もののふ令嬢、疾走す

「では。戦時ゆえ、これにて帰参させていただく」


「……戦は起きぬ」


 玉座の主が、他人事のように言うのが聞こえた。目を向けるが、王は顔を伏せたままこちらを見ようともせん。


「停戦命令は下った」


 代わりに言ったのは王太子カウザ。貴族たちの前で虚勢を張ったか、顔色が悪いまま勝ち誇ったような声を上げる。


王命を伝える書式命書を携えた使者は今朝、既に辺境伯領シンティリオに向け出立している!」


 帝国の侵攻が始まった後で停戦命令が入るとしたら、辺境伯領は矛を収めざるを得ぬ。その命令の効力は自軍のみ。帝国側に拘束力はない。そうなれば無防備なまま成すすべなく蹂躙されよう。

 辺境伯領軍の指揮官であるわしを遥か七百キロメートルキロメトロの王都まで呼びだしたのは、を恐れてのことじゃろう。


 腑抜けは腑抜けなりに考え、打てる手をすべて打ったか。


「それは結構。北部武家貴族もののふの生きざま、ご覧になるがよろしい」


 憤怒を通り過ぎて、頭は冷えている。騎馬で急げば追いつけんとも限らんが、黙って行かせるつもりはなかろうな。

 案の定、王太子が満面の笑みを浮かべてこちらを見た。


「ああ、伝え忘れていたな。いま王都は戦時体制に入った。貴様を辺境伯シンティリオ領へと送り出せる馬はない」


 使者への追跡を止めるに、帰りの馬車あしを奪うか。

 愛馬に騎乗して向かうといったわしの意思を無視して、王家が差し向けた馬車に無理やり乗せられた理由がこれじゃな。


「残念ながら、軍馬の余剰あきはないが……その木馬で良ければ使うがいい」


 列席の貴族たちが一斉に爆笑する。

 ものを知らぬ愚物どもが。この木馬にどれだけの価値があるか、すぐに思い知らせてくれよう。


「ゆくぞ、ぼん


 わしは木馬の握りに手を掛け、着座位置に跨がる。

 着衣はドレスのていを装っているものの、騎乗と戦闘に備えた乗馬袴カバルカ。常在戦場を旨とするシンティリオ家子女の嗜みである。

 いまや元殿下となったエフェット殿は戸惑い顔で王を見ておったが、わしが手招きするとおずおずと手を差し伸べてきた。


「とんだ夫婦めおと道行みちゆきじゃの」


 笑いながら横抱きに抱え上げ、着座位置の前に座らせる。エフェット殿は恥ずかしそうにしておるが、木馬の疾走がどれほどのものかわからん。後ろでは振り落としかねん。


「はッ、間に合うわけがなかろう。これだから魔導無能者ティミドは無能だと……」


 キュイイイイイイィ……ンッ!


 握りから木馬に魔力を流し込むと、馬体に施された魔法陣チェルキオが光り輝く。青白い魔力光をキラキラときらめかせる様は、まるで空から舞い降りた天馬ペガゾじゃ。


「“ヨタヨタと無様に這い回るだけのゴミ”でしたか。笑わせてくれますな」


 わしは木馬をクルリと旋回させ、下座に向けて十メートルメトロほど全力の加速を見せる。そこから一気に減速して振り返ると、見ていた者たちはあんぐりと口を開けたまま固まっておった。巻き起こした風が遅れて吹きつけ、魔力光とともにわしの髪をそよがせる。


「……なッ、なんだ、その動きは……⁉︎」


「ヨタヨタとしか動かんのであれば、魔圧が低すぎるのですよ。無様にしか動かんのは、魔力操作が稚拙なせいでしょう。貴殿らには少し、ましたな」


 わしが笑顔で指摘すると、王太子の顔が憤怒に染まった。なにか罵ろうとしたカウザを一顧だにせず、わしは壊れた扉から木馬を廊下へと向かわせる。


「では失礼」


 集まっていた連中に声を掛けて、廊下を走り出す。無論、王城内で跨乗するなど無礼にも程がある蛮行だが、知ったことか。

 王家あやつらは、既に辺境伯家わがやの敵じゃ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る