第17話 もちつきウサギと月の石②
エビフライとクリームコロッケ、グラタンという好物づくしの夕飯にメイが大感激したあと、ミニサイズの誕生日ケーキに、ロウソクが三本、立てられた。
「十六本も刺したら、ケーキが台なしになっちゃうからね。この大きめのが十歳ぶん、次のが五歳、小さいのが一歳」
一本ずつ、丁寧にマッチで火を点けると、メイの母は部屋の照明を消した。
小さな火を三つ載せたケーキと娘にスマホのカメラを向け、明るく声をかける。
「メイ、願いごとして~」
「うん……」
「ちゃんとした?」
「したよ」
「じゃあ、火、消してー」
ふうー、と、ちょっとがんばったひと息で火を吹き消すと、母はご機嫌で拍手した。
「お誕生日、おめでとー」
「あ、ありがとう……」
口ごもるメイは歌を省略してもらった負い目か、母にまで内気ぶりを発揮して小さくなる。
小さな破壊神は、室内の天井近くに浮かび、一連の流れを見物していた。
ふだんは、メイが朝夕食事のために一階に降りる時、ついて行くことはない。
だが今日は「誕生祝い」に好奇心をそそられ、
「えー、ついてくるんですか? お、おもしろいことなんかないですよ……?」
と、せいいっぱいの抵抗を試みるメイを無視して、ついて来たのだった。
さっきから、これはなんの儀式だろう、と考えている。
家族だけで、祭司も神官も必要としないところをみると、ただの風習か?
なんであれ、ロウソクの火が消えたことで、手続きは完了したらしい。
母はいそいそと照明をつけ直し、スマホの画像を確かめた。
「うん! よく撮れてる。お父さんに送らなきゃ」
「えー、写真なんか送ったらお父さん、絶対、ケーキ食べたがる」
「当たり! メイのお誕生日言い訳に、あっちで自分用、買うって」
「太っちゃうよーっ、って言っといて」
おなじみのやりとりなのか母娘は顔を見合わせ、はじけるように笑った。
ケーキを切り分け、今年はふたりで山分けね! きゃあおいしい! とまたひとしきり、はしゃぐ。メイはケーキをひと切れ残し「あとで食べるから」と冷蔵庫に大事そうにしまった。
食後のお茶になってようやく、
「あ! あのね、野々宮さんにすごくかっこいいマイクつきのイヤホンもらったの。片方の耳にだけつけるタイプで、なんだか宇宙飛行士かパイロットみたいなんだよ」
「あ、いいなー、見せてよ」
「見せる見せる」
メイはとことこと二階に駆けあがり、真新しいイヤホンを捧げ持って戻ってきた。
母はメイと同じぐらい目を輝かせ、
「えー、なにこれすごーい! 楓ちゃん、いいセンスしてる、あたしもこういうのほしいー」
絶賛しまくったあと、惜しそうにメイに返すと、ちょっとかさばる包みを取り出した。
「お父さんとお母さんからはこれ」
「えー、なにかなあ」
いそいそと包みを開くと淡い桜色の、ふわふわのカーディガンが出てきた。
「うわあ、きれい……!」
さっそくそでを通す。
だいぶ大きめで手が半分隠れてしまったが、メイは幸せそうに前をかき合わせた。
「あったかい! うれしい……この色好きー」
「でしょでしょ! お父さんと電話で相談してね、この色はメイに似合うね、って選んだの」
「ありがとう! 大事に着るね」
