真夜中のラブレター

まっすぐだった定規

真夜中のラブレター

 私の黒歴史。


 それは、ラブレター。





 バイト先の大嫌いな先輩に向けた恨みつらみを、『嫌い』を全部『大好き』に変えてラブレター形式にして夜な夜なブログに綴っていたことだ。



 あいさつをしても無視するのは、私の顔を見るのが恥ずかしいからでしょ?

 いつも私がやることなすこと口を出すのは、私と一緒にいたいからでしょ?

 いつもきつい物言いなのは、照れ隠しなんでしょ?

 いつも遠くから眉間にシワを作ってじっと見つめてるのは、私のことが好きだからでしょ?




 文末にはいつも「そんなキミが大大大大好きだよ!」


……歯を食いしばりながら書いた。





 この真夜中のブログは約半年続いた。私が別店舗に行くことになり、その時書くのをやめた。


 宛先の無いラブレターは、今頃インターネットの海に漂っていることだろう。








 事の始まりは、夏の暑い日。

 私は飲食店でバイトを始めた。後から聞いた話だが、全国にいくつもあるチェーン店の中でもそれなりに忙しい店舗だったらしい。立地だけで働くことを決めた私はそんなこと知らず。平日は学校、週末はバイトで、とにかく目の前にやってくる仕事をこなすだけで精一杯だった。


 ある週末の夜。

 この日はいつにも増して忙しかった。鳴り止まないベル、ひっきりなしに注文が入る。



 そこで私は、やらかしてしまった。


 自分が料理を運んでいるときに先輩から頼まれ事をされ、お客様から聞きたいことがあると言われ、別の先輩からもう一つ料理を一緒に運ぶよう言われ……まだ何か言われたような気がするけれど。


 脳内は処理落ちでパニック、その場で私は一時停止してしまったのだ。

 壊れた人形のように「えと、えと、えと……」を繰り返す私の口。


 誰もが忙しく二つも三つもやることを抱えている中、私に注がれる皆の視線は冷たかった。



 しかし。

 私はここで、自力で復活した。そして、何事もなかったかのように振る舞った。

 体感では1時間も2時間も過ぎた気がしたが、時計を確認すると実は数秒だった。きっと、みんな、何事もなかったとして扱ってくれるだろう……





 それが甘かった。


 この日を境に、私はバイトリーダーから目をつけられるようになった。



 何も知らない私は翌週も普通に出勤した。店に入ると、いつものようにバイトリーダーにあいさつ……しかし無視される。聞こえてなかったのかなと、三回言うも何も返ってこない。

 眠たいのかな、などと考えながら持ち場についた。



 しかし、十分十五分と経つうちに、どうにも拭い去れない違和感が増えていく。自分を囲む空気が穏やかではない事に気づき始めた。




 それからの私は……みなさまの想像に難くない。文字にするのも嫌な気分だ。こういう場面で起きることビンゴがあったら、全部に穴を空けられるだろう。



 帰り道はいつも泣きながら自転車を漕いでいた。



 もう辞めよう、家の前の坂道でそう決めた。


 決めた瞬間、今にも砕けてしまいそうだった心が一気に軽くなった。涙も止まっていた。


善は急げだ!店長に連絡をして、借りてた物を返して、駐輪証を事務所に返しに行って、あいさつして、新しいバイトを探して、履歴書書いて面接して、またそこで一から仕事を覚えて…………って。


 バイトを辞めるに当たってやらなければならないことを頭に並べると、わかったことがある。



ああああああああぁぁぁっ、やること多過ぎてめんどくさいなっ!!



 バイトを辞めるも始めるも、そう簡単なことではない。柔らかくなった心にまず入り込んできたのは、怒りだった。


 なぜ私が、そんなめんどくさいことをしなきゃいけないんだ??給料出る訳でもないし!


 そして怒りの矛先は、バイトリーダーに向かう。



 全部全部アイツのせいだ!!



 怒りのスイッチが入った私の全身に、イライラが走り回る。どうにかして仕返しがしたい……そうしなければ気が収まらなかった。



 物理的な攻撃は訴えられそう、けれどやられたことをそっくりやり返すのはアイツと同じレベルに落ちるようで嫌だ……



そこで私は、ふと思った。それは、どんなことよりも何よりも一番簡単な仕返し。



 私が辞めないのが、アイツにとって一番嫌なことじゃないか……?



 でも、それだと私の心が死ぬ。



 だったら……心に受けた痛みを、受けた瞬間に180度変換して快感にしてしまおう。



 この日から、何をされてもニヤニヤしているような、誰が攻撃してもそれが攻撃とならないようなキャラになるための日々が始まった。



 せっかくなら、何か形にしたい……そうだ、それを文章にしてしまおう……!



 勢いでブログを開設し、その日の深夜から書き始めた。



 ……しかし世はggrks時代。万が一、これが本人の目に留まってもわからないように……ラブレターとして書こう。



 こうして……私の、真夜中のラブレターの一通目が完成した。










 しばらくすると、バイトリーダーを観察するのが楽しくなった。バイトリーダーの行動が私に恋する乙女にしか見えなくなり、いつの間にか可愛いとさえ思うようになった。


 何を言ってもニコニコ、しかも時折笑顔でじっと見つめてくる…相手にとっては、さぞ気味が悪かっただろう。


 もともと人の入れ替わりが激しい店舗だったため、数か月後には私を気にする人はほとんどいなくなった。ただしバイトリーダーを除く。

 そしていつのまにか、何をやっても怒らないいつもニコニコした変なヤツとして可愛がられるようになっていた。ただしバイトリーダーを除く。



 それから何か月かのこと。すぐ近くの別の店舗が人員不足とのことで、私はそちらへ行くことになった。そしてなぜか時給が上がった。



 ここでブログは終わっている。



 改めて文章にすると、気持ち悪いことをしていたと思う。

 けれど、あの環境に耐えたことは褒めたい。どんなに辛くても、どんな環境でも、それを自分で快感にかえられる……そんな強さが身についたから。


 そして十年以上経った現在、こうしてネタになっている……から、意味があったのだと、思いたい。





 そのブログだが、残念ながら、登録メールアドレスがわからず読むことはできない。もしかしたらそのブログサービス自体がもう無いかもしれない。



 もしどこかのインターネットで、こんなラブレターを見つけたら……クスッと笑ってくれると嬉しい。


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真夜中のラブレター まっすぐだった定規 @akaitakarabako

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