第15話 破壊神にお供え・その2


 小さな色紙を折って、たたんで、折り目をつけて。

 返して、広げて、また折って。

 複雑な手順を流れるようにこなし、たちまち爪先サイズの繊細な小花をひとつ折りあげる。


 花びらをととのえた完成品を、空き缶にそっと入れると、次の色紙を机に置いた。

 わきめもふらずに折り続けるメイは、とても楽しそうだ。

 楓はため息をついた。


「メイあんた、折り紙めちゃくちゃ上達してない? 速いし、正確だし、きれいだし」

「えー、ほんと? うれしー」


 昼休みである。

 外ではなく教室で食べると言うので、つきあった楓だが、


「中で食べるって言ったの、そろそろ寒くなってきたから、とかじゃなかったんだね」

「うん。折り紙するにはやっぱり、机がある方がいいから」


 お弁当をかきこむ時間も惜しんで、ひたすら折り紙を続けるメイに、楓はちょっとつまらなさそうに口をとがらせる。

 メイの注意がほぼ折り紙に向いているので、さっきから会話がはずまない。


 退屈しのぎに空き缶に半分ほどたまった、淡い色合いの小さな花をのぞきこむ。

 妖異を見る目を持つ楓には、メイが折ったミニチュアの花は、きらきら光って見えた。

 本物より本物らしく、花びらまでやわらかそうで、ついさわってみたくなって手を伸ばす。


「だめ」


 聞いたこともないほどきっぱり、メイが言った。

 驚いて伸ばしかけた手もそのままに固まってしまう楓に、メイはあわてて小声でささやく。


「あ、ごめんね。これ、お供えだから。できればさわらないでほしいって言うか……」

「ああ、そりゃそうだ。こっちこそ気がつかなくてごめん……って」

 楓は、声の届く範囲にクラスメイトがいないことを確認。顔を寄せてささやき返す。


「お供えってつまり、これ、あんたの神さまにあげるの?」

「うん」

 という答えに、楓は小さな破壊神の気配が近くにないのを確かめ、さらに声をひそめた。


「ごめん、あんたの神さまって、闘いの神さまでしょ? どっちかって言うと花とかより、血とかイケニエ、欲しがりそーなタイプに見えるんだけど」

「そうかもしれないけど、基本、なんでも受け取ってくれるよ?」

「なんでも……?」


「お団子とか、木の実とか、お菓子、もちろんお花もだいじょうぶ」

「へえ……なんか意外」

「お供え載せる小さい三方は折り紙で折ってるんだけど、それも毎回、受け取ってくれるの。それで思いついて、お花も折り紙で作ったらどうかなあ、って」


「えっ、ち、ちょっと待って三方も受け取る……? ごめん! なんか今いち想像できないんだけど、まさかなんでもかんでも、ばりばり丸かじりして食べちゃうの?」

 妖怪だからありそうだ、と楓は思ったのだが、メイは「ううん」と首を横にふった。


「さわるだけ。持つこともあるかな。で、スサノオが受け取ってくれると、灰になるんだよ」

「灰に……!」

「ちょっと火が出ることもあるから、最近は耐熱のお皿に置いて出すようにしてるー」


 などと話す間にも、豆粒のように小さな花をさらに三個、折りあげている。

 楓は思わず、きいた。


「それ……完成までにあと何個ぐらい折る予定なの?」

「んー、あと二百か三百……ぐらいかな? 三十個ぐらいずつまとめて花房にして、別につくった枝につけてね、花つき小枝みたいにする予定! お皿に山盛りにしたいなーって」


「……あんた、それでいいの?」

「え?」

「何日もがんばって作って、パッと燃えて灰になっちゃうんでしょ? それでいいの」


「もちろん! 灰になるとね、受け取ってもらえた、ってわかってすごくうれしい」

「あんたって……ほんとに……」

「うん?」


 上の空で幸せそうに、霊気にきらめく小さな花を折り続けるメイに、楓は黙りこんだ。

(このコどんだけ、あの、あぶない神さまのこと好きなんだろ)


 確かに、メイが一度死んでしまった時、生き返らせてくれたのはスサノオだ。

 でもそれは、メイをいつか狩って食らうため。

 今はどうやら「メイを少しでも長く生かしておきたい」と考えてくれているようだが、それでも寿命で自然に死ぬまで待ってくれるわけではない。


(このコの献身ぶり見てると、いつかホントに喜んで命まで捧げちゃいそうで……怖いなあ)

 心配だった。

 でも同時に、直感する。


 メイがこんなふうだから。

 無邪気なほど純粋に、光り輝く好意を惜しげもなくそそぐから。

 だからこそ、人の情を解さないはずの古い神が心を動かされ、あってはならない矛盾を抱えこんでまで変わろうとしている……のだろう。うまくいく保証はないけれど──


(でも……このコとあの神さまの縁みたいなものは、ジャマしちゃいけない気もするのよね……もしかしたらすごい奇跡が起きて……なにもかも、上手くいくかもしれないんだし)


