第26話

 ☆

「よ、ようやくだ。 ようやく成功した。 長らく続いた魔の数日間から解放される時が来た。 解放の歌を歌おう、解放のディベルティメントを!」

 

 一人軽い調子の歌を歌い始めたイルミネさんを放置し、俺たちは炉から出てきた謎のアイテムをじっと見る。

 

「え? 何これ」

 

「これはスキー板ですね」

 

「あんだけ頑張って出てきたのがスキー板だと? この炉はポンコツだったのか?」

 

 炉から出てきたのはどっからどう見てもスキー板が一セット。 右スキーと左スキーで少々装飾が異なるが、それでもスキー板であることには変わりない。

 

「ふむふむ、右がカウッピ、左がリューリッキと言うんですね?」

 

「名前なんてどうでもいいですが?」

 

 俺は冷静にスキー板を観察していたレアーナさんに不満を垂れる。 しかしげっそりした表情のイルミネさんが颯爽と俺たちの前に現れると、

 

「神聖鉄から生成したスキー板だ、そこらへんの品とは一線を画すだろうね」

 

「いやいや、スキー板にいい悪いがあるの?」

 

「それがあるんですよね、ここから北は極寒の大地になっておりまして、スキー板は移動に重宝されます。 ヒーシの鹿はそんな場所に陣取ってるわけですから、このスキー板が鍛造されたことには何かしらの意味があるでしょう」

 

「言っておくがレアーナさん。 俺はスノーボードしかやったことないぞ?」

 

 俺はスケートボードやスノーボードを高校時代に嗜んだ。 スキーなんてスキー実習で嗜む程度にしか経験していない。

 

「そもそもの話、ヒーシの鹿ってドラゴンよりも強いって話だろ? 何がどういった感じに強いのかをそろそろはっきりさせてくんない?」

 

 そもそもの話、イルミネさんが神聖鉄を鍛造していたのはヒーシの鹿と戦うためのアイテムを必要としたかららしく、イルミネさんがヨウシアさんの元で研修していたのも、ヒーシの鹿と対抗するために何が必要かを学ぶためだったとか。

 

 そして学んだ結果がスキー板一セット。

 

「ヒーシの鹿はですね、見えないんですよ」

 

「透明になってるってこと?」

 

「いいえ、全く違います。 早すぎて見えないんです」

 

「何その斬新な設定」

 

 早さとは強さに直結するほどに重要な要素。 早いと言うことは運動エネルギーが過重にかかるため、早ければ早いほど一撃が重くなる。

 

 と言うのはいちいち言うまでもなく誰でもわかっている。 時速四百キロで豆腐が飛んできたら、いくら豆腐が柔らかくても当たったら痛いだろう。

 

 厳密に言えば時速四百キロの負荷に耐えられるような豆腐は存在しないだろうが……

 

「おそらくこのスキーを使えばヒーシの鹿を追い詰めることができるのでしょう。 ですが、ヒーシの鹿は近づくだけでも困難ですからね」

 

「戦ったことある人に話聞いてみたいね」

 

「話を聞くのはいいとして……やっぱりやめるとか言いませんよね?」

 

「ええっと、そんなにえげつない話なの?」

 

「伝説と肩を並べるという十級キュメネ冒険者がたった三秒で蜂の巣になったって話を聞いたらどう思います?」

 

「俺、帰っていい?」

 

 迷わずポホーラの街に帰ろうとした俺の肩をレアーナさんがガッチリと掴んだ。

 

「私、ヒーシの鹿に立ち向かう勇気がある冒険者さんとデートしてみたいなー」

 

「悪いなレアーナさん。 俺は身長が低くて体の線が細い女の子がタイプなんだ」

 

「ティーケル様、私は身長も低いし体の線が細いのです!」

 

「なお、二十歳以上に限る」

 

 その後、鬼面を浮かべたレアーナさんと泣き喚いたユティたんがゲシゲシと俺にバイオレンスな行為をしてきたため、頭を抱えて蹲っていた。

 

 ★

「今回は随分と大変な戦いになったさ?」

 

「いやいや、これはドラゴンやフェンリルよりも凶暴なやつにつけられた名誉の傷でして……レアーナさん痛い」

 

 顔面が腫れあがっていた俺にアルちゃんが心配そうな視線を向けてくれていたのだが、訳を話そうとしたら隣に立っていたレアーナさんに爪先を踏んづけられた。

 

 茶番はここまでにして、俺たちはイルミネさんが鍛造したスキーをマルーカさんたちに見せる。

 

 影の短剣のメンバーは既に七人全員揃っているようで、イルミネさんの鍛造が成功し次第ヒーシの鹿を討伐するために準備を進めていたらしい。

 

 それぞれが使役する魔物を人工繁殖させて増やしたり、戦わせるための訓練を施したりとやることは多かったそうだ。

 

 マルーカさんは気難しそうな顔でスキー板を観察し、眉間にシワを寄せながら唸り出す。

 

「これは、おそらくヒーシの鹿を一撃で仕留めることが可能な方に使ってもらうしかないですね」

 

「ヨルガルドに噛ませれば一撃で倒せるんじゃないですか?」

 

