王子は揺れる
しまった。思わず気持ちが昂って、女性の胸にすがって泣いてしまった。こんなのは、初めてだったから。自分の努力が認められたことも。誰かと気持ちが通じ合ったと思えたことも。
ぼくは顔を上げて、イデア嬢から身体を離す。
「……す、すみません。……
「よいよい」
必死で謝るぼくに、彼女は慈愛に満ちた微笑みを見せる。
「泣きたくば泣け。笑いたくば笑え。いずれ死する身、悔いなく生きよ」
返ってきた言葉は、思っていたのとは少し違うものだったけど。イデア嬢といるだけで、心に抱えていた暗く重苦しいものが晴れてゆく気がした。
「だがの、
「わかっています。帝国の意図に、気づいたときには手遅れになっていました」
もし間に合っていたとしても、王族としての実権を持たないぼくに打てる手はなかったけれども。
最初の違和感は、第二王子レアルタが謎の病に倒れたこと。彼は軍事や政治の手腕も人望も、第一王子カウザを上回っていた。母親である第一王妃ランコーレは王国の富裕な侯爵家出身で、資金力も政治力も高い。
対してカウザの母、第二王妃パウーラは帝国の第七皇女。皇位継承権もないお飾りの皇族だと思われていた。王国にとっては侵略を止めるための
レアルタの回復が見込めないとわかり、カウザの立太子が決まる。あまりにも早く、あまりにも簡単に。
そこからすべてが、一気に動き出した。第一王妃派閥は廃され、陥れられ、幽閉され、あるいは粛清された。
それまで王国の主流だった貴族や富裕層が、あっという間に権力と財力を奪われ凋落してゆく。末席とはいえ王家に属していたぼくから見て、その異常さはハッキリとわかった。
「なるほどのう」
ぼくが王都の事情を伝えると、イデア嬢はなにかが腑に落ちた様子でうなずく。
「北部国境の帝国軍がおかしな動きをしておったのは、それじゃな。兵を寄せておいて攻め入るでもなく、しばらく騒いでは
「それは、いつ頃ですか」
「わしが立太子の式典に呼び出された、すぐ後じゃの」
それが王都で対抗勢力を
「……最初の
ぬかったの、などといいつつイデア嬢の表情も声も明るい。ぼくは不思議になって理由を尋ねかけたが、彼女は凄みのある笑みを浮かべて
「いってみれば、
遥か彼方、ぼくらが駆け抜けてきた丘の向こうに、迫りくる騎兵の集団が見えた。巻き上げる土埃で数は判然としないが、その広がり方から見て百はいるように思える。
「
イデア嬢は木馬から降りると、預かっておいてくれとばかりに手渡してくる。
着々と迫りくる騎兵集団。その蹄が立てる地響きが、ぼくの足元にも伝わってきた。
血の気が引くような恐怖と、座り込みたくなるような絶望。歩兵は騎兵に勝てない。
「なぜ逃げないんですか! この木馬ならば、軍馬を引き離すこともできます! 絶対に、ぼくが保証します!」
必死に説得を試みるぼくを見て、彼女は穏やかに笑う。そこには焦りも怯みもなく、緊張も
「ぬしの作り上げた木馬の力は、信用しておる。
彼女は、腰の剣に手を掛ける。それを見て、
このままだと剣は抜けず、イデア嬢は鞘のまま戦うことになる。
「待ってください、まだ剣に封印が……」
「ああ、これか。忘れておったわ」
いいながら、剣に手を掛けたままシジッロを親指で弾いた。パキンという音がして砕けた破片が飛び散る。
「え?」
「身の程を知らん弱者ほど、強者に首輪をつけたがる。それで満足するのであれば、付き合うてはやるがの。従うかどうかは別の話じゃ」
ポカンと口を開けて固まっていたぼくは、気を取り直して近づいてくる騎兵集団に目を向ける。思っていたよりも数は少ない。とはいえ五十はくだらないし、先行してくる二十騎ほどは甲冑に青白い魔力光をまとっていた。
「イデア嬢。先頭の集団は、帝国軍の
「そうなんじゃ。あやつらとは前に戦場で当たって、散々な目に遭わされたわ」
だったら退くべきなのでは、と思ったけれども、イデア嬢はその場から動かない。死に急ぐという風ではない。そこにあるのは、やるべきことをやるといった、静かな決意。
ぼくは腹を据える。正直にいえば、怖くてたまらない。けど、ぼくを助け導いてくれた彼女が、戦うというなら。その隣で、できるだけのことはしてみせる。
ぼくは懐から手製の
こちらに目を向けたイデア嬢は、不格好な杖を見て驚き、ひどく面白そうな顔で笑った。
「……ふむ。
「はい!」
胸の奥に火が灯る。それは息苦しいほどに燃え盛り、全身に熱を広げてゆく。迫りくる騎兵部隊に杖を構えながら、ぼくはようやく気づいた。胸焦がすそれが、生まれて初めて感じる……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます