第8話 破壊神、拾われる・後編

 目覚めた時、破壊神はそこが列車の中でないことに驚いた。


 知らない場所だが脅威は感じられなかった。霊能者も妖怪も、儀式や呪術の気配もない。

 夜明け前だ。


 窓を見る必要などない。太陽の巨大な気配が、地平線の下に迫っている。

 部屋の左右上下には、多数の眠る人間の気配があった。

 集合住宅だということだ。


 建物の中で今、目覚めているのはこの部屋の住人、ひとりだけ。

 そいつは、酔ってくだをまいていた。


「だからねえ、辞めさせてくださいってねえ、言うつもりだったんです。今日こそは言うつもりだったんですけどもぉ、いやあ、なかなかねえ……踏ん切りがつかないって言いますか……ひろっていただいたわけでしょぉ、感謝してるわけですよ。とりたてて仲良くしていただいてるわけでもなんでも、ないですけども……ずっと一緒に働いてればもう……もう家族みたいなもんなんですから。家族……いませんけどね」


 ちゃぶ台によりかかったまま缶ビールをあおり、げふ、とおくびをもらす。

 ごましお頭の男の実年齢は破壊神にはわからないし興味もないが、わかることもある。


(こいつ、死期が近いな)


 本人もすでに知っているようだ。

 それで霊感もないのに、破壊神と波長が合ってしまったのだろう。

 そこまで確認してようやく、小さな破壊神は身を起こす。


 眠気は消えていた。久しぶりに気分爽快だ。

 しかし、この男の手の届くところに自分の身体があった、というのがせなかった。

 確かに高い位置で眠ったと思ったのに。


(落ちた……ということか)


 最近は、想像もできないようなことが、よく起こる。


「いないんですよ、家族……もう何年になるかなあ……いや、昔はいたんですけども」

 ひとり語りにしゃべり続ける酔った男の声が耳について、ふり返った。

 どうやら破壊神に向かって話しているようだ。


 それでやっと小さな破壊神は、自分がたたんだタオルの上にいるのに気づいた。

 使い古しだが清潔なタオルだった。せいいっぱいきれいにたたもうとする意志が染みついている。メイが絶えず向けてくるのに似た、敬意のような尊崇のような念が、甘い。


 男は、ちゃぶ台の上にタオルで、即席の「神棚」を築いたのだった。

 見ると、コップ酒とみかんを供えてある。

 礼を尽くす気はあるようだ。


「すいませんねえ、こんなつまんないグチ、聞かされても困りますよねえ」

 男は、うなだれた。小さな破壊神が、さっさとこの場をあとにしようか、それとももう少しここにいようか、と思案しているのを察したかのように、ははは、と力なく笑う。


「勤め先の健康診断にひっかかって、ガンだって告知されまして。それもステージ4。末期なんだそうで……ウソだ、って思うじゃないですか。そりゃあ最近少しやせましたけど、そんなの歳だから当たり前だと、むしろ健康になったぐらいの気分でいたんですけど」


 ウソつけ、と破壊神は黙ったまま辛辣しんらつに口もとをゆがめる。

 ぱっと見ただけでも血の気が薄く、肉づきも悪い。腐った血のにおいもする。これで健康な気分でいられるわけがない。自分をだましていただけだ。


 という破壊神の思考の、気配を感じたらしい。

 男ははっと顔をあげ、小さな破壊神の方を見つめた。

 しかし視線が合わない。


 破壊神の姿がきちんと見えているわけではないらしい。ほんとうに一般人なのだ。が、

凡骨ぼんこつのくせに、よく見えもしねえもんをあえて拾ったのか。意外といい度胸じゃないか)

