第16話 もちつきウサギと月の石①


 メイはその日、バス停から家まで走って帰ってきた。玄関の鍵を開け、

「ただいま!」

「あら、今日は早いのね」


 かけていた掃除機のスイッチを切り、エプロン姿の母が居間からのぞく。

 メイは靴を脱いでそろえながら、


「今日は久しぶりに、オフにできたの」

「わ、うれしい! それじゃ今夜はお夕飯、うちで出来たて食べられるのね!」

「うん!」

「ふふっ、ちょっとごちそうだから楽しみにしててね。ケーキも買ってあるわよ」

「わーい」


 小さくばんざいしたメイは、しかしあわててつけ加える。

「あ、でもキャンドル立てて歌、歌うのはナシね」

「えー、なんでぇ。お母さん、あれ、楽しみなのにー」

 子どもっぽく口をとがらせる母に、メイはたじたじとなった。


 ちょっと濃いめ美人の母がその表情をすると、すごく可愛い。

 可愛いものに、メイは弱い。

 もう少しで「なら、歌ってもいいよ」と言いそうになったが、なんとか踏みとどまる。

「高校生にもなって恥ずかしいから! 歌はナシにしてください……!」


 頬を染めて主張する内気な娘の、いつにない気迫に押されて母は譲歩した。

「うー、わかった。残念だけどじゃあ、歌はナシね。でも……キャンドルは点けていい?」

 子犬のように目をキラキラさせて哀願する母に、メイはぐっと詰まる。


「う……うん、いいよ。きれいだし」

「やったぁ!」

 どちらが子どもかわからない。

 浮き浮きと「お夕飯、できたら呼ぶわね」という母をあとに、メイは二階にあがった。


 自室に戻るとまず、眼鏡をはずしてケースに入れる。

 度の入っていない、対人不安をやわらげるためのものだから、家ではいらないのだ。

 手早く着替え、制服をきちんと壁の定位置にかけると、鞄を開けた。


 花柄の包装紙にくるまれ、ピンクのリボンが結ばれた小さな箱を取り出し、机に置く。

 いそいそと椅子にすわった。

 それまで無関心に、ただついてきていた小さな破壊神が初めて口を開く。

「昼間、見鬼の娘がおまえに渡した箱か」


「うん、プレゼント。くれたの。忙しいのに、これ渡すためだけに学校に来てくれたんだよ」

 と口に出すだけでくすぐったいような幸福感に包まれ、メイはほほ笑む。


 一方、小さな破壊神はなぜメイがそんなに幸せそうなのか、さっぱりわからなかった。

 机すれすれまで降りてきて、箱の飾られ具合をぐるりと検分する。


「ぷれぜんと……貢ぎ物のようなものか?」

「ううん、貢ぎ物じゃなくてえーと……贈り物、かな。お祝いの」

「ふうん。なんの祝いだ」

「バースデー・プレゼント……誕生日のお祝いです」


 実のところ、楓からバースデー・プレゼントをもらうのは幼稚園以来二度めだった。

 つまり、ちょうど十年ぶり。

 いろいろあって、ずっと疎遠だったけれど──


(野々宮さんとまた仲良くなれて、良かった……!)


