神さまの飼い方、教えます
七尾あきら
祟らない日常
第1話 妖怪のおまわりさん
「遅くなっちゃってごめんなさい。うん……レッスンが入ってるの忘れてて……たぶん二時間ぐらいで帰れます。はい、気をつけます」
通話終了したスマホ画面の「お母さん」という表示を見つめて、少女はため息をついた。
「やだな、またお母さんにウソ、ついちゃった……」
彼女の名は神納(かのう)五月(さつき)。親しい間ではメイと呼ばれている。
高校に通うかたわら対妖怪警察、零課に勤めているが、霊能力にめざめたのはつい最近。
初心者なので、不法占拠の妖怪相手に「退去勧告」に行く仕事ばかりしている。
簡単だけれど件数が多く、しばしば帰りが遅くなるのが難点だ。
もちろん両親は、メイが警察官になるなんて大反対だった。
それで、メイから見ると魔法使いみたいな大霊能者の零課課長が両親を「拝んで」、両親が納得しやすい「モデル事務所にスカウトされた」ということにしてしまったのだが──。
「いつかバレそうで怖い……て言うか、おなか……すいたー」
ぐうう、と力なく鳴るおなかをおさえて、メイは涙目になる。
「今日は明るいうちに帰れるはずだったのに……ほんとにどこに落としちゃったんだろう」
落としたのは、よりによって警察手帳だった。
零課の警察手帳はみだりに人に見せてはいけないことになっている。紛失など論外だ。
ないと気づいたのは、本日最後の現場で「仕事」を終え、駅についた時。
真っ青になって、その日通った道や乗り降りした路線、駅をくまなくたどった。
それぞれの駅で、拾得物として届けられていないかも確かめた。
なかった。
「どうしよう。今日の現場はここで最後だし……見つからなかったら紛失届出して……
泣きそうになりながら、けばけばしい電飾看板や植木鉢の陰をいちいちのぞいて確かめて歩くメイは、夜の繁華街で浮きまくっていた。
小柄で童顔、学校帰りのセーラー服のままだし、通学鞄もさげている。
おさげに編んだ髪を左右で輪にまとめているのはともかく、ちょっと大きめの眼鏡をかけているせいでますます、幼く見えた。
おかげで高校一年なのに、よく中学生にまちがわれる。
すれちがう大人たちが不審そうにふり返る視線に気づいて、
「いけない、あんまりうろうろしてると補導されちゃう……!」
あわてて足を速める。
繁華街を抜けると急に、あたりがしん、と静かになった。
夕方来た時には営業していた八百屋や理容店もとっくにシャッターをおろしてしまい、古い街灯が間遠にぽつん、ぽつんと灯るだけの道はうす暗い。
メイはおっかなびっくり、今にもなにか出そうな物陰をひとつずつのぞいていく。
繁華街から数百メートル。
きちんと確認した。が、
「……ない」
メイの警察手帳はどこにも、落ちていなかった。
「じゃあ……あとは……あとは……こ、ここしか……」
メイは、煤けた古いアーケードを恐怖のまなざしで見あげる。
なんとか商店街、という文字もあちこち欠けたアーケードの、電飾は点灯していなかった。
駅前繁華街に客をとられ、最後まで残っていた店も最近、廃業してしまったそうだ。
住居兼店舗の建物はそのまま残っているが、住人はもういない。
取り壊しが決まっている。
つまり、アーケードの中は真っ暗だ。思わずくるっとアーケードに背を向け、
「……そうだ! だ、誰かがひろって、とっくに交番に届けてくれてるかも?」
はかない希望にすがりかけて、すぐに気がつく。
「あっ、で、でも、もしこの中で落としたんなら、誰も通りかかったりしないよね? だったら誰も拾ってくれるわけないし……わーん、もうやだー」
