第7話 破壊神、拾われる・前編

「まったく……どうしてあいつはこう、どんくさいんだ!」

 満員の快速列車の天井近くに浮かんだまま、小さな破壊神はうなる。


 メイがついて来ていないことに気づいた時には、すでに列車は走り出していた。

 反射的に窓か天井に穴を開けて出かけたが、あやうく思いとどまる。


 人間の道具や乗り物は、もろい。

 人間そのものは、もっともろい。


 窓を割れば人間たちが傷を負って大騒ぎになるだろうし、天井や壁をやぶったら列車が故障し事故を起こすかもしれない。ドアをこじ開けて出てもいいが、そうしたらたぶん、ぎゅう詰めの乗客が少なくとも数人、走る列車から線路にこぼれ落ちて死ぬだろう。


 人間は殺さない約束だから、どの案も却下だ。たっぷり一秒、他の方法がないか考えたが、


「まあ、いいか」


 小さな破壊神はすぐ、緊張をといた。

 メイの制服の背中に、髪を一本しこんでおいたのを思い出したのだ。

 命に危険が迫った時だけ警告を与えるよう、念を刻んでおいた。


(あのバカに、怪しいやつには声をかけない、なんて器用なマネができるわけないからな)


 メイは気づいていないが実のところ、亡者もうじゃはどこにでもいる。

 この車両にも、乗客にくっついてる新旧さまざまな死霊と、車体や備品にこびりついた思念の残りカス、大小合わせて少なくとも百以上がひしめいていた。


 だがどれも、破壊神の存在に耐えられず霞のようにたなびき、揺らめき、近くにいるやつから次々に薄れてちぎれ、消えていく。


 破壊神から見れば、亡者など吹けば飛ぶ煙にすぎない。

 だが、生きた人間にとってはそれなりに脅威である可能性も、理解していた。


 もとが同じ生き物だからだろう。人間は亡者と波長が合いやすく、融合してしまいやすい……つまり、かれやすいのだ。

 くっつきやすいのは同じ弱みを持つ者同士だが、メイのように自己主張が苦手で、誰にでも同情しやすいバカもたかられやすい。いいカモである。

「…………」


 自分はまだ、メイのことを心配している……と、小さな破壊神は、自覚する。

 わざわざ安全対策までしてやりながらなお安否を気にかけ、「心配」する。

 夜叉神らしくない……と言うよりもはや、ありえない反応だ。

 だがもう、慣れた。代わりに──


 ぱき。


 魂がひび割れるような音が、存在の奥深くで響く。


 こういう音を最初に「聞いた」のは、生まれて初めて涙があふれた時、と記憶している。

 その時は空耳かと思ったものだが、今ではもう、めずらしくもなかった。


 未知の感情を体験、認識したり、初めての行動を選ぶたび、小さな異音が響くからだ。

 自分は、ひび割れつつある。


 ロキにあれこれ言われるまでもなく、夜叉神が割れるのはふつう、死ぬ時だ。だが、


「それがどうした」

 小さな破壊神は銀の目を細め、機嫌良く笑う。


 分厚い氷河が大地をおおい、またしりぞくほどの年月、凍てついたように不変の命をただ生きてきた。自分に変化が起こりうることさえ、知らなかった。


 だが今、刻々と体験している変化は、未知の可能性とともに濃密な死の予感をはらみ──

 だからこそ、いくさ神にとって無上の愉悦なのであった。


 快速列車が減速し、停車した。

 開いたドアから乗客が何人か降り、ホームから同じぐらいの人数が乗りこんでくる。

「…………」


 破壊神は、降りなかった。

 必要ない、と気づいたからだ。