 なんだか、うれしすぎて泣けてきそうになり、あわてて気を取り直す。

 プレゼントの中身が気になって、今日は一日中上の空だった。

 走って帰って来たのも中身を早く見るためだ。


 なのに、そっとリボンをほどき、包装紙を破かないようテープをはがそうと細心の注意をはらうメイに、小さな破壊神はかまわず疑問をぶつけてくる。


「誕生日? なんだそれは」

「わたしがこの世に生まれた日です」

「魂が体に宿った日か」

「あう、そ、そうじゃなくてええと……お母さんから、赤ちゃんのわたしが産まれた日です」

「ふうん」


 要領を得ない顔をするスサノオに、メイはテープをはがす手を止めた。


「えっと……逆にききたいんですけど、妖怪にはお誕生日を祝う習慣とか、ないんですか?」

「中には、そういうことが好きなやつもいるな」


 人まねが好きなバカどもだ、と言わんばかりの、あまりにも超然としたコメントに、メイはまじまじと小さな破壊神を見つめてしまう。


「あの……」

「なんだ」

「そういえばきいたこと、なかったんですけど、スサノオの誕生日って、いつですか?」

「おぼえてない」

「あう」


 だろうと思った! と言いそうになるのを必死でのみこみ、めげずに続けた。


「えーと、でも、季節ぐらいおぼえてませんか?」

「そこらじゅうに氷河があった」


 北極か南極で生まれたってことかな? とメイは思い、


「えーと……じゃあ、太陽が沈まない季節とか、逆に昇ってこない季節だったとか?」

「? そんな季節があるのか?」

「あ、あははは、うーんと北か、うーんと南の一部の地方ではあるんですよ」

「ふうん」


 またもや納得できないような顔をする小さな破壊神に、メイは季節を問うことをあきらめ、


「じゃあせめて生まれた時代! それだけでも知りたいです。すごく長く生きてらっしゃるんだなあ、というのは最初から感じてますけど、なにか歴史的目印みたいなものがあれば……」

 ひらめいた。

 メイは自信満々で質問する。


「スサノオが生まれたころには、どんな人間の国がありました?」

 これで時代がわかる、はず! と意気ごんだのもつかのま、小さな破壊神はおもしろくもなさそうに即答した。

「なかった」

「え?」


「そのころ、国と呼べるほど大きい人間の集団は、どの大陸にもなかった」

「え? ええっ? じ、じゃあ、当時の人はその……どんな感じで……」

「数人、せいぜい十数人で、昼は獲物を狩り、夜はたき火をかこんで暮らしてたぞ」


(石器時代!)

 あぜんとするメイの顔をあらためてしげしげと見あげ、わずかに首をかしげる。


「もしかすると、おまえたちとは少し、種がちがっていたかもしれん」

「え……じ、人種とかではなく?」

「ちがう。種だ。骨格や身体のつくりがちがう」

「そ……そんな……」

「なにを驚くことがある。獣も姿が変わるだろう。大きくなったり。小さくなったりな」


 この神さまは、なにを言っているんだろう、とメイは思った。

 時間の尺度が大きすぎて、なんだか頭が追いつかない。

 ぼうぜんとするメイをよそに、小さな破壊神は真顔でしばし、記憶をたどり、


「国といえば……しばらくして南方にいくつか、国っぽいものができてたな」

「あ、もしかしてエジプトとか?」

「それは最近のやつだろう。もっと前の話だ」


「前! そっ、そ、それでその国はどうなっ……」

「なくなった。沈んだり、噴火で埋まったり。たいてい、ちょっと見ない間にすぐ消えた」

「な、名前は……」

「知らん」


 考古学者が聞いたら目の色を変えそうな話題なのに、悠久の時を生きる夜叉神にとっては、道ばたに雑草が生えていたかどうか、ぐらいの認識らしい。

「ええと……じゃあもしかしてスサノオの生まれた時代って……」


 ごくり、と緊張にのどを鳴らし、メイは思いきって時間をすっ飛ばしてみることにする。

「ティラノサウルスが歩いてたりしましたか?」

「てぃら……なんだそれは」

「肉食恐竜です。おっきいの」


 メイは本棚から小学生用学習図鑑を取り出し、恐竜のカラーページを開いた。

 牙を誇示するごとく大顎をぐわっと開いた肉食恐竜、白亜紀の王者のイラストを指さす。

「これです。これ」


 小さな破壊神は「おお……!」と、珍しく身を乗り出した。

 強そうな生き物を見ると、狩りたくなるのかもしれない。そわそわとうれしそうに、

「知らん! 見たことがない。なんだこの生き物は。今もいるのか」


 図の横に、大きさ比較のために描きこまれた人間の絵とトラックの絵を見ててっきり、この怪物も現代に生きている、と思ったらしい。

「どこにいるんだ。でかいな! おまえは見たことがあるのか」


(どうしよう、可愛い)


