壊神のけたはずれのパワーを目の当たりにし、楓はあらためてぞっとする。

 しかしメイは気にした様子もなく、続けた。


「どんぐりがない時は、これを作って、後ろからぶつけてくるの。これは自分で作ってるからだろうけど、灰にもしないし、散らかっても片づけないんだよ」

 気にするのはそこ? とツッコみたい楓には気づかず、メイは切なそうにため息をついた。


「でも、どんぐり出すと、やっぱりどんぐりもぶつけてくるし……なんでなんだろう、って気になっちゃって。野々宮さん、どう思う?」

「どうって……うーん」


楓は小さな破壊神が手で丸めたという紙製ビーズを、手の中で転がしてみた。

 楓は見鬼だが、霊感はたぶん、あんまりない方だ。

 破壊神が作った紙の玉をさわったからといって、その意図を読み取れたりはしない。

 と考えたところで思い出し、


「メイ」

「うん?」

 手もとの作業から目もあげずに生返事するメイに、楓はきいた。


「あんた、いちおう霊能者なんだから、この紙の玉から目的読んだりはできないの?」

「読めたけど……わかったのはこれ、わたしにぶつけるために作った、ってことだけ」

「それだけ?」


「うん。ぜんぜん思い入れがないっていうか、薄いっていうか……丸めて投げて、わたしにぶつけたらおしまい、みたいな感じで。それ以上はよくわかんなかった」

「そっか」

 楓は小さな紙玉を手のひらの上で転がしながら、見るともなくメイをながめる。


「?」


 メイの見え方が今までとちがう、と気づいたのはその時だ。

 楓から見るとメイのオーラは、おとなしい純白と輝かしい金色の間を揺れ動いている。


 とはいえびっくりするほどやわらかくて淡く、ちっとも目立たない。

 霊能者でなくても、メイより強烈なオーラをまとった人などいくらでもいるぐらいだ。


 だが、あらためてよくよく見ると、メイのオーラが少し、前より密度を増して見えた。

 それと、今までは春(はる)霞(がすみ)のようにたよりなく、まとまりなくなびいてかすんでいるだけだったのに今は、肌のすぐ近くに、薄いけれどくっきりした層があるように見える。


 メイは、折り紙細工に没頭していた。

 楓がそこにいることも、忘れてしまっているようだ。

 そうして集中が深まるほど、オーラの明るさと密度も、目に見えて増していく。


 行者が滝行でもしてるみたい、と楓は感心する。

 メイにとってお供え作りは、霊力の修行になっているらしい。

「…………」


 ふと思いついて楓は手の中の紙の玉を、メイに向かってぽいと投げてみた。

 机の向こうでうつむいているメイの、頭のてっぺんをねらった。

 命中。


「!」


 紙の玉は音もなくはじかれて、こんころろ、と楓の前に跳ね返ってきた。

 メイはちょうど折り紙のむずかしいところにさしかかっていて、自分の頭に紙つぶてが当たったことになど、気づいてもいない。


 楓はそっと、跳ね返ってきた小さな紙玉を拾った。

 小びんを傾け、さらに数粒を手のひらにとった。


 音を立てないようそうっと立ちあがると抜き足差し足、少し距離をとり、大きく腕をふりかぶる。握りしめた紙つぶてを力いっぱい、メイめがけて投げつけた。


「!」


 紙つぶてはまたあっさりはじかれたが、今度はつぶてが当たる瞬間、そのぶつかった場所だけ、メイのオーラが小さく光るのが見えた。無意識に身を守っているのだ!