泣きべそをかきながら、メイは通学鞄をお守りのようにぎゅっと胸に抱きしめた。
「こ、今度から懐中電灯! 懐中電灯、鞄に入れとこう……!」
向き直り、おそるおそる真っ暗なアーケードに踏みこむ。
明かりはなくとも、都会の夜である。
目が暗さに慣れると、落ちているものぐらいは見分けられるようになってきた。
「あれは空き缶、こっちはペットボトル。濡れた雑誌。割れたガラス。わー、キラキラ」
少しでも怖さをまぎらわせようと、小声であれこれ確認しながら歩いて行く。
「だいじょうぶ、このへんのお店には入らなかったし……道だけ。道だけ確認すれば」
あ、見つけた! と思ってしゃがみこんだら古いポケットティッシュだったり、なんだかわからないぐちゃっと落ちてるものが、つぶれた紙コップだったりで、けっこう手間取る。
警察手帳を見つけられないまま、アーケードの奥にさしかかった時、
「?」
不審な物音が耳に入った。
アーケード一番奥の、店舗兼住居の手前の路地で、ぼそぼそと話し合う低い声がする。
オバケ……と言うより人間っぽい。
いきなり「うおおーっ!」と力むような声があがった。
ものすごく、がんばっている。
しかし、失敗したらしい。
仲間とおぼしき複数の声が、どっと笑った。
「なんの芸だよ、それ」
「おもしろいおもしろい」
「バァーカ。そんな軽そーなもん、動かせねーわけねーだろ」
「ちげーよ! だったらおまえがやってみろよ、びくともしねーんだよ!」
「あっそ。じゃ、またげばいいんじゃね?」
「お、あったまいー。んじゃ、お先」
がっ。
石の壁を蹴ったような音がした。
一拍おいて、
「いっ……てー! いててて、なんだよこれ!」
悲鳴があがった。
「おまえ……なにやってんの?」
「なにって……痛ぇ……うわ! 見ろよ、血が出て……足の爪……爪割れてるって!」
「え? え?」
「だいたいなんでこんなとこに、三角コーンなんか置いてあんだよ! わけわかんねえ」
そこまで聞いて、メイは青くなって店の裏口に通じる路地に飛びこんだ。
「すっ、すみません! 申し訳ありませんが、その家には入らないでくださ……」
声が宙に消えたのは、失敗に気づいたから。
数人の若い男が、真っ暗な路地にたむろしていた。
中のふたりが、スマホのライトで仲間の足もとや手もとを照らしている。
あ、スマホってそんな機能もついてるのね、だったら懐中電灯いらないかも……と場違いな感想を抱きながら……しかしメイは心底、おびえていた。
今どきこんな人、いるんだ、と驚くぐらい、それっぽいチンピラたちだったからだ。
実はシールかペイントアートなのかもしれないが、わざわざまくったそでから派手なタトゥーをひけらかしているし、少なくともひとりは髪が完全に金髪だ。
そうでなくても夜、住人のいない家に押し入ろうとしている集団が、まともなわけがない。
ひざが小さく震えだし、声が出なくなるメイに、ひとりがライトを向けた。
「あ!」
とメイを指さす。
「写真の子だ!」
「え?」
まぶしさと驚きに立ちすくむメイの前で、チンピラたちはそろって、ひとりが手にしている定期入れのようなものをのぞきこんだ。しきりにライトを当ててメイと見くらべる。
「うわ! ほんとだ。そっくり!」
「なになに、
「そのセーラー服、学校の制服だよね。まさか、ジョシコーセー?」
「ちびで貧乳、てんでガキじゃん!」
自分たちだってまだ二十歳前だろうに、妙にえらそうなチンピラたちを前にメイは泣きそうだった。よりによってこんな人たちに拾われるなんて!
