もののふ令嬢、飛躍す

 延々と続く曲がりくねった長い坂を登りきると、いきなり視界が開けた。端境ボルド峠と呼ばれる、王家直轄地の境界じゃ。


「イデア嬢」


 エフェット殿が指さす方を見て、わしは眉をひそめる。

 遥か彼方、傾いた陽が沈みゆく先で、微かに赤いものが見えておった。身体強化で目を凝らし、それが使者の早馬だとわかる。赤い色は落陽に染まったわけではない。王家の使いであることを示す紅の使者服メッサジェロッソじゃ。


「王都からは、およそ百二、三十といったところか。坊の読みは、だいたい合っておるの」


 彼我の差は、直線距離で十数キロメートルキロメトロ。ここから道なりに追えば、距離はその数倍になろう。


「意外に早く追いつけた、ともいえますが」


「……うむ」


 いま使者の馬が差し掛かっておるのは、オベディエンサ侯爵領の北を流れる河岸。橋を渡った先は、“聖女”の生家カプリチオ公爵の領地じゃ。

 もう間もなく日が落ちる。使者は公爵家カプリチオの庇護下に入る。領都で馬を代え、明日は公爵家の――おそらくは帝国の息がかかった――戦力を使って追撃に備えるのであろう。


北西左奥に見える塔のあたりが、カプリチオの領都じゃ。あそこに入られると、いささか手出しは難しくなるのう」


 目見当で五、六キロ。その前で追いつくのは無理じゃな。


「イデア嬢、領都に入られたことは?」


「ないのう。カプリチオ公爵領は余所者を嫌う。王都との行き来で領地に入りはしたものの、追い立てられるように通り過ぎただけじゃ」


 通りすがりに眺めた人嫌いどもの領都みやこは高い城壁に囲まれ、その造りは城塞に近いものであった。

 初めて見たときは守りに徹する戦備かと思ったもんじゃが、のちに考えを改めた。カプリチオ公爵家あやつらには、なんぞ隠したいものがあったのじゃろ。


「明朝、使者が領都を出てきたところで……」


 いいかけて、坊は小さく声をあげる。

 使者の早馬が渡ったところで、橋がゆっくりと上がり始めたからじゃ。城の前にある跳ね橋と似た動きで、河を渡る道は塞がれてしもうた。


「あれは、わたしたちを領内に入れないために?」


「そうじゃろうな。あそこまでやるとは思わんかったがの」


◇ ◇


 とっぷりと日の暮れたオベディエンサ侯爵領の河岸。わしは跳ね上げられた橋の突端に立って対岸を見渡す。橋はいい塩梅の角度で天を仰いでおった。

 水面みなもまでの高さは、およそ二十メートルメトロ、対岸で跳ね上げられた橋までの距離も同じくらいじゃの。


侯爵領こちらに見張りがおらんのは幸運じゃ」


公爵領むこうには」


「五、六人の兵が配置しておいてある。篝火かがりびがよい目印じゃ」


 わしは木馬で待っておったエフェット殿に笑みを見せ、落ち着かせる。その実、成功するかは賭けじゃ。まあ、どうにかなるじゃろ。


「わしの腰につかまっておれ」


 坊の座る位置を、わしの前から後ろに変えてもらう。万が一、失敗したときにはこの方がいくらか怪我が少なかろう。


「木馬の強度は、問題ありません。速度も、十分かと」


「あとは進路ねらいじゃな。ゆくぞ」


 それだけいって、わしは木馬を全力で加速させる。十五メートルメトロ、十メトロ、ぐんぐんと橋が近づく。さらに魔力を込めると、青白い光が増して純白に瞬く。五メトロ。跳ね上げられた橋を駆け抜けた木馬が、ふわりと宙を舞った。


 身体が浮き上がり、風の音が一瞬、消える。腹の底を撫で上げるような、むず痒い感触。わしの背中に震えが伝わってきたが、耳元でくすりと笑みを漏らす声が聞こえた。

 大物じゃの。


 ドンッ、と橋に着地した木馬は、勢い余ってたもとに立つ兵たちのところまで突っ込んでいった。止めようと横に向けると尻を振って暴れ、兵たちを薙ぎ払って跳ね飛ばす。十メトロ近くも吹き飛ばされた兵たちは、地べたに転がったままピクリとも動かん。


「大丈夫か、ぼん?」


「……」


 念のために振り返って無事を確かめるが、うっとりと幸せそうな顔をしておる。

 わずかに目が泳いでおるのが気に掛かったものの、口を開いたエフェット殿は弾む声でわしにいった。


「空を飛ぶ魔道具というのを、思いつきました」


 まったく、この御仁の頭のなかはどうなっておるのやら。いっしょにおると、わしまで楽しくなってくるわい。

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