 確かにメイは並みの人間同様、つまずいて転んだだけで死ぬかもしれない存在だ。

 しかし、だからといって四六時中、安全に気を配るのはどう考えてもやりすぎだろう。

 そもそも「心配する」こと自体に不慣れなので、加減というものがわからない。


 とすれば、いい機会だ。

 あえて放置してみればいい。


 メイとてそこそこ霊力はあるのだから、たちの悪い死霊に遭遇したとしても、危険に気づきさえすれば、自力でなんとかするだろう。

 だが、そう結論したとたん、また、


 ぱき。

 みし。


 存在の内側から極小のひび割れの音がいくつも響く。


 本来、夜叉神はひとつの瞬間にはひとつの、完全に純粋な思考、感情しか持たない。

 しかし今はちがう。


「あえて放置」と決断したにもかかわらず、決断の瞬間、周囲に驚くほど多様な思考、感情が色とりどりの花火のように飛び散り、からみあう波紋を生み、存在をきしませる。


 不安。怒り。信頼。

 解放感。殺意。親しみ。

 好奇心。


 喜び。驚き。期待。

 罪悪感? のようなもの。

 勇気? に似た感情や、悲しみや恐怖に似た苦みさえふくまれる。


 互いに矛盾する思考、両立しない感情すら共存する。なんという複雑な反応だろう!

「くく……まるで人間だな」

小さな破壊神は満員列車の天井近くの空中に、片ひじをついて寝そべった。

 自身の心の中に刻々と生まれる無数の感情や思考を、無限の集中力で観察する。


 すべては波打ち際の泡のように生まれては消える。

 あるものは長くとどまり、あるものは瞬時にはじけて消える。


 おそらく、現状で存在をたもつコツはそのどれにも肩入れしないこと、と直感している。

 どれかひとつの感情や思考に意識を寄せすぎないこと。のみこまれないこと。

 むずかしくはない。

 少なくとも、今のところは。

「…………」


 ほどなく感情の荒波が鎮まり、心の内に観察するものがなくなったので、破壊神は満員列車に揺られる人間たちに関心を向けた。


 老いも若きも互いに目を合わせないよう、可能な限り周囲から気をそらしている。

 広告を読んだり、ドアの上部に流れる映像を興味もないのに一心に見つめたり。


 座席にすわっている連中は、まるでそれが決まりであるかのようにそろって「すまほ」に没頭している。眠っている者、寝ているふりをしている者もいる。


 みな、口は閉じている。

 しかし、破壊神から見るとにぎやかだ。


 さかんに怒りを燃やす者。雑多な欲に輝く者。ぬるい絶望にひたる者。

 恨みがましい呪いをつむぎ、綿々とどこかへ飛ばしている無自覚な能力者もいた。


 興味を持って少し近づいた拍子に、うっかり呪いの「ひも」を切ってしまい、物思いにふけっていた能力者はびくっと顔をあげた。

破壊神を見ることはできず、おどおどと周囲を見回し、しかし畏怖をおぼえたらしい。

 次の停車駅につくなり、逃げるように人をかきわけ降りて行った。


 しかし破壊神はまだ、降りなかった。

 学生が退屈そうにプレイしているスマホのゲームを後ろからながめ、手すりにもたれて眠りこんでいる女性が、耳にさしたままのイヤホンから流れる音楽に耳を傾ける。


 以前は気にしたこともなかったが、今はひとりひとりの周囲に刻々ときらめき出る、無数の感情や欲、思考の断片的エネルギーに、驚異すら感じていた。

 なにしろ人間は、矛盾した思考や感情を同時にいくつ持とうが、砕けたりしないのだ!

