第9話 三年生の岩倉さん

◆三年生の岩倉さん◆


 放課後、メイは体育館の裏手にいた。

 めざすはヤギ!

 数日前から、学校の敷地内に放牧されているのである。除草用のレンタルヤギらしい。


(さわってみたい……!)


 その一心だった。

 体育館裏手は、けっこうにぎやかだ。

 運動部のホイッスルやかけ声に、戸外で練習しているブラスバンドもよく聞こえる。

 なのにヤギたちは慣れた様子で平然と、そのへんの草をもぐもぐしている。


(うわー……おっきい! 可愛い!)


かなり近づいたおかげで、三頭それぞれ色ちがいの首輪と、きれいな鈴をつけているのが見えた。毛並みも真っ白で、よく世話されている様子。

「さわれる……かな?」


 あいにく、許可はもらっていない。教員室で、

「あのヤギどなたが管理しているんでしょう? さわってみたいんですけど、いいですか?」

 とたずねるのは、小心者のメイにはあまりにもハードルが高く、あきらめたのだった。


(おとなしそうだし……放してあるんだし、そっと近づけばきっと、だいじょうぶ)

折良く、今日は零課の予定が入っていない。

 めずらしく、スサノオも学校についてこなかった。

(久しぶりに、なんだかすごく眠そうだったもの)


今日は家で寝ていると言うので、どうぞ、とお供えだけしてひとりで登校したのだが──。

 すぐ、チャンスだと気づいた。


 スサノオと一緒にいると、散歩中の犬はみなおびえて飼い主の後ろに隠れてしまうし、猫は毛をふくらませてシャーシャー威嚇する。でなければ一目散に逃げ出す。

(ヤギさんが怖がって、外の道路に飛び出しちゃったら大変! でも、今日なら……)


 さらに距離を縮め、初めてヤギの瞳の形をしっかり観察することに成功。メイは目を丸くした。

(うわあ、すごい! 猫さんの縦長の瞳を横長にした感じかと思ってたけど……近くで見るとぜんぜんちがう! 横に寝かせた長四角……?)


 見慣れなくて、ちょっと怖い。でも、マイペースに草をはむヤギたちの口もとが、ほんのりほほ笑んでいるような表情なのに勇気を得て、さらに一歩。その時、


「あ、それ以上近づかないで!」


 おばさんっぽい声に制止され、メイはびくっとすくみあがった。

 近くには誰もいないと思っていたのに、管理する人に見つかったようだ。

 やっぱり許可をとれば良かった! と後悔しながら恐る恐るあたりを見回すが、


「?」


 やはり誰も見当たらない。

「こっちこっち」

 という声にきょろきょろしていると、

「だからあ、こっち!」

 真っ白なヤギの一頭が、にま、と歯をのぞかせて笑った。


「……えっ……?」

 

 目が点になる、とはこのことだ。

 驚きのあまりぼうぜんと立ちつくすメイに、赤い首輪をしたヤギは、短いしっぽをぱたぱたとふって、なにやらうれしそう。


「あれまあ、おどかしちゃった? 安心して、あたしら悪さなんかしませんからね」

「メシ、食ってるだけ」

もぐもぐ、と口いっぱいの草をはみながら、青い首輪のヤギがのんびり口をはさむ。

「そ! だからそれ以上近づかないでほしーわけ」

「ねー。困るよねー」


 仲良くうなずきあう三頭のヤギを前に、メイはなんとか自分を取り戻す。

「そ……それはどういうわけでしょう? わたしが近づくと、どんなご迷惑が……?」

「あんたが近づくと、食べるものがなくなっちゃうの!」

「……はい?」

 ますますわからない!


 赤い首輪のおばさんヤギは、いらだたしげに首の鈴を鳴らして頭をふった。

「だーかーらあ! あんたみたいに霊力の強い人間が近づくと、あたしらが食べる草が……んー、つまりはらわれて消えてなくなっちゃうから、困るわけ」

「! ということはその……今食べてらっしゃる雑草って、ただの草では……ない?」

「んまあ、あきれた! あんたこれ、ふつーの植物だと思ってたの?」


「思ってました……」

「最近の若いのはモノを知らないねえ! 秋のこの時期に、こんな青々と茂って、実までついてるヘンな草、あるわけないじゃないの」

 メー、ベエェー、と他の二頭とそろってバカにしたような鳴き声をあげた。笑ったのかも。

 しかしメイはほんとうになにも知らないので、バカにされても気にならなかった。


「で、ではその草はつまり……オバケなんですか?」

「あんたの言うオバケって、妖怪のこと?」

「はい、だいたい」

 ユーレイもふくめて……と言えないうちにヤギは答えた。ちりりん、と首の鈴を鳴らし、


「ちがうよ、妖怪ってほどじゃない」

「まだね!」

 仲間が陽気に合いの手を入れる。おばさんヤギはうなずいて、

「そう、まだね。そうなる前の……人間はこういうの、なんて言うんだっけ。念?」

「残念?」

「それちがうやつ。この草は、ここに集まる人間たちの、強いキモチの……残飯?」

「それを言うなら料理したあと鍋に残るおコゲでしょ! アブラ汚れみたいな」


 ああでもないこうでもないと言い合うヤギたちに、メイはおずおずときいた。

「残留思念……のことですか?」

「そう、それ!」

 三頭のヤギは声をそろえた。

 赤い首輪のおばさんヤギは、ここぞとばかりに誇らしげに胸をはる。


「そう! その〈残留思念〉! ほっとくとたまって低級な妖怪がうぞうぞわいてきちまうケガレだまりを、あたしたちがきれーいに食べてお掃除してあげてる、ってわけ」

「そ……それはありがとうございます」

 素直に感謝を口にするメイを前に、ヤギたちは顔を輝かせ、いっせいに短い尾をふった。

「おお!」

「甘い!」

「もっと言って! もっと!」


 あんまりうれしそうなので、メイはあらためて丁寧にお辞儀する。

「知らないところでみなさんにお世話になっていたんですね。いつもありがとうございます」

 メイの感謝を浴びたとたんヤギたちはぶるっと身震い、一瞬、ひとまわり大きくふくらみ、ふわっと金色に輝いた。メイは頭をさげていたので気づかない。だが次の瞬間、


「!」


 ヤギたちはあっ、と息をのんだ。メイの感謝の余波で、彼らの大事な〈草〉が、大きなはたきではたかれたかのようになぎはらわれ、蒸発し始めたからだ。

「あーっ! うわーっ」

 ベエー! メエェー! とヤギの鳴き声と人間の声、両方で大騒ぎをはじめるヤギたちに、メイはびっくりして顔をあげた。


 仰天する。

 よく茂っていた〈草〉がきれいさっぱり消えてなくなり、見渡すかぎり土肌がむきだしになっていた。残っているのは寒さに縮んだ、本物の雑草が少しだけ。

「えっ……そっ、そんなつもりは……」


 メイは霊力などこめず、ただ、普通に挨拶したつもりだった。

 しかし毎日欠かさずスサノオにお供えをあげ、朝夕の挨拶を──感謝をこめて──するうちに、メイの「挨拶」はいつしか、立派な祈念に昇格していたのである。


 しかしメイ本人はもちろん、ヤギたちにもそんなことはわからない。

「なんてことしてくれんのあんた、このおバカさん!」

「ひでえ……せっかくのメシが根こそぎ……」

「すみません! そんなつもりは全然……ほんとうにごめんなさい! わ、わたし半人前で……力の加減とかまだぜんぜんで……ごめんなさい!」


 泣きそうになりながら平謝りに謝るメイに、ヤギたちは顔を見合わせため息をついた。

「零課の課員のくせに」

「まあねえ、確かに半人前だわねえ。あたしらのことも、話しかけるまで気がつかないし」

「だからってよう、なにも根こそぎ祓わなくってもよう」

