第2話 落としたら割れる卵のような
「おまえというやつは、いったいどこまで腰抜けなんだ!」
破壊神の怒声に、メイは、舗装工事中の砂利道をとぼとぼ歩きながら、思わず首を縮める。
「そ……そんなこと言われても」
一寸法師サイズの破壊神が頭上に浮かんでのはわかっているが、空をふりあおぐことはしない。返事をする声もなるべく小さくする。
でないと道行く人に「ひとりごとを言っている変な子」認定されてしまうからだ。
仕事帰りだった。
と言っても、いつものように放課後、零課から届いたメールの指示に従って、不法占拠の妖怪に退去勧告をしに行っただけ。ほんとにたったそれだけのことなのだが、
「毎回毎回、吹けば飛ぶような小物相手にびくびくおどおどしやがって!」
「だって……だって今回は、場所がわるかったんですよ!」
メイにだって言い分はある。
「よりによって、お化け屋敷なんだもん……」
「それがどうした。ぜんぶ作り物じゃねえか」
破壊神がせせら笑うのもムリはない。メイはしかし、古井戸からずるりと這い出してきたずぶ濡れの女性や、ゆらゆら迫ってくる腐りかけのゾンビを思い出しただけで身震いする。
「でも、でもすごくよくできてて……本物にしか見えなかっ……」
「どアホウ! そこそこ力のある霊能者のくせしてなにぬかしやがる、びびってねえでしっかり見りゃあ、いくら新米でもどれが本物かぐらいわかるだろ!」
「いえ、ぜんぜん」
今日行った現場は、ショッピングモールの催事場だった。
電気系に影響を及ぼす妖怪が居着いたせいで仕掛けが止まらなくなり、零課に通報が入ったのだが────
「あんなキラキラふわふわしたクリスマスツリーの飾りみたいな可愛いのが本物の妖怪さんで、こっちを見て笑う……笑ったの、見ましたよね? あんなよくできた等身大の幽霊の方が作り物だなんて、見ただけでわかるようになるなんて絶対ムリ……」
「ムリとかぬかすなクソバカ!」
ぺし。
もちろん、とてつもなく軽く、だ。
いくら縮身して小さくなっていようとも最強の
なのに、
「あ」
メイはあっけなくつんのめり、たたらを踏み、宙を泳いだ。
べしゃっ。
転んだ。
「あ……痛ぁ……」
うつ伏せのままたちまち涙声になるメイの、砂利道についた手のひらや膝から血のにおいがたちのぼってくるのに気づいて、小さい破壊神はあぜんとした。
ウソだろ。今ので転ぶかよ。
いや、平らな道でちょっと転んだだけで、こいつは血を流すのか!?
瞬時にメイへの怒りは消え、代わりにわけのわからない鈍い痛みのようなものが破壊神の精神を圧倒した。
ケガをさせるつもりはなかった。
むしろ、最初から傷つける気でいたなら、もっと厳密に結果をコントロールできただろう。
まさか、あれぐらいのことで転ぶとは思わなかったのだ!
人間なら「罪悪感」と呼ぶ不慣れな感情に激しく動揺しながら、破壊神はしかし、どうにもこうにも理解できなかった。
転んだぐらいで血を流すなんて、人間としてもどうなのか。
霊能者のはしくれなら、護身ぐらいできて当たり前では?
