第26話



 弱気になる彼女の前で、彼は言った。



 「あの時以上のストレートを、俺はまだ見たことはない」



 彼女は首を傾げた。


 あの時?


 なんのことかと、顔を顰めながら尋ねた。


 彼女からすれば、彼の言う「あの時」がいつかは、知る由もなかった。



 「初めて、試合で投げるお前を見た日や。あん時は確か、四年生やったかな」



 彼女は覚えていなかった。


 四年生?


 もうずいぶん昔の話だ。


 その試合のことを、はっきりとは思い出せなかった。



 「その試合がどうかしたんか?」


 「すごいと思ったんや。単純にな」


 「私が?」


 「お前以外に誰がおるねん」


 「ガキの頃やんけ」


 「そうやが、俺にとってはそうやない」

 

 「ふーん?」


 「あの日見たお前のストレートは、世界でいちばん速かった。今まで見た、どんなストレートよりも」



 彼女は呆れたようにため息をついた。


 小学四年生が投げる球なんて、たかが知れてる。


 “世界一”なわけがない。


 それは、考えるまでもないことだった。



 「慰めなんかいらんで?」


 「慰めなんかやない。本気で言ってるんや」


 「ハハ。笑える」



 結局、彼女は高校で野球を続けることはなかった。


 周りからすれば、それは賢明な判断だったのかもしれない。


 普通の女子高生らしく、女の子らしく。


 別々の高校に進んだ2人は、今までとは全く違う時間を過ごすようになっていた。


 野球を続ける亮平と、新しい夢に向かって、勉強を続ける千冬。



 亮平は、千冬の決めたことを否定するつもりはなかった。


 引き止めるつもりもなかった。



 子供の頃に描いていたお互いの夢は、もう、同じ時間に交わることはないのかもしれない。

 

 千冬はもう二度と、マウンドに上がることはないのかもしれない。


 だけど——




 夕日の差し込む海辺。


 駅舎の奥から聞こえてくる、放課後のチャイム。



 千冬を横目に、彼は誓ったのだ。



 「お前の夢を、俺が代わりに叶える」



 突拍子もない提案だった。


 千冬は笑っていた。


 何を言い出すのかと、思わず聞き返してしまった。


 亮平は、まっすぐ彼女を見つめていた。



 「いつか、世界一のバッターになる。そうすれば、お前の見たかった景色を見せられるやろ?だから、待っとけ。俺がいつか、証明したるから」

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