 恐怖に溺れながら勇気を発揮し、悲しみ怒りながら喜びをおぼえ、なにかを渇望しながらどういうわけか、正反対の方向へ疾走する。


 柔軟だ。


 だから成長が早いのだろう。


 夜叉神から見ると人間は、草のようにたちまち育ち、咲いたかと思えばもう枯れる。

 個々はもろくて短命なくせに、それぞれが学んだことを受け継ぎ蓄積し、ちょっと目を離した隙に、驚くほどの広さを住居で埋め尽くす。


 多くの「国」が滅びるのを見た。

 疫病、飢餓、戦乱。地殻変動、隕石の落下。

 理由にはことかかない。


 しかし人間はどれほど打ちのめされ数を減らしてもまた立ちあがり、新しい街を築く。

 常に不満を垂れ流し、小さなことでいがみあいながらも、じりじりとはいあがっていく。

 他の生き物より巧みに、すばやく、適応する。


 ここにひしめく人間たちが、なによりの証拠だ。

 彼らの健康で長生きなことといったら、ひと昔前の王侯貴族もうらやむほどだ。


 名もない平凡なひとりひとりが、古代の特権階級さながら楽々と文字を読み書きし、算術をあやつり、魔法のような道具をいくつも所有し、使いこなしている。


「たいしたもんだ」

 命を愛でるような感慨が言葉になってこぼれた、瞬間。


 ぱきん。


 ふたたび異音が響いた。

 今度の〈ひび〉は、少し深いようだ、と観察するより早く、


「?」


 急に身体が異様に重くなり、破壊神はたじろいだ。

 走り続ける列車の音が綿でくるんだかのように遠ざかり、目の焦点までぼやけはじめる。


「なんだってんだ」


 無意識に人間のように頭をふり、目をこすって……気づいた。


 これは〈眠気〉だ。


 驚愕した。故意に意識を沈めて眠り、休息することを覚えたとはいえ、いまだかつて自然発生する〈眠気〉など、感じたことがなかったからだ。

 なのにその驚愕すら押しつぶす勢いで〈眠気〉は問答無用に強まっていく。


 抵抗できない──と認めると同時に、破壊神は理解する。

 これはおそらく、身体の防衛反応だ。

 未知の感覚を深追いしすぎたせいで、身体の許容限界を超えたのだろう。


 だからといって探求をやめる気はないが、今後はもう少し慎重に進めなくては。

(俺は、人間ほど柔軟にはできてないからな……)

 睡魔に飲みこまれる寸前、メイの家に戻ろうとする本能的衝動が、脳裏に閃いた。


 メイは意図せず、自宅で破壊神をまつっている。

 日々、そうしているという意識すらなしに祈り、霊力を捧げ続けている。


 おかげであの場所では、破壊神の心身は安定しやすい。

 不慮の崩壊を避けやすい、ということだ。


(なるほど。守ってやっているつもりが、守られていたとはな)