 かえって少しだけつきあってやる気になり、破壊神は初めて口を開いた。


「で、おまえはなにがしたいんだ」

「!」

 聞こえたらしい。


 男は驚愕のあまりビールの缶を取り落とし、のけぞった。

 後ろの棚に背中がぶつかり、ばらばらと落ちてきたガラクタに頭や顔をたたかれながら、

「あ、な、こ、ここ、声が……し……」


「聞こえたんなら返事をしろ。おまえはなにがしたいんだ」


 夜叉神の中の夜叉神、暗黒神マハーカーラと恐れられる神の問いに、男は息をのんだ。

 聞き慣れた音とはまったくちがう印象の〈声〉だったが、今度こそはっきり聞こえた。

 少年のような声。なにをしたいのか、と。

 願いをきかれたのだと感じ、酔った男は恐怖を忘れて身を乗り出す。


「し……死にたくないんです! 死にたくない!」

「アホウ。生きてるものはみんな死ぬんだぞ」

 おまえの歳で知らないわけがねえだろ、と嘲笑された気がして、男は顔を赤くした。


「そ、そそ、そのとおりです。ですけれども、まだ死にたくないんです! まだ……」

 無我夢中で、ちゃぶ台に額を打ちつける勢いで頭をさげ、光る球を拝む。


「助けて……どうかお助けください! このとおり、このとおりですから……」

「どう助けてほしいんだ?」

「……は?」

「死の恐怖から逃れるために今死にたい、というなら殺してやるぐらい簡単だが、あいにく、人間は殺さないと約束している」


 むしろ残念そうに言われて、男は青ざめた。

 遅まきながら自分が拾ったものの危険性に気づき、どっと冷や汗をかく。


「い、いや殺していただきたいわけではありませんで、病気を治していただけないかと……」

「やったことがない」

 切って落とすような即答になぜかやいばの気配を感じ、口の中がからからに干上がった。


「あ……あなた様はまさか……死神?」

「ちがう」


 これも即答。しかし、戸惑う男だけでなく、答えた方の破壊神も、では自分はなんなのだろう? と、生まれて初めての疑問に首をかしげていた。


 ロキが恐怖と絶望の化身なのはわかる。だが、自分が何者かなど考えたことがなかった。

 本能の命ずるままに獲物を見分け、狩って喰らう。

 生まれてきたから生きている。以上でも以下でもない。

 そこにある以上のものを欲することはなく、想像さえしなかった。


 だが──と、初めて自覚する。

 確かに偏りはあった。今も、ある。


 闘争と挑戦に喜びを覚える偏り。

 危険と隣り合わせの可能性にこそ惹かれるという偏り。

 力の強弱、存在の大小にかかわらず、命が燃えあがるのを感じるのが好きだという偏り。



 突如、圧倒的なまでに力を増した〈声〉に打たれ、男は震えた。

「だ、だから、し、死にたくない……病気を消したいと……」

「ウソつけ」

「は? う、うそなわけが……」

「なら、闘え」

「!」


「おまえ、なにもしてないだろう? 死にたくねえと言いながら、死なねえため、病を消すためになにひとつ、行動してねえだろうが」

「だ、だってステージ4ですよ! 手遅れなんですよ! できることなんかひとつも、ありゃあしないんです! どんなにがんばったってどうせムダで、すぐ死んじゃうんですよ?」

「なにが悪い」


 無慈悲なほど純粋な〈神〉の言葉に、初めてまっさらな真実と向き合った気がして──

 男は今までがんじがらめになっていた恐怖や緊張が、急にゆるんで消えていくのを感じた。


「そ……そうか……そうですね。生きてりゃ誰でも死ぬんだし、そう悪くはない、のかな」

 光の球はなにも言わなかったが、かすかに笑った気がして……

 男は顔をあげる。


「ほんとうは……ほんとはその、家族に会いに行きたいんです。死ぬ前にひと目」

「じゃあ、行け」

 ほんとうにためらいのない〈神さま〉だ、と苦笑いしながら、男は続けた。


「昔……いろいろありまして、その……私は逃げちまったんです。かみさんと子どもから。借金押しつけて。ろくでなしです。身勝手なのはじゅうじゅうわかってます。許してくれるとも思わない。息子には殴られるかも。それでも……会いたいんです。ですけども……」

 ぎゅっと拳を握りしめ、もっとも恐れていることを口にする。


「あ……会ってくれないかも」

「だからなんだ。それは相手の自由だろ」

「!」


 そのとおりだ。どのみち相手の反応は選べない。

 でもそれでも、会いに行くことはできる……と気づいたとたん、霧が晴れるように気持ちがすうっと軽くなり、男はあまりの解放感に言葉を失う。と──


 光の球が、話はすんだとばかりに宙に浮きあがった。次の瞬間、


「うわ」


 まぶしい光の矢となって窓を貫き、どこへともなく飛び去る。


 あわてて窓に駆け寄った男は、窓ガラスだけでなく揺れるカーテンにも、きれいな丸い穴が開いているのを見つけて息をのんだ。


 カーテンの穴の縁はわずかに焦げ、ガラスの穴は、さわれないほど熱かった。


 窓を開け夜空を探したが、光球の痕跡はどこにもない。夢を見ていたかのようだ。

「ああ……」

 男は不意に、理解する。

 あの〈神さま〉は、故意に窓に穴を開けたにちがいない。


 酔った男がひと眠りして目覚めたあと、なにもかも夢だったと思いこみ、ふらふらともとの日常に戻ってしまわないように。

 この出来事から目をそらして逃げられないよう、証拠を刻んでいったのだ。


 自分の心の弱さを完璧に見抜かれている気がして……同時に、この乱暴な〈神さま〉の、無愛想な物言いに似合わない意外なほどの面倒見の良さに、男は思わず笑った。


「ありがとうございます。残された時間、したいことをします。ありがとう。ありがとう」


 光が去った方向へ向かって合掌し、深々と頭をさげる。

 しばし黙祷ののち、男は決意も新たにちゃぶ台の上を片づけた。


 古いノートパソコンを開き、退職願を一気に書きあげすぐ送信。

〈神さま〉に触れたおかげか、一睡もしていないのに二〇歳若返ったみたいに気力が充実していた。やろうやろうと思いながら数年掃除していなかった部屋を片づけ、ゴミをまとめ──

 だがそこで、我に返った。


 故郷は遠い。


 まとまった休みをとれない職場を辞めるのは、やむをえない。

 しかし部屋を引き払う準備にかまけて、元気なうちに出かけられなかったら本末転倒だ。

「…………」


 男はもう一度、ノートパソコンの前にすわった。

 オンラインで路線と時刻表を調べ、故郷までの片道チケットを購入した。

 これで今日、出かけられる。

 荷物はいらない。身ひとつで行けばいい──。



 ほどなく、日がのぼった。




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