「か……返してください……」
必死で口を開いたものの、蚊の鳴くような声しか出ず、チンピラたちはどっと笑った。
「なに? 聞こえねーよ」
「いけないんだー、ジョシコーセーがこんな時間にこんなとこで、なにしてんだよ」
「この警察手帳なに? コスプレ用? 職員番号まで入ってんの、やりすぎ」
「こんなもん偽造しちゃ、まずいだろぉ。本物のけーさつに見つかったらどーすんの」
「てか、写真の警察の制服、サイズ合ってなくて笑えるんですけどー」
言いながらぞろぞろ近づいてくる集団に、メイは涙目になりながら後ずさる。
「す……すみません、返してください……それ、だ、大事なもので……」
必死で声をしぼり出すが、誰ももう、聞こうとさえしていなかった。
のっぽのちんぴらが警察手帳を、メイの手の届かない高さでこれ見よがしに広げる。
「写真がホロとか、すげぇこってるじゃん! どこで作ってもらったの?」
「なんに使うんだかなー」
「イメクラじゃねーの。新手の援交」
「うわ、おとなしそーな顔して女は怖いね。どんなサービスがウリなわけ?」
「おにーさんたちとカラオケ行こーよ。おまわりさんごっこ、していいからさ」
体格のいいひとりがにやつきながら、立ちすくんでいるメイの手首をつかむ。
「や……いや! は、放してくださ……」
メイは半泣きでふりはらおうとしたが、体格差がありすぎる。相手の腕力に負けてなすすべもなくひきずられ、二、三歩たたらを踏んだ。その時、
べき。
乾いた音を立てて、メイの手首をつかんでいたチンピラの、腕が折れた。
「え?」
そのつもりもないのにメイを放してしまったチンピラは、自分の手が、前腕なかばでほぼ直角に曲がっているのを見てぽかんと口を開ける。
その耳もとで、少年の声がした。
「こいつは俺のものだ。気安くさわるんじゃねえ」
「え?」
ふり向くひまもなかった。突如、ベルトを背中から、牽引フックでもひっかけたみたいに強烈にひっぱられたチンピラはそのまま放り捨てられ、十数メートル、声もなく宙を泳ぐ。
粗大ゴミの山に落下、古いタンスをつぶしてめりこんだ。
今や見えるのは、派手な蛍光色のスニーカーをはいた片足だけ。ぴくりとも動かない。
メイは悲鳴をあげた。
「スサノオ! ダメ! ダメです、ひ、人は殺さない約束……」
「死んでないだろ。胴も手足もちぎれてねえし、頭もちゃんとついてる。なにが不満だ」
本当は八つ裂きにしてやりたいが、という殺気を隠しもせず、姿のない声が答える。
その間にもさらにふたりが宙に投げあげられ、廃材置き場と、もうなんの店だったかわからない、ほこりだらけの店先につっこんだ。空き瓶か陶器の割れる、派手な音が響く。
メイの警察手帳を手にしていたのっぽのチンピラは、逃げだそうとした足がもつれ、その場にしりもちをついた。腰が抜けてしまい、立てない。
メイは無我夢中で叫んだ。
「そこまで! そこまでにしてください! それ以上人を投げないで! 人を死なせたらいくらスサノオがわたしの守護神でも、
「かまわんぞ、いつでも来い! かかってくるってんなら
がぜん楽しそうに浮き立つ声のするあたりに、のっぽのチンピラは思わず、目をこらす。
誰にも言ったことはないが、彼には少し霊感があった。
オバケも幽霊も見たことがある。
目を細めて見つめるうち、夜闇に微光を放つ、小さな人影が浮いているのが見えてきた。
手のひらに乗るサイズだ。白銀の髪がたてがみのようになびいている。小さくて目鼻立ちはよくわからないが……怖い。小さいのに、ものすごく、怖い。
これは、破壊と闘争の化身。
破壊神だ──と本能がささやく。
しかし、他の連中にこの〈神〉は見えなかった。声さえ聞こえていない者もいたようだ。
「おいおい、いったいなにがどーなってんだよ!」
「お……女がやったのか?」
「いや、なんか今、別のやつの声がして……」
まだ、仲間の身になにが起きたかさえよくわからないまま、あたりを見まわす。その時、
「?」
彼ら以外無人のはずのアーケード街に、わー、と小さなときの声が響いた。
霊感のあるなしを問わず、これはその場の人間、全員の耳に届いた。
誰かが路地奥の廃屋でテレビでもつけて、たまたま時代劇の合戦の場面でもはじまったか、と思うような、小さく、遠い、ときの声だったが──
近づいてくる。
と思う間に、
「
「零課の
「黙って見ていては武家の名折れ」
かけ声も勇ましく、身の丈せいぜい数センチのミニチュアの騎馬武者、数百騎が、つまようじのような刀や槍をきらきらとふりかざし、路地から飛び出してきた。