 破壊神は苦笑する。

 だが、戻る余裕はない。

 外に出るよりは、車内にとどまる方がマシ、と判断する。

 四方を壁に囲まれているから、最低限の結界として機能するはずだ。


 急速に感覚を失っていく五体を、なんとか車両の天井近くまで運んだ。

 誰の手も届かないことを確認し、ため息とともに空中に身を横たえる。

 霊的存在に「物理的支え」や「台」は必要ない。

 そうしようと決めさえすれば空中に立つことも、宙を蹴ることもできる。

 寝ることもできる。

 小さな破壊神は目を閉じ──たちまち深く、かつてないほど深く、眠りこんだ。


        ◆


 快速列車は眠る破壊神を運んで、終点と始発の間を二往復した。


 乗客の誰ひとり、小さな破壊神の存在に気づかなかったが、問題の車両に乗り合わせた者はもれなく憑きものをきれいさっぱり祓われ、身軽になって降りていった。

 ラッシュアワーが終わり、車内がだいぶすいてきたころもうひとつ、異変が起きる。


 それまで天井近くに浮いたまま、世界となんの関係もないかのように平穏に眠っていた小さな破壊神が唐突に、〈落下〉したのだ。


「?」


 こつん、となにか硬いものが床に当たる音を耳にして、乗客のひとりがふり向いた。

 だが彼女の目に映ったのは、明るく照明された車両の床だけ。


 落ちても目覚めない小さな神が、快速がカーブを曲がるにつれてころころ転がり、シートの足もとにぶつかって止まったのも、見ることはできなかった。

 すぐに忘れて、次の駅で降りる。


 快速列車はさらに路線を一往復。


 大勢が乗り降りしたが、見えなくても、本能が避けるのだろう。誰ひとり、床に落ちている小さな神を踏むことも、車輪つきスーツケースでいたりすることもなかった。

 もっとも破壊神を踏んだら、足をくじくのは人間の方だったろうけれど。


「!」

 最初に破壊神の存在に気づいたのは、少しだけ霊感のある占い師だった。

 なにげなく車両に乗りこもうとしてぎょっと足を止めた。


 彼の目にはシートの一部が、燃えさかる火柱に包まれているように見えたからだ。

 思わずのけぞり「火事だ!」と叫びかけて、ようやく気づく。


 煙のにおいがしなかった。

 それに、車内の誰もあわてていない。それどころか、荒れ狂う炎に半分ひたって、平然とシートにすわりスマホを見ているやつまでいる。


 あれはなにか、霊的なものだ。

 しかも見たことがないほど、とてつもなく強いものだ。

「…………」

 どっと冷や汗がふきだす。占い師はゆっくりあとずさり、ドアが閉まる前に降りた。


 次に破壊神の存在に気づいたのは、習い事帰りの小学生だった。

 母親にぴったりくっついたまま、ちらりちらりと向かいのシートの下に目をやる。

「ねえ、ママ。ねえってば」

 スマホで文字を打ち続けている母親の注意をひくべく、背中をつつく。


「なあに」

「あっちの床に、お人形が落ちてる」

「へえ」

「拾っていい? 拾って、持って帰っていい?」


 母親はやっと、画面から目をあげた。我が子が指さす先をざっと見たが、

「なんにもないじゃない」

 すぐ興味を失って、スマホの操作に戻る。小学生はいらだって、


「あるってば! すっごくよくできたお人形。ね、拾っていい?」

「だめ。汚いから、電車で床に落ちてるものなんか、拾っちゃいけません」

「ええー」

 小学生は、名残惜しそうに何度もふり返りながら、母親に手をひかれて降りていった。


 快速列車はたゆみなく線路を往復し続け、さらに大勢が乗り降りした。

 終電間近になり、ふたたび車内が混んできたころ、


「ん? なんだありゃ」


 ごましお頭の男がひとり、シートの下に落ちている神に気づいた。


 彼の目には眠る小さな破壊神は、光の球に見えた。

 けっこうまぶしい。

 つり革につかまったまま、誰か若いヤツの落とし物だな、と、男はほろ酔い頭で考える。


 最近の「ガジェット」だの「デバイス」だの、新製品はなんでもかんでもぴかぴか光って、なんの役に立つんだか、おれみたいな古い人間にはさっぱりだよ──。

「……?」


 おかしい、と気づいたのはしばらくたってから。

 目がくらむほど明るい光の球なのに、なぜか誰も、気にしていないように見える。


 とりわけ、光球の真上のシートにすわっている乗客など、足もとにあんなにまぶしいものが転がっているというのに、どうして平然と本を読んでいられるのだろう?

「……飲みすぎたかな」


 自分の目がおかしいのか。周囲のみんながおかしいのか。

 ぎゅっと力一杯まばたきしたり、額をもんだりしてみたが、光の球は消えてくれない。

「…………」


 理不尽なこと、困ったこと、受け入れがたいことからは目をそらして立ち去るのが、男がずっと守ってきた処世術だった。だが、なぜかこれは、見なかったことにできそうにない。


 男はさりげなく、混んだ車内を少しずつ移動し、光の球に近づいた。

 近づけば、どんな「製品」かわかるだろうと軽く考えていたのに、真ん前に立ってもなお、球が光のかたまりにしか見えないことに驚く。


 物体としての明確な輪郭も、部品らしい細部も見分けられなかった。

 ただまばゆく厳しく、どこか神々しい白銀の光を、ふうわり丸めた球のように見える。


 影がない。


 気づいたとたん、どきどきしてきた。

 なんだこれはなんだこれはなんだこれは……エンドレスに心の中でつぶやきながら、光球の真上のシートにすわっていた乗客が席を立つと、反射的にその席に腰をおろした。


 いつも降りる駅に列車が到着したが、降りなかった。

 それどころではない。

 今や目を向けなくても、足もとの輝くものを感じられる……気がした。


 まるで、生き物のようだ。

 神のようだ。

 拾いたい。


 でも、混んだ車内で目立ちたくはない。

 男は膝に抱いたカバンからミニタオルをひっぱり出し、たたみ直すふりをした。

「あ」


 わざとタオルを床に落とした。となりにすわっている人、前に立っている人に目顔で謝罪しながら身をかがめ、足もとに落ちたタオルをつまむ。

 さっと近くの光の球をくるみ、拾いあげた。上着のポケットに入れながら、

「すいません」

 もう一度謝ると、となりの席の乗客はめんどうくさそうに「いえ」とだけ言った。


 男は、破壊神を手に入れた。



【後編に続く】

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