 想像もできないほど長く生きていながら、小さい破壊神はその姿同様、少年のようだった。

 なんだか、子どもの夢を壊す無粋なオトナになったような気分を味わいながら、メイは申し訳なさそうにつぶやく。


「あの……見たことはありますけど、骨……化石だけです」

「かせき? なんだそれは」

「ええと、大昔の生き物の死骸や足跡なんかが、石になって埋まって残っているもので……」

 煮え切らないメイの態度から察したらしい。


 小さな破壊神の興奮はたちまちあとかたもなくしぼみ、つまらなさそうに言った。

「つまり、こいつはもう絶滅したってことか」

「はい。ティラノサウルスの親類で、現在も生きてるのは鳥の仲間らしいですよ」

「ふうん」


 ほんとかよ、と言いたげな半信半疑のまなざしを投げ、小さな破壊神は図鑑のページを(破ったりちぎったりしないよう、気を遣っているのがよくわかる)めくる。

 ふたたび(どうしよう、可愛い!)という気持ちと闘うメイをよそに、紙面を指した。


「こいつなら見たことがあるぞ。たくさんいた」

「ほんとに? どの生き物ですか?」

 スサノオの指すイラストをのぞきこんで、メイは息をのんだ。

 マンモスだ! あわてて説明文を読む。


『マンモスゾウ(ケナガマンモス)長鼻目ゾウ科マンモス属

                生きていた時代 約四十万年前~約一万年前』


(つまりスサノオは、このマンモスがたくさん地上を歩いてた時代から……少なく見積もっても十万年か二十万年ぐらいは、生きてるってことで……)


 想像しただけでくらくらした。

 樹齢千年の木を前にしても感動に打たれるのに、氷河期から生きている命が今、目の前の、自分の机に立って、話しているなんて……。


「? なにをしてるんだ」

「拝んでます」

「なんでそうなる」

「尊い……存在してらっしゃるだけで尊くて、もったいないからです……! 生きた化石……じゃない、天然記念物……でも足りない、もう奇跡としか……どうしよう、泣けてきちゃう」


 今にも「わけのわからんことでいちいち泣くな、バカ!」とか言われそう、と思いつつも、メイは畏敬の念で胸がいっぱいで、合わせた手の陰で目がうるむのを止められない。

 と──

 小さな破壊神がかすかに、ため息をついた。


 あきれた、とか、うんざり、とかいうため息ではなかった。

 考えこむような、困惑したような。

 怒りというより、心に痛みを感じている人のようなため息。

 メイは、びっくりして顔をあげた。


「あ……あの、どうし……」

 たんですか? と最後まで言わせず、小さな破壊神はいつもの調子でしれっと言った。

「バカなことばかり言ってねえで、見鬼の娘からもらった祝いの箱でも開けたらどうだ」

「あ! そ……そうでした!」


 昼間からずっと、中身を見たくて見たくてたまらなかったプレゼントだ。

 メイは図鑑を開いたまま少し横に寄せ、さっそく包みのテープをはがす作業に戻った。


 悪戦苦闘すること数分。

 なんとか包装紙に傷をつけずにテープをはがすのに成功。

 どきどきしながら包み紙を開く。


「わあ……! うわあ……かっこいい!」

 ハンズフリーのマイクつき片耳イヤホンの箱をひとしきり、ためつすがめつしたあと、ぺろりと舌を出した、やんちゃな表情の子犬のカードを読む。


『ハッピー・バースデー メイ!

 こういうのひとつ持っとくと、人の多いところでもオバケと話しやすいよ!

 もちろんスマホの音声も聴けます。設定、わかんなかったらきいてくれていいよ 楓』


 メイはうれしさのあまり、狭い室内を行きつ戻りつしながらカードを三回、読み直した。

 箱を開け、初めて見るマイクつき片耳イヤホンをうやうやしく取り出し、右耳につけてみたり、左につけてみたりする。


 おっかなびっくりコードをつないで充電をはじめたところで、我慢できなくなって、スマホで楓にお礼のメッセージを打った。

 椅子にすわり、ほっとひと息。


 すぐまた立ちあがり、言い足りなかったことを真剣に、追加のメッセージにして送った。

 さらに三つめのメッセージを打ち始めたところに、電話がかかってきた。

 楓からだった。


 仕事中に電話をかけてくるのはめずらしい。空き時間ができたのかも。

「あの……あの……ここでおしゃべりしてもいいですか?」

 スサノオに遠慮してたずねるメイに、小さな破壊神はむしろ驚いたように答えた。

「なにが悪い」

「ありがとうございます」


 メイは感謝してすっかりくつろぎ、ベッドに腰掛けたりちょっと寝そべったり、すっくと立ちあがったりしながら、心ゆくまで親友とおしゃべりした。

 電話でこんなに、笑ったりはしゃいだりしたのは生まれて初めてだった。

 幸せそうなメイを──


 小さな破壊神は空気よりも無表情に、ただながめていた。




もちつきウサギと月の石②に続く


 



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