騎馬武者の周囲にはなんと、長槍や旗を手にひた走る、足軽たちまでそろっている。
総勢、千か、二千か。
路面を埋めるように寄せてくるミニ軍勢は、暗い中、全員の目にくっきりと見えていた。
壮観と言えば壮観。
バカバカしいと言えばこれほどバカバカしいながめもない。
「なっ……なんだよ、やんのかよ!」
ケンカ慣れしたひとりが青ざめながらも、踏みつぶしてやろうと身構える。
そこへ、ミニチュア騎馬武者たちの後ろにぬうっと、路地から顔を出したのは、
「!」
家より大きい、巨大なしゃれこうべだった。
がらんどうの
その鬼火が、きょろりと動いてチンピラたちを見る。
頭骨の下にはちゃんと首の骨が続き、肩の骨が続き、長い腕の骨が持ちあがって──
がしゃり、と地面に骨だけの、ばかでかい手をついた。
「う……わああああ!」
たまらずひとりが絶叫し、他のふたりも和した。転げるように逃げ出す。
ひな人形より小さな軍勢は「敵」の敗走に勢いづき、へたりこんだままののっぽめがけて突進してきた。騎馬武者も歩兵も超ミニサイズだが、それでも武器はとがっている。
刺されたら痛そう……と、ぼんやり思うが動けないのっぽの前に、メイが飛びだした。
両手を広げて立ちはだかり、必死で声をはりあげる。
「みなさん、お気持ちはありがたいですが、
ミニチュア軍勢は、停まった。
間近で見るとますます弱そうだったが、
「
「
しかつめらしくミニチュアの武器をおさめ、威厳を保ってぞろぞろとひきあげていく。
最後にばかでかいがいこつが、
「失礼しました。勧告に従いまして我ら一同、三日後までに退去いたしますので、よしなに」
と挨拶。
したかと思ったらぱっとかき消えた。
夜更けのアーケード街はもとどおり静まりかえり、もう、なんの気配もない。
ほっと肩の力を抜いてふり返るメイを、のっぽのチンピラは、オバケを見る目で見あげた。
「あ……あんたいったい……」
「警察庁霊能局零課所属の、新米です」
「けいさつちょうれい、の……?」
「妖怪のおまわりさんです。すみません、今は一刻を争うので……」
メイはもみあう内に地面に落としてしまった通学鞄を見つけて、開けた。
取り出したのは食品用ストックバッグ。白い紙の束が入っている。
小さい破壊神がそばへ降りてきて、不審そうに口を開いた。
「なんだメイ、おまえ、ケガしたのか」
「いえ、わたしはケガしてません」
「じゃあなんで、眼鏡野郎の霊符なんか出すんだ」
「スサノオが投げた人たちを治すんです! 死んじゃってないことを祈っててください!」
メイはへたりこんだままののっぽをふり返り、
「すみません、あなたもあとで治療しますから」
「え……オ、オレはべつにケガとかしてな……」
しどろもどろの答えを置き去りに、霊符入りの袋を手に走る。
のっぽのチンピラが、少し遅れて追いかけてきた。
「て……手伝うよ! あんたひとりじゃ、ケガ人運ぶとかできっこねえし」
「助かります! でも、ムリしないでくださいね」
「ムリしてんのはあんただろ……」
粗大ゴミの山をよじ登るメイのあぶなっかしさを見かねたのだろう。
のっぽは、万一にもセクハラにならないよう……そしてなにより、小さい破壊神の
メイは、タンスにめりこんで気絶しているチンピラが、まだ生きているのをまず確認した。
深呼吸して集中、その全身に手をかざしていく。
横からスマホのライトで照らしながら、のっぽのチンピラがきいた。
「それ、なにしてんの」
「あ、負傷の有無と、ケガの重傷度を調べてます」
「マジで」
「最近、研修で習ったばかりですけど
手のひらがちくりとしたらそこになにか、不具合がある。
反応が大きければ重症。小さければ軽い。シンプルで、簡単だ。
調べてメイは少し、ほっとした。
気絶しているが、意外と軽傷だ。骨折も、最初にスサノオに蹴られた腕だけのようだ。
「こいつ、死にそうっスか」
心配そうにきく相手がいつの間にか敬語になっているのには気づかず、メイは答えた。
「いえ、意外と大丈夫そうです。あんなすごい距離、投げ飛ばされたのに……」
「壊れたタンスがクッションになったのかな。ラッキーなやつっスね!」
「そうですね……」
言いながら、メイはちらっと他のふたりが落ちた場所に目をやる。
ひとりは廃材の山を崩し、ひとりは店先の古い陳列棚をつぶしてのびている。
偶然のわけがない。
アーケードの柱にたたきつけることも、路面に落として即死させるのも簡単だったはずだ。