「んもう、この子は」
母は小柄な娘をぎゅっと豊かな胸に抱きしめ、ちょっと涙声になる。
「おっきくなったねー。お母さん、うれしい。メイってば、ちっちゃいころは身体が弱くて、何度も死にかけたから。もう、ほんとに、ほんとに、心配したんだから……!」
「もう! お母さん毎年、そればっかり」
言いながらもメイもそっと、母の背に手を回した。
母は可愛くてしかたないという風に、メイの頭にぐりぐり頬ずりしする。
「だってだって、うれしいんだもん」
その時。
小さな破壊神は、理解した。
一連の手続きが儀式に見えたのもムリはない。形式こそ簡易でも、メイの母にとってこれはまぎれもなく本物の、感謝の祈りのこもった儀式だからだ。
子の成長を祝い、感謝し、健康を祈る儀式。
そしてふと、よけいなものを見たかもしれないな、と思う。
この母親にとってメイが、どれほどかけがえのない存在かわかってしまった。
時代や場所によっては、とうに子を産んでいてもおかしくはない年ごろの娘を、乳飲み子のように可愛がっている。メイもその愛を、受け入れている。
メイは母にとって、宝なのだ。
その宝を母の許可なく、狩ることができるだろうか。
それだけではない。
霊力もなく、怪異を見る目も持たないメイの母など、スサノオは今まで、家の戸ほどにも気にかけていなかった。なにかあって家で死んでいても、気づきもしなかったかもしれない。
だが今や、そういうわけにはいかなくなった。
母がメイを宝のように愛すると同様に、メイも母を愛しているのがわかったからだ。
誰かが本気で大切にしているものを、そうと知りながら壊すのは不快だ、と最近知った。
メイがこれほど大切にしている母親を、傷つけることはできない。
その母が、命のように愛しているメイを、傷つけることもできない。
それは、困る。
ぴし。
存在の深奥から響く、鋭いひび割れの音とともに──
爆発的な殺意が生じた。
もはや狩る必要さえない、ただすべてを破壊したい──
この場のすべてを斬り刻み、滅ぼし去ることのみを欲する、
同時になにか、胸がぬくもるような、見知らぬ感情も生じていた。
自分がそんな感情を体験しうるとは夢想したことさえない、たった今ながめたロウソクの小さな炎のような、あるいは母娘の抱擁のような──やわらかい輝き。
殺意にくらべればあまりにたよりなく、吹けば飛ぶように感じられる。
なのにその静かな輝きは奇妙にも、荒れ狂う殺意と軽々とつりあっていた。
おもしろい、と小さな破壊神は考える。
メイといると、どういうわけか飢えを感じない。
食う必要がないのなら、狩る必要もないはずだ。
なのに、問答無用のこの殺意の強さはどういうわけか。
夜叉神の万事に容赦のない観察はたちまち、殺意の底にひそむものを〈恐怖〉と看破する。
強すぎて、苦みを感じる余裕すらないほど強烈な、本能的恐怖だ。
未知の体験、あり方への深い恐れ。命の存続をおびやかされている、このままでは殺されると、夜叉神の本能がいわば、悲鳴をあげているのだ──と理解して。
小さな破壊神はくくっ、と笑った。
そうか、怖いか。
変わるのが怖いか。
変化に失敗するのが怖いか。
死ぬのが怖いのか。
この俺が?
おもしろい──!
