第18話 もちつきウサギと月の石③

 数時間後。

 真夜中をすぎ寝静まった家で、小さな破壊神だけが本棚の上で、月のように目覚めていた。


 メイは穏やかな寝息をたてて熟睡している。

 お風呂に入ったあと、寝る前の「お供え」にメイは、さっきとっておいたケーキのおすそわけを持ってきた。最初からそのつもりだったらしい。


「あの……もし良かったら……」と、やけにもじもじ照れていた。

 スサノオはなにも言わずに受け取った。


 クリームと果実を飾った人間の食べものは、他のものと同じようにあっけなく灰になった。

 未知の甘さが一瞬、身の内に広がり、すぐに散った。


 メイはうれしそうににっこりし、いつものように小さな破壊神の前で合掌し一礼した。

 なんのわだかまりも疑問もなく、あたりまえのことのように「今日も一日、ありがとうございました。おやすみなさい」と挨拶して、寝床に入った。

 すぐ眠った。


 その、平和すぎる寝顔を微動だにせずひややかに見おろして、破壊神は考える。

 この娘はなぜ毎日、自分に感謝するのだろう。

 泣かせてばかりいるのに。

 でなければ怒らせてばかりいるのに。


 今日、目にしたたくさんの、見たこともないほど幸せそうなメイの姿が脳裏によみがえる。

「…………」

 なぜか、ひどく不快な気分に襲われた。


 苦みのような、痛みのようなものに存在がきしみ、意味不明の怒りが噴出する。

 この感覚には、おぼえがあった。

「交番」とかいうところで、地元のもののけたちがメイに食べ物を与えて大喜びさせているのを見た時に感じた不快さと、まったく同じだ。


 あの日(スサノオから見れば昨日今日生まれたばかりの)ひよっこ妖怪たちは、たくみに人間の食べ物を調理し、メイからやすやすと、無邪気な喜びをひきだして見せた。

 それが心底──おもしろくなかった。


 そして今。


 ほとんど一日中、輝くばかりの喜びと幸福感をふりまいていたメイを見たあとに感じる不快感は、胸苦しいほど大きかった。泣きたい気がするほど大きかった。


 では、どうするか。


 悠久の時を生きてきた古い神は、今また、もろくもひび割れようとする存在のバランスをたもったまま、無慈悲なまでに冷静に考える。


 これほど不快なものは、ひと思いに滅ぼしてしまおうか。

 ほうっておいてもすぐ消える命。立ち去ってしまえばそれですむか。

 今すぐ起こして闘わせ、殺して食ってみようか。


 狩らずとも、メイが日々さしだす「お供え」同様、触れればたやすく灰にできる気もする。

 ああ、それは気分が良さそうだ!

 あるいは──


(メイになにか、与えてみるか)


 という思いつきのあまりの異質さに驚愕し、小さな破壊神はつめたい銀の目をまばたいた。

 なにかを与える? 人間に?

 なんのために?


 喜ばせるためだ。

 見鬼の娘やメイの親、「交番」にいたひよっこ妖怪たちのように自分も、なにかを与えてメイから、怒りの混じっていない、純粋な幸福感をひきだしてみたい──。


「!」


 髪が逆立つほどの違和感、拒絶感、嫌悪感が爆発し、小さな破壊神はたじろいだ。

 だが同時に、永遠の暗闇でたったひとつ、光のもれるすき間を見つけたような、圧倒的なまでの歓喜がふくれあがる。


 やってみよう。


 ひび割れが生じるより速く、破壊神は即断した。

 未知の状況に挑む時、未知の方法を試すのは当然のこと。

 障害や抵抗は、大きければ大きいほどそそられる。


(で、こいつになにをくれてやろうか)


 しかしメイの寝顔をながめて考え始めたとたん、予想以上の壁にぶち当たった。


 人間の食べ物のことはわからない。なにが「おいしい」か想像することさえむずかしい。

 衣服についても同じだ。

 装飾品を好む人間が多いことは知っていたが、見ているかぎり、メイはちがう。


 人間は生け贄は欲しがらないだろう。

 武器はどうか。メイの魂は戦士だが、身体はそうではない。好まないだろう。


 そもそも今の世の人間は、昔の王侯貴族もうらやむほど満ち足りた暮らしをしている。

 欲しいものはほとんどなんでも手に入る。あるいはすでに持っている。

 にもかかわらず、もらってうれしいものとはなんだ──?


「…………」


 あまりのわからなさに小さな破壊神はいらだち、メイをたたき起こして「なにか欲しいものはないか」ときいてみようかと考える。


 だがそれは、あまりに早く負けを認めるようでしゃくにさわる。

 メイに贈り物をした者たちは全員、メイを喜ばせることに簡単に成功していたではないか。

 自分にもできるはずだ。


 ふと、メイの母親の明るい声が脳裏によみがえってきた。

『メイ、ちっちゃいころお月さま大好きだったもんね! きらきらしてきれいだから、お月さまのかけらがほしー、とか、それもできれば三日月のかけらがいい~、とか』


「月のかけら……か」


 会話の流れからして、メイは今も、月のかけらを手に入れてはいない。

 では、月の端を削って持ち帰ってやったら、喜ぶかもしれない。

 欲しがっていたのは幼いころらしいから、今さらもらってもさほど喜ばない可能性もある。

 結果はわからない。


 しかし。


 かけらを削り取りに月に行く、という考えは大いに、破壊神の気に入った。

 今まで月に行ったことはないし、行ったことがあるという妖怪や神に会ったこともない。行こうと考えたことさえなかったが──人間が行けたのなら、自分にも行けるだろう。


(ついでに、ほんとうに月にウサギがいないかどうか、確かめてやろう)


 小さな破壊神は窓を壊さないようそっと開け、外へ出た。

 夜空を見ると折良く、満月を数日すぎた明るい月が、ほど良い高さに昇っている。


 なにひとつ心配することなく、太古の神は月へ向かって飛び立った。



もちつきウサギと月の石④へ続く


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