 メイお手製の小花がたまっていくにつれて、缶の中からやわらかい、神々しいような金色の光があふれはじめる。感心してながめながら、楓は退屈しのぎになんとなくきいた。


「ところでその後、千葉さんとの文通はどんな感じ?」

「うん、いい感じだよー」


 メイは手もとの作業から目もあげずに答え、小さい花をひとつ折りあげたタイミングで自分のスマホをポケットから出し、机に置いた。


「はい、どうぞ」

「えっ?」

「見ていいよー」

「えー、それって逆にどーなのよ」


 と言いつつ楓とて人並みの好奇心はある。いいと言われて遠慮する気はない。手にとり、


「ロック解除のパスは?」

「ロックとか設定してないー」

「しなさいよ!」


 叱りながらもためらわずに操作、メイがよく使うテキストメッセージアプリを開く。

 千葉朝陽とのやりとりファイルはすぐ見つかった。

 スクロールしてさかのぼり、古い方から読んでいく。


『こんにちは。いいお天気ですね。            千葉朝陽  12:20』

『こんにちは。外でお弁当にぴったりのお天気です。     メイ   12:25』


 最初の日はなんと、これだけ。

 数日なにもなかったあと、思い出したように、


『今日の弁当はおにぎりです。              千葉朝陽  12:22』

『わたしもおにぎりです! あとゆで卵。手抜きです。    メイ   12:25』

『ゆで卵! その発想はなかったです。          千葉朝陽  12:35』

『カラむかないで塩と一緒に袋に入れます。時短です。    メイ   12:39』

『男前ですね。                     千葉朝陽  12:40』

『初めて言われました。                  メイ   12:41』


 和気あいあいとして微笑ましいが、ふたりとも絵文字ひとつ使わない。

 一文も短い。せっかくお弁当の話題が続いても、どちらも内気だからだろう。相手に好物ひとつ、たずねる気配もない。

 楓はれて、似たようなやりとりを数個、飛ばした。

 次に目についたやりとりは、


『今、地区予選の試合会場についたところです。      千葉朝陽  09:03』

『今、お仕事の現場です。応援行かれませんが、がんばってください!  メイ  09:45』

『ありがとう。勇気百倍です。              千葉朝陽  10:04』


 そこで終わり。

 翌日、今度はメイから、


『昨日の試合、いかがでしたか?              メイ  09:01』

『負けましたが、いい試合でした!            千葉朝陽  09:18』

『見たかったです。                    メイ  10:13』

『ありがとうございます。                千葉朝陽  10:27』


 またもや、え、それだけ? と思うぐらいあっけなく、やりとり終了。

 楓はさらに二週間ぶん先送りして、やっと、少し意味のある会話を見つけた。


『すみません。メイというのは神納さんのあだ名ですか?  千葉朝陽  18:36』

『はい。五月が英語でメイだからか、幼稚園時代からそう呼ばれています。メイ 19:49』


(三週間? この質問にたどりつくまでに、三週間もいる? もうっ! 神納五月の名前表示が『メイ』なんだから、こんなこといちばん最初にたずねなさいよっ!)

 楓は内心、千葉朝陽にツッコミを入れまくるが、過去ログ相手ではむなしいだけだ。

 さらに数日空いて、


『メイさんとお呼びしてもいいでしょうか。        千葉朝陽  20:55』

『もちろんいいですよ! 千葉さんは呼んでほしい呼び方とかありますか? メイ 20:56』


 悩んだのだろうか。

 返信のタイムスタンプは、翌朝だった。


『特にありません。ゴリラでなければなんでも……     千葉朝陽  08:14』

『わかりました。では千葉さんで。             メイ   12:15』

『でもゴリラは森の紳士なんですよ! とっても優しいんです。メイ   12:18』

『ありがとう。なんだか、気持ちが楽になりました。    千葉朝陽  12:20』


 さらにいくつか、無難なやりとりが続いたあと、昨夜の最新のやりとりはこうだ。


『交流試合帰りのバスからです。今夜は月がきれいですね。 千葉朝陽  21:17』

『うちで宿題してます。窓開けて見ました。お月さま明るい! メイ   21:20』


 内気な者同士ぽつりぽつりと、礼儀正しくやりとりされる「文通」に、楓はうなった。

 ほのぼのしてるなー、とは思う。見てるだけでなごむ。

 ある意味似た者同士。相性も良さそうだ。

 だが、しかし。


「……君たち実はふたりとも、明治時代からタイムスリップして来たのかね」

「? どういう意味?」


(死ぬほどもどかしいって意味よっ!)