「天魔王様だってこんなことなさらねえぞ!」


 というひとことが、メイの関心をひいた。

 天魔王というのは確か、妖怪たちがスサノオを呼ぶ名のひとつ。おそるおそる確認する。

「あの……天魔王様というのは、つまり……」

「あんたの守護神」

 青い首輪のヤギがぶるるっと身震いして答えた。


「おっかない」

「近くをお通りになるだけで〈草〉なんざ消えっちまう」

「けど、そ知らぬ顔で、ちゃあんとよけてくださる」

「〈草〉はあたしらの食べものだって、わかってらっしゃるのさ」


 スサノオがそんな気配りをしているなんて初耳で、メイはびっくりし……とてもうれしくなる。一方、ヤギたちは今初めて、スサノオの気配が近くにないことに気づいたらしい。

「おや、天魔王様は今日は、いっしょじゃないのかい?」

 はい、と素直にうなずくメイを前に、ヤギたちは互いに意味深な視線を交わす。


 おばさんヤギがひづめを鳴らし、首の鈴を鳴らして一歩、メイに近づいた。

「ねえ、ものは相談だけど」

「はい」

「〈草〉を消しちまった埋め合わせに、あたしらを……その……なでてもらえないかねえ?」


 恐ろしい「守護神」がそばにいない今がチャンス! という考えが丸見えだったが、メイはむしろ、思いがけない幸運に顔を輝かせる。

「ええっ……いいんですか?」


 もともと「ヤギさんをなでてみたい」一心でここに来たのである。成り行きはともかく、なでさせてもらえるなんて願ってもない。

 期待に目をきらきらさせるメイに、ヤギたちはなんだあ? という顔をしたが、


「ていうか、一頭あたり十回はなでてよね」

「十回も! わあ、ありがとうございます!」

 対話できる妖怪ヤギ相手なら、うっかり機嫌をそこねて頭突きされる心配もない。

 メイは大喜びでヤギたちに近づき(妖怪なのに、本物のヤギらしいにおいまでした)、ヤギたちのがっしりした大きな背をそうっとなで、敬愛をこめて首すじをなでた。


「おでこ、おでこもなでて」

「おいらはほっぺ!」

「はい、喜んで」

 メイの愛撫にヤギたちはうっとり目を細め、短い尻尾をびびびとふり、ちりんちりんと首の鈴を鳴らして、我先にメイに額をすりつけてくる。


 ヤギたちは意外と力があった。メイは左右からすりつかれるたびよろけ、たたらを踏む。

 それでも楽しくてやめられず、

「きれいな毛並みですね! みなさん、ほんとうにヤギの妖怪さんなんですか?」

「えへへー、ないしょー」

「ちがうんですね。でもまるで、本物みたいです!」

「でしょ! でしょ!」

 どんどん機嫌がよくなるヤギたちを、それぞれたっぷり二~三十回はなでたころ。

「あなた、なにやってるの? だいじょうぶ?」

 いきなり声をかけられ、メイはとびあがった。


 あわててふり向くと、少し離れたところに女生徒がひとり、立っている。

 ジャージ姿で作業手袋をはめ、園芸用のトレイを持っていた。

 ジャージのゼッケンには「3ー2 岩倉」とプリントされている。上級生だ。

「あの……あの、その……」


 なにをどう説明したらいいかわからず赤くなって固まるメイに、女生徒は「あ」と言った。

「ごめん、パントマイムの練習中……だったかな。ジャマしてごめん」

「え、パントマイム……って、ここにヤギさんが……」

 つい口走り、相手に見せようとしかけてメイは絶句する。


 三頭のヤギは鈴の音ひとつ立てず、かき消えていた。


        ◆


「演劇部なんだね、熱演だったね、とか言われて、めちゃくちゃあせっちゃった」

 数日後の昼休み。

 親友──と勝手に思っている──野々宮楓に事件について話し終え、メイはもうからっぽになってしまったお弁当箱のすみっこを、名残惜しそうにつつく。


 ため息をついた。

「わたし、妖怪さん見分ける才能ないかも。ヤギさんたちが妖怪だなんて、おしゃべりしてても実感ないぐらいだったし、生えてる草が本物じゃないなんてもう、想像もできなくて」