「レアーナさん。 あなたはヒーシの鹿についてどこまで知っていますか?」

 

「ええっとですね、十級冒険者三人係で挑んだにも関わらず、全員数秒で蜂の巣になって再起不能にさせられたという情報しかありません」

 

「そうでしたか、言っておきますがヒーシの鹿は、ただの鹿ではありません」

 

 真剣な顔つきでレアーナさんに視線を向けるマルーカさん。 なんか、カッコつけた言い回しで言ってるみたいだけど、ただの鹿じゃない事くらい猿でもわかると思う。

 

「ヒーシの鹿とは、暗い森に潜んでいるヒーシと言う悪魔が顕現させた鹿のことです。 その鹿は、廃材から生まれています。 つまりヒーシの鹿は無機物です」

 

 唖然とするレアーナさん。 つまり、信じたくないがヒーシの鹿とはヒーシさんが作り出した鹿で、操り人形のような存在らしい。

 

 そんな操り人形が十級冒険者を瞬殺するレベルで強いと言うのか。

 

「奴の攻撃手段は至って簡単。 周囲の自然を操作して、木の根や葉っぱを武器として戦います」

 

「燃やしちゃえばいいじゃないですか?」

 

「ティーケルさん、あなたは目にも止まらぬ早さで飛んでくるこの葉や木の枝を、自分の体を貫く前に燃やすことが可能なのですか?」

 

「遠くから火刑に処すとか?」

 

「言っておきますがヒーシの鹿の最大間合いは三キロです」

 

「お、おぅ」

 

「三キロ以上離れた位置から炎を放ったとして、ヒーシの鹿とて馬鹿ではありません。 炎を放った者に接近してきます。 目にも止まらぬ早さで移動するヒーシの鹿から逃げることは可能ですか?」

 

「む、無理です」

 

 目にも止まらぬ早さ、おそらく音速を超えてしまうほどに早いのだろう。 鹿本体だけでなく鹿が繰り出す攻撃も同じく早いらしい。

 

 しかも奴が陣取っているのは木のない野原だ。 見渡しがいい分遠くからコソコソ攻撃しようにも一瞬で視認される。

 

 さらに厄介なことに、ヒーシの鹿は周囲の自然を自在に操作するらしく、木のない野原に自らが歌い出した木や花を召喚するらしい。

 

 木は生きた触手のように襲いかかり、花には触れただけで死に至る猛毒が宿る。 そしてその猛毒を帯びた花びらを目にも止まらぬ早さで射出してくると。

 

「詰んでるじゃないですか」

 

「ええ、今までは戦う術がなかったのです。 食料調達のために野原から出ていく巨人族の戦士たちは、毎回のように大量の犠牲者を出していましたから」

 

 マルーカさんの話を聞いてる最中、アルちゃんが哀愁漂う顔で下唇を噛んでいたのが横目に映った。 アルちゃんはとても優しい子だ。

 

 最初は常識がないバカタレだと思っていたが、ここ数日間彼女と接していてわかった。 この子はこの世界で唯一俺に優しくしてくれる天使なのだ。 まあ、俺は背の低い女の子が好きだから巨人族と言う時点で推せないのだが……

 

「けれど今は、ティーケル様がいるのです!」

 

 ユティたんが自信満々に口にしながら一歩踏み出す。 何言ってくれちゃってんのこの子?

 

「そうですよ! 常闇の禍神を倒す勇者様がいれば、奴の眷属であるヒーシの鹿なんて相手ではありません!」

 

「龍殺しの勇者様は寝っ転がりながらドラゴンを討伐するほどの猛者だ。 ボクが彼の強さの証人になるよ」

 

「頭の出来はイマイチですが、その強さは本物です! 冒険者協会も彼の実力を加味した上で自信を持って推薦します」

 

 メルっち筆頭に俺をよいしょしてくれているのだが気になる一言が聞こえた。 メルっちはヒーシの鹿を奴の眷属と言わなかったか? ここでの奴とは常闇の禍神を刺しているのだろうか?

 

 後でメルっちを問い詰めよう。

 

 一人思案していると、マルーカさんたちが俺に縋るような視線を送っていることに気がついた。

 

「ティーケルさん、どうか我々影の短剣と共に巨悪に立ち向かい、イアルヴィーの同志を救う手伝いをしていただけないでしょうか」

 

 マルーカさんは真摯にお願いをしているようだ。 なぜなら蛇を召喚して脅すそぶりが一切ない。

 

 それだけ危険な相手との戦いを懇願しているのだろう。 俺が難色を示すなら強制はしないと言う無言のメッセージだ。

 

 無論、命の危機に瀕する訳だから逃げた方がいいのは百も承知。 俺とて命が惜しい。

 

 確実に勝てる勝算も無いし、どちらかというと死ぬ確率の方が明らかに高いだろう。

 

 となれば断るしかないだろう。 隣で祈るような顔をしているアルちゃんには悪いが。

 

 俺は大きなため息を吐きながら——

 

「一つ、試してみたいことがあるんすよね」

 

 ——今回ばかりは、自分の気持ちに正直になってもいいのかなと思った。

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