第20話 もちつきウサギと月の石⑤

 帰路は身体が溶け出すほどの速度は出さなかった。

 眠気を感じはじめていたし、速さに集中しすぎて停止のタイミングを誤れば、戻るつもりの家が街ごと吹き飛んでなくなってしまう。それは困る。


 それでもわずか数分で地球上空、多数の人工物体が飛び交う高度に到達した。

 第三眼を閉じ、さらに速度を落として降下。


 最初の無謀な計画どおり、夜明けまでに余裕を残してメイの住む家の上空に、帰り着いた。

 縮身する前に、手の中の月の岩くずの様子を確かめようと、手を開く。


 目を疑った。


 岩のかけらは気づかないうちに砕けてさらに小さくなり、しかも水のようにとろけていた。石のまま残っている部分はもう、わずかしかない。


 それで初めて自分の周囲の空気が、高温に揺らめいていることに気づいた。

 あわてて家から距離をとる。


 人間の巣は燃えやすい。石が溶けるほどの温度ならたちまち火がつくだろう。それは困る。


 街の上空で夜風に吹かれて、過熱した身体が冷めるのを待った。

 溶けた岩くずは、手のひらの中でなんとなく揺すり、転がしているうちに冷め、固まった。

 もとは石だったくせになぜか光を通す、丸い、小さな球になった。


 つまんで、白み始めた東の空にかざしてながめ、悪くない、と思う。

 偶然だが、ありふれたただの小石が、いくぶんましな見てくれになった。

 それにこの大きさなら、縮身しても運びやすい。


 今や、いつ寝落ちしてもおかしくないほど眠かった。

 縮身して一寸法師サイズに戻り、メイの家の屋根に用心深く近づく。


 とりわけ窓のサッシに触れる時は、冷却がほんとうにじゅうぶんか、なにかが赤熱したり、煙をあげたりしないか真剣に確認した。

 なにも起きなかったので、小さな破壊神は安心して部屋に入り、もとどおり窓を閉める。


 メイの寝息を確かめてから、持ち帰った月のかけら──のなれの果てのガラス玉を、机の上に置いた。本棚の上の定位置に横になり、満足げなため息をもらす。

 たちまち、眠りに落ちた。


        ◆


 メイはその朝、寝すごした。

 誕生日ですっかり浮かれてしまい、目覚ましをセットし忘れたまま寝てしまったのだ。

 気持ちよく目覚めて時計を見てぎょっとし、あわててベッドから飛び出した。


 それでもまずいつものように、小さな破壊神のいる本棚に向かって手を合わせ、一礼した。

「おはようございます」

 返事がないのはいつものことなので気にせず、急いで身支度にとりかかる。


「メイ~? 起きてるー?」

 階段の下から声をかけてくる母に、

「起きてまーす! すぐ行くー」


 返事しながら手早く長い髪をとかし三つ編みにし、左右で結ぶ。

 小さいころからやっているからもう、目をつむっていてもできる。


 寝る前に今日の時間割の教材は用意ずみだが、いちおう忘れ物がないか鞄の中身を確認。

(あ、宿題入れるの忘れてる……!)

 机のブックエンドにさしてある問題集とノートを取りかけて、それに気づいた。


 小さな玉が、机の上に転がっている。

 寝る前には確かに、こんなものはなかった。

 しかもよくよく見ると、なにかただならぬ霊気の輝きのようなものを放っている。


(ちっちゃいけど、もしかして……妖怪? まさかね)

 いまだに普通の物体と妖怪が化けた物の見分けがつかないメイは、おそるおそるのぞきこむ。


 ビー玉にしては小さかった。

 直径数ミリぐらいか。ガラスビーズのようだが、穴は開いていない。

 透明なガラス質に鉱物の結晶のような、石のかけらのようなものがくるまれ浮いている。

 めずらしい。


(きれい……)

 すいよせられるようにつまみあげ、なんとなく手の中で転がした。そのとたん、


「!」


 灼きつくされそうな、とてつもない熱を感じた。

 凍るようにつめたい、無限の暗闇を感じた。

 そして心も魂も根こそぎ消し飛ばされそうな、荒々しい歓喜。


 霊的爆風の直撃をくらったにひとしい感応に、メイの心臓は鼓動をやめた。

 一秒後、拍動は無事再開したが、メイはよろめき、机に手をついて身体を支えた。


 まぶしすぎる光を直視したみたいに痛む目をまばたく。

 震える手でそっと、小さなガラス玉を握りしめた。

 これは、スサノオの霊気だ。


 スサノオがくれたのだ、と理解して、メイは感動と喜びのあまり頭が真っ白になる。

 太古の神が、とるにたりない人間の自分なんかに、まさかプレゼントをくれるなんて……!