いいとも、気のすむまで怖がってろ、と、自分の感情に許可を与える。
(だが俺は、好きなようにする)
もし、この時。
破壊神のすさまじい心的葛藤のエネルギーが外部に開放されていたら、この家どころか、街丸ごとが消し飛んでいたかもしれない。
しかし、すべては完全に存在の内にとどまり、あたりにそよ風ひとつ、起こさなかった。
「ごちそうさま! おいしかった~。お皿はわたしが洗うから、お母さんはすわってて」
「なに言ってんの! 今夜はお母さんが皿洗い当番だし、あんたは誕生日なんだから、あんたこそすわってなさいよ」
「んー、じゃあ一緒に洗う? 倍、はやくすむかも」
「それもそうね」
和気あいあいと母と後片づけを楽しむメイも、頭上の危機に気づかない。
テーブルをふき終わった母はテレビ前のソファにすわり、横の席をぽんぽん、とたたいた。
「ねえ、久しぶりに一緒にテレビ観ない? お父さん単身赴任になっちゃったし、メイってば最近忙しくしてて……うちにいてもすぐ二階にあがっちゃうから、お母さんさびしいの」
臆面もなく甘える母にメイは苦笑しながらもうなずいて、ちょこんと横にすわる。
母はその肩を抱きたそうにしたが、内気な娘に圧をかけてはいけない、と気づいたのか、なんとか手をひっこめる。テレビをつけた。
「なに観るの?」
ときくメイに、母はいそいそとチャンネルを変えながら答える。
「どんちゃら探偵の野望・二時間スペシャル! 九時から。今日、特番なのー」
「そのドラマ、お母さん最近ハマってるみたいだけど、おもしろいの?」
「めっちゃクセになる。メイもハマれ~。どんちゃれ~」
「あはは、なにそれ。ドラマ観てないけどお話、わかるかな」
「だいじょーぶ! なんにも知らなくても、何話飛ばしても平気!」
母娘の他愛ないおしゃべりがにぎやかに続く室内で、破壊神の恐るべき葛藤はゆっくりと、人知れず鎮まった。
「…………」
夜叉神の平静を取り戻した銀の目で、スサノオは仲のいい母娘をふたたびながめる。
殺意とともに、関心もいくぶん薄れていた。
これ以上ここにとどまる必要はない、見たいものは見た……と判断し、メイを置いて先に二階に戻ろうとしかける。
その時、九時前のニュースを見ていた母が大声を出した。
「わ、すごい! 日本初、月面着陸成功だって!」
「えっ、なになに?」
スマホで、今から観るドラマについて検索していたメイは、あわてて顔をあげる。
小さな破壊神も、ふり向いた。
家庭用の大画面テレビに映って早口で話している人間と、その人間がしきりに指さしている背後の画像を見て、けげんそうに目を細める。
画像の一枚は、夜空に浮かぶ、見慣れた月だった。
もう一枚は、見たことがないほど真っ黒な夜空のもと、なぜかまぶしいほど明るい白い砂漠に、人間の機械がぽつんと転がっている、というもの。
作り物か? と、まず考えた。
しかし人間世界の「ニュース」とは基本、事実を伝えるもの、と理解している。
内容を知ろうと耳をすます。
しかし、画面の中の人間の説明は未知の言葉が多すぎ、雑音のようにしか聞こえなかった。
画面下になにか文字も流れているが、スサノオは字が読めない。
小さな破壊神はソファの背の高さまで降りていき、メイにきいた。
「どういうことだ」
メイは、スサノオの存在を忘れていたらしい。
小さくびくっとし、顔の横に浮かぶ小さな破壊神に、そろそろと視線を向けた。
母に怪しまれないよう、なるべく前を向いたまま必死で言葉を選ぶ。
「す、すごいね。お月さままであの機械、飛ばして、無事、着陸までさせたなんて……」
ニュースに夢中の母は、メイの不自然なしゃべり方には気づかず、
「そのうち日本も、月面に有人飛行できちゃったりして!」
「えー、そ、それはさすがにちょっと、ムリじゃないかな……」
「ムリってことはないでしょ! アメリカさんが何度も成功してるじゃん……あ、ほら!」
と画面を指して、解説文を読みあげる。
「『NASAのアポロ計画ではこれまで二十四回、有人月探査が行われ、六回の月面着陸に成功』だって! 六回も成功してんのよ? もうこれ、一般人が月面旅行できる日も近いよね!」
「気が早すぎるよー」
「……人間が、月に行っただと?」
小さな破壊神は、疑念もあらわに口をはさんだ。
メイはふたたび、母に話しかける風を装いながら返事をすべく、せいいっぱいがんばる。
「げ、月面旅行ってお母さん……本気であんな宇宙服着て、ロケットで発射されたいの? ものすごい体力いるって……専門の訓練受けた宇宙飛行士さんだって大変なのに……」