しかも、たとえクッションになるものの上に落ちたとしても、あれだけの距離を飛ばされて新たな骨折もなく、なにかの破片が刺さったりもしていない。もはや奇跡である。
確かに破壊神は、手加減してくれたらしい。
「でも、心配なので」
メイは迷わず、ストックバッグから霊符を取り出し、まずチンピラの折れた腕に貼った。
薬もなにもついていない、ただの和紙なのに、吸いつくようにぴたりと貼りつく。
「なんスか、それ」
薄気味悪そうにたずねるのっぽのチンピラに、
「うちの課長お手製の
と答える間にも、見守るふたりの前で、霊符が白く輝きはじめた。たちまち、曲がってはいけない方向に曲がっていた腕が、正しい角度に戻っていく。
「すっげえ……!」
「さすが課長の霊符! 持ってて良かった」
小さく万歳したメイは念のためもう一枚、気絶しているチンピラのおでこに霊符を貼った。
「え、こいつ、頭にもなにかケガしてるんスか?」
「うーん、たぶん軽い脳しんとうぐらいで、骨折とか脳内出血とか重大な問題はなんにもない……とは思うんですけど、わたし初心者で、自信がないので念のため、です」
「念のため」
「課長の霊符は、ひとり一枚でほぼなんでも全快するそうです。貼っとけば安心でしょう?」
「えー? なら、腕に貼った一枚だけでじゅうぶんなんじゃないスか? そんな、ゲームに出てくるベホマみたいなおフダ、二枚も使うなんてもったいない……」
というのっぽのつぶやきは、他のふたりの生死確認に走るメイの耳には届かなかった。
「良かった……生きてる!」
確認して、メイは安堵に胸をなでおろした。手かざしで調べたかぎり大きなケガはひとつも見つからなかったが、残りふたりのおでこにも念のため、一枚ずつ霊符を貼る。
メイは、奇跡の霊符を使い切った。
からっぽのストックバッグを手に立ちあがる頭上から、不満そうな声が降ってくる。
「なんでそんなやつらを助けてやるんだ」
メイは、敬愛する小さい破壊神をふり仰いで、にっこりした。
「この方たちに手加減してくださって、ありがとうございます。あんなに飛ばされたのに、どなたも大ケガしてないなんて、びっくりしました」
「約束だからな。ほっときゃそのうち勝手に起きて、自分で歩いて帰ったはずだ」
「そうかもしれません。でもこの人たち、気絶したってことは頭打ってるわけですし、今すぐは平気そうに見えてもあとから具合悪くなったり……後遺症とか出たら困りますから」
「こういしょう? なんだそれは」
すさまじいほど強いのに、
メイは気づかず、
「後遺症というのは、ええと……ケガのせいでどこかが麻痺しちゃったり、言葉が出なくなったり……いろいろ困った症状が出ることです。特に頭のケガは怖いんですよ」
「ふうん?」
小さい破壊神に納得した様子はなかったが──
メイはのっぽのチンピラと協力して、気絶している三人をがれきの中から運び出し、路上の平らなところに寝かせた。
「オレたちみたいなのに、ここまでしてもらっちゃって……なんか……すいません」
「とんでもありません! こちらこそすみません、次はあなたを治療する番なんですけど、課長の霊符、使い切っちゃってもうなくて」
「え? いやだから、オレはケガとかしてませんって……」
ただ腰が抜けてへたりこんでただけです、とまでは恥ずかしくて言えないのっぽのチンピラを、小柄なメイはのびあがるようにして手かざし検査する。
「頭……は大丈夫、背骨……も大丈夫、内臓も問題ないですね……あ!」
「えっ」
「ここ! ここ、なにかあります」
メイの手のひらは、のっぽのチンピラの左のひざの異常を告げていた。
「あ、そこは、その……」
しどろもどろでなにか説明しようとするチンピラをよそに、メイはきっぱり約束する。
「わたし、治癒術初心者なのでどこまでできるかわかりませんが、全力を尽くしますから!」
立っているのっぽの前にしゃがみこみ、左ひざに両手を当てた。
呼吸を整え精神集中。
目をつむり、先週、習ったばかりの基礎手順を、無意識に暗唱する。
「光……白い光をイメージする……やさしい……命の光……おひさまみたいな……共鳴する……明るくなる……もっと明るくなる……」
つぶやきにつれて、一心に念をこらすメイの全身が最初は淡く、だんだんまぶしく輝き出すのを目にして、のっぽのチンピラは息をのむ。
「光が……このひとの光の薄いところへ……欠けたところへ……流れこむように……」
しばしすべてを忘れて治癒に集中。メイはのっぽのひざ、その、身体の光が濁っている部分が確かに修復された、他と同じほどなめらかになった、と確信してようやく、目を開ける。