「わーお」


思わずあげた感嘆の声に、メイがきょとんと顔をあげる。

「あれ? 野々宮さん、いつの間にそんなとこに……なにしてるの?」

 それからやっと、そのへんに散らばっている紙つぶてに気づいて、


「えっ、なんでこんなに散らかってるの? こぼしちゃった?」

 片づけ始めるメイをあわてて手伝いながら、楓は謝る。

「ごめん、これ、こぼしたんじゃないんだ」

「うん?」

「あたしがメイに、ぶつけてみたの」

「えっ」


「おかげであんたの神さまがなにしてるか、わかっちゃった……と思う」

「ええっ、なになに?」

 あんたが霊力で身を守れるように鍛えてくれてるんだよ、と言う代わりに、楓は言った。

「教えなーい」


「えーっ、なんで!」

「教えたらあんた、警戒しなくなっちゃうかもしれないから」

 拾い集めた紙つぶてをびんに戻して返す。メイは受け取ったが納得できない顔だ。


「警戒……って、なにに?」

「紙つぶて。あるいはどんぐり。あるいは、あんたの神さまがぶつけてくるもの、なんでも」

 楓は真顔で、どこまでも無防備な親友に向かって人さし指をつきつける。


「警戒しなさい。いい? さっき、あたしは人間としては力いっぱい、あんたにその紙つぶてをぶつけたの。でもあんたは、ぶつかったことに気がつきもしなかった。まあ、紙だしね」

「うん……?」


「でもこれ、あんたの神さまがぶつけてくると、ちゃんと痛いんじゃない?」

「うん。けっこう痛いよ」

「なら警戒しなさい。真剣に受け止める気でいなきゃダメ。でないと今に、大けがするかも」

「ええー、まさか」


 メイは笑ったが、楓はにこりともしなかった。

 実のところ、あの神さまなら小さい姿のままでも、この紙つぶてひとつでそのへんの壁に穴を開けることも可能なのではないかとにらんでいる。


 大けがですめばむしろ幸運だ。ちょっとでも神さまが力加減をまちがえたら、あるいはメイがちゃんと反応できなかったら──死んでしまう。


「いい? いつでもすぐ後ろで猛獣が狙ってると思って、気を抜かないよーに」

「えーそんなあ、わたし、武芸者とかじゃないし……」

「武芸者になるしかないでしょ! あんたの神さま、戦いの神さまなんだから」

「あう」


 納得したらしい。メイはしゅん、と肩を落とし、できあがった凝った花細工を缶にしまう。

 気を取り直してぱっと明るい顔をあげた。


「あ、そーだ、あらためて! 野々宮さん、ハンズフリーのイヤホン、ありがとう!」

「どういたしましてー。使ってる?」

「ううん。落としてなくしちゃいそうで心配だから、大事にしまってあるー」

「使いなさいよ!」


「うーん、じゃあまず、落下防止にしっかりしたひもつけて……」

「イヤホンにそんなことする人いないよ! だいたい使いにくいでしょ」

「わかった。それじゃ、スサノオがくれた石みたいに、お守り袋に入れて……」

「えっ?」


 楓は本日二度目、耳を疑って腰を浮かせる。


「ちょい待ち! あんた今、なんて言った? あんたの神さまがなにしたって?」

「石、くれたの」

言って、メイは幸せそうに頬を染め、胸のあたりをそっと押さえる。

 どう見ても、その「お守り袋に入れた石」を首からかけています、という仕草だ。


 楓は驚きのあまり口をぱくぱくさせた。

「ごめん。びっくりしすぎて頭止まって……ええと、あの神さまがメイに石をくれた、と」

「うん」

「いつ」

「お誕生日の次の日の朝、起きたら机に置いてあったの」


「……どんな石か、きいてもいい?」

「月の石」

「……は?」

「わたしが寝てる間に、お月さままで行って取って来たんだって。びっくりしちゃった」

「うそ!」


「ホントだと思う。その石、さわったら宇宙が見えたから」

「…………」

「あ、石って言ってもね、溶けちゃってガラス玉になってるの。すっごくきれいなんだよ」


 至福の表情で言うメイを前に、楓は固まっていた。


 あの神さまが、メイに誕生日の贈り物をくれた?


 なんで? どういう風の吹き回し? これはいいこと? 悪いこと?