「なに言ってんのよメイ、宇宙飛行士だっておんなじ人間じゃない。わたしだって、やればできるわよ。最近は女性も、宇宙ステーションに行ってることだし」
「でっ、でも危ないよ。打ち上げ失敗して爆発しちゃったロケットとか、あった気が……」
母はしかし、ふん! と強気に鼻を鳴らした。
「そんなの、最初のころの飛行機だって同じでしょ! たくさんテストを重ねて、たくさん失敗して……でも、今じゃ何百人も乗せた旅客機が、分刻みで世界中飛び回ってるじゃないの」
「あう」
「最初はさあ、アームストロング船長が人類初! 月面に降りたって、『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩である』なんて名言残してさ。足跡の写真が新聞に載って、みんなが感動したわけよ」
ほう、と憧れのため息をもらし、母は元気はつらつ、主張する。
「でも、それは最初だから! どうせ少ししたらすぐ、誰でも飛行機に乗る気楽さで月に行けるようになるはずよ! 生きてるうちに月旅行して、月面歩けたら最高だと思わない?」
「思わない! ぜんぜん! 危ないからわたしは絶対行かない! お母さんも行かないで」
本気で止めにかかるメイに、母は吹き出した。
「なによう、もしかしてメイの場合、実際に月に行っちゃうと、夢が壊れちゃう?」
「そ……そんなことは……」
ぱっと顔を赤らめるメイにかまわず、母はうれしそうにメイの頭をなでる。
「メイ、ちっちゃいころお月さま大好きだったもんね! きらきらしてきれいだから、お月さまのかけらがほしー、とか、それもできれば三日月のかけらがいい~、とか」
「お母さん……!」
悲鳴のような声をあげる娘に、母は幼子の面影を重ね見るかのように目を細める。
「サンタさんは早々に信じなくなっちゃったのに、メイったら小二になるまで『お月さまにはウサギさんがいる!』って言い張って聞かなくてー」
「は、恥ずかしいからもうやめて……」
「なんでそんなに恥ずかしがるのよう」
と返したところに、ちょうどお待ちかねの『どんちゃら探偵の野望・スペシャル』が始まったので、母は娘をからかうのをやめ、画面に向かってすわり直す。
しかし小さな破壊神は、メイの羞恥心など意に介さず、興味津々でたずねた。
「月にはウサギがいるのか」
母お目当ての番組はもう始まっているから、声に出して返事をするわけにはいかない。
メイは苦肉の策で、交番勤務の時にやったみたいに、念を飛ばすべく思念をこらした。
(いません!)
「わめくな。十分聞こえてる。で、なぜいないとわかる」
(月には空気も水もないからです! 月に行った人が、確かめたんです! 月にウサギがいて、しかもそこでお餅をついてるなんて信じるおバカさんは、うーんと小さい子だけなんですっ! ちなみに今はわたしもそんなこと、信じてませんからっ!)
耳たぶまで赤くなって強烈な念を飛ばしてくるメイは、今やほとんど怒っていた。
怒りは常に、破壊神にとって好ましい。
その甘さに我知らず口もとをゆるめながら、しかし、小さな破壊神はなぜかちくりと、胸の痛みのようなものをおぼえていた。
怒らせるつもりはなかった。
メイの幸せな時間を、壊すつもりはなかったのだ。
だが、ここで謝罪してはならない──と判断する。
たとえかすかな罪悪感であろうと、メイは敏感に察する。
察すると、この娘は気にする。
気にすればますますこの、母娘にとって貴重な時間は壊れてしまうだろう──。
獲物のやる気を引き出すため、怒らせるのは得意だ。
一方、どうすれば相手をなだめることができるかなど、考えたことさえない破壊神は、刹那に無限の集中力を発揮し、適切な返事を百通りほども考え抜いた。
そして、メイが、夜叉神の長考に気づかないほどすばやく、自然なタイミングで──メイにとってもっとも納得しやすく心に残りにくい、無難な声と反応を返した。
「ふうん」
成功した。
メイは身体の緊張をとき、横からひじでつついて話しかけてくる母に意識を向けて、ばかばかしい演劇を仲良く楽しみはじめた。笑い、あきれ、はらはらして身を乗り出し──
コマーシャルによる中断でメイがふり返った時、スサノオはもう二階に戻ったあとだった。
もちつきウサギと月の石③に続く
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