 と口から出かけたセリフをのみこみ、楓は咳払いしてごまかした。

「えへんおほん、いやまあ……仲良さそうでなにより」

「うん、そうかも」

 メイは折り紙を続けながら、うなずいた。


「わたし、人見知りだし、野々宮さん以外とチャットとか初めてなのに……千葉さんって不思議と、緊張しないの。たくさんお話しなくても、ああ、今、おんなじ夜空を見てるのね、って思うだけで安心する……みたいな感じ」


 それって八十歳の茶飲み友だちみたいだぞ! と言いたいのを楓はぐっとこらえる。

 メイはそんな楓のもやもやには気づいた様子もなく、のんびりと続けた。


「すごく、正直な人だからかなあ」

「あんたもね」

「そう?」

 きょとんと顔をあげるメイに、楓はスマホを返す。


「まあ今のところ、あたしに読まれてもかまわないよーなことしか、書いてないしね」

「? 野々宮さんに読まれちゃ困るようなこと、書かないとダメなの?」

「ううん、ダメってことはないけど……」


(でもこのままのペースじゃ、二十年たっても清く正しいお友だちのままにちがいない!)

 楓は、親友としてほうっておけない! という決意を秘めて、身を乗り出した。


「メイ」

「はい」

「文通もいい。すごくいいけど、たまには直接会いなさい」


「んー、でも学年ちがうし、千葉さん部活で忙しいし、わたしもお仕事が……」

「言い訳無用! あんたたちには絶対必要! 命短し恋せよ乙女、って言うでしょ」

「え、知らない……」

「いーから会いなさい。言い訳してるとあっという間に、おばあちゃんになっちゃうよ!」


 メイの場合、その前に破壊神と闘って死んでしまう可能性だってけっこうあるのだ。

 なのにのほほんと「あはは、まさかあ」と笑うたよりない親友に、楓は指をつきつける。


「ノルマ決めよう。月に一度は会いなさい」

「そんな、ムリ……」

「あんたはそーやってすぐムリムリ言うからムリになるんでしょ!」

「あう……そ、それはそーだけど、でもどこで会えば……」


「場所なんて動物園でも美術館でも、好きに決めたらいいの。ほら、スマホ貸して。スケジュール入れといたげる。あ、ちょうど月末の日曜空いてるじゃない。ラッキー」

「ええー! ち、ちょっと野々宮さん待って……」


 楓は、待たなかった。


        ◆


 四日後の夜。

 メイは家にあるいちばん大きい耐熱皿に、作りためた花細工をあふれんばかりに盛った。

 豆粒のように小さな、少しずつ色合いのちがう花をまとめて小房に仕立てたあと、小枝に模したこよりにのりづけするのに、いちばん苦心した。


 紫陽花あじさいのようでも、桜のようでもあるけれど、そのどちらでもない夢の花。

 葉はつけなかった。

 淡く、たゆたうような、きらめくような花々だけ。

 満開だ。


 できばえに満足し、メイはこぼれないようそうっと、花を山盛りにした皿を運んだ。

 本棚の上の定位置に、うやうやしく置く。


「どうぞ」


 しかし、小さな破壊神はなぜか、手を出さなかった。


「?」


 見ると、スサノオはメイの献身と熱意の結晶たる花の山を見あげて、ためらっている。

 無情の夜叉神、最強の破壊神ともあろう者が、これを受け取って灰にしてしまってほんとうにいいものか、と迷っているらしいのを察して、メイはうれしさで胸がいっぱいになった。


「どうぞ……どうぞ受け取ってください。そのためだけに作りました」

「そうか」

 ならいいか、と思ったのかどうか。

 小さな破壊神は花細工の山に近づき、無造作に手を触れた。


 白い光がひらめいた。

 それが炎だと認識する間もなく、繊細な花細工の山はひとつまみの灰と、かすかな煙となって燃え尽き、崩れ去り──


(あ……)


 だがその時、メイはスサノオが確かに、心地よさそうに目を細めたのを見た。

 それだけではない。

 小さな破壊神は、炎天下にふと涼風に吹かれた人のように、あるいは厳しい冬の終わりに日のぬくもりを味わう人のように、ほんの一秒ほどだが、忘我の面もちで目を閉じた。


 ありえないものを見た気がした。

 奇跡のかけらを見た気がした。

 これ以上ないほど報われた心地がして……


「? なんで泣いてるんだ」


 不審げなスサノオの声で初めて、メイは自分が涙ぐんでいることに気づく。

「あ、この涙は悲しいからではないです! なんだかその、感動しちゃって……」

 あわてて眼鏡をはずし涙をぬぐいながら、満面の笑顔で力強く誓った。


「ますますやる気が出てきました! 次もがんばるので楽しみにしていてくださいね」

 メイの喜びと闘志、なのに涙という組み合わせを理解しかねて、破壊神はつぶやく。

「まったく……わけのわからんやつだ」

 その時。


 永遠の無情に凍りついた破壊神の銀の目に、一瞬、愛でるような、愛おしむような、夜叉神らしからぬ優しい光がにじんだことに、気づいた者はいなかった。


        ◆


 その後数日、小さな破壊神がそばに来るたび、ふっと不思議な香りがした。

 香木のような。花のような。

甘くはないけれど心安らぐ、静かな香り。


 そして、メイは今日も、折り紙を折る。

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