 そもそもいくらあの神さまが規格外のパワーの持ち主でも、月の石を、たったひと晩で取ってこられるなんて、どうしても信じられなかった。


「あの……その石……み……見せてもらってもいいかな」

 思い切りのいい楓にしてはめずらしく、腰が引けた物言いになってしまう。

 メイはにっこり、うなずいた。

「もちろんいいよ! ちょっと待ってね、今出すから」


 セーラー服のえりもとからひもをひっぱって、小さなお守り袋を取り出す。

 口をしぼってあるひもの蝶結びを解き、袋を開いた。瞬間、


「!」


 袋の中からほとばしった白銀の閃光の、殺人的なまぶしさに楓はのけぞった。

 反射的に手で目をかばい、顔をそむけて悲鳴をあげる。


「し、閉めて! その袋の口、すぐ閉めてっ!」

「えっ? はいっ……!」


 メイはあわてて、口ひもを引き絞った。するとたちどころに光は消え、メイがきちんとひもを結び直すと、かすかにもれていた余韻のような輝きも、あとかたもなくなった。


「の……野々宮さん、だいじょうぶ?」

 心配そうなメイの声に、楓はうなずいてみせる。

 痛む目からとめどなくあふれる涙をハンカチでぬぐい、何度かまばたきした。ほっとする。

「あ、良かった。見えてきたー」


「野々宮さん……」

「目……つぶれたかと思った」

「だいじょうぶじゃないじゃない!」


「いやー、こんなまぶしいもの見たの生まれて初めて……って、メイ! あんたまさか、その石、素手でさわった?」

「あ、うん。もちろん」

「だ……だいじょうぶだった?」

「ちょっと一秒ぐらい、心臓停まった」


 あっけらかんと、どうでもいいことみたいに言うメイを前に、楓はどっと脱力した。

「あんたってコは、ほんとに……」

「あ、でも最初だけだよ? あとはぜんぜん平気だった! ほんとにめずらしくてきれいだから、野々宮さんにも見てもらいたかったけど……」

「あたしはパス! 見たいけど、パスね」


 両手でばってんを作って固辞し、楓はため息をつく。

 まだ頭がくらくらした。

 こんなものすごい霊気を浴びるのは、数ヶ月前、湖のほとりでスサノオが第三眼を開いて龍神と戦うのを間近で見て以来だ。


 察するに、小さな破壊神は月に行くため、あのでたらめな、核兵器顔負けのフルパワーを出したようだ。それでその霊気が、メイが首からさげている小石に灼きついたにちがいない。


「……あんたの神さま、ほんとに……月まで行って来たみたいだね」

「野々宮さんもそう思う?」

 うれしそうに言うメイに、楓は真顔で忠告した。


「その石だけど、やたらと人に見せたり、さわらせたりしない方がいいと思う。心臓発作起こしたり、ヤケドする人が出ても不思議じゃない。ヘタすると死んじゃうかも」

「う、うん……気をつけます」

 お守り袋を大事そうに制服の下に戻すメイをながめて、楓はつくづく感じ入る。


「それにしてもそのお守り袋、すごいね」

「? そう?」

「だってあんなものすごい霊気を、かけらも外にもらしてないもん。あんたがふたを開けるまで、まさか、あんなすさまじいもんが中に入ってるなんて想像もしなかったよ」

「そうなんだ」

「あ、もしかしてそのお守り袋、零課の課長さんにもらったの?」


 それならわかる。

 龍神とスサノオの戦いがひき起こした超常の嵐、湖岸の街をのみこもうとした高波を、礼ひとつ、穏やかなひとことだけで鎮めてのけた大霊能者なら、こんなこともできるかもだ。

 しかしメイは、照れたように笑った。


「ううん。これは自分で作ったんだよ。いいな、って思う布を買ってきてね、試作してね」

 どんなところに工夫が必要だったかとか、ひもをつけるのが意外とむずかしかったとか楽しそうにしゃべり続ける友人を、楓はぽかんと見つめた。


え? なに?


 このコ、ふつうに手芸してるつもりで破壊神の気を封じちゃえるの?


 ということは、ぜんぜんそんなふうには見えないけど実は、初心者のくせして零課の課長さんに匹敵するほどの大霊能者だってこと?