(どうしよう……どうしよう、うれしい……! うれしくて死にそう)


 もはやこの小さいガラス玉がなんであってもかまわなかった。

 とはいえやはり、なんなのか知りたい、と思ったとたん──

 ガラス玉から、物質に刻まれた印象が流れこんできた。


 月が見えた。


 地球が見えた。


 月と地球の間をへだてる、はかりしれないほど巨大な距離が、ひしひしと体感される──。


 メイは驚きのあまり、ガラス玉を握りしめたままぽかんと口を開けた。


(うそ!)


 信じられない。

 小さな破壊神はメイが寝ている間に、月に行って来たらしい。


(じ、じゃあこれ、月の石? 持って帰る間に溶けちゃったの? 摩擦熱で? それともスサノオ自身の力で? でもでもなんで、月の石?)


 ぼうぜんと手のひらを開き、奇跡のガラス玉を見つめる。

 ガラスの中に浮かぶ、小さな小さな石のかけらの残骸を、ああ、これ、ほんとうにお月さまから来たんだ、きれいだな──と感慨深くながめるうち、メイははっとした。


(あ、もしかして、昨日……わたしが小さい時、お月さまのかけらをほしがった……って話を、聞いたから……?)


「なにをわあわあ騒いでるんだ」

 眠たそうな小さな破壊神の声に、メイはくるっと本棚へ向き直った。

 声を出す代わりに、無意識に念を飛ばしまくってうっかり起こしてしまったようだが、これでお礼を言える……! と意気ごんで、


「あのっ、あのあの……これ、ありがとうございます! ものすごくうれしいです!」

 手のひらのガラス玉を見せながら興奮して言うメイを、小さな破壊神はけげんそうに見た。


 どうやら、みやげを机に置いたことで満足し、ひと寝入りしたらもう忘れた、ということらしい。たっぷりひと呼吸ほどおいてようやく「ああ」と、どうでもよさそうな声を出した。

 続けて口を開くので、なにを言うかと思えば、


「おまえの言うとおりだった。月にウサギはいなかった」

「あ……あはははは」

 反応に困るメイに、スサノオは真顔で続ける。


「タコみたいなやつならいたが」

「えっ? そ、それは妖怪ですか? それとも……」

「妖怪だ」

 小さな破壊神は、当たり前だろう、他になにかタコに似たものが月にいるのか? と言いたげな顔をしたが、眠気がまさったらしく大あくびをする。


(お外で一日よく遊んだあとの、小さな子どもみたい……)

 可愛い、愛しい、抱きしめたい……! などと言えるわけもなく、メイはあふれんばかりの感謝と喜びをどう伝えていいかわからないもどかしさに、小さく跳びはねた。


「本物のお月さまのかけらなんて……感激です! 一生の宝物にします!」

「なに言ってる。ただの石ころだ。飽きたら捨てろ」

 破壊神のドライすぎるコメントにも動じず、メイは月の石から生まれた小さなガラス玉をつまみ、踊るように狭い部屋を行きつ戻りつする。


「どうしよう、これどうしよう、すっごくきれいだし、ペンダントにしようかな……でも傷はつけたくないからお守り袋に入れてもいいかな……絶対なくさないようにひもつけて、首からかけて……」


 はしゃぎ回るメイを眠たげにながめるうち、そうか、これはメイを喜ばせることに成功したということか、と、遅まきながら気づいたらしい。小さな破壊神も、かすかにほほ笑む。


 眠気のせいか、達成感のなせるわざか。

 その表情に、メイの喜びの輝きをすくいとって昇華したような、神々しいほど穏やかな幸福感が一瞬、こぼれでたことに、メイも、もちろんスサノオ自身も気づかなかった。

 そこへ──


「メイー? なにしてるの、遅刻するわよー」

 階下から響いた母の声に、メイは我に返って時計を見、青くなった。

「す、すぐ行きまーす!」

 メイは急いで大切な小さなガラス玉をハンカチでくるみ、机の引き出しの中の、大事な物を集めた小さな缶にしまいこむ。


 あたふたと荷物をそろえ階下で朝食をかきこんで、朝のお供えを出すため二階に駆け戻った時には、小さな破壊神はふたたび熟睡していた。


 今朝のお供えは折り紙の紅葉をたっぷり添えた、ひと山のどんぐり。

 耐熱皿に載せたお供えを眠る神の横にそっと置き、メイは深い敬慕をこめてささやいた。

「行ってきます」



 その日、メイは丈夫な布を何種類か買った。

 数日かけてひもつきの小さなお守り袋をいくつか試作し、気に入ったものができると、奇跡のガラス玉を白絹の端切れで丁寧に包み、中に納めた。

 首からかけ、服の下に身につけて、にっこりする。


 メイは、月のかけらを手に入れた。




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