零課の課長だという大矢野とかいう男もちゃんとできていたし、破壊神自身も、古い女神の魔法に力を奪われ人間同然にされた時でも、護身ぐらいは自然にできた。
──などと考えている時点で比較対象があまりに間違っているのだが、不運なことにこの場に、神の非常識を正してくれる者はいなかった。
「あ、だいじょうぶ! だいじょうぶですから」
頭上が急に静かになったのに気づいて、メイは無理やり明るい声を出す。
バイクで通りすがった郵便局員が、あれ? あの子だいじょうぶ? というような目線をちらっと向けてきたが、そのまま通りすぎた。
メイはせいいっぱい平気なふりをして立ちあがる。
ずきずき痛む手のひらと膝小僧をちらっと見ると、けっこうひどいことになっていた。カバンを持っていた方の手はカバンがクッションになって助かったけれど……
「転んだのはわたしがドジだからです。スサノオに悪気がないのはわかってますから、気にしないでください」
それだけは、宙に浮かぶ小さな破壊神をきちんと見あげて伝えた。
「気になんかしてない」
不機嫌そうな返事に、メイは素直ににっこりする。
「それなら良かったです」
しかしスサノオとしてはちっとも、良くなかった。うなるように言う。
「さっさと治せ」
「え?」
「このあいだ、どうでもいいやつの古傷を治してやってただろ。自分も治したらどうだ」
「あ、わたし、自分を治すのは苦手で……」
「…………」
「そういう人、けっこういるんだそうですよ。実は課長も……」
歩きながらメイはまだしゃべり続けていたが、破壊神はもう、聞いていなかった。
よくよく思い返してみると、こいつは以前からよく転んでいた気がする。
あまり気にしていなかったが、小さなケガもよくしていたかもしれない。
なぜだ?
霊力の出力は十分なはずなのに、護身のコツがわかっていないのか?
人並みはずれて、鈍くさいのか?
それとも実は普通の人間はみな、こんなものなのか?
平らな道で転んだだけで今みたいに足をひきずるほどのダメージなら、階段から落ちたら死ぬんじゃないか。
と気づいて、スサノオはぞっとした。
駅へ向かうこの道の先に、階段があるのを思い出したのだ。
メイの背中をどやしつけたのが、平らなこの場所で良かった。
こいつがこんなにとてつもなく弱いと気づかないまま階段で転ばせてしまっていたら──いや、わざわざ突き飛ばさなくても、こいつが勝手に足を踏みはずして転げ落ちて、それを、まさか受け身もとれないとは想像もできず、ただあきれてながめていたら──
「あれ? スサノオ、前を飛ぶんですか? めずらしいですね」
メイは、一寸法師サイズの破壊神がいつもの「背後+頭上数メートル」から降りて来て、しかも前に出たので驚いて、周囲を見回す。
「なにか危険が迫ってるんですか? すごい強い妖怪とか……」
「いねえよ、そんなもの」
「あ! 信号赤です、その高さを飛ぶなら歩道の端で止まってください!」
「なんでそんなめんどくせえこと……」
「車が来ますから」
「あのなあ、この俺がはねられるとでも……」
「逆です。小さいスサノオにぶつかったら車に穴が開いちゃいます。大事故です」
なるほど。
と破壊神は納得する。
こいつはあんがい、世界と自分の力関係をよく認識しているのかもしれない。
それであんなに、臆病なのかもしれない。
弱いから。
つまらない事故であっさり死ぬほどもろい、と本能的に自覚しているからだ。
だが……と、万事に容赦を知らない破壊神は考える。
弱いままでは困る。
落としたら割れる卵のような存在のままでは、喰うこともできないではないか。
自然にできるようにならないなら、護身ぐらいはたたきこんでやらねば。
「世話の焼ける食い物だ」
物騒なつぶやきは幸い、メイの耳には届かず……
「あの……」
「なんだ」
「わたしの肩か、頭の上にのってくださってもいいんですよ?」
「イヤだ」
「そ、それはどうして」
「おまえすぐ、めそめそびくびくするだろーが。
「それはその……あ、でも駅とか電車の中ならきっとだいじょうぶ」
「ウソつけ。来る時も乗り物の中でたまたま近くに立った男やら、おしゃべりしてる女どもを怖がって壁にはりついてたじゃねえか」
「えっ、気づいて……」
「信号とやらが青になったぞ。歩け。足もとちゃんと見やがれよ」
そそくさと指示に従いながら、メイはしかし、小さい破壊神がなんの気まぐれであれ、見えるところを飛んでくれるのがうれしくて、ついほほ笑む──。
その日から。
メイの守護神は頭上でも背後でもなく、手の届く距離をついてくるようになった。
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