 それともあの神さまがメイに、それほど気を許している、というしるしだろうか。

 両方なのかもしれないが──


「…………」


 楓は初めて、小柄でおとなしい幼なじみに対して、畏怖をおぼえた。


 認識をあらためる。


 メイは、強いのだ。ものすごい力を秘めている。

 本人は気づいていないが霊能者として、常識を超える天才なのではないか。


 零課がまだ高校一年生のメイを、両親の反対を押し切ってまで無理やりスカウトしたのも、その才能を見抜いていればこそ。

 だからこそあの破壊神も、身体に戻すのを助けてまで喰らいたい、と見こんだのだろう。


 でもまだ、ほんの卵。

 だからもっと、強くなる。

 きっと、びっくりするほど強くなる。


「メイ」

 頬杖をつき、妙にすわった声を出す楓に、メイは驚いて袋作りの苦労話を中断した。

「どうしたの?」

「あたしは今、あんたに、モーレツに嫉妬しています」


「ええっ? な、なんで? 野々宮さんの方が美人だし、わたしよりずううっと頭いいし、めんどう見いいし、運動できるし、そのうえプロのモデルさんで、それから、それから……」

「でも、かわいい」

 ため息をつきながら幼なじみの少女の頭をなでなでし、楓はぼやく。


「はあ……どの世界にも天才って、いるんだよねー」

「あ、わかる! うちの課長さんは絶対、天才!」

 目を輝かせて同意するメイに、楓は、あんたのことだよ、と言う代わりに苦笑する。


「もうあんたのこと、あんまり心配しないことにするわ」

「えっ、なんで?」

「だって、あんたにはお似合いの神さまがついてるし」


 なんとなく口から出た言葉だったが、楓は案外、ほんとうにそうなのかも、と思う。

 メイとあの神さまは、意外とつりあいがとれてるのかも──。


 ふと、メイの手もとの缶が、うっすら光っているのに気づいた。

 メイがいつも、「お供え」の折り紙作品を入れるのに使っている空き缶だ。

 メイの強力な祈念をくり返し浴びたからだろう。澄んだ霊気を帯びてきらきらしている。

 すでにこの缶そのものが、立派な魔除けアイテムだ。


 その時、はっと気づいた。

 これほどの霊力と祈りをこめた「お供え」を、スサノオはずっと、受け取っている。

 灰にして……「食べて」いる。


 狩り殺し、根こそぎ奪って喰うのとはちがうかもしれないが、すすんで差し出されるまばゆいほどの命の輝きを、日々、受け取っているのだ。

 今、あの神さまは飢えていない。満たされている。


 数ヶ月前、湖畔で見た時の、飢餓に狂った異形の姿の恐ろしさは忘れられない。あの時、あの神さまはたぶん、崩壊寸前だったと思う。文字通り、命が尽きるところだった。


 でも今は、ちがう。殺気を感じることはあっても、飢えの気配を感じたことはない。

 メイを生き返らせたのはあの神さまだが、あの神さまを餓死から救ったのはメイなのだ。


「メイ、あんたの神さまはもしかして……」

「うん?」


 予鈴が鳴りはじめたので、メイは広げかけていた次の折り紙をあわててしまった。

 楓の視線になにを思ったのか、恥ずかしそうに首をすくめる。


「このあいだ、授業中に折り紙してるの見つかって、先生に怒られちゃって」

「へえ! 小心者のメイが授業中に内職するなんて、意外だー」

「ごめんなさい。もうしません」

「もっとやれば」

「なんでよー」

「やりたいと思ってるくせに」

「あう」


メイをからかいながら、楓はああ、きっとそうだ、と思う。

 あの神さまは心のどこかでメイに、感謝しているのではないか。


 古くて無慈悲ななりたちの自然霊だから、もしかするとまだ、自覚さえしていないかもしれない。神さまの「感謝」と人間が考える「感謝」は、だいぶずれてもいるかもしれない。

 でもそれでも、メイの純粋な献身と祈りに、報いたいと思いはじめているのではないか。


 だから、月の石をくれたりする。

 わざわざ手間ひまかけて、メイを鍛えてくれようとする。


「……奇跡って、起きるんだね」


 楓のひとりごとに、次の授業の準備をしていたメイは「えっ?」と顔をあげる。

 そろそろ教室に人が増え始めたので楓も席を立った。ついでにメイに耳打ちする。


「お供え、がんばれ」

「え、そっち? 勉強じゃなくて?」

 目を丸くする可愛い幼なじみに、楓はウィンクした。

「大事だと思う方、がんばればいいんだよ」



教室を出てふり返ると、メイが教科書の下にそっと、折り紙を忍ばせるところだった。




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