「ま、そーだろーね」

 楓は野菜ジュースのパックにさしたストローをくわえたまま、もはやあきらめ顔。


 メイは穴があったら入りたい心地で、でも、と気を取り直してつけ加える。

「そのあと先輩が球根植えるの、手伝ってね、初めてだけど、上手ってほめられたんだよ!」

「ほほう」

「けっこうたくさんあってね、ひとりじゃ大変そうだったから……」

 楓のジト目に気づいて、はっとした。


「えっと……えっとわたし、ま、またなにか……まちがえた?」

「三年生の岩倉さんはね」

「う、うん。まさか……ユーレイ……?」

「ぶーっ。学校のヌシ様でーす」

「え……えええーっ? うそ! いくらなんでもそんな……」


「ホントもホント。あたしももう、会ってるし」

「えっ、いつ?」

「入学式の日」

 見鬼の楓は、学校のヌシにもめずらしかったのかもしれない。とはいえ、


「こ……こわいひとには見えなかったけど……?」

「あたしもそう思う。なんか学校きれいにしてくれてるよね。そのヤギも、ヌシ様の子分かも」

「ああ……」

「ただあのヌシ様、なんか謎ルールで、同じ生徒の前に二度はあらわれないみたい」

「そうなんだ……」


 なんとなくがっかりするメイに、楓はいたずらっぽい目を向けた。

「ヌシ様になにかもらった?」

「ううん。なんで?」

「会うといいことある系のヌシ様なんだよ、あのひと」

「野々宮さんはなにをもらったの?」

「ないしょ」


 と笑って、しかし楓はすぐ、ぽんと手を打った。

「球根!」

「えっ?」

「球根だ! メイ、あんた植えた場所、おぼえてるよね?」

「それは……うん」

「しばらくしたらその場所に行ってごらん。いいもの見られると思うよ。ですよね?」

 と、頭上の木の茂みに向かって、同意を求める。

「知るか」

 小さな破壊神は、心底どうでも良さそうな返事しか返さなかったが──


 メイは、機会を見つけてはちょくちょく体育館の裏を見に行くようになった。

 しかしひと月たってもなにかが芽吹く様子はなく、ほとんど忘れかけた秋の終わり。

「!」

 金色に光り輝く彼岸花が、〈草〉の生えていた場所いちめんに咲き乱れているのを見つけて、メイは息をのんだ。


 百本? いや、千本?

 数えきれない。

 隣接する生け垣がかすむほど光っているのに、不思議とまぶしくはなかった。

 花々が風にそよぐと、輝く光の粉がやわらかく舞いあがる。絶景だ。


 なのに学校中が大騒ぎになっていない──ということは、ふつうの人には見えないのだ。

 メイは思わず、ポケットのスマホに手をのばしかけた。

 楓に知らせたかった。今すぐには来られないだろうから明日でもいい、一緒に見たい──。


 でも、そう考えると同時に、きっとムリ、と悟っている。

 この輝く花が今、ここで姿を見せてくれているのは、それだけでたぶん、贈り物なのだ。

 明日までもつどころか、今、ちょっと目をそらしただけでも消えてしまうにちがいない。

「…………」


 メイはしばし無心に、輝きそよぐ花の海に見入った。

 なぜかとてもはげまされているような、見守られているようなぬくもりが全身に広がり──

 思わず手を合わせ、目をつむる。

「ありがとうございます。確かに拝見いたしました」

 顔をあげると──


 いちめんに光り輝く彼岸花はもう、あとかたもなかった。




 その後、校内をうろつくヤギは見かけていない。

 今度はウサギにでも化けて、ちがう場所でひっそり〈草〉を食べているのかもしれない。





 

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