「ちゃんと治せた……と思います」
額の汗をぬぐってよいしょと立ちあがる。
そのとたん、のっぽのチンピラがぼろぼろと泣いているのが目に入り、跳びあがった。
「ごっ、ごめんなさい! い、痛かったですか? ごめんなさい!」
「いや、こ、これはちがくて……ありがとう……ありがとうございます」
彼が感謝の言葉を口にするのは小学校低学年以来だったが、メイが知るよしもない。
「ホントに痛くない……?」
「大丈夫っス。なんか、目にゴミが入っただけっス」
メイは信じた。
ふらつきながら、通学鞄を拾いあげる。
慣れない治癒術で力を使い果たし、空腹で目が回りそうだ。
「では……ではわたしはこれで失礼させていただきますけど、みなさん、あとでいちおう、病院でも検査してもらってくださいね」
「まかしてください。いちおうダチなんで」
「それと……ほんとはわたしの仕事、普通の人に見られちゃいけないんです。あの、ここでごらんになったことはできればその……どなたにも話さないでいただけると助かるのですが」
「誰にも言いません。こいつらにも口止めしときます」
「ありがとうございます」
そのまま行きかけて、メイははたと足を止めた。
のっぽのチンピラの方をふり返る。
「あの……」
「はい?」
「ところでみなさん、なんであの、奥のお宅に入ろうとなさってたんですか?」
じっと見あげるメイの視線にのっぽはたじろぎ、ためらい……しかし、言った。
「あすこんち、実はオレのじいちゃんの家で」
「ほ……ほんとうに?」
いくらお人好しのメイでも、にわかには信じられない。
のっぽは恥ずかしそうに頭をかいた。
「うそっぽく聞こえるっスよね。でもほんとなんです。その……じいちゃん、ボケて施設に入っちゃって、レジの金とか置きっぱなしなんでつい、ときどき取りに……鍵持ってるし」
「ああ……」
それならわかる。
「もうやりません」
びっくりするほどしっかりした決意をこめて言うのっぽに、メイはうなずいた。
「わかりました。わたし一般の方の犯罪担当じゃないんで、聞かなかったことにします。こちらとしては、あの家にあと三日、どなたも立ち入らないでくだされば、それでいいので」
言うと、のっぽは笑った。
「入ろうったって、入れないっスよ」
「え?」
「あのうちの裏口に、立ち入り禁止ってシール貼った三角コーン置いたの、あんたでしょ?」
「はい、そうですけど……」
「あれ、みんなで動かそーとしたけど、いくらがんばってもびくともしなかったし、またごうとしたやつは見えない壁に思いっきりつま先ぶっつけて、足の爪、割ったっス」
「え? す、すいません、おケガを……え? でもあれ、ただちょっと置いただけで……」
なにがなんだかわからないメイに、のっぽのチンピラが、
「それと、すいません、これ」
あらたまって差し出すのでなにかと思って見れば、メイの警察手帳である。
「あ!」
手帳のことなど完全に失念していたメイは、押しいただくようにして受け取った。
「ありがとう! ありがとうございますっ、わたし、うっかりまた忘れて行くところで……」
「神納五月さん、でしたっけ」
「はい」
「あんたきっと、すんごい霊能者だと思うっス」
「そ、そうですか……?」
「これからもお仕事、がんばってください」
「ありがとうございます、がんばります。あ、それと手帳、拾ってくださって、ほんとうにありがとうございました!」
「いやそれ、お礼言うとこじゃないっスよ……」
苦笑いする相手に深々と頭をさげて──メイは今度こそ落とさないよう、警察手帳を鞄にしっかりしまいこむと、大急ぎで家路についた。
ほどなく目を覚ました仲間を、病院に連れて行こうとしたのっぽは驚くことになる。
折れた仲間の腕は、札をはがすとまっすぐになっていた。
はれも痛みもなく、念のため行った病院でも、異常はなにも見つからなかった。
霊符を貼られた三人のうち、ひとりは薬物中毒で、もうひとりはギャンブル中毒だったが、どちらもなぜか
現場でケガはしなかったのにメイに手当してもらったのっぽは、中学時代、無免許運転のバイクでこけて以来、ずっと調子の悪かったひざが、うそのように全快した。
四人は夜遊びから足を洗った。
のっぽの若者は今でも、セーラー服の少女を見かけるとつい、ふりかえってしまう。
小さい破壊神と、ものすごくたよりないけれど奇跡の力を秘めた少女。
彼らがのちに零課の伝説になることは、